一つの決着
深淵に魅入られた者達は、深淵に近付こうとする。
深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを覗く……ありきたりな警句である。しかし、元より近付こうとするのならば、それは願ってもない話だ。
人の一生は短く、宇宙を識るには時が足りない。ならば水面へ飛び込んでみるしか無いではないか。
そうして彼らは生まれた。seals社は元々は深淵に対抗する防波堤であったが、敵と戦うには己と敵を知らねばならない。そうした果てに深淵と合一したいという願いを持つに至ったのは無理からぬことだ。
一方で、深淵という存在を識ったことでより現在の生命に希望を見出した者もまたいた。
それこそが現在〈プロジェクト・バスタード〉参加者を含めた拡大派の一派だ。
パトリック・R・ハルマンの行った神秘の開示もそこには関係がない。
魔術師、退魔師、呼び方はなんでもいいが神秘を身に付けた人間はかつてから存在した。そして妖怪、魔物、あるいは幻獣といった存在もだ。
……それらは深淵とどう違うのだ?
どんな生命にも神秘は宿っている。ならば違うのはどこか?
見るだけで狂気に陥れる神秘性? 精神操作の術を極めた者でも可能だ。
圧倒的な破壊力? それこそ核でもなんでも使えば良いし、科学にこそ先がある。
存在の強大さ? 修行の果に覚者に至る者もいる。数多の聖人、偉人が存在がそれを証明している。
ならば出自の違いか。いや我々が魅入られたのはそんな些末な違いでは無いはずだ。
分かるはずもない答えを探し求めた果てに、彼らの一部が〈プロジェクト・バスタード〉を立ち上げた。
魅入られた、という事実を補強するために行われたのは既存の生命の神秘性と、深淵の要素の調和。
大きさを表すために横に置かれるタバコの箱のように、既存の生命と深淵を分かりやすく並べるのだ。
/
そんな目的を知るはずもない退魔師達だが、知っていても見逃す道理はない。
大事なことはそれが迷惑であることであって、それが崇高か卑小かなど宇宙の果ででもやっていてくれとしか言いようがなかった。
「人工獣人を仕入れようとしたのは、なぜだ?」
「本職のブリーディング法を参考にするためと……人間をベースにするよりも強靭な素材が欲しかったからだが……うん? なぜ知っているのかね? そういえば……未だに納入されていない……君の仕業か。あーっ! 何ということを! 私の研究の遅れは、人類が深淵へと至る道行きの遅れなのだよ!? 分かっているのかね!?」
勝手にべらべらと話してくれる。守秘義務の意識が無いのか、あるいは侵入者達が帰れるはずもないと思っているためか。そこは判然としない。
鋼の戦乙女が前に出て、大剣を構える。
「お前の語るプロジェクトに興味は一切ない。死ね、深淵信者。その方が貴様らの目的に近かろう」
「そういう君は封印騎士とやらかね? いやはやかつての同胞にも理解されず、本社とも枝分かれ。悲しい限りだ」
ベリンダの切り捨てるような言葉にも、学者は耳を傾けない。悲しい、と口で言っいるが、この男の感情はもはやブレーキとしての役割を果たしていない。
それすら自分を酔わす美酒に仕立て上げて、深みへと潜っていく。
……敵は人か。
それは護兵にはいつだって、少しだけ覚悟のいることだった。妖物は殺してよく、同類は助けるべきなどと言うつもりは無い。無いが、それでもつらいことはつらい。
そして同時に、迷惑なことはどこまで行っても迷惑である。
だから、どこまでも自分本位で行かなければならないのだ。相手を殺すというのなら、その分己を全うする。
「貴方が“良いこと”をしているのか、“悪いこと”をしているのか。それを判断する能力も資格も俺には無い。だから――」
護兵もまた構えを取る。
こうまで非戦闘員が身を晒しているのだ、何の手立ても無いはずが無かった。
「討たせてもらう。この町には俺の生活の場がある。それを邪魔するのなら殺そう」
学者は頭の残り少ない毛をかきむしるようにした後、静かに言った。
「誰が君たちの許可を求めたのかね?」
その声自体が合図だったのか、地下から再びカプセルが現れる。
その中身はこの局面において、侵入者達を退ける……いいや確保するために必要なだけの戦力。
「ガンマはある程度、数を揃えた。そしてこのデルタを加えたならば、君たちに勝ち目は無いよ。そして、優れた術者である君たちを素体にイプシロンが作られる。新人類の嚆矢! なんという名誉なのだ!」
「そんなに化物になりたいのなら……自分でやれ!」
「適合するのならとっくにやっておるわ!」
ベリンダの咆哮にも怯まずに、返された言葉を合図に戦闘が再開された。
/
敵の戦力を認識する。
ガンマという深淵騎士もどきが先程の個体と同様というのなら、自分たちとほぼ同格が4体。それに加えてデルタなる敵も増えている。
黒はガンマと変わらぬが、兜から赤い光が漏れている。その禍々しい赤は戦争の災禍を匂わせた。
ともあれ、まずは……
「博光!」
『あいよっと』
数を補う。軽い口調が戦闘時にこそ頼もしい。
予め護兵の服の下に隠されていた、博光の符が舞う。地面に落ちると同時に開かれていく、白の花びら。瞬く間に紙で出来た人形が組み立てられる。その手に持つのはこれまた紙の剣。
『古き神札を取除き新しき神札を置き祝奉る……出ろよ紙兵。旧きもの達』
払われた後に取り替えられて、適切に処分されなかった者たち。それを戦いを代価に、清めることを約束して使役する博光の変則式神。
怨と善を併せ持ちながらも、西洋のように契約で括る博光の恐るべき新時代の術。
『持たせた符剣で攻撃は強いが、守りは文字通り紙だ。長くは保たない……のと、倒された後は拾ってきてくれ。じゃないと俺がヤバイ』
「やっぱり天才だよ、お前は!」
屹立した10の紙兵に護兵とベリンダを加えれば12となる。
12ヶ月で一年。安倍晴明が使役したという十二神将。12は多くの意味を持つ数字だ。神秘が開示された世界で肥大化した縁起が彼らを守る。
「ベリンダ! 間違って味方燃やすなよ!」
「流石に室内で火は使わん!」
さっき使ってたじゃん、と内心でツッコミを入れて護兵も乱戦に加わった。
/
幾ら広めの空間であっても、所詮は地下だ。
超常の力を振るう者たちにとっては狭く感じる。
そして問題は……戦闘に加わっている全員が近接戦闘を得意とする、という点にあるだろう。
子供の喧嘩のようにみっともなく、そして荒々しい。
戦局は互角だった。
「何をしているんだガンマ! この役立たずどもが!」
傍観者へと成り下がった科学者が叫んだように、深淵騎士型の兵器であるガンマはこの戦闘において有効とは言えない。個体としての性能が下がったわけではなく、伸び縮みする四肢を使った戦闘が乱戦において役に立たない。
半端に独自の知性を備えているのもいけなかった。彼らの戦闘に対する考え方が揃っていれば、中距離から一方的に攻め立てることも可能だっただろうが、混戦時に自分たちの触手同士で絡まっていく始末。
対して、紙兵達は単純な動きをするだけであるために、かえって利用しやすい。状況は明らかに護兵達に有利だった。
しかし、それでも尚互角なのは……
「くそっ!」
ベリンダの短距離突撃が真っ向から弾き返される。鋼と鋼が小気味良い音を立てたのと同時に、護兵が甲冑の懐に潜り込んでいく。
「……せぇいっ!」
気合と共に放たれる一拳。
甲冑の最も脆い部分を狙って放たれる一撃は、内部まで振動を伝える工夫さえ凝らされていた。
赤い光の線を残しながら、黒の甲冑が壁へと吹き飛ぶ。
壁の内側に配線でもあったのか、煙が吹き上がる。それが一瞬揺らめいたのを双眸流は見逃さなかった。
「〈気刃鎧〉!」
気を練り上げて刃と成す。その技を変形させて護りへと変えた護兵の腕に、大剣がめり込んだ。
気刃が粉砕されるまでの僅かな時間に、離脱を果たしたが少し遅れていれば開きとなっていただろう。
……強い。
状況が有利で、ようやく互角な原因。デルタという個体が単純に強いのだ。
恐らくはベースとなった人間か亜人種がガンマよりも強いのだろう。単純に硬く、力強く、そして速い。
護兵が見るところ、気の流れもガンマより整っており無駄がない。四肢のバランスが狂っていたガンマは見切ってしまえば容易な相手であったが、デルタはシンプルで穴がないタイプであった。
現状は紙兵を相手に、ガンマ4体が勝手に苦戦しているためにデルタ相手に集中出来ている。それでも、これを崩すには賭けにでる必要がある。
「博光……奥の手か何かあるか?」
『んー、紙兵を応用して攻撃術とか自爆とか』
振るわれるガンマの大剣をわざと受けて、ベリンダの近くへと飛び落ちる。
「ベリンダ……倒れた後、俺と紙兵の面倒を頼めるか?」
「……任されよう」
「博光の合図と同時にガンマってやつを四体任せる。そのかわり、あのデルタとやらは俺が必ず倒す」
賭けるのは相手がさらなる奥の手を隠していないかどうかについてだ。
いずれにせよデルタに長く時間を取られれば先が無い。そう判断した護兵は強行突破を図るのだ。
/
デルタの気脈は通常の生物と似たところがある。
ならば、気功術でつけ入ることも可能だ。問題はどこまでやれば倒したことになるか。再生能力を備えている可能性も無視できない。だから。
「双眸流――極伝の弐の構え〈転輪掌〉」
持ちうる最大の火力で粉微塵とする。
双眸流は基本を昇華して全てを必殺とすることを理想とする。だが理想は理想。開祖以来、その域に達した者はほとんどいない。
だからこそ、擬似的に再現した構えがあるのだ。
目が熱い、脳が茹だる。
過負荷に過負荷を重ねる。
通常ならば敵を見て、攻撃する。その2段階にさらに倍を加える。負荷も当然に倍加。さらに倍加を重ねて累乗と化す。気功術の長所である持久力の高さを投げ捨てる。
〈転輪掌〉とはこの状態から放たれる技全てを指す。ゆえに構え。
「――捻れろ」
冷たい宣告とともに、双眸護兵は黒騎士へと疾走した。
無造作に放たれたように見えた拳。迎え撃とうとする大剣を、ギリギリで躱してその持ち手に僅かに触れる。
「!?!?!? おろ、おおおぉん!?」
人でも深淵でもない騎士が異常自体に叫びをあげる。
腕が勝手に回転した挙げ句に爆裂して、黄色の血をあたりに撒き散らしたのだ。
これが〈転輪掌〉。相手を見る。攻撃する。そこから相手の気脈へと干渉して、暴走させる。
触れるだけで相手を殺す。擬似的な必殺である。
「ぐぉおおっ!」
デルタに負けず劣らずの苦悶を護兵はあげた。
腐っても深淵の要素が加わった生命体相手だ。干渉による負荷は天井知らずに上昇中。過去最大の激痛に悶ながら、不格好な突きを放つ。
相手が大剣を持てないように、もう片方の手を粉砕する。
次いで胴体、腰、足と……
戦闘者とは思えない、頼りない姿勢でも〈転輪掌〉はその苦痛を代価に使用者へと勝利を与える。なにせ使用側は相手に触れるだけでいいのだ。
「……博光!」
敵の頭部に触れたことを朧気に悟った護兵が、遠く離れた相棒へ叫ぶ。
紙兵達が膨れ上がり、爆散するのとデルタの頭部が捻れて無くなるのを同時に見届けて、双眸護兵は意識を失った。
/
目が覚めると、美人の顔が前にあった。
整った顔立ちに、艷やかな黒の髪。気のせいか時折赤に見える瞳……部長、狭霧華風のものだ。
「おや、ソウボー君。起きたかね? 今、ナースコールを連打するよ」
連打はしなくていい。
言おうとしたが、目しか動かない。最も鍛えている部位だけあって、一番早く回復したらしい。
「ことの顛末が聞きたいんだろう? ちゃんと教えるから、ゆったりとしていたまえよ」
違う。連打はしなくていい。だが、華風の言葉は勝手に続く。
「結果を言えば、目的は達成。科学者も捕まえたんだけど、ベリンダちゃんがどこかへ連れて行っちゃった。何処へかぐらい聞こうとしたら、凄い睨まれたよ。怖い怖い」
全く怖く無さそうな声で華風が言う。
……封印騎士にとってかつての同僚は敵の発生源だ。生かしておく道理など無いのだろう。いずれにせよ科学者はその狂気に見合った目に遭うのは疑いない。
「そのベリンダちゃんが、式神っていうのかい? アレを一つ拾いそこねたせいで、博光君は寝込んでいるよ。君より回復が遅いかもね」
契約を破った代償か。今回ぐらいは流石に気の毒に思う。原因の一端は俺だが。
「さて、曲がりなりにも会社一つの地下で暴れたから後処理が大変なんだ。あとは専門家に任せて、失礼するよ。……ああ、そうだ獣造という人が今度訪ねてくるって言ってたよ。それと……」
華風の顔が近付く。
目に続いて鼻が回復したのか、甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「君が倒れている間、とても心配した。今度からああいう手段に出る時は私にも相談して欲しい。ではまた、サークル棟で」
去っていく華風の姿を、少しだけ名残惜しく思った。
/
また幾日か寝ていたらしい。
しかし、気功師は自然回復に長けた存在だ。薬の助けもあるとなれば、驚くほどの早さで調子が整ってくる。中でも通常ならば難しい脳の機能を復活させることも、時間をかければ可能なのが強みだ。
「……どうぞ。獣造さん」
白い病室で、扉に声をかける。未だに少し掠れているのが、自分でも分かった。
「ははぁ……一応また気配を隠していたんですがね。いや、旦那ご無事で何よりでした」
無事という言葉が、最近は随分と安くなっている気がする。これは十分に異常な怪我の範疇では無いだろうか?
「最近、脳を活性化し過ぎたので感覚が敏感なんです。それで、依頼の件ですが……」
事情を話す。
ソラバ・バイアルの地下で見聞きした限りのことを、詳細に。獣造は依頼主でもあるし、事態に関わりそうになった男でもある。聞く権利があり、話す義務が自分にはあった。
「なるほド。深淵を使った混交生物……そノ参考兼素体にうちの商品を使おうと。いやぁ盲点でやしたガ、まぁseals絡みですから深淵は予想できていましたがネ。約束の金額は皆さんに振り込んでおきますよ」
「あなたはこの件で……?」
「私が深淵との混交を考えやしないかって、お疑いで?信じて貰えるとは思いやせんが、しません。あんなのを混ぜたモノなんて、売り物にはなりやしませんヨ」
考えてみれば当然の話だ。
深淵は強弱に関わらず制御できるようなモノでもない。大体、大本の深淵の部品かなにかが必要になる上に獣造にはそのノウハウもない。あれはあくまでもseals社に属する者だったからこそ可能な実験だった。
「信じます。ペットショップなんでしょう?」
「いやはや……旦那はやっぱりくすぐったいお人ダ。では私はこれデ……ああ、治療費はサービスしておきますよ」
言葉通りに、病院の受付には入院費がきちんと支払われた。
/
麻袋に詰められたモノが投げ落とされる。
中に入ったモノ…者が生きているのは、しきりに暴れまわる様から分かるだろう。
くぐもった叫びが何かを主張しているが、周囲を取り囲む甲冑達には興味が無かった。
「「「「「おお、思い上がった者よ。そなたが望んだ深みへと、送り込んでやろう」」」」」
大剣が差し込まれる。できるだけ急所にならない位置を、袋の上から狙う高い技量の持ち主達だった。その高い技術を、樽に玩具の剣を差し込む遊戯のような私刑へと発揮する。
できるだけ長く苦しみが続くように。できるだけその頭から苦痛によって啓蒙を取り払うように。
「「「「「そなたの瞳は我らが奪い、捨てる。そなたが啓いた知恵が永遠に埋もれるように」」」」」
差し込む。差し込む。差し込む。
繰り返される痛みによって上位へと至る狂気を取り払い、真っ当な狂気へと変える儀式。
細心の注意を払われたソレは延々と続いた。
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