其の六十七 夢の世界が、終わる時――


 ――僕の眼に映る風景。



 枯れ木が、灰色にしなびれている。

 空が、濃い紅色に支配されている。

 大地が、白く干からび、黒く濁っている。



 ……コレは、僕が産み出した、『夢』の世界。

 『景色』を構築しているあらゆるオブジェクトが『腐食』した、『退廃』の世界。



 一切が、全てが『無』に還ったその世界に、

 天から、神々しい程に『黄色い』一筋の光が差し込み、

 辺りを優しく照らす――



 ――なんてことには、全然ならなくて、

 天から降ってきたのは、無機質な『銀色』の、

 何の変哲も無い、錆付いた『金だらい』。



 「――へっ……?」



 夢の世界の僕が、

 まるで『夢を見ている』みたいにマヌケな声を出す。



 ――して――



 ……あれ……。



 ――イメージ、して――



 ……『声』が、聴こえる……?



 僕は、思わず声の方向――、自分のすぐ背後にバッ、振り返り、

 そのマヌケ面を晒す。



 「――イメージして……。何も考えなくていいから、ただ、想像するの」



 狐のしっぽみたいに綺麗な黒髪をなびかせ、

 妖美な眼差しを僕に向けながら、

 凛と、佇まう、『緑眼』の少女――


 『如月 千草』が、薄い微笑を浮かべながら、

 どことなく浮遊感のあるトーンで、言葉を紡ぐ。



 「雨の日に出会った、絶望から人を救い上げる足音。どんな苦境に立たされたとしても、決して膝を折る事の無い一人の騎士の姿。愛する我が子を守るためなら、魂をも悪魔に捧げようとする母の表情……」



 ……なんだか、ボンヤリする。

 『輪郭』がハッキリしない。

 どこかモザイクがかかったみたいにボヤけた姿の如月さんが、

 ……おそらく、こっちに近づいてきている。



 「……口にいっぱいのチョコレートを付けながら、爛漫にはしゃぐ幼子の瞳、現実の歪みを一切忘れさせてくれるほどの安寧を浮かべた恋人の寝顔、ふと見上げた空に漂う、慈愛に満ちた光で私たちを包み込んでいる女神の微笑……」



 淡い光に包まれた如月さんが、

 気づけば眼前に迫っていた。


 輪郭の無い線で描かれた彼女の、

 眼が、鼻が、頬が、唇が、

 

 ――僕の視界を、支配する。



 「時に、水無月君」



 ふと、なんでもないように、

 「おはよう」と、毎朝交わされる挨拶くらいのトーンで、

 彼女の口から放たれる、『声』。



 ――決して絶望に、……『自分』に、負けては、ダメよ――







 ――暗転。


 夢の世界の景色が、

 一切の『深淵』によって、深く閉ざされる――










 ――パチっ。


 眼が開かれた。

 光が、景色が、『リアル』が、

 視覚情報となって脳に流れ込んでくる。


 僕の眼前に迫る――

 眼が、鼻が、頬が、唇が、

 『輪郭』を以てして、その存在を告げる。



 ――果たして、『覚醒』からおよそ数秒後、僕は理解する。



 僕のすぐ目の前で、

 『如月さん』が、

 じぃーーっと僕の顔を覗き込んでいる。


 

 「……えっ……」



 思わず、声が漏れ出る。

 彼女の表情は動かない。



 「……えっ……」


 

 二度目の、声が漏れ出る。



 「…………」



 僕のマヌケ声によるインターバルを挟んだ後、如月さんが、スッとその身を引いて――



 「…………おはよう。水無月君」



 すべてに対して虚脱したような、空気の抜けたトーンで、

 ぶっきらぼうに、挨拶を投げた。



 ……えっ……。



 三度目の、声が漏れ出る。

 ……心の、中で。




 僕は、自分が『横たわっている』という事実に気づき、ムクリとその身を起こし、キョロキョロと、辺りを見渡した。



 ……あれ、ココって……。



 面白みのない『白』で統一された、一面の壁。

 整然と…、悪く言えば、無味乾燥に、スケッチブックとノートPCだけがポツンと置かれている、黒いデスク。

 少年漫画と、風景画集が乱雑に並べられている、木製の古びた本棚。



 ……僕の部屋じゃん。



 覚醒から約三分。

 僕は、自分が今置かれている状況をようやく理解することができた。


 僕は、自分の部屋のベッドで寝かされており、

 僕の部屋に、『如月さん』が居る。



 …


 …


 …


 ……えっ!?


 

 「なんで如月さんが僕の部屋に居るの!?」



 四度目に漏れ出た声は、

 自らの覚醒を周りに喚起するかのような、『大声』。


 ――果たして、僕の急な大声に如月さんが少しだけ身体をびくっと震わせながら、……だがしかしそのクールな表情は決して崩すことなく……。



 「……私が、水無月君を、ココまで運んできたからだけど」



 ゴシック体の太いフォント文字で、「急に大きな声を出さないでよ」と書かれた顔をしながら、しれっと言いやる。



 ……あれっ?



 頭が、記憶が混乱していた。


 ――僕はさっきまで、何をしていたんだっけ……?

 ――っていうか、如月さん、なんで『ウチの場所』知っているんだっけ……?

 ――あ、彼女、『ド天然娘』でもあり、『ストーカー癖』のある『ド犯罪娘』でもあるんだっけ……?




 「……具合は、どう?」



 混乱によって焦燥している僕をなだめるように、

 如月さんが、無機質ながら少しだけ丸みのあるトーンで、僕の顔を窺う。



 「……えっ?」


 「あなた、学校の屋上から『落ちた』のよ。……頭が痛いとか、吐き気がするとか……、体調に変化はないかしら?」



 …


 …


 …


 「――ええええッ!?」



 五度目に漏れ出た声は、

 全てをつんざく落雷のような、『轟音』。


  如月さんが、身体をびくっと震わせながら、少しだけ眉間に皺を寄せながら、

 ゴシック体の太いフォント文字で、「だから急に大声出すな」と殴り書きされた表情で、僕の顔を見やる。



 ……お、屋上から、落ちた……?



 「……えっ? いや、そんなの、無事で居られるわけ――」


 言いながら、僕はガバッと立ち上がり、

 ――ふと、冷静に『会話』できている自分に気づく。



 ……れ?



 立ち上がった僕は、思わず、自分の身体を撫でまわす様に見やった。

 少しだけ腕を回す。異変は無い。……そういえば両腕と背中にヒリヒリとした痛みがあるが、『すり傷』といった程度で、別段『重症』があるようにも感じない。

 ピョン、と軽くジャンプしてみる。……何も、感じない。


 ポカンと口を開け、バカみたいに宙を見つめている僕を見ながら、



 「……大丈夫、そうね」



 如月さんが、口元を緩ませながら、フッと薄く笑った。



 ……えっ、さっきまでの僕に、『何があった』の……?



 キョトンとした表情を浮かべる僕を尻目に、如月さんがスクッと立ち上がり、傍に置いてあった自身のカバンをしょい上げる。



 「……水無月君、色々と説明したいのは山々なんだけど、もう遅いし、私も疲れているから、今日は帰らせてもらうわ」



 如月さんにしては珍しく、徒労感のあるトーンで彼女は声を地面に落とした。



 ……えっ、今何時?


 何の気なしに壁に掛けられた時計に目線をやる。――ゲッ、もう十時か、僕はどんだけ気を失っていたんだ……。


 ……ん?


 

 ――如月さん、僕が目を覚ますまで、ずっと傍に居てくれたって事……?



 「……一言だけ」



 ジトッとした、いつもの『クール』な眼つきの如月さんが、

 少しだけ間を置いて、ハッとした表情を浮かべている僕の事をまじまじと見やる。



 「安心して、……不知火さん『も』、無事だから……」


 ――そして、そんな事を言う。



 ……しら、ぬい、さん……?



 ――グルグルグルグルグルグルグルグル――


 その名を聞いて、

 メモリーデータをインストールされたアンドロイドのように、

 僕の脳内に、屋上での『シーン』が流れ込んでくる。



 ……そう、か。


 ――不知火さんが、屋上から飛び降りて、僕もそれを追いかけて、その後――



 「……今日は目が覚めないかもと思って、事の顛末は『手紙』にしたためて置いたわ」



 グルグルと記憶を逆流している僕の耳に、如月さんのボソッとした呟きが飛び込む。

 彼女は、僕の部屋にある黒いデスクにチラッと目線を向け、僕も釣られるようにそちらに目をやった。達筆な文字でびっしり埋め尽くされている一枚のルーズリーフが、ポツンと置かれたスケッチブックの上に佇んでいる。


 僕は、何も考えることなく、機械のような所作でそれを手に取り、まじまじと見つめた。 ――ガチャリ、と、ドアノブを回す音が聞こえる。



 「……じゃあね、水無月君……、また、明日――」



 ――バタンッ



 果たして、『静寂』。

 フンワリと、コーヒー豆を焙煎した後のような、落ち着いた残り香が僕の鼻をくすぐった。


 僕は、手に持っていたルーズリーフ…、『如月さんからの手紙』をそっとデスクの脇へ置くと、代わりにスケッチブックを手に取り、パラパラとそのページをめくる。


 山、川、滝、海、

 朝日、夕暮れ、夜空、虹――


 黒くて細い、幾千もの線で紡がれた『線画』の数々。

 僕の心を空っぽにするための、『写経』の軌跡。



 ――ピタっ、と僕の手が止まる。


 スケッチブックの最後のページ、学校の屋上に佇む一人の少女……、

 幾千もの線で紡がれた『如月 千草』が――、


 秋風によってなびいた長い髪をかきあげて、

 遠慮がちに口元を緩ませながら、薄く、笑っている。



 「……お礼、言いそびれちゃったな……」



 誰に向けるわけでもなく、

 ごちるように、一人、呟いた――







 ――秋風荒ぶ、木曜日の朝。

 『登校』という名の、何でもない、僕の日常のワンシーン。


 僕は、白い吐息で掌を温めながら、「手袋をつけてくればよかった」と、『一日の開幕』から早々、後悔の念に襲われていた。


 ――ハァー―ッ……



 白い吐息を眺めながら、何の気無しに思う。


 ……不知火さんが、すべての『黒幕』だったんだよな……。



 如月さんがしたためてくれた手紙によって顛末を知った僕は、ここ数日……、僕の人生ではありえないほど『濃密』で『奇天烈』だった色眼騒動の全体像を、プロ野球中継のハイライトみたいに、脳裏へと呼び起こしていた。



 ……『赤眼』だった不知火さんは、その『使命』の重さと自ら『意思』の、……『葛藤』に耐えきれなくなり……、僕と、『心中』する事を選んだ……。

 ……鳥居先生に、『僕が青眼』だという事実を告げたのも、おそらく不知火さん……、だろうな。……理由は、わからないけど。

 ……御子柴は、何かを知っているようだったけど、なんでなんだろうな。……まぁ、アイツの考えていることなんて、『その他大勢』の僕に分かるわけも無いか。

 ……須磨のスマホを、僕の机の中に入れたのは、結局誰だったんだろう。……思えば、『あの事件』が、すべての始まりだった気がする。


 ぼんやり、ぐるぐると、頭の中で思考を垂れ流しながら、

 僕は、テクテクと、『行進中の黒アリ』みたいに、ただ、足を動かしている。



 ……アレ……、なんか一つ、忘れている『謎』があったような……?


 …


 …


 …


 ……まぁ、いいや。……全ては、『終わった』んだ。



 ――これ以上、何かを考えるのは、正直しんどい。


 僕は、ぐるぐると頭を巡っていた思考のループを、パソコンを強制終了させるみたいに、『シャットアウト』した。




 気づけば、僕は無意識の内に校門を抜け、学校の玄関……、自身の靴ロッカーの目の前に到着していた。


 ……そういえば、『如月さんとお昼を一緒に食べる理由』も無くなるのか。


 …


 …


 …



 ――なんか、ちょっと寂しいな。



 僕は、靴ロッカーに手をかけ、

 フッ、と自嘲気味に笑いながら、

 ガチャリ、とその扉を開ける。







 ――はっ?



 靴ロッカーの中に無造作に放られている、

 一枚の、『ノートの切れ端』に――


 僕の視線は、釘付けになった。



 ――まさか……。


 僕は、ほとんど無意識的に『ノートの切れ端』を手に取り、

 簡素に綴られているその『文章』を目で追う。







 ヒントその二

 クラスの赤眼は全部で三人いるよ







 ――えっ……?







【2ツ眼】の『閉』眼、

【3ツ眼】の『開』眼――



――――――――――――――――――――――


※作者より

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。


もっかい言います。

本当に、ありがとうございます――



読んでくださる方がいる限り、書くのを辞めることはしないつもりです。


お時間の許す限り、……もしよろしかったら、

最後までお付き合いいただければと思います。


なお、応援コメントは泣いて喜びます故、躊躇せず送りつけてください。


これ、マジです。マジで泣いてます。



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