44話「殺せる人でなし/殺せぬろくでなし」



「さて、依頼でしょう。貴方も、故に簡単には退けない」


 

 神父さんは悲しそうな、それでいて真剣な表情を『機兵殺し』に向ける。


 そこには憎しみも、敵意もなく。あまりの平静さに僕の中で渦巻いていた怒りと混乱がすっと消えていき。


 そして神父さんの手がゆっくりと持ち上がり、それと同時に五指が開かれて。何か・・が接続されたカチリと切り替わった。



「これ…… は?」


 

 視野が広がり、周囲の状況が驚くほど鮮明に見渡せて。それでいて頭に何の負担も感じない。まるで外付けで頭の容量を底上げされた全能感が僕を支配する。



「畜生っ! 何を、何をしやがった!?」



 突然広がった感覚に戸惑う僕と対照的に、いや同じように。『機兵殺し』も戸惑っている。目と耳を抑え、フラフラと立つことすらも危うく。辛うじて直立を保つのがやっとに見える。



「感覚を支配しました。貴方たち二人の」



 一瞬耳を疑ってしまう、魔術の効果は距離の累乗に比例する訳で。


 そして曲がりなりにも魔術を使える。即ち、対抗手段を持った敵対する相手の感覚に影響を与えるというのは、僕に刻まれた常識で判断する限り完全な規格外。



「そもそもテメェ、心臓を貫いたはずだぞ?」


意識・・がある限り、この程度の傷ならばふさげます」



 あまりの力技に驚きすら通り超す。師匠の様に圧倒的な身体能力で、そもそも致命傷を受けないのではなく。受けた上で死なないなんてあまりにも理不尽過ぎだ。



「さて、あまりにも不毛です。目には目を、歯には歯をというのは」



 神父さんは、僕と『機兵殺し』の両方に語り掛ける。けれど、どちらも剣は構えたままで。あっちは敵地のピンチで武器を下げる理由はなく、僕の方も憎しみこそ薄まっても敵意と警戒は抱いたまま。


 もし彼が何も口にしなければ。このまま切り合いが発生する位には。空気が張り詰めていて。



「ですが、私は聖人ではなく。心臓も一つです」



 けれど、場を支配したナイ神父はそれを許さない。



「左を貫かれたなら、右もなどとはいきません。そもそも死にますし」



 冗談めかして右胸に手を当て、唇を吊り上げる。



「……普通はそこまでしなくとも死ぬんだ。糞地球人テランめ」



 無論『機兵殺し』は警戒を解かぬまま、距離を詰めようとしてよろめいた。僕と逆の状況になっているなら、今の彼はそれこそ歩くことすらままならない状況になっている筈で。


 それでも神父さんを殺そうとする理由が何なのか、少しだけ気になった。



「差別はいけません。地球人であるというだけで蔑むのは」


「おっと、そりゃ正論だ。なら言い直すぜ糞帰還願望者リターナーめ」



 帰還願望者リターナー、意味は通じる。異世界に転移した、あるいは転生した人間なら当たり前とまでは言わないまでも。理解出来る望みのはずなのに。なぜだかそこに恐ろしくおぞましいものが含まれていると感じてしまう。



「……ええ、認めましょう。望んでいる、私は、この地獄からの帰還を」



 その時、神父さんの顔に浮かんだのはユーモアでも、悲しみでもなく。ただ事実を受け入れる澄み切った表情で。


 僕は改めてこの人を恐ろしいと感じた。一度目は最初の偏見、二度目はこの瞬間。向けられた悪意に対して悲しむでもなく、怒るでもなく。当然のものとして受け入れた態度から導き出される、底知れぬ罪の予感が背筋が震えてしまう。



「ですが、10年かけて悟りました。私では起動できないと、この術式は」



 神父さんは頭を人差し指で軽く叩いて乾いた笑みを浮かべた。彼の脳裏に刻まれた術式。その危険性から彼は狙われているのだろうと予想は出来る。



「えぇ、まぁこのまま研鑽を積み重ねても。寿命の方が早いでしょう、残念です」



 『機兵殺し』はふらつく頭で神父さんの言葉に耳を傾けている。最低でも、悩んでいるのが見て取れた。



「『機兵殺し』、先程の意趣返しです。逃げるなら追いませんので」



 言外に逃げないなら切るという意思を込める。手加減の仕方はまだ知らなくても、それこそ立つのも怪しい状態なら、一方的に無力化出来る。それでも死ぬかもしれないけれど、最初に手を出したのはあっちな訳で。


 そりゃ機兵を攻撃するのと、生身の人間に剣を向けるのは精神的に大きな差があるけれど。それでもやらなくちゃ、こちらが狙われているし。何より筋が通らない。


 人が乗っている機体を命惜しさで攻撃しておいて、生身の相手に切りかかれないなんてのはあまりにも卑怯すぎる。



「……ちっ!」

 


 状況の不利を悟って、『機兵殺し』がゆっくりと後ずさり、そして入り口付近まで下がった瞬間。一気に踵を返して駆け出していく。


 引き延ばされた感覚は、その背中を捉えていたけれど。僕は、あえて見逃すことにした。目には目を、歯には歯の言葉の通りに背中を刺すこともできたけれど。


 それをたぶん、神父さんが望まない。



「ふぅ、どうにかなりましたね……」



 その言葉でどっと汗が噴き出して、想像以上に緊張していたことを理解する。


 神父さんも貫かれた心臓が・・・・・・・痛むのか、ちょっと眉を顰めながらゆっくりと長椅子に腰を落としてため息をつく。



「けど、また来たらどうするんですか?」


「そうなる前に、私は旅立ちますよ」



 妙に吹っ切れた笑顔は、先ほどまで恐ろしいとすら思っていた相手と同一人物だとは思えなくて。どうにも分からなくなる。同じ地球人のはずなのに、異世界ドラグラドの人々よりも遠く感じてしまう。



「少し、居過ぎました。ここには長く」


「どこに、行くんですか?」


「さぁ、わかりません私には。神の思し召しのままにです」



 僕は何度か引っ越したことがある。何度も慣れ親しんだ場所から、親の都合で見知らぬ土地に移り住む。けれどいつだって家族と一緒で居場所はあって。ただ一人で転移したこの世界では人の縁に恵まれて居場所を得ることが出来た。


 そんな風に恵まれた僕には、本質的な意味で神父さんの気持ちは分からない。


 けれど、そこに含まれる一抹の寂しさだけは共感してしまい。どうにもたまらない気分に陥ってしまう。



「さよならです、ノイジィ。またの再会を祈って渡します。これを」


「これは、その。大切なものでは?」



 明らかにこの世界で作られたものではないロザリオのネックレス。数少ない地球から持ち込んだ貴重なものであることが見て取れる。



「もっと大切なものを、君から思い出させてもらいましたから」


 

 あの拙い問答で何かを得られたと、改めて差し出して。僕はようやく抜身のままだった剣を鞘に納めて。ロザリオのネックレスを受け取り、そのまま身に着ける。



「似合っていますよ」


「……ありがとうございます」



 このネックレスに込められた思いが、どれだけのものかはわからないけれど。それだけの価値が先ほどの会話にあったというのなら。遠慮をするのはかえって悪いことだと胸を張る。



「ああ、あと。今日の18時まで私はここにいますと伝えてください。リーナに」



 ここでようやく、僕は神父さんを探した目的を思い出して。赤面してしまう、子供の使い程度の仕事だというのに。もしこのままさよならなんて言われていたら。普通にアポを取り付けるのを忘れてしまったに違いない。



「はい、間違いなく伝えます。そして、お元気で」


「ええ、そして君の人生に神の祝福があらんことを」



 僕は、神様は信じていないけれど。込められた神父さんの思いを有難く受け受け取り微笑んで、教会を後にする。ロザリオの隣に揺れる竜水晶クォーツの時計を確かめれば時刻は十四時を少し回ったところで。


 一刻も早く師匠に約束を伝える為、僕は術式を起動して全速力で駆け出した。






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