其の百四 「あの時、ああしていれば」と思うことは、あまりにも無意味だ。別次元のあなたも、同じことを思っているはずだから


 あけっぴろげに広がる青空と、ガレキの山と――


 無秩序に亀裂の走った大地の上に、ポツンと二人。僕と如月さんは、ボーッと、果てなく広がる虚無に、ただ、圧倒されていた。




 平太さんのオンボロバンに揺られること数時間……、僕たちは『白狐村しらぎむら』を訪れていた。僕と平太さんが出会った場所……、僕が、十年前に壊滅させてしまったその村――


 行くのが怖くなかったのかと問われれば、正直、怖かった。僕が長い間、意図的に閉じていた鉄の扉は、錠前が壊されたばかりで、まだ数センチ程度しか開けられていない――

 

 あの日……、金曜日の夜、神代の手によって無理やりこじあけられた記憶の扉をチラッと覗いた僕の眼を、部屋の中に渦巻く赤黒いイメージがべったりと覆い、僕は慌ててドアノブから手を離してしまった。……生まれたばかりの胎児を産湯につからせるように、この期に及んで、僕は自分自身の記憶と対峙するのにしり込みをしていたんだ。


 「白狐村に行ってみないか」と、平太さんに問われた瞬間、すぐに即答することが出来なかった僕は、助けを求めるように如月さんに目を向けた。彼女は、その眼に強い光を宿し、まっすぐな眼を平太さんにぶつけていた。フッ、と、僕の中に残っていたわずかばかりのプライドが衝動となり、無意味な思考を止めるように全神経に命令を促し、僕は自分自身の背中を蹴飛ばす様に、「連れて行ってください」と口を開いていた。


 ――考えたら、進めない気がした。僕は、僕の人生においてあまり選択することのない行動……、『深く考えずにやってみる』、という、場当たり的な思考に身を委ねてみることにした。




 「――何か、思い出すことはあるかしら……?」


 乾いた風が如月さんの黒髪をさらい、なびいた幾千もの細い線の隙間を、無機質なトーンの声がかいくぐる。



 「……ずっと前に、この場所を……、見たことがある、気がする……、けど、それだけ……、具体的なことは、何も、思い出せない――」



 現実のソレとはとても思えないような、一切が『過ぎ去ってしまった』その光景に、僕は今、自分自身の意識がハッキリしているのかも、よくわかっていなかった。フワフワと、宙に浮いているような浮遊感に包まれながら周りを見渡してみるも、同じ景色がループしているだけだった。



 「……ちょっと、歩いてみましょうか……」



 遠慮がちに、そっと肩に手を添えるように、如月さんが柔らかいトーンで声を放つ。僕たちは、オンボロバンの傍でタバコを吸っていた平太さんに一声かけたあと、ガレキの山とひび割れた大地の中、慎重に歩みを進めていった。お互い、何かを言うことはしなかった。ただ、足を踏み外して転ばないようにと、それだけに気を付けながら、無機質な足音を鳴らしていた。




 「……あれは――」



 しばらく歩いた後、いぶかし気な声をあげた如月さんの足が、ピタっと止まる。僕は彼女に倣うように歩みを止め、その視線の先に目を向けた。――見ると、枯れ木に包まれた野山が広がり、そのふもとに、誰かがしゃがみこんでいるようだった。



 「――えっ……?」



 忘れ去られた村に、誰かが居るということだけで異常な光景なのだが、眼を凝らしてみると、その誰かというのはおそらく幼い『少年』で、長いおかっぱの髪色は『真っ白』に染まっており、加えて、何かの装束のような、不思議な衣服を身にまとっていた。


 ……こんなところに、子供? しかも、不思議な恰好――


 逡巡している僕を尻目に、如月さんは一切の躊躇を見せることなく、ザシザシとガレキの山を踏み鳴らして歩き、その少年へ近づいていった。


 ……ちょっ!?


 少年は如月さんの足音に気づいたのか、バッと顔を上げてこっちを向いた。しばらくジー―ッと僕らのことを見ていた少年だったが、なおも猛進をつづける如月さんを警戒してか、スッと立ち上がってクルッときびすを返し、枯れ木に包まれた野山へ脱兎のごとく駆け出してしまった。



 「あっ……」



 僕が情けない声をあげるや否や、子ウサギを獲ろうとする猛獣のごとく、如月さんが猛スピードで少年を追いかけはじめる。


 ……えぇっ!?


 ――果たして、『即決』。


 思い立ったら吉日、善は急げ、好きと思ったら即告白。

 ……おそらく、彼女の辞書に『躊躇』という言葉は載ってないのだろう。


 枯れ木が広がる野山の中へと如月さんの姿が消えゆき、見失うまいと慌てた僕は、急ぎ足で追走しようとしたが、すぐに身体のバランスを崩しそうになったので、やっぱり早歩きくらいで追いかけることにした。

 ――無論、如月さんの背中は、僕の視界からものの数秒で消えてしまったのだが――





 「……み、見つけた――」



 少年と、如月さんと、僕と――

 奇妙な追走劇に完全に後れをとった僕が如月さんに再び出会えたのは、野山に入り込んでから約十分ほど経過したあとだった。野山の中は、幸いにも獣道が一本で続いており、彼女たちの軌跡を見失うことはなかった。如月さんは、袖についた白いフリルで口元を覆いながら、何か考えこむような表情で、ある一点にジッと目線をぶつけていた。

 何を見ているのだろうと、彼女の視線の先を見やった僕の眼に飛び込んで来たのは――


 長い間手入れされていないことがありありとわかるほど、苔がびっしりとこびりついた……、小さな、『神祠しんし』だった。


 僕の背丈でいう、およそ胸元くらいの高さのソレには、石碑せきひのようになにやら文字が刻まれているようだったが、かすれ切ってしまってとても読むことはできなかった。僕は、如月さんが神祠をジッと見つめている理由がわからず、思わず。声を掛けた。



 「……どうしたの? ソレ、何か気になるの……?」



 ハッとした表情でバッとこちらを振り向く如月さんのリアクションを見て、僕は、彼女が僕の登場に気づいてなかったのだと知った。如月さんは、少しだけ逡巡しゅんじゅんしたあと、自分自身に問いかけるように、ポツリポツリと、声を漏らした。



 「……いや、さっき、山のふもとに、小さな男の子がいたでしょう……、こんなところに子供がいるなんて、不自然だと思って……、話を聞こうと、私、その子のこと必至で追いかけていたのだけれど……」


 

 そこまで言うと、如月さんはまたグッと黙り込んでしまった。彼女は、何か腑に落ちていない表情で地面に眼を落としている。



 「……この、ほこら? ……っていうのかしら……、――の、目の前にたどり着いたかと思うと……、その少年の姿が、パっ、と消えてしまった気がして――」


 「――えっ……?」



 狐につままれたような表情を見せる如月さんが、狸に化かされたような表情の僕を眺める。ザワザワと、おどろおどろしい風が、寂寞せきばくの野山にそよぎ――



 「――お前ら、墓参りにでも、来たのか?」



 あどけない、混じりけの無い、透明な声が、

 僕らの頭上から、フッ、と落ちてきた。



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