第3話 龍門館道場に帰れ
真田十勇士の霧隠才蔵・猿飛佐助・筧十蔵・穴山小助・根津甚八・望月六郎・由利鎌の介・海野六郎の8名は、龍門館という同じ流れの修行を受けた忍者である。
つまりは、最悪の場合でも帰る場所がある。
三好晴海入道と三好伊佐入道は、どうしようもなくなってしまった。
『2人もいっしょにどう
だい。』
誘ったのは、佐助。
2人いっしょでないといけないと佐助は思った。
三好晴海入道と三好伊三入道は兄弟である。
何かといっしょが便利り。
2人は、ありがたくついて行くことに。
僧兵姿の兄弟を見た戸澤白雲斎は、思うところがあった。
『ご両所は、真言は唱えられ
ますかな。』
『恵林寺に赴きます以前・・・
比叡山にて、僧兵修行を受
けておりましたが。』
2人は、幼少の頃より武蔵坊の流れを汲む教えを受けていた。
快川和尚に請われて、宗派違いの恵林寺に赴いた。
織田信長による比叡山焼き討ちでは、子供過ぎたために僧兵の装束がまだなくて、着用できていなかったために、明智光秀により助命されて生き残り。
恵林寺焼き討ちでは、快川和尚に促され、山門守備要員として、山門の上にいて生き残った。
『それは、なんと・・・
幸運な・・・。』
戸澤白雲斎は、2人の心情を重んばかった。
『ここは・・・
比叡山とは、同門・・・
霊仙様によって拓かれた道
場です・・・
よく修行なされ・・・。』
これにより、真田十勇士の全てが、龍門館に集い、修行を進めることとなった。
784年の遣唐使は、日本仏教にとっては、非常な分岐点になった。
伝教大師最澄・弘法大師空海の2人は、僧侶として上から2番目の大師に登り帰国。
その法力・神通力は数々の伝説になっている。
同じ遣唐使船で唐に入った、霊仙。
僧侶としての最高位である三蔵法師である玄奘が、天竺大雷音寺から持ち帰った教典。
いかに重要な教典であろうとも、サンスクリットで書かれていたために読めず、宝の持ち腐れとなっていた。
その教典を中国語に翻訳して、法力を身に付け、唐の玄宗皇帝の側に仕え、玄奘の跡を継ぎ、三蔵法師に登りつめた唯一の日本人僧侶が霊仙。
この教典が、盤若心経であるが、最澄・空海と共に学んだ霊仙だけに、真言も大切にした。
霊仙により、中国と日本の仏教が、民間民衆に広め易くなった。
そこで、龍門館の本堂では大盤若心経と真言の両方を唱えられる者を導師として朝の勤行を行う。
晴海と伊三、共に僧兵姿の兄弟。
物心がつく頃には比叡山にいたというから、盤若心経も真言も、驚くほど達者であった。
龍門館の本堂に、ようやく読経の声が響き渡って、本格的に修行の場という雰囲気になった。
真田十勇士、さすがに飛び抜けていた。
元々、素質からして、才蔵などは、伊賀の上忍、服部家の跡取りである。
父親は、現代も皇居半蔵門に、その名を残す名忍者、徳川家康直属の隠密頭、服部半蔵という日本忍者の名門中の名門である。
佐助と望月六郎は、甲賀11家と呼ばれる甲賀忍者の名門。
猿飛佐助、その類い稀なる身体能力を生かした忍術で、猿飛の異名をとっているが、本名は、三雲佐助兼孝。
望月六郎に至っては、近江六角家の家老を勤める、甲賀忍者の筆頭、望月家の跡取りである。
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