起動する深淵

 生まれた時から生き方が定まっている。それに関してどう思うかは個々人次第だ。自由が無いと嘆く者があれば、選択する労苦が無いと安堵する者もある。

 例えば、双眸護兵と符木津博光はどちらかと言えば後者に当たる。灰色の人生と思ってはいても強いて外れようとは思わない。闇に覆われているよりは遥かにマシであったし、能力的にも適正があった。



「全く、なんだあの連中は? 神事の邪魔をしに来たとしか思えん。噂を流した者は突き止めなければな」



 紫樹の社では、宮司の中年男が愚痴を垂れていた。当然の反応なのだが、この家に縛られる娘にとっては醜悪に歪んで見える。



「よいか、海桜みお。あんなふざけた連中と関わり合いになること、まかりならん。お前はこの紫樹の家を継ぐ神子なのだからな」

「はい。お父様」



 紫樹海桜は黒髪を垂らすように深々とお辞儀をした。父親である男が気にいるように。それを見て満足そうに父は頷いた。まさか、この娘がその噂の発生源とは知らぬまま。

 この家を継いで?そして毎年、あの玉を磨くためだけに・・・・・・・・・生きるのか?それだけで村の人々からは生活の糧が流れ込んでくる。ああ、確かに楽な一生だ。素晴らしい。だけど、私はそんなの御免なのですよお父様、と闇を滲ませる女に男は気付かない。


 だから、彼女に闇は囁いた。お前には力がある。言うとおりにすれば、普通とは違う生が待っているのだと。


/


 雅楽のような音色が奏でられる中、時代劇に出るような駕籠が運ばれていく。ただし、乗っているのは人ではなく、物が詰まった箱。



「普通だな、祭り」

「普通かね? 出店も無いし、騒いでいるのは外野だけだ」

「村の連中は苦虫噛み潰してるなぁ」



 見物人がいるという変化を嫌っている。困惑の色も強い。



「一番前の器用そうなのが巫女さんか。ここのところ、可愛い子ばかりと出会うな」



 出会ってはいないだろう。見ただけだ。

 巫女装束の女は黒髪を棚引かせて舞いながら、少しづつ社へと近付いていく。そして駕籠の中身を宮司に渡して、宮司が何某かの儀式を社の奥で執り行う。そうした流れらしい。

 舞いながらもしっかりと目的地へ進むのは確かに器用である。周囲の野次馬も見目が良い方がいいのか、しきりに巫女へとカメラのシャッターを切る。音で雅楽が乱れる。

 


「ふん? 妙だな……」

「何がだ。携帯食ならもう無いぞ」

「違う。人が増えているのに、昨日見た顔が・・・・・・少なくなっている。まさか、前日から来ているような奴らが当日に帰るわけがあるまいに」

「それは……」

 


 どういうことなのか? わかる時間はすぐだった。


/


 祭りは進行し、あとは社内部の人間による儀式のみだ。ここからは村民は立ち入れない。一族の者しか社の中に入ることは許されず、実際に儀式を行う場にいたっては当主と神子のみが入れる。……そのはずだった。



「へぇ、思ったよりシンプルな宮だな」

「中は普通だねー。凄い大きいけど」



 耳障りな音とともにその一行はぞろぞろと入ってきた。かなりの人数であり、厳かな雰囲気をあっさりと破壊してしまう。その不躾さに宮司が声を荒らげるまでにしばらく、間があった。ここに一族の者以外が入ること自体に経験が無い。

 紫樹一族はその名が示すとおりに村の顔役だ。閉鎖的な環境下では村人たちはそもそも紫樹家に逆らうという発想が無い。つまり従わない者がいる事自体に耐性が無かった。



「何だお前たちは! 誰の許しを得て入ってきた!?」



 村民ならば誰もが怖れる権威からの一喝。しかし、それに対しても若者達は困惑をするばかりだ。なぜならば。



「え、誰って……海桜ちゃんが見学自由だから社の中にも入っていいって……」



 予想外の返答。無礼でも無ければ、無理解でも無い。ちゃんと関係者に許可は取ったのに、と不満と惑いを告げる若者。

 何もかもが上手く行かない。宮司の反応は常に遅れがちだ。



「なんだと!? 海桜これはどういう……」



 身内に対する怒りを取り戻した宮司は絶句した。神事の肝。代々受け継がれてきた教え。「宝珠を動かすべからず。年に一度、拭うべし。その輝きを決して曇らすことなきように」

 その宝珠が鎮座する台座に他ならぬ娘が手を出そうとしていた。



「……ごめんなさいね、お父様。コレは貰っていきます」

「お前、ソレを動かせばどうなるか分かっているのか! 海桜ぉ!?」



 父親の声に対して、娘は口を三日月に歪ませた。



「ええ、知っていますとも。お父様は知っていますか?・・・・・・・・



 父親は絶句した。この宝珠を台座から動かさぬように手入れするのが代々の生業だ。それは連綿と延々と続いてきた……だからこそ、彼は続きを口にすることができない。この玉を動かせばどうなるのか?いや、そもそもこの玉は何なのか?知っていない。



「お父様はいつもそうですね。伝統が素晴らしいと言いながら、ずっと続く我々の、いえ自分のちっぽけな安定にしか興味が無い。一族の神子ならば結界を解除することさえ……いえ、ひょっとしたら結界の存在すら知らなかったのかしら?」



 突きつけられる事実。ソレに対して身じろぎすらできない。自分に予想できない行動を取るものなどこの世界にはいないのだから――

 呆けたように立ち尽くす男の前で、娘は恭しく台座から宝珠を取り外した。



「さぁ紫樹の巫女が、我が世界を捧げて願い奉る。お目覚め下さい我が神。我が名の主よ」

 


 そして私をこの世界から連れ出して――


/


「「「!!!」」」



 起動の気配は全ての者が感じ取っただろう。だが、反応できたのは3人だけだった。


 枝が伸びる。葉が生い茂る。禍々しい黒紫が全てを覆っていく。

 神威は人間・異種族問わず全てに等しく襲いかかった。小枝が突き刺さった者は即座に干からび、葉に覆われた者はじわりじわりと吸い殺された。そして、残った皮ですら枝がコブを開いて飲み込んでいく。


 博光が可愛いと言った異種族の女も、気乗りせずにここへ来た者も、小旅行程度にしか考えていなかった者も、全てが大樹の養分へと変換されていく。


 恐るべきことにこれは攻撃ですらない。初期起動に必要なエネルギーを補充しただけである。村で最も大きい建造物、社を粉砕しながら立ち上がる巨木。

 疑似深淵“紫樹”がここに起動した。


/


それを安穏とした立場から見守る者達もいた。彼女達が黒幕……と言って良いのかどうか。彼女たちは単に囁いただけだ。あの村の娘に「願うことがあるならば、何でもした方がいい」と。

 その結果を所帯じみた光景から野球中継を楽しむように、広がる惨劇を眺めていた。



「深淵って言うから外宇宙からのアレコレとか古き神々とか、そーいうの期待したんじゃがのう」

「そんな者が出現したら、我々にも制御出来ませんぞ」

「しかし、アレはアレで悪くなしじゃ。あの娘よりも製作者の方が欲しかったの。良い感じに狂うておるわ」



 しかし、記録からすれば人間の術者だ。残念ながら生きてはいまい。

 一から十まで狂っているのではない。ある程度の人間性を残しながら狂っている。そうした者の方が怖いし、見ていて面白いものだ。

 制御のための装置や守護する宮司など残していたあたり、理性はあったのだろう。だが、真っ当な人間あるいは異種族であるならば、そもそも創ろうなどとは思い至らない。ズレていると言い換えても良いだろう。



「今おっしゃったような典型的な深淵を自身で造ることで理解しようとした。なるほど、確かに我ら好みやも知れませぬ。それに……」

「出来も良い。表面的な脅威はしっかりと再現しておるようですな」



/

 

 部長を小脇に抱えながら、双眸護兵は危なげなく着地を決めた。符木津博光は何らかの術で退いたのか、ふわりと友人に続いてきた。ベリンダ・ミヨシは吹き飛んできたような勢いで土煙を上げながら滑り込んで来る。



「……で、アレがこの村の深淵?」

「のようだな。私も見るのは初めてだが。深淵は深淵でも凶人が作った類のもので、そこは安心できるが」



 旧神に代表されるような存在ならば、退く暇すら無かっただろう。破壊か混沌かは別として、この程度の規模ではすまない。起動を前に手を講じるのが普通で、起動したら詰みである。



「ミハシラ様ぁお助けぇ!」

「ひぃ! あぶるぇえええ!」



 会話を続けようとしている瞬間にも、村民達は深淵の糧となっていく。

 助けられるならばそうしたいが、とてもそこまでは手が回らないのが現実である。まず自分が生き残らなければ話にもならない。



「……来るぞ。全員備えろ、心の方をな」



 枝の節々、木のコブ、それらが痙攣して開かれた。そこにあったのは眼球。樹に大量の目玉が付いている様は体系だった生命への冒涜に満ち満ちていた。



「ひぎょぇえええええ!」



 観光客の一人が狂ったように、隣の者へと襲いかかる。そんな光景がそこかしこで展開されはじめていた。当然、被害の侵攻は加速した。今やこの村で生きているのは何人いることだろうか。



「目を見た者を狂わせる呪詛か。やはり人の手が加わっているな」



 目の前に守護のルーンを輝かせながら、メリンダは冷静に分析した。理解できない存在との精神同調といったものではなく、妖術あるいは魔術に相当する仕掛けだと看破している。

 さて、知り合ったばかりの退魔師二人は……



「やれやれっと。目を開けないようにすると結構しんどいだよな。寝そう」

「そんなことを言っていると本当に永眠するぞ。しかし目を閉じたまま器用だな博光は」



 符木津博光は目を閉じ、頭に符を貼り付けて乗り切っていた。単純だが効果のある方法に加えて、得意の符術で身を守っているのだ。二段構えの備えは、彼の内面を表していた。


 一方の双眸護兵は普段通りだ。操気士である護兵は気の循環を日常的に維持している。つまりは常時、備えているのである。特に双眸の名が示すとおり、気の流れ小周天に目への流れを深く組み込んでいる。目を介した精神攻撃だったのが、幸い。双眸護兵には通じない。


 ……問題は部長である華風だ。彼女への対応は遅れた。後に治療を施すまで気絶させておくか、と周囲が思った時に華風が跳ね起きた。



「うぉぉぉ!? なんだいソーボー君!? あの半透明の樹! とうとう幽霊に会えた!?」

「……待て。なんで平気なんですか部長」

「何が!? なんだか気がついたらオカルトと遭遇してるよ!?」



 ひょっとして日頃から狂っているんじゃあるまいな。そう考えた戦闘者三名は違和感を覚えた。

 ……半透明?



「部長。あの樹がどう見えてます?」

「どうってうっすら透けてる樹だよ! なんだいアレ!? 樹にも幽霊とかいたんだね!」



 食事に耽る深淵の樹を見やる。そこにあるのは圧倒的な存在感。透けては見えない。



「まさか部長って……視界がそもそも違うのか?」



 霊感ゼロ。乏しいと言った意味の……0.1だとかそう言ったレベルではなく、本当のゼロ。

 どんな生き物でも神秘を内包している。妖怪や深淵になればそうした要素は桁違いとなり、肉と神秘で複雑に編まれた肉体を持つ。


 ……それが狭霧華風には見えない。彼女の目は物質的な側面しか捉えられないが故に、深淵樹もいわば半分しか見えていないのだ!


 それは現代におけるイレギュラー。本当は訪れる筈だった純粋な物質界の人間。神秘の開示によりズレてしまった世界の異端児。幻想存在による物理攻撃であっさりと死ぬ反面、魂や心といったあやふやなモノを対象にする攻撃が全く意味を成さない。


 狭霧華風こそがこの場で最も異常な存在だったのだ。

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