第4話 伊馬和佳
わたしは、生に対する執着が人の何倍もありました。
『死』だとか『失う』ということを、誰よりも恐れ、忌み嫌うべきものとして認識していたように思います。
ですから、正しくは『喪失を恐れていた。』とするべきでしょう。
求めるものは永遠。
永遠の命、永遠の愛、そして永遠に続く時間。
如何に怠惰に苛まれようと、わたしにとって、永遠というものほど魅力的なものはありません。
死にたくはないし、傷つきたくもない。
ただ穏やかに、慈愛に満ちた日々を送りたいと言うのが相応しい筈です。
『私』からすれば愚かしいことですが、わたしにとっては真剣な望みでした。
そして、わたしの望みは叶うことはありません。
殆どの人は、私を認識することすら難しいでしょう。
おかしな話ですが、わたしには過去の記憶が全くと言っていいほど残っていないのです。
ある日病院のベッドで目が覚めたときにわかっていたことは、伊馬和佳という名前と、20歳という年齢だけでした。
記憶喪失の類なのかもしれません。
わたしをわたしと認識できるのは、わたし以外におらず、その存在は、他の誰かにとっては別の誰かのようでした。
ならば、わたしは自身を認識できていても、他の人にとっては私ではないということです。
その時点で、もう、叶わない。
前提が覆ってしまったから、どうしよもないのです。
死んでいないのに、殺されてしまったけれど、仕方がないのです。
結果として、わたしの中には虚しさだけが残りました。
もし、これが誰かに忘れられただとか、一部の人が他の人として捉えてくるのであれば、まだ希望はあります。
しかし、現実はそうではありませんでした。
誰も彼もがわたしを認識しないこの世界で、私は目覚めます。
黒く艶を帯びた梁が視界に飛び込み、「おじいちゃんのお家に泊まりにきたんだったっけ。」と現状を認識しました。
わたしは普段は会社勤務をしていたそうなのですが、病院で目が覚めたときには、すでに退職扱いとなっていたそうです。
したがって、今は長いお休み期間中ということになります。
今が何時かはわかりませんが、窓の外から差し込む光は橙色であり、そこから察するに、明け方ということは間違いないでしょう。
未だ完全に日が昇りきっているわけではないのに、その光景は、わたしの悩みのようなものを、幾分軽くしてくれるようでした。
しばらくの間、窓の外を眺めていると、太陽はさらに空に浮き上がり、ほんのすこし前の鮮やかさが嘘のように、白く輝きます。
……ずっとあんな景色を見て入られたらいいのに。
綺麗な朝焼けに見惚れていたわたしは、落胆し、窓から離れました。
祖父たちも、目を覚ましたのでしょう。
先ほどから足音が絶えません。
わたしもまた挨拶をすべく、襖を開けて部屋を出ます。
と、丁度祖父が通りがかりました。
「あれ?もう起きたのかい。はやいね。」
そう言いながら、目を細め、わたしの頭を撫でてくれます。
内心「二十歳になった人にすることかな……?」等と思わないわけではありませんが、慈愛のこもった優しい言葉の前に、そんな考えは吹き飛んでしまいます。
そんな優しい祖父に対し
「おはようおじいちゃん。朝日が綺麗だったから、それを眺めていたの。」
と応答し、わたしは微笑みかけます。
祖父はより一層満足気に笑みを浮かべて「風邪なんか引いたらつまらないから、体調には気をつけてね。」と残し、その場を立ち去りました。
今年で齢80を数えるはずの祖父ですが、どうやらまだまだ健康な様です。
いつまでも、そのまま健康でいてほしいのですが、きっとそれは叶わないのでしょう。
永遠を求めるわたしが言うのも可笑しな話かもしれないけれど、人は必ず死ぬものです。
懸命に生きても、いずれ息絶える。
そんな虚しい事実を認めたうえで、わたしはわたしのやり方を貫き、求め続けるのでしょう。
……嗚呼、でも、叶わないと知っていながら願い続けるのも、また同じことなのかな。
土間へと降りたわたしは、朝食の準備をしながら、その様に自嘲してしまいました。
わたしとは、延いては人間という生き物は、本当に強欲なものです。
お腹を空かせながらも、喪失から逃れる術を探してしまうのですから。
目の前で、小さな火種がゆらゆらと大きく育つ姿を見届け、わたしもまたふらふらと立ち上がります。
少し眠気が残っているのでしょう。
この家は、古い日本家屋ですから、眠気も相まって、竃のある風景が夢の様にも思えてしまいます。
わたしはこの家の、この様式の在り方が好きです。
まるで、戦前から時間が止まっているかの様に見えるからでしょう。
折角の体験なので、ある程度火が強くなるまで、一息つくことにしました。
薪が時折『パチパチ』と弾ける音と、祖父が新聞を捲る音が、朝の静けさの中で心地よく響きます。
思えば、このように少しでも安らぐのは、父母と離れ、ここに来てからでした。
退院した直後は、彼らと生活をしていましたが、わたしは「わたし」を否定される生活に大きなストレスを感じていたのです。
どうしても状況打破を出来ない父母と、その中から離れたかったわたしの意見は一致し、この家に滞在することになりました。
今、新聞に夢中になっている祖父は、父母から事情を聞いている筈ですが、わたしを『治そう』とすることはありません。
もちろん「わたし」を認識しているわけではないけれど、理解をしてくれています。
それは、わたしにとって大きな救いでした。
で、あるからこそ、この家での生活はすきだし、祖父のこともすきです。
わたしがそんなことを思いながら、微笑みを浮かべていると、ふと、祖父がとなりにやってきました。
「おじいちゃん、どうしたの?」
「いやいや、なんだか和佳が嬉しそうだったからね。その幸せを分けてもらおうとおもったんだよ。……なにか、いいことでもあったのかい?」
ゆっくりと、そう話してくれる祖父。
皺だらけの顔はにっこりと笑っていて、つられたわたしも笑顔になってしまいます。
「こんなこと、恥ずかしくて、言いにくいんだけどね?……わたし、ここに来てよかったなあって思ってるの。」
祖父の「どうしてだい?」という言葉を受けて、わたしは続けます。
「わたしね、記憶がないの。お父さんやお母さんから聞いたかも知れないけど、今置かれた立場とかそういうのは、直感的にわたしじゃない誰かのことだって感じてて、だから、それを押し付けられてる気がして、嫌だったんだ。」
父母のことを悪く言うつもりはありません。
なんとなく、お父さんとお母さんだとわかるくらいには、わたしを案じていたのは分かっていました。
でも、それはその時のわたしに必要ではなくて、多分、きっと、今わたしの頭を撫でてくれている祖父の様な人が必要だったのでしょう。
祖父は「ありがとうね」と繰り返し、何度も何度もわたしをさすります。
「うん。やっぱり、来てよかった。ありがと。おじいちゃん。」
うまく言えないけれど、わたしはそう言わなくてはいけない気がして、祖父に笑いかけました。
祖父は何も言わずに、二、三度頷きます。
丁度、火の加減もいい塩梅になっているようです。
わたしは、うれしさと感謝の気持ちに満ちたまま、朝食の準備を再開します。
祖父も手伝ってくれたので、思ってた以上に早く朝食を摂ることが出来ました。
食事中も、わたしの笑顔は崩れませんでしたし、祖父もまた、わたしをしっかりと見つめてくれていました。
その時間はとても幸せで、本当にゆっくりとしていて、わたしの求めるものに近かったと思います。
同時に、少し自分の中でも変化があったかもしれません。
わたしが本当に求めているものは、「失わないこと」ではなく「幸せを得て、なくさないこと。」なのではないでしょうか。
祖父と笑い合った時間は、とても楽しくて、暖かい気持ちになれました。
わたしはその感覚をもう一度味わいたいと思っているし、そのためにどうしたらいいかなんてことも考えています。
もし……もしもの話ですが。
満足いくまで幸せを味わえた時、わたしは命の終わりを、個人の喪失を受け入れることが出来るのでしょうか。
とても想像が出来ることではないけど、そうなれたら……終焉を受け入れられたのなら、わたしを受け入れてもらえない状態に苦しむこともなくなるのかもしれません。
今、わたしがそう思うのは、おそらく今が幸せだからです。
人は幸せを感じると、良い方向に物事を考えられるものです。
わたし自身、自覚はありますが、酷く悲観的な性格をしているのは間違いありません。
そんなわたしが、こうして思考を前向きに傾けられるのだから、幸せというものはとても大きな要素だと思います。
それと同時に、幸せを知って、もっと幸せを感じたいと願っている。
ならばやはりわたしが本当に求めているものは、幸福感なのでしょう。
わたしは寝室へと戻り、今朝と同じように窓の外を眺めます。
太陽は空高く昇り、朝よりも熱を降らせ、近所の人たちの活気ある姿を照らしていました。
朝焼けとは違い『綺麗さ』は強くありません。
ですが、人の営みを付随させることによって人間的な美しさのようなものを感じられます。
同じ場所でも、時間や、天気次第で、数多の風景が生み出されるようです。
でも、それも失わないわけにはいかないないでしょう。
日が昇り、高く浮かび、また沈む。
それは確かに繰り返されて、終わりらしい終わりはありません。
ですがそれは、あくまで認識できる内での話です。
人の寿命は、およそ80〜90年でしょうか?
その間は、この繰り返しを認識していられることでしょう。
でも、それが終わってしまったら、その時は、終わるのです。
綺麗だなと思った朝焼けも、美しさに満ちているこの昼間も、全てが消えて無くなります。
わたしは、そのことを想像するだけで怖いです。
仮に、もしも死後の世界があったとして、そこからもこの世の中を視ていられるのなら、わたしはきっと、こうは思わないでしょう。
でも、死後のことなんて、分かり得ることではありません。
わからないとはつまり、どちらの可能性もあるということなのは、誰にでも理解出来ます。
わたしはその後の考え方が、消極的なモノであり、それを掘り下げていった結果こそが今の有様に違いありません。
「幸せを得て、失わない。」
言葉にしてみると、つくづく強欲だなと、嗤ってしまいました。
臆病で、強欲で、脆弱。
それがわたしをつくりあげているのかもしれません。
窓の中に居た人たちは、いつのまにか散り散りになっていて、今はもう、風に揺れる木の葉以外に、何もかもが死んだように見えました。
わたしは、自分の心が不安定になっていることを察して、寝床に転がります。
こうして、天井を眺めていると、何となく何も考えられなくなって、心地良い気分です。
物音一つせず、また視界に動くものはなく、ある意味、一枚の写真を見ていると言えるかもしれません。
瞬きをがシャッターで、フィルムは脳といったところでしょうか。
この目で捉えたものの全てが、そうして保存されていくのでしょう。
悪くないです。
記憶から映像を取り出して、それを現像してしまえば、その瞬間の永遠が約束されるに違いありません。
とはいえ、その様な科学力は、今の人類は持っていません。
その代わりの媒体が、カメラであり、アルバムという発明品です。
これによって、人は目に見える形で、僅かな時間をそのまま保管しておくことが出来る様になりました。
いい例として、遺影があります。
この国に於いて、亡くなった人は火葬されてしまい、最後には骨のみになってしまうのです。
より鮮明に、より写実的に、生者の世界に残すことが出来るようになりました。
もちろん、当人はそれを見ることは出来ないのでしょうけれど、それでも、永遠に失われない思い出を残すことができるのです。
そんな素敵な発明があるのですから、もしかすると、記憶の保管だとか、意識の永続だって、無理な話ではないのかもしれません。
だから、わたしはそれを諦められないし、諦めたくないのです。
もっとも、願っているだけでは、ただのワガママでしかないのは、わかっていました。
幾度もシャッターを切り、変わらない被写体をひたすらに脳内に納めます。
一切の神経をそのことに集中させ、だからこそわたしは気がつかなかったのでしょう。
玄関の方から、唐突に、女性の悲鳴が聞こえました。
虫を見つけただとか、そういうものに対する声色ではありません。
もっと、本能的に恐れるものを見たような印象を感じます。
そう、例えるなら、死体を目の当たりにしたような。
思考と呼べるような複雑なものではなく、殆ど反射的に「どうしました!?」と声を上げて駆け出します。
悪い予感に胸が騒ぎ、その予感が的中すると、一瞬、心臓が止まったかのように錯覚しました。
悲鳴の主は、近所のおばさんだったようです。
そしてその悲鳴をあげるに至らせたのは、玄関に倒れ、血を流す祖父の姿でした。
わたしもおばさんも、思考が止まっていたと思います。
互いに見つめ合い、互いに問い掛け、その問いには答えられない。
ですが、ほんの少しだけ早く、その瞳に宿る感情に気がついたのは私でした。
それは、紛れもない恐怖。
人が、あるいはわたしが最も恐れる「死」への恐怖。
だからこそ、気がついた瞬間に、わたしは固定電話の元へと駆け出したのです。
ダイヤルは、119番。
迅速に、的確に、オペレーターの質問に答えます。
恐らく頭を強くぶつけているので、祖父を動かすのは危険だと告げられました。
おばさんにそのことを伝え、わたしたちは救急車を待ちます。
彼女は、この状況を目の当たりにしていながら、丁寧に発見時のことを教えてくれました。
たまたま祖父と約束をしており、刻限になっても祖父からの連絡がなかったため、家に来てみたそうです。
結果的に、第一発見者となってしまったおばさん、涙ながらに「ごめんなさい、ごめんなさい。」と何度も繰り返します。
わたしも、かなり動揺しているので、慰めの言葉がかけられません。
とにかく「救急車を待ちましょう。」と提案するしかないのです。
祖父はうつ伏せに倒れているので、きっと転んでしまったのでしょう。
何らかの処置をすべきなのに、知識も何もないが故に手を出せないのがもどかしいです。
こういう場合の時間の流れは、非常にゆっくりとしています。
こんな瞬間は、わたしの求めているものではありません。
はやく、はやく救急車に到着してほしい。
頭部は、一度切ったりしてしまうと、小さな傷でも大量の出血を招いてしまう。
傷の大きさは確認できませんが、広い玄関のほとんどを占める血溜まりから察するに、相当大きなもののはずです。
静かな田舎ですから、先ほどの悲鳴で何人かの人が集まってしまいました。
その人たちも、玄関を跨ぐまでもなく、様子を察知し、離れていきます。
何人目かの人が、同じような行動を取った頃、ようやく救急車が到着しました。
車から降りて来た隊員の方は、素早く、的確な処置を施してくれます。
わたしも、いくつかの質問を受けた後、親族として救急車に同乗する必要があるようです。
祖父の財布と、保険証があることを確認してから、乗り込みました。
と、同時に受け入れ先の病院が決まったのでしょう。
ドアが閉まり、サイレンと共に、景色が遠ざかっていきます。
通常では考えられない速度が、事態の深刻さを物語っていると考えて間違いないでしょう。
祖父に繋がれた機材らは、あまりいい状態を示していません。
また、わたしの気分も決していいものではなく、申し訳ないことだけれども、二、三度嘔吐してしまいました。
今までに感じたことのない類の緊張感。
そして臨場感。
目に映る映像は、決してビデオなんかではなく、現実なのです。
わたしは、起きたことに対して納得はしていませんでした。
あっていいはずがない、そう思っていたと言えば分かりやすいでしょうか。
あるいは、何かを恨んでいるとも言えるかもしれません。
病院で救急車を降り、治療が始まってもその気持ちはかわりませんでした。
ただ『こんな唐突に死ぬなんて、あっていいはずがない。』と、頭の中で反芻します。
それこそ、治療中、ずっとです。
狂ったように同じことだけを繰り返すわたしの側には、ずっと看護師さんがいてくださいました。
励ましの言葉をかけてもらったとは思うのですが、うわの空に等しいわたしには、何も届きません。
動揺というよりも、故障と言った方がいいでしょう。
治療に当たっている医師がわたしを呼んだだけで治る、簡単な故障です。
正気を取り戻したわたしに、医師は顔色一つ変えずに、結果を伝えてくれました。
命は助かったこと。
頭を打った衝撃は、頭蓋骨の一部を破損させていたこと。
今後、どんな障がいが残るかわからないけれど、元通りにはならないかもしれないこと。
初めの一つを除き、酷なことです。
でも、生きてはいます。
生きていれば、何とでもなる。
わたしはそう思いました。
死にさえしなければ、失わないと、そう感じたからです。
で、あるからこそ、あの時から始まった祖父の世話も、苦には感じませんでした。
時間にして、およそ15年。
わたしは、ただ幸福を教えてくれた人を失いたくないというだけで、ずっと祖父を支えてきたのです。
結局、その15年の間で、祖父とまともな会話をすることはありませんでした。
ですが、後悔はしていません。
生かすためのお金を稼ぐためだけに、雑誌編集者の職に再就職したわたしです。
結果的に、それはわたしに一つの習慣を授けてくれました。
その習慣とは、カメラを構えること。
きっかけとして、再就職先は、小さな会社ですから、自分でインタビューに行くこともありました。
ある時、名の売れた刀鍛冶の方へ取材を行ったのです。
その方は、わたしと似た人で、失うことを恐れていたそうです。
刀鍛冶を志したのも、せめて名だけは残したかったからだと語ってくれました。
『虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。』
聞いたことのある人も多い言葉でしょう。
刀鍛冶の彼は、その言葉に活路を見出し、実行しようと考えたそうです。
わたしはその在り方に心を揺さぶられました。
同時に、手元にあったデジタルカメラの存在が、なぜだかとても大きなものに思えたのです。
気がつけば、何枚もの写真を撮影していました。
偶然といえば偶然ですが、わたしは、ある種の運命を感じずにはいられませんでした。
写真とは、情景を、美しく。
あるいら醜くも、切り出します。
だからこそ、シャッターを切り続ける。
美醜の感性は人によって変わります。
わたしはカメラを持つようになってから、毎日祖父の写真を撮りました。
比較的調子の良い日も、そうでない日も、決まった時間に、決まった枚数を。
15の歳を経たことで、わたしは抗うことをやめたのかもしれません。
それとも、諦めたとも言えるのでしょうか。
いずれにせよ、今のわたしは『幸せを得て失わないこと』ではなく、『幸せの証を永遠に残すこと』を大切にするようになりました。
これは、きっと成長というのでしょう。
その過程で、わたしは「醜さ」や「美しさ」とは必ずしも絶対的な定義を持たないことに気がつきました。
『美醜の感性は人それぞれ』とは、そういうことです。
シャッターを切り続けていれば、いつ誰が見ても「この人は幸せだったんだ」と思えるものがたくさん残せるのです。
半年ほど前、葬儀に集まってくださった皆様は、寂しさからの涙はあれど、誰も祖父の運の悪い最期を嘆くことはありませんでした。
遺影に写った祖父の笑顔は、葬儀という場には不釣り合いなほど、綺麗に、そして優しく在りつづける。
そうしてそれを見つめるうちに、誰も彼もが顔を綻ばせ、祖父の穏やかな旅立ちを祈ってくださるのです。
こんな表現は不謹慎かもしれません。
でも、その光景を目の当たりにしたわたしは、ようやく『永遠の幸せの証』を手に入れたと感じました。
そして、これからも同じように、カメラを構えよう。
と、そう思えたのでした。
わたしは祖父の写真を手帳に挟み、空港の保安ゲートを潜ります。
先の遺影の件の後、親戚の口コミを主に、あるプロのカメラマンの方に声をかけていただいたわたしは、駆け出しのカメラマンとしてデビューしました。
今日は、初めて国外に撮影をしに行く日なのです。
場所は、紛争後のとある地域。
もし今回の作品がお金になれば、そのうちの何割かをその国の方々に送ることになっています。
もちろん、危険は伴います。
でも、わたしはまだ見ぬ彼らの幸せの欠片を残したい。
涙を誘うようなものではなく、彼らなりの幸せを知ってほしい。
わたしがわたしの名を残せるように、そして彼らの尊厳を損なわせないために。
わたしは故郷を後にするのです。
死ぬつもりはありません。
まだ、わたしが幸せだという証を遺していません。
生きながらえる覚悟。
そして幸せを遺す意思。
わたしはその2つを胸に、今、大空へと飛び立ちます。
地上を見降ろし、高く。高く。
世界から離れたわたしは、ある意味天国にいるとも言えるのでしょうか。
ならば、この小さく綺麗な景色は、わたしが生きた世界の証。
幸せな世界の、その証。
携えたカメラを構え、シャッターを切る。
わたしが観た世界を残せるように。
醜くも美しく。
可能性に満ちたこの世界に祈りを捧げるように。
「さようなら」
それだけを告げ、わたしは旅をはじめたのでした。
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