53話「そして赤き鴉は――」
「あーあ、結局徹夜で嫌になっちゃう」
リバディ中央にそびえる王城の尖塔、その最先端より一つ下。箱庭から突き出たテラスを囲む手すりに腰を下ろして、リーナは朝焼けに染まる街を見下ろした。
そこは天空庭園、この街を統べる王族しか踏み込めぬ場所である。
一晩中夜を飛んで高ぶった心を、ティータイムで落ち着けたい。それこそ前世の安っぽい奴でも良いから出来れば紅茶。この世界のものは20年近く口にしても、どうにも彼女にはなじまない。
「銀の飛竜が、ひー、ふー、みー、よー? あー、頭がちっとも動かないってね」
少なくとも彼女は昨晩、20回以上剣を振るった。そして最強であるリーナ=フジサワはたとえ上位飛竜相手でも、3度同じ相手に刃を向けない。
10を超える竜の骸が地に落ちた結果、今頃
実際に彼女の眼は街の外に向かう竜殺機兵の姿が見えていて。
C級どころか、B級。よくよく見ればA級の機体ですらルージュクロウの食い散らかしたおこぼれを浅ましく狙っている。
それはリーナ=フジサワが、前世で見たアリが零れたお菓子に群がる光景にとてもよく似ていた。
「うーん、愚かだなぁ」
「なら、君が滅ぼせばいい。リュカ=エルド=リヴァティアス」
その名で呼ばれた瞬間、リーナ=フジサワは相手を確認する前に剣を振るった。
銀髪の首が飛ぶ、庭園にコロコロと男の頭が落ちて回って。
リーナと名乗るようになった彼女を、その名で呼んで生きているのはただ一人。
その例外を除き、全て己の手で刃を振るいその命を終わらせた。
「そんなものでも、端末としては上等なのだけれどね。リーナ=フジサワ」
次は女の声、首を斬られた男と同じ銀髪と白い服。声色こそ違うが口調は同じ。自分とは資格を満たすことなくこの場に降り立てる以上、それこそ
そして彼らは人間ではない。
「竜に使われる程度のモノに払う敬意なんてないわ」
「竜を刻んで鉄と混ぜ、駆るよりもよっぽど正常な付き合いだと思うのだがね?」
そう、人が竜を砕き鉄と混ぜ竜殺機兵として組み上げ。その力を利用するように。一部の竜もまた人の術式と理性を利用する、つまり彼らは竜の操り人形。
荒野にて全てを竜に捧げて生き続けることは、リーナから見れば家畜に等しい。
「竜を貶め、地を這い、醜く生きるより。竜を崇め、空を駆け、美しく生きる」
「竜を貶めても、空を駆け、美しく生きる事は出来ると思うけど?」
人形の顔が一瞬歪むが、直ぐに平静を取り戻した。
「空は駆けられるだろう、美しいの定義は主観による。だが生きる事はどうだ?」
「見ての通り、客観的に見て私たちは繁栄しているわ」
リーナは大仰に手を広げ、己の背後を示す。そこには朝焼けに照らされて、目覚めていく大都市が広がっていて。これを客観的に否定することは難しい。
「竜の骸を苗床に、その腐肉を啜ってだ。あと何年それは続けられる?」
リーナ=フジサワは自分の眉が吊り上がるのをどうにか抑える。竜の人形が口にしたことは確かに正しく、二十世紀の地球における石油より深刻に。この世界の人間が直面している問題を指摘していた。
この世界の人類はかつてリヴァイアと呼ばれた大海竜の遺骸、即ちこの街そのものに依存していて、それはいつか枯渇する。
それがいつ尽きるのかリーナは知らない。けれどかつて叔父はその事実に狂い、己の従兄が何度も愚痴を零しているのを知っている。だからそれは決して遥か未来の話ではないのだろう。
「あるいは、君が生き続け、竜を狩りつづければ少しは先延ばしに出来るだろう」
リーナは先ほど男の首を落とし、未だに血塗られたままの剣を振るう。狙うは目の前に立つ人形の首、澄んだ空気を裂く音が空中庭園に響き渡る。
「鉄を振るうのは恥ではあるが、それでも――」
銀髪の女は二本の短刀で、リーナの刃を受け止め言葉を続けた。赤い悪夢を殺すにはあまりにも殺意が足りていない。けれど女の持つ術式と組み合わされば、先ほどの男と同じように始末することは難しい。
あるいは並の剣士であれば、蹂躙して有り余る鋭さを秘めているのを感じる。
「それを飲み込む程度には、貴女を評価している。リーナ=フジサワ」
「竜に評価されても嬉しくはないんだけれど?」
「竜は大まかな指針しか示さない、評価しているのは私だ」
その一言で、毒気を抜かれる。どうやらリーナが思っているよりも彼らは自分の意志を持っているらしい。
「我々にとっての竜とは、
銀髪の女が後ろに飛んで距離を取り、短刀をしまってリーナに向けて手を伸ばす。そこには間違いなく本人の意思があった、正気と呼べる理性も感じられた。
「神は、実在し。我々を救ってくれる。さぁ、リーナも竜の信徒になれば・・・・・・」
「は――」
めまいがした、神がいるなら縋りたい。この地獄で、自分以外の誰かに頼ってそれを信じて生きることは間違いなく幸せであり――
「はははははははははははっ! 冗談がきついなぁ! この世界で神に縋るなんて!」
リーナ=フジサワは笑った。腹の底から、心の中から。どこまでも本気で。
苦悩の果て、塵と消えた男の事を思いだした。この世界に存在しない神を信じ、
信じて、信じ続けて。最後にそれが理由で殺された哀れな
幸せな竜の信徒と、苦しんだ哀れな神父。
そのどちらが示した道を進むかと問われれば、選ぶまでもない。
「そうか、なら我々が一か月後。この街を襲うとしても?」
「あーもう、完全に神話じゃない。もっと低いレイヤーで生きたかったなぁ」
文字通り神のごとき
つまらないと思っていた前世が、今はどうしようもなく懐かしい。
「そうか、最後まで抗うか。リーナ=フジサワ」
「まるで、私が勝ち目のない勝負を挑むみたいに喋るのね」
半分以上、強がりを口にする。今目の前に立つ女が信奉する
その上で、まだ出来る事はある。
真っ当に戦って勝てないのなら、真っ当に戦わなければいい。
切り捨てる覚悟があれば最強の
そうして彼女は覚悟を決めて――
「あなたの神に伝えなさい」
言葉と共に刃を振りぬいた後に音と衝撃、ただし本気ではあっても殺気を込めていない一閃は数本の銀髪と共に空を切り裂いただけ。
「クソ喰らえってね!」
今、自分はとても悪い顔をしているとリーナは確信した。どうしようもない状況なのに、それでもなお抗おうとする行為と。間が抜けた顔でこちらを見つめる女の顔が愉快でたまらない。
「災害に中指を立てる行為と同じだ。それは」
「良いじゃない、そういうのもアリだって私は学んだのよ」
スラムの路地裏で理不尽に向かって、指を突き上げた少年の背中を覚えている。もしリーナ=フジサワが恋をしているのなら、落ちたのはあの時なのだ。
銀髪の女はその笑みを理解できないまま更に後ろに下がって印を結んで――
次の瞬間、首の無い男の死体と共に空中庭園から姿を消して。
いや、違う。リーナの強化された視界は。竜の人形が宙を舞い、空の遥か先の先。上空50kmに飛びあがったのを捉えた。
いや、正確に表現するなら彼女は
文字通り彼らにとっては神に等しい
「ほーんと、世界最強なんて割に合わないけれど……」
最上位竜が上空から去るのを見届けた後、リーナ=フジサワは空中庭園の出口に向かって歩き出す。本来王城の宮殿には資格あるものしか入ることは許されない。
けれど、彼女にとっては生家そのものであり、隠し通路の一つか二つ知っていて。だから入った時と同じように、他人に見咎められずに出る事だって出来る。
「まぁ、世界はどうでもいいとして。少年と…… ダイム位は救いたいかな?」
そんなささやかな願いを胸に、薄皮一枚の倫理を踏み抜きながら。彼女は朝焼けと共に空中庭園から姿を消して。
後にはただ、血だまりだけが広がっていく。
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