43話「空見ぬ狂人/空見る少年」


 神父さんが出してくれたお茶は悪くなかった。


 浄化された水と、不純物が取り除かれた茶葉からは雑味を感じない。やや鉄臭いカップなのは気になるけれど、スラムでは陶器のカップは贅沢品なのだから仕方ない。


 周囲を見渡せば、雰囲気もかなり教会的で。長椅子に座って祭壇を見上げれば、そこには竜殺機兵ドラグーンの模型が十字架へ磔にされていた。


 おそらくは外観のデザインを決める1/10スケールの試作模型モックアップだろうか? おそらくは機種はクライスター、けれどボロボロになった装甲と、釘で打ち付けられた掌がよく知らない救世主の姿より痛々しく感じてしまう。



「……その、何というか。やりたいことは伝わるんですけど」


「あまりよくない趣味と、言われます。しばしば」



 まぁ確かにその通りで、意味を知っている僕が見れば磔刑に処される殉教者をモチーフにしていることがわかるけど。この世界の人が見たのなら、それこそ人々を竜の脅威から守る竜殺機兵ドラグーンを忌み嫌っているように見えてしまうだろう。



「大変じゃ、ないですか?」


「ですね、10年できる限りはやった上で。誰も信じてくれませんでした」



 それはとても寂しいことだと、ほんの少しだけ共感できる。スラムで2週間、誰とも会話することなく、他人と価値観を共有出来ずに生きた記憶を思い出す。


 ナイさんには、僕にとって同じ故郷を語れる師匠のような人や。同じ夢を見れるダイムのような相手は居なかった。


 だから共感は出来ても、その寂しさの本質を理解することは僕には出来ない。



「リーナさんは言いました。この世界に神は居ないと」


「ああ、うん。師匠はそういうことを口に出しちゃいますよね」



 そんな中で出会った地球人から、そう直球に自分の信仰を否定されてしまえば。間違いなくショックだろうし、師匠は師匠で後からそれを気にして距離を取りそうな気がした。



「別に、気にしては居ないのです。私はそんなに」


「けど、その。こういうものを作るくらいには真剣な神父さんなんですよね?」



 周囲を見渡せば、可能な限り地球に存在する教会のイメージを再現しようと苦心したのが分かる。これだけのことをやろうとすれば…… 竜殺機兵ドラグーンを駆らなければ何年かかるか分からない。



「どうでしょうか? 聖書の一冊も持っていませんので」


「それは、まぁ転移した時に手元になければ……」



 実際、あるとき日常から異世界に転移した時に。必要なものを持ってこれるかどうかなんて運次第。僕の場合、今手元に残っているのは電池が切れてもう二度と動かないスマホ程度で。


 いかに敬虔な神父さんといえども、常日頃聖書を携帯しているとも限らない。



「それでも、全部覚えていれば。書き起こせるはずなのです」



 彼は胸元から小さな本を取り出した。Holly Bible と刻まれた革の表紙、その雰囲気から間違いなくこの世界で製本したものであると分かる。



「ダメでした、けれど。不確かな内容で、1/100程度の内容です」


「……別に、だからって神父さんの信仰心というか、そのなんだろう」



 うまく纏まらない。けれど、僕にはこの世界で神を信じようとしているこの人は、真面目で、そして真摯なのだと思う。恋なのか憧れなのかわからないまま、命すらかけて勢いでフラフラしている人間から見れば眩しいほどに。



「神父さんは、神様を信じているんですよね?」


「思っています。信じたいと」


「じゃあ、そこに神様がいる。いやいらっしゃるんじゃないかと」



 ああ、ものすごく生意気なことを言っている自覚はある。15歳で一応仏教徒なんだけど宗派すら知らない僕が。おそらく30歳を超えている神父さんに、こんなことを口にするのはまさに釈迦に説法という奴で。


 いや、キリスト教だけど。大体たとえなのだから使っても問題ない筈だ。


 

「……心の中に、私の?」


「はい、師匠がこの世界に神は居ないと思うのは分かります」



 たぶん、僕よりもずっと強い師匠には。僕が今見ている厳しいながらもどうにか保たれている世界ではないものが見えているのだろう。自分が死んでも明日が来るなんて気楽なことは考えられないのかもしれない。


 まぁ、僕自身。転移時に何も出てこなかったし、この世界には僕や転移者、そして転生者にとって都合のいい神様なんて存在していないと確信している。



「けど、その。信じたいと、思っている神父さんの心に神様は居るとも思うんです」


「君は、魔術師マギウスで。機兵乗りライダー?」


「あー、どうなんでしょう? 魔術は使えますけど……」



 一応魔術は使える。軽く上げるなら身体強化、浄化、あとはスクロールを介した竜炉へのアクセス程度だけれど。それは全部、師匠から刻まれたもので僕自身が学んだものではない。


 対して、機兵乗りライダーとしての技能はどうか? 一応最初の一歩こそ刻まれたけれど。そのあと自分の手で機体を操作する方法を学び、僕とライズルースターに必要なものを選んで学んで成長できた自負がある。


 何より、ライズルースターを手に入れてからは。お金の管理はやっているし。その気になればすぐにでも独立できるとも思う。


 勿論、自分で積み重ねた信頼より。師匠のコネの方がずっと大きいのは分かっているけれど。それでも少なくないものを積み重ねた自信もあって。



「魔術が使える機兵乗りライダーなんだと思います」


「どう見えていますか? 君の目に、空は」


「地球と比べると、とても遠くまで蒼いかなと」



 質問の意味は分からないけれど。素直に、言葉通りに応える。



「夜空は?」

 

「星がより、綺麗に見えるなって。ただ星座は全然わかりませんけど」



 ちょっと理科の授業で習った夜空とは違う。それくらいしか分からない僕には。それこそ何となく綺麗程度な感想しか思い浮かばない。あるいは空に詳しい人ならもっと違ったことが分かるのだろうけど。



「そうか、綺麗なのですね。この世界の空は……」



 何となく、話がかみ合っていない気がするけれど。それでも何故か神父さんは感慨深げに俯いて。何か僕だけ置いて行かれている気分に陥ってしまう。



「何なら、今日だって天気は悪くないですよ?」


「そうだね、たまには空を向いて歩くのもいいかもしれない」


「流れる涙を止めるためなんて、後ろ向きな理由はだめですよ?」



 どうやら神父さんには伝わったみたいで、にやりと笑みを浮かべてくれて。その気持ちのいい笑顔に学校で習った音楽の雑学を覚えていたのが地味に役に立ったなんてことを考える。


 半世紀以上前の曲が、今地球ですらないこの世界ドラグラドで僕と神父さんの間で通じた事実だけで温かい何かが胸の中で広がっていく。



「君は、この世界を楽しんでいますか?」


「それなりには、楽園じゃないと分かった上で」



 割と僕が恵まれているのは分かる。師匠と出会えなければ、少なくともここまで高く飛べなかった。未だ竜殺機兵に乗ることすら出来ず。もしかしたらこのスラムで力尽きていたかもしれない。


 それを分かった上で、僕は師匠やダイムと出会い。ボブさんや支部長、ついでにナーちゃん。まぁ、心配する必要はなさそうなレイダムさん…… 他にも数えきれないほどの縁があるこの世界ドラグラドを好ましいと思っている。



「帰れるのなら、帰りたいですか?」


「片道通行なら、ちょっとだけ悩む位には」



 僕がこの世界で積み上げたものは簡単に捨てられなくて。ある程度のコストを支払えば行き来できる程度でなければ即決なんて出来るわけがない。そりゃもう一度会いたい人が日本にも山程いるけれど、それはここだって同じな訳で。


 命懸けの日々だって、慣れてしまえば日常と呼べてしまうのだから。



「誰かの死と、あるかな? 向き合ったことは」


「そうですね、知っている相手が死んだことは。まだ地球の方が多いです」



 祖父母の半分と、仲の良かった叔父。ついでにクラスメイトが1人。指折り数えて片手で収まる程度の相手と地球で死別して。幸いなことにこの世界では、精々知り合い程度の相手が風の噂で死んだと2、3度聞いた位で済んでいる。



「そうか…… ならば君に伝えたいものがあります」



 その時、神父さんが浮かべた表情は複雑なものだった。半分程度はたぶん優しさ、4割位の同情が込められて。そしてほんの少しだけ嘲笑が混じっている。とても失礼だけどそう感じてしまい。



帰還術式リバースコード、我々が組んだ転移者を地球へ戻す大魔術」




 だから続いた囁きの意味と組み合わさり、一瞬僕の頭が固まって――



 魔力の爆発と共に、風切り音と共に教会の入り口から何かが投げ込まれ。


 術式で強化された視界でも、黒い何かとしか判別できないそれを。どうにか反射で腰に下げた剣を引き抜き剣の腹で叩き落とす。


 甲高い金属音、石造りの床に突き刺さるそれは黒い投げナイフ。



魔術師マギウスって奴は楽でいい」



 聞いたことのない男の声。


 派手な魔力と共に放たれた投げナイフの後から、人影が教会に走り込む。


 限界を迎えた思考、引き延ばされた感覚の中、動かない体。視界の端で神父さんの胸に何かが突き立てられて。



「派手な魔力で誤魔化せば、体だけで振るう刃で人が死ぬって事を忘れてくれる」



 僕が引き抜いた儀礼用に近い幅広細剣ワイドレイピアではなく実戦向けの片手小剣ショートソードが背中から胸に向けて。血は流れていないけれど。どう見ても、心臓を貫かれている以上、間違いなく致命傷。


 石畳の上に神父さんが膝をつき、その背後に立っていた襲撃者の姿が見えた。


 黒い革のマント、口元を覆うマスク。そして、血に濡れた片手小剣ショートソード。絵にかいたような暗殺者アサシンである。



「黒い服…… 白い剣、アーマープレート…… 貴様、機兵乗りライダーか?」



 暗殺者アサシンからの問いかけに、どう返すか纏まらない。いや、まとまっていないのは言葉ではなく思考だ。


 付け焼刃程度の剣術では間違いなく殺される実力差を目の前に。逃げろと考える経験。神父さんはもう助からない以上、僕だけでも逃げるべきだという理性。


 けれど、どうしても。感情・・が収まらない。


 

「えぇ、B級竜殺機兵ドラグーンライズルースターの機兵乗りライダー。ノイジィです」



 今ここで、鴉殺しクロウキラーなんて名乗れない。だから愛機の名を誇る。



「ライズルースター…… あの時の重突撃槍ヘビィランス使いか」



 それで、目の前の相手と『機兵殺し』の黒いスタリオンが重なった。胸の中に強い後悔が襲い掛かる。あそこで捕縛して、いいや加減なんてせずに殺していれば。神父さんがこうなることもなかったというのに。



「はん、じゃああの時の俺みたいに尻尾を巻いて逃げるなら追わねぇぜ」



 目の前の男が哂う。僕と、その時の自分の両方を。暗い、暗い、負け犬の笑い。



冗談じゃない・・・・・・ふざけるな・・・・・



 僕の口から飛び出したのは、冷え切った声。けれど心臓は破裂する程脈打って。血液が怒りで燃えているのを感じつつ。僕は左手で薬指を突き上げた。



「目の前で、知り合いを殺されて――っ!」


「それは、駄目です。ノイジィ」



 声が聞こえた、厳かな声が。僕が『機兵殺し』に注意を向けたまま、床に視線を向ければ。心臓を貫かれた筈の神父さんが、ゆっくりと立ち上がる姿が見えて。


 十字架に磔になった竜殺機兵ドラグーンを背に、神父は厳かに両手を広げる。


 僕も『機兵殺し』も。神父さんの持つ雰囲気に完全に飲み込まれて。その動きを止めるしかなかった。

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