45話「天国を目指すもの/地獄を生き抜いたもの」
夕暮れに一歩届かない傾いた太陽を背に。教会に足を踏み入れ、その背を見た瞬間理解した。もう彼は死んでいると。
人類最強の戦闘力と、
背中から心臓を貫かれたと聞いた時点で予測は出来ていたことだけれど。10年来の知り合いの死は、私に多少の痛みを胸に痛みを刻んで。
「リーナ、久しぶりですね」
死人が口を開く、いや正確にはまだ死んでないだけ。たとえ心臓を貫かれても血液が循環し酸素が脳に供給される限り人間は死にはしない。
魔術の効果は距離の累乗に反比例する以上、私と同じかそれ以上の腕前を持つ彼ならばそれくらいの無茶は通せるはずだ。
けれどそれはあくまでも、意識が続く限りの話。
「ええ、もう最後に会ってから2~3年は経ったんじゃない?」
一度でも意識を失えば、術式は停止しそこで終わり。意思がなければ魔術を稼働し続けることが出来ない以上
それこそ、他人の体内に干渉できる
「ああ、それ位だね。大体は」
夕日差し込む教会の中で、意識を失えば死ぬという現実を目に前に。それでも彼は、思いのほか穏やかな声で私を出迎えた。
「で、貴方はどんな遺言を残してくれるの?」
名前のない神父は死ぬ、それは絶対に動かせない現実で。その上でわざわざ私を呼んだ以上、何らかの意図を伝えたいはずなのだから。
「……貴女には受け入れる覚悟がありますか? 絶望を」
「そもそも大した望みなんて無いから、死ぬまで生きて足掻くだけよ」
初めてルージュクロウを駆り、空の果てを見てしまった時。私はこの世界が本物の地獄なのだと理解した。この世界の人類は地上に張り付いた塵芥でしかなく。
そこで文字通りの最強だった私の力ですら、大した意味を持たないのだと。彼らがその気になれば、それこそリバディですら一瞬で消え去る。そんなどうしようもない事実に、私は打ちのめされたのだ。
「そうですか、では。絶望を、あるいは苦悩を与えます」
私に背を向けたまま、十字架を見上げた顔は見えない。ただ彼がやろうとしていたことを考えればその内容は予測は出来る。
「……この世界で生まれた人間は、帰還出来ません。
ああ、そして予測通りの感情を味わった。
「そりゃ、そうよね。地球で私は死んだんだから」
私の魂はもうここで。どれだけ焦がれても生まれる前の場所に帰ることなんてできない。転生した事実、そして魔術なんて超常の力があるならと一縷の望みを抱いていたけれど。
この神父がそう口にするのなら間違いなく、私は帰れない。
「そして、私でも難しい。大規模な竜炉を用意出来ませんので」
それも理解出来る。彼には魔術の才能はあっても
だからその道を選べば、真っ当な
そしてこの世界において、
「私を利用するなんて手は考えなかったの?」
「……基礎理論の段階で、転生者の帰還は考慮していませんでしたので」
事実は隠しても、騙すマネはしないというのは彼らしい誠実さに苦笑する。
「それで、その術式を教えてもらえる時間は残ってる?」
「いいえ、最低でも2~3時間は掛かります。私の寿命が持ちません」
「ああ、じゃあ意味はないわね」
本当に、私にとっては何の意味もない話。いっそ昔ばなしでも語ればよかったのかもしれない。日本人なのに細かなオタク文化に詳しくないと飽きられた話とか、転生者あるあるで盛り上がった話とか。
まぁ、そうなるとどうしても
だからこれ位で丁度いいのだろう。
「それで、少年に伝言を頼んだのはそんな事を言うためだったの?」
「いいえ、私が死んだあと。死体を処分して欲しいのです」
「土葬? まぁ場所はこの教会の地下をカタコンベみたいな感じでいい?」
確か、基本的に神父さんは土葬だった気がする。そもそも火葬がデフォルトな日本がグローバルスタンダードではないという話なのかもしれないけれど。
まぁ、わかる範囲で個人の信仰を尊重する程度の思いやりは持っておきたい。
「いえ、術式で焼いてください」
「またなんで?」
私が知る限り、この名前の無い神父は教義を守ってこの世界で生きていた。
それはとても不器用で、多くの弱者に手を伸ばし、その殆どを救うことが出来なかったけれど。だからこそ、最後の最後。自分が死んだ後で、あえて地獄で業火に焼かれようなんて発想が出てくるのか。
「そもそも、他人の体を魔術で燃やすのは面倒なのよ?」
「普通は不可能ですよ。リーナだから頼めるのです」
「何よりそれなら、死ぬ間際に自分で……」
そこまで言って気が付いた。それは間違いなく自殺で、彼が進行する教義に反した行いなのだと。
「
「それで、わざわざ私の信仰を理由にしてまでそんな事を頼んでくる理由は?」
「死体を辱められたくないのです。この世界の術式にはおぞましいものがあります」
案外あっさりと、神父は口を割る。
確かに、
やりたくはないけれど、私だって本当に必要な情報を得る為ならば――
「まぁ、良いけれど。それくらい世話になったし。借りもあるから」
「ありがとうございます…… ああ、怖いですね。流石に生きるのを止めるのは」
「いや、もうちょっと何かないの?」
本当にこの神父は、死ぬ直前なのに。あまりにも事務的な話しかしてくれない。
「……そうですね。ノイジィ君に私は遠くに旅立ったと。誤魔化して下さい」
「まぁ、少年なら自分が『機兵殺し』を見逃したからなんて思うだろうしね」
まぁ実際のところ、彼が死ぬのは彼の行動と言動の結果であって。少年があの時どっちの選択肢を取ったとしても。遅かれ早かれこの
それくらい
何せ
そりゃ、この世界で生きようとしている人から見れば。誰にとっても存在自体が認められない代物なのだから。
「ええ、本当に。ここの世界での心残りはそれ位です」
「そう、じゃあ――」
ゆっくりと、神父が体内に巡らせている術式を解いていくのが分かる。それを自殺とは呼びたくはない。
「貴方の魂が、地球の天国にたどり着けることを祈っておくわ」
中央の通路を歩み、最前列の長椅子に座る神父の隣まで進んで。漫画かアニメで見た礼拝のシーンを思い出し
「作法とか、良く分からないけれど」
「もしも時間があれば、私が―― told how to do it」
翻訳術式が切れた。私が組み上げた日本語とこの世界の翻訳術式と、彼が受け継いだ英語とこの世界の翻訳術式。その二つをかみ合わせることで、どうにか会話が出来ていたのだが。
彼の意識が朦朧として、稼働できる術式の精度が下がれば。そのまま口にしている言葉が聞こえてきてしまう。残念ながら私の術式は英語に対応していない。
「あー、I can't speak English well. So please ask slowly」
本当に命を終える直前の相手に、何を言っているのだと情けなくなるけれど。実際に英語は得意じゃなかったし、ゆっくり話してもらわないと聞き取れないのだから仕方がない。
「So…… ア、アリガトウ。リーナ。アナタトノイジィノミライニ――」
私の片言の英語に、片言の日本語で返して。名前の無い神父の息が止まった。
「――祝福がありますように。かなぁ?」
彼の最後の言葉が何だったか考えながら、私はゆっくりとその遺体に近寄って。じわじわと血が漏れ出す傷口に指を差し込んだ。とても気持ちの悪い感覚だけれど遺体を燃やせる遠距離魔術なんてない以上、こうするしか手段はない。
脳内で彼の体内にある。未だに死んでいない神経とそこに刻まれた術式に干渉しその肉体を限界まで強化する。物理的な保護はしない、ただその体を燃やし尽くす為に。
抵抗する意思も魂もない体は、あっという間に燃え尽きて、たった数十秒で、その肉体はすべて灰となった。
「さて、これで見ての通り最後の
わざとらしい独り言で状況を語った次の瞬間。何者かの気配が、教会から離れていくのを感じた。恐らくは『機兵殺し』。自分が仕損じた仕事の結果がどうなるのかと見張っていたのだろう。
「ほーんと、ご苦労よねぇ……」
周囲に術式を走らせる。流石にもう居ないと思うけれど。万が一にでも
(地球生まれの魔術師なら、うん…… 魔導書の一冊位持ってると)
周囲には誰もいない。だから私は灰の詰まった
(あぁ、成程。本当は残す気なんて無かったってことね?)
最後のページに震える手で刻まれた文字列は、明らかな術式で。自分が死ぬと分かってから最後の力を振り絞り、これをまとめたのだと理解できた。
私が精査する限り、確かにこれは
「ほーんと、これが祝福だってなら。神様は、いや貴方は趣味が悪いわ」
本当に、どうしようもなく趣味が悪い。この魔導書をどうするのか決められないままに。私は神父の居なくなった教会を後にした。
ちょうど辺りは夕暮れ時。沈みゆく太陽が、スラムの中に私の影を映して――
そうしてあっという間に、私は夜の黒に溶けていき。
光と呼べるものはどこにもなく、ただ少年に会いたくて。私は全力でこの街に広がる闇を駆けて家路を急ぐのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます