第2話 楽しい記憶で、消えてしまった記憶の穴を埋めてしまうんです。

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『記憶消去』は、僕たちの社会では一般的なことだった。もう少し簡単に言ってしまえば、ごく普通のことで健全なこと。


 クラスメイトの半分くらいは経験ある予防接種のようにありふれた医療行為。そんな感じだと思う。子供たちの多くは、それが医療行為だとか治療だなんて思っていない。転んで怪我をしたから絆創膏を貼るような、そんな感覚。


 小学生の頃、『記憶消去』についての授業を受けたことを覚えている。どこかの大きな病院から偉い先生と、きれいな看護師さんがやって来て、アニメを見ながら『記憶消去』について分かりやすく教えてくれた。


「いいですか? 『記憶消去』は、とても一般的な心の治療方法です。君たちが嫌なことをされた時――例えば、イジメられてしまったとか、交通事故の現場を目撃してしまったとか、知りたくない秘密を知ってしまったとか。他にも、忘れないくらいな嫌な出来事に直面した時、それをいつまでも覚えていて、引きずってしまうのは時間の無駄ですよね? それに、それは心にも良くない。嫌なことをいつまでも覚えていると、心はどんどんと弱ってしまい、しぼんでいってしまいます。そうならないように嫌な記憶を取り除いて、何事もなかったように前向きに人生を過ごすための方法が――この『記憶消去』なんです」

 

 偉い先生は、『記憶消去』がとても素晴らしいことだと自慢をするように笑顔でそう言った。

 僕は、その笑顔がなんだか不気味だなって思った。

 間違ったことを押し付けられているような気さえした。


「記憶消去者にとって、一番大切なことは何だかわかりますか? それは周りの友人たち――つまり、君たちの接し方です。君たちは、なるべく記憶を消去したお友達に、忘れてしまった記憶を思い出せないようにしてあげましょう。楽しい記憶で、消えてしまった記憶の穴を埋めてしまうんです。できますか?」

 

 その問いに、ほとんどの生徒が大声で「はーい」と返事したことを僕は今でも覚えている。

 

 こんな感じで、僕たちは幼い頃から『記憶消去』についての最低限の知識と、その対応方法について丁寧に教えられていた。

 

 佐伯さんが言った通り、記憶消去者にとって一番大切なことは、周りの人たちのケアなんだと思う。実際、クラスには『記憶消去』をした生徒が多くいて、そういった子供たちは――例えば交通事故にあった記憶や、飼っていたペットが死んでしまった記憶、さらにはもっとひどい記憶を消去して、ケロッとした顔で日々を過ごしている。


 僕だって、もちろんその一人なんだと思う。

 だけど、僕には僕の知らない記憶があった。


 僕の頭の中には――

 僕の知らない女の子がいたんだ。



「ねぇ、とっても素敵な場所を教えてあげる」



 その女の子は、いつの頃からか僕の頭の中に現れるようになった。

 まるで僕の頭の中に、勝手に秘密基地でも作ったみたいに。


 三度目の転校をしてしばらく経った頃には、その女の子は僕に気軽に声をかけるようになった。秘密基地の窓からひょっこりと顔を出して、気さくに手を振るような感じで。



「あはは、どう? すごく面白いことが起きたでしょう? 私のかわいいマウス」



 その女の子は、僕のことを特別なあだ名で呼んでくれた。そして、僕をどこかに連れて行くみたいに、僕に呼びかけてくる。胸の奥の扉を優しく――時に強くノックしているみたいに。


 僕は、その女の子のことを知らない。

 まるで記憶にない。



「君は、誰? 僕にとって――君は、どんな女の子なの?」



 僕は、頭の中で何でも女の子に呼び掛けた。でも、返答はない。

 当たり前だ。

 

 彼女は、僕の頭の中に本当に住んでいるわけじゃない。

 生きているのとは違うんだ。


 だから、僕はその女の子について考えた。

 おそらく、その女の子は、僕の消された記憶の中にいた女の子だ。

 

 僕の頭の中の女の子はとてもリアルで、ソリッドだった。

 質量をもっているみたいに。


 そして、僕の頭の中を駆け巡るその女の子はいつもとても笑顔で、いつだってとても楽しそうだった。たぶん、その女の子は僕のことが好きで、僕もその女の子が好きだったんじゃないかって――僕はそんなことを考えるようになった。僕の勝手な仮説だけれど。


 だって僕は今、その女の子のことが大好きで、その女の子に会いたいと思っているんだから。きっと記憶を消される前の僕も、その女の子のことが大好きだったんじゃないかって思うんだ。


 僕たちは、再会しなければいけないような気がした。

 そんな、予感がした。


 だから、僕は冒険に出ることにした。

 そのためには、まずはいろいろと知らなければいけないことがたくさんある。


 だから、僕は彼女を頼ることにしたんだ。


 佐伯さんを。

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