第八章「竜へ降る日」

46話「デート日和で爽やかな朝」



「少年、デートに行こうか?」



 朝食を木のテーブルに並べ終わった直後、無茶苦茶良い笑顔で師匠から一方的に告げられる。多少では済まない動揺に襲われたけれど。それでもどうにかバターを塗ったパンが地面に落ちる前にキャッチしなおす余裕はあった。


 魔術による身体能力強化無しなら、マーフィーの法則を味わっていたと思う。


 バターを塗ったパンは、どうあがいても塗った方を下に落ちてしまう。まぁたとえ塗ってない面でも下に落ちたらちょっと食べたくはない。



「朝食前からテンションが高いですね。師匠」



 さて、可能な限りクールに振舞おうとしているけれど。師匠のニヤニヤとした顔を見る限り。僕の動揺は見破られているみたいで。やっぱりこの人にはまだまだ勝てないなと、内心ため息をつく。


 いや、あと3か月以内に正面から勝たなくちゃいけないんだけど。今のところその道筋すら見えてこない。高みに上がったと感じれば感じるほどに、師匠が恐ろしい高みにいることが実感できてしまって憂鬱だ。



「そりゃ、珍しく何一つ邪魔な物が見えない青空だもの」



 鼻歌交じりに、僕が焼いた目玉焼きの黄身をスプーンでペロリと一口。そんな感じで結局白身は残すことが多いのが、まぁなんというか師匠らしい。


 師匠の後ろに広がる窓に目を向ければ、確かに雲一つない青空が広がっていて。それこそちょっとお出かけしたくなる陽気ではあるのだけれど。



「……デートに来ていく服が、結局僕も外に出れる服はこれだけですし」



 まぁ、ちゃんとした服というのが早々手に入らない。一応操縦服を2~3着、部屋着も洗濯でローテーション出来る程度には揃えているけれど。街を歩ける服は未だに地球から着て来た学ランだけ。


 そもそもランよりちゃんとした服なんて、この世界ではそう見つからない。


 最低でもオーダーメイドかつ採寸まで一年待ちなんて話を聞いた時にはちょっと耳を疑って、次に翻訳魔術を疑った。


 一応それ以下の服ならもっと短期間で手に入るのだけれど。浄化の魔術でどうにかなるからと後回しにしていたツケを払うことになってしまった訳で。



「よぉし、じゃあ服を買いに行きましょう」


「何か、凄く嫌な予感がするんですけど?」


「大丈夫、金貨で殴ればどうにかなるから」



 基本的に師匠の行動は成金というか、金貨を積み上げて済む問題はそうやって片付ければ良いと思っている節がある。



「そんなこと続けていたら、いつか何かでしっぺ返し喰らいませんか?」


「うーん、まぁ何度かあったけど。剣でどうにかするよりはマシかなぁ?」



 前言撤回、お金を払うだけまだ学習した結果だったなんてストロングスタイル。腕力に頼るスタイルでしっぺ返しを喰らったからこそ、お金という穏当な手段を使うように進化したというオチだったようで。



「そんなんじゃ、いつか弱くなった時。大変ですよ?」


「かもね? ただその時はその時、粛々とそれを受け入れるから」



 カラカラとした軽い笑みに、僕の心臓がドキりと跳ねる。僕が知る限り最強でありながら時々こんな風に儚げな雰囲気を見せつけて来て。それこそ、ちょっと目を離せば消えてしまいそうな不安定が混ぜ込まれていて不安になる。



「分かりました。つまり師匠は負けたら好きなようにされる訳ですね?」


「まさかぁ、死に時は選ぶよ?」



 びっくりするくらい、軽い返事にちょっとだけ息が止まった。



「たとえ少年が10年後、私に勝っても君のものにはならないから」


「まぁ、残り3か月で勝たないとダメってことですよね」



 いや、師匠は命をかけることに躊躇が無くて。それこそ、負けて好き勝手されるくらいなら笑って死ぬ潔さに芯が通っているのは何となく分かる。それこそテンプレートにくっ殺せなんて言う前に、自分で自分の首を跳ね飛ばすに違いない。



「まぁ、負けたらアレだね。師弟関係は続けるけど、出ていくように」


「そこは、まぁ。けじめとしてちゃんとしますけど」


 

 そもそも勝負を挑まない。なんて選択肢はあり得ない。それはダイムに対しても、師匠に対しても余りにも不誠実過ぎる。



「うん、私は少年のそういう潔さは嫌いじゃないよ?」


「それは好きって事ではないですよね?」


「当然、けど一緒にいると楽しいと思う位には好ましいかな?」



 これは恋のさや当てというものなのだろうか? 良く分からない。いや、ダイムを利用して師匠に勝とうとしているけれど。なんだかんだで僕は恋愛初心者で。


 結局のところ、恋愛っぽいものを二つ同時並行で行っているに過ぎない訳で。


 世間様ではそういうのを二股をかけると呼ぶのだけれど。さてそれが認められている状況は何と表現したらいいのだろうか?


 ハーレムと呼ぶには、致命的に僕の甲斐性が足りてない。そもそも原意では戦争で夫を失った女性の社会保障みたいな側面がある訳で。だからこそ一人で生きていける彼女たちをそんな風にまとめてしまうのは失礼な気がする。


 いや、そもそも僕の選択が失礼どころか不誠実極まりないのだけれど。一応法律的には問題はないし。なら師匠とダイムが納得している以上、いつか終わるならこういうのも悪くないのかもしれない。



「それで、どうなんだい? まぁ拒否権はあるけど」


「そうですね……」



 確かに、拒否する理由はないけれど。一方的に攻められるのは趣味じゃない。



「プランって一日みっちり考えてます?」


「午前中に少年の服を作って、あとは適当に?」


「じゃあ、午後は僕に主導権を下さい」



 だから、僕からも攻めることにした。僕だって半年以上この街リヴァディでうろちょろしてきたわけで。デートに使えそうな店の候補なら、片手で数えられそうな程度にはストックがある。


 まぁ、生まれてからずっとこの街で生きてきた師匠なら知っている店も多いかもしれないけれど。


 せっかくのデート。一方的にリードされるよりは、多少失敗したとしても見栄を張る程度の背伸びはしたい。


 たとえ、目の前でニヤニヤしている師匠が全部見透かしていたとしても。その程度の意地も張れないのは、ちょっと情けなさ過ぎる。



「ふふ、じゃあお手並み拝見といきますか」



 そんな風に、僕と師匠のデートの幕は開き。



 そして、二時間後――



「あー、洋服の採寸って暇だねぇ」



 ブティックと呼ぶよりは、洋裁店と呼んだ方が近い空間で。師匠はつまらなさそうに机の上に頬をつけ、足を揺らしている。


 一応貴族や王族も足を運ぶ名店と呼ばれるだけあって、それなりに格調高い家具が用意されているが。それこそダイムが機兵乗り組合ライダーズギルドの奥にある工房に用意したスペースより多少ましなレベル。


 僕個人としては採寸され動けない状況でも。ロール状に纏められた布が積み重ねられ、大量のボタンや糸が並べらた雑多な光景はそれなりに楽しめるけれど。


 どうやら師匠は1時間も経たないうちに飽きてしまったらしい。



「そりゃ、傍から見ているだけだとそうじゃないですか?」



 採寸しているメイドさんの速度が上がった。明らかに師匠の不興を買うのを恐れているのが見て取れる。そりゃ、傍から見ればリバディ最強かつ、その日常が経済を左右しかねないセレブリティな訳で。


 理性のある肉食獣と共に檻の中に放り込まれた位には、危機的なテンションに陥るのも分からなくもない。



「いやぁ、少年もさぁ。ちょっとサービスしてくれても良いんじゃない?」


「そんなふざけた事を言っていたら、こっちから襲いますよ?」



 女性から男の子相手でもセクハラはセクハラ。ここが日本なら19歳のリーナさんは未成年者略取的なサムシングで完全にアウトな直球を、全力のフルスイングで撃ち返す。


 セクハラをするものは、セクハラを返される事を覚悟せねばならない。



「うーん、そういうガッツリした奴じゃなくて。日々の潤い的な?」


「思春期真っ盛りの15歳にその辺の加減が効くとでも思ってます?」



 いやこう、本当に実際のところ色々溜まるしコッソリ発散するのも大変なのだ。


 流石に荒野でソロプレイは危険が過ぎるし。この街でそういうサービスを受けられるお店を使わずに、男子高校生が一般的に持つ欲求を発散するのは筆舌にし難い苦労がある訳で。



「大丈夫だ、少年。普通に生身なら私の方が強いし」


「まぁ、師匠を正面から押し倒すのは流石に厳しいですよねぇ」



  まぁ、実際に戦ったことはまだ無いのだけれども。というか、普通に模擬戦の回数だけて言えばレイダム団長を相手にしたことが一番多くて25戦0勝25敗。


 もう半分くらい、いや生身の戦闘に限ればレイダム団長の弟子を名乗った方が正しい気すらしてくる。


 その上で、唯一そのレイダム団長に勝ち越しているのが。テーブルに突っ伏し目の前に振ってきたポニーテールに息を吹きかけて遊んでいる師匠な訳で。


 そもそも肉体的にはほぼ互角なのに。魔術的にシャレにならない経験の差が開いているから師匠に勝つのは事実上無理、いやかなり、いいやちょっと厳しい。



「まるで正面から押し倒す以外の手ならいけるみたいな口をきくねぇ」


「良いんですか? 真正面から口説きますよ、リーナさん?」



 意識的に名前を口に出した次の瞬間、師匠の頭がテーブルから跳ね上がった。



「なっ!? 少年、名前呼びは、仮にも師匠相手に!?」


 

 とっさに頬を両手で抑えているけれど。僕の魔術で強化された視覚は、綺麗な赤毛と同じくらいに染まっているのをしっかりと捉えていて。一瞬ガッツポーズを取りそうになるけれど、メイドさんに採寸して貰っているのを思い出し自重する。



「ああもうっ! ちょっと退屈過ぎるから、他の店を見てくる!」


「あ、どれ位で終わります?」



 こっちに背を向けて、店の外に出ていこうとする師匠を横目に。採寸中のメイドさんにどれくらい時間がかかるのか確認する。



「え、あ…… その1時間程度で終わります」


「じゃあ、師匠。12時にこの店の入り口で待ち合わせで」



 小さく分かったと聞こえたので、ちゃんと合流できると信じることにする。いや、流石に僕より大人のお姉さんな師匠がこの程度でデートが続行出来なくなるなんて事はないだろうし。



「という訳で、遅刻すると不味いのでよろしくお願いします」



 なんて事を言いながら、採寸しやすいようにまっすぐ前を向く。ちょっとお金を渡すか悩んだけれど。その辺は師匠が事前に払っていると聞いているので、下手に上乗せするよりはやり易いようにした方がいいだろう。



「は、はい。勿論……」



 ただ、その後も採寸を任されたメイドさんの動きは硬いままで。別に悪名の一つもないのにと、内心でため息をこらえて時間に遅れない事を祈るしかなかった。

 

 

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