終章
気がつくと知らない天井が目に飛び込んできた。そして知らないベッドで寝ている。
「あ、起きた? 大丈夫? 珍しくかなり酔ってたね」
雅がミネラルウォーターのペットボトルを差し出してきた。
ああ、ここは雅の家なのか。初めて入った。できればこんな形で上がりたくはなかった。雅が俺の家へ来て宅飲みをしたりすることはあったが、俺が彼女の家へ行くことを拒んでいた。
「すまん。迷惑をかけたな」
「いいえー全然」
スマホで時刻を確認すると早朝四時近くだった。案外深い眠りには就いていないようだった。天神にあるこいつの家から俺の家へはそう遠くない距離だから、俺は早いところお邪魔して歩いて帰ろうとした。
「あ、どうせならもうちょっとゆっくりしてきなよ。今しじみの味噌汁作ってるからさ」
キッチンからの雅の声に呼び止められた。
「それに、何気にうちに来るの初めてでしょ、ね」
だからなんだ、って感じだが。体調がまだ優れなかったから、お言葉に甘えることにした。それに、彼女の言う通り、せっかく初めて家にお邪魔したのだから、もう少し雅といっしょに居たいという気持ちは否めなかった。
雅の部屋を見渡してみる。なんというか、
「女らしくない部屋だな」
「それが介抱してくれた人に言うことかね。ほら」
しじみの味噌汁が入ったインスタントカップを渡される。
「ありがとう」
味噌汁をすすりながら改めて見渡す、何というか、必要最低限、といった感じのインテリアだ。部屋自体は確実に俺の住まいよりも広い。流石は収入の格が違う。シックな調度でまとまってはいるが、ぬいぐるみだとか、好きなアイドルのポスターだとか、ジュエリーボックスなどのような自己を形成するものの表示がほとんど無い。
「女子の部屋をそんなジロジロ眺めていたら嫌われるよ」
声が近いと思ったら雅はワイングラスを持って、ベッドに腰掛けていた。まだ飲むというのか、恐れ入る。
というか、初めてくる部屋が気になるのは仕方がないだろう。そんな中、目に留まるものが二つばかりあった、一つ目は、毎年リリースされるグラミー賞のコンピレーションアルバムのジャケットに描かれているのとそっくりな、レコードプレーヤーだ。主張が乏しいこの部屋ではかなり目を惹く。二つ目は、クローゼットの隅に追いやられるように置かれた直方体のナイロンケース。あの形状と大きさから察するに、あれはキーボードだろう。おかしい。雅が楽器を弾ける、ピアノができるということは一度も聞いたことがなかった。
「あのレコードが気になる?」
俺の心を読んだかのように問いかけてくる雅。
「ああ」
「あれね、結構探したんだ。やっぱ、レコードと言ったらこれでしょ」
雅は、子供が自慢のおもちゃを紹介するような口調で語る。
「サックスとか管楽器を聴くならこっちの方が良いと思うよ。私は」
俺はレコードを持っていないが、そういう話はよく耳にする。レコードにはCDにないあたたかみがあると。
「ねえ、今日はもう、うちに泊まっていきなよ。私の後にお風呂も入ってきていいからね」
そう言うと雅はグラスの中の赤ワインをくいっと飲み干して、ベッドから立ち上がると部屋から出ていってしまった。おそらく風呂に行ったのだろう。
今日は色々と疲れた。賞味な話今から歩いて家に帰るのはこの酔っている状態では辛いものがあった。それに、声も掛けずに帰ってしまう訳にはいかない。当の家主は立ち入られない場所にいるし。
ベッドに腰掛けたまま、スマホを弄ってしばらく待っていると、雅が風呂から上がってきた。下着姿で。
「お待たせ。次どうぞ」
「あのな、別にいいけど、もうちょっと尊厳を持てよ」
「なに初心がってんの。もう寝ようよ。日が出ちゃう」
こちらが呆れていたら、さらに呆れ返された。小さく欠伸なんかしている。
俺は追いやられるように風呂に入った。風呂から上がると、今度は歯ブラシを渡された。雅が家に帰る際に買っておいたらしい。歯磨きを終え、洗面所からもどると雅はレコードプレーヤーの傍にいた。
「この前さ、あんたがNe-Yoの話したじゃん。それから久ぶりに聴きたくなって再燃してるんだよね」
彼女は円盤に針を厳かに落とした。流れてきたのは以前雅との話に俺が出した「Closer」だ。確かに、若干ノイズは混じっているが、高音域を主体に、クリアに聴こえる気がする。あたたかみがある、という意見もわからなくもない。
「じゃ、寝ましょ、寝ましょ」
そう言うと雅は何やら手に持ったリモコンを操作した。すると部屋の照明が蛍光灯の白い光から、仄暗い琥珀色の光に変わった。それも、天井の照明は消え、ベッドのライトだけが点いている。こんな設備、ホテルなどでしか見たことない。流石だな。
「なあ、客人用の布団とかは無いのか。無かったら床で寝るけど」
先に自分のベッドに潜った雅は寝たままの姿勢でこちらを向き返した。
「無いよ。別にいいじゃん、同じベッドで寝て。私たちの仲なんだし」
そう言われると、反対する理由はなかった。拒むとそのまま仲を否定することになるのだから。
俺は、できるだけベッドの端に入り込んで、雅には背を向けた。
「てか、お前、服着ろよ。いつもそれで寝てるのか」
「え、そうだけど」
即答だった。
「結構多いよ。下着で寝る人」
俺はお前が初めてだが。
そのやり取りの後、しばらく、静寂が続いた。部屋にはNe-YOのBGMだけが響いている。
「ねえ、あんたは、まだ私のこと好きなの」
不意に耳へと入ってきた雅の声は、普段より若干高い声だった。
今夜はこのままただでは済まない予感はしていた。俺はどう返そうかしばらく迷ったが、本心を告げた。
「ああ、そうだよ」
また、しばらくふたりの間に静寂が包む。今度は俺が口を開いた。
「何? 付き合ってくれんの」
「えー。あんたみたいな根無し草はちょっとな。結婚もできないし」
なんじゃそら。ならば何故聞いたのだ。
あまり、こういうことは言いたくないのだが、ならばもし、
「じゃあ、もし、俺が定職に就いたら?」
「うーん、わからないや」
なんだ、いつもと変わらないやり取りか、と、心なしか落胆し、もう本格的に寝に入ろうかとしたときだ。
「じゃあ、好きな人と寝れて幸せだね」
雅が体を寄せてきた。
「アホか」
できるだけ動揺が声に表れないようにした。
「ねえ、こっち向いてよ」
「なんでだよ」
「こっち向いて」
俺は仕方なく体勢を変えた。なんだか嫌な予感がする。
雅の方に寝返りをうつと、彼女はいつの間にか下着を脱いでいた。
「おい、何してんだよ」
雅はいたずらな表情で俺の肩に手を回してくる。
「ねえ、性癖、なに?」
「は?」
「私ね、あんたになら、どこを触れられてもいいよ」
「やめろ」
また寝返りをうって背中を向き直そうと思ったが、思いのほか雅が俺の肩を掴む手は強く握られていた。表情こそ、いつもみたいにおちゃらけているが、こちらを見つめる双眸は真剣味を帯びている。いつも化粧が薄いせいか、すっぴんの顔とはほとんど差異はなかった。逆にこちらの方が綺麗かもしれない。それに、夏でも滅多に露出しない雅の肌は白く、絹のような触感だ。布団に陰って全体像は見えないが、引き締まった体はそこらの女優やモデル顔負けのプロポーションだった。
「舐めちゃったりしても、いいよ」
「やめろ!」
俺は彼女の手を振り解き、ベッドから抜け出した。
部屋に響いていたNe-Yoの「Closer」は止まっていた。
「帰るわ」
雅は上体を起こしてこちらを見つめている。胸が露わになっているが意に介す素振りは全くないし、それどころか、表情から遊びは抜け、真っすぐにこちらを見据えている。怖気ている様子も無い。
俺の純粋な想いを酷く汚されたようだった。同時に彼女を見損なった。きっと、これも彼女の気まぐれなのだろうと信じたい。
俺が部屋から去ろうとしたときだった。
「そうやって、私からも逃げるんだね」
そう、雅は俺の背中に投げかけた。
「訳がわからない。お前ちょっと変だぞ」
バンドが解散したときも、今夜みたいに雅と飲んだから、彼女はラストライブの中止の裏も知っていた。
俺が足を止め、雅の方を向き直ると、彼女は今更片腕で胸を隠し、さも残念そうにつぶやいた。
「あんた、やっぱり、つまらない男になったよ」
ベッドに駆け寄り、雅に馬乗りになった、そして彼女の首に両手を当てがう。
「首絞めるのが好きなんだ。私も普段はする方だから、されたことはないなー」
語尾にハートが付きそうな声で、雅は悦とした表情で笑っている。あまりにも間抜けた言動に苛立ちを隠せない。
「ふざけるな。どっちがだ。お前の方こそ、失望したよ。これじゃあ、そこらのつまらん女と同じじゃないか」
若い美空、刺激を欲して貞操を差し出して来るような、さみしさを埋めてほしくて、そこを都合よく利用されるような。そんな、雅はそんな女ではないと信じていた。
「俺が好きだったのは、こんな女じゃ」
怒りと悔しさが濁流のように押し寄せて、何故か目頭が熱くなった。
「私になにを期待していたかは知らないけど、私だって、さみしいと思うし、そこらの女と変わらないよ。みんなそうでしょ」
雅の声音が、先程とは打って変わり、落ち着き払っていたから、驚いた。
「それに、さっきあんたが言ったこと、私も同じ気持ちだよ」
表情も無に近いそれだ。だが、彼女の切れ長な瞳の端から、頬へ雫が伝っていた。
本当に、女の涙にはいつになっても免疫がつかない。雅の首へ当てがった両手を解き、俺は少し状態を起こした。
なんで互いに求め合っているのに、結ばれることができないのだろう。世の中本当に上手くできていない。本当に欲しいものは手に入らないようにできている。こと俺たちの仲おいても言えるだろう。
「なあ、何で、何で俺じゃあダメなんだ」
雅は涙を拭った、ほんの少しの間逡巡した後、両手で顔を覆い、上擦った声で話始めた。
「あんたは、いつも、私が心の底に追いやった、忘れたい感情とか、目を背けたい現実をこじ開けてくる。目の当たりにさせる」
「あんたがバンドで成功しそうなとき、遠い存在になってしまったと感じた。あんたが夢に近づけば近づくほど、夢を語るたびに、私の汚い部分を覗き込まれているようで怖かった」
彼女にしては珍しく、感情のこもった、ゆっくりとした口調だ。
「だから、あんたとは、ずっといっしょにはいられない。そう思った」
「でも、あんたがやっと私と同じところまで来てくれそうだった。だから手を差し伸べたのに」
一呼吸置いて、彼女は言った。
「拒絶された」
話はそこで止まり、あとは部屋に彼女の泣き声が虚しく響くだけだった。
雅の話を聞いて、なんとなく理解した。この苛立ちの正体、これは同族嫌悪に近いもの。
排他的な思考も、生き方も、俺たちは表面上違うようでとても似ている。
そして彼女もきっと、人生を賭すほどに大切なものを棄てたのだろう。俺たちは根源が同じなのだ。雅の方が先を歩んでいたようだが。
俺にはどうすることもできなかった。彼女と同じような存在だから、手を差し伸べて、救ってあげることはできなかった。例えば雅が望むように、彼女と一夜だけ共に過ごしたとしても、それはただの一時しのぎにしかならない。なぜならそれは、俺が思い描く雅ではないからだ。今はただ、俺たちふたりの関係性が、ふたりが常に淘汰してきた取るに足らない繋がりだった、という事実を享受できないまま呆然としているだけだった。
ほんとうにそれだけの関係だったのか? 俺らは。わからない。ただ、雅ひとりを救い出す甲斐性が無い自分が悔しくてしょうがない。
こうなってしまっては、残された道は、ふたりが今までそうしてきたように、このふたりの関係を棄てることだった。
「ねえ」
永遠とも思えた沈黙を雅が破った。
「殺して」
彼女が放った言葉を理解するのにしばらく時間がかかった。
「殺してよ」
「さっきのやつでさ、あのまま私を殺してよ」
どういうことだ? 俺に首を絞めて殺せと言っているのか。本気で言っているのか。
「もう、私には、何もないの」
「だって、つまんないんだもん」
恐ろしいほど、淡々とした口調だった。決してヒステリックを起こしているわけでもなさそうだ。
「ねえ、早く」
雅は俺の両手を掴み己の首元へ誘おうとする。
「馬鹿か。できるわけないだろうが」
俺はその手を払いのけた。
その瞬間、また、彼女の両目から、堰を切ったかのように大粒の涙が零れ落ちる。
「じゃあ、なんで生きなきゃいけないのか教えてよ」
雅はまるで子供が駄々をこねるように泣きじゃくる。
「だって、何のために生きてるのかわからないんだもん」
「何のために頑張ってるのか、わからなくなったよ、もう」
俺には雅に答を与えてあげることができなかった。何故なら俺は彼女と同じだから。
「だから、ほら」
「殺して」
今度は雅が掴んでくる手を解けなかった。
雅の首元にまた、俺の両手が添えられる。
その瞬間、雅は笑った。無邪気に笑った。よく見せるこちらの様子をうかがった笑顔ではなく。
俺はこの表情を見たことがある。これは、俺らが高校生の頃、雅が俺によく見せていた笑顔だ。
『ほんと? 君もソラニン好きなんだ!』
『ソラニン、演奏してくれて、ありがとう!』
同時に、俺が文化祭の後、雅に告白してから、じょじょに見せることがなくなっていった笑顔だ。
いつの間にか、俺の頬にも涙が伝っていた。両肩に何かが添えられた。
「ありがとう」
雅が手元でそう言った。俺の両肩を抱えながら、あの頃の笑顔のままで。
俺の中で何かが瓦解した音がした。
こいつは雅じゃない。
あの頃の雅はもう、戻ってこないのだから。
今すぐにこの笑顔を消さなくては。
こいつは、つまらない女なのだから。
俺が部屋に連れ込んでは、抱いていた、女達のように、快感に溺れる、歪んだ表情にしなくては。
偽物だ。まやかしだ。仮初めだ。
消えろ、消えろ、消えろ。
雅は安らかに微笑んでいる。そして、なにやらたわ言のように何かをつぶやいているが、何を言っているのか耳に入らなかった。
「あの頃、のような、真っすぐ、な、瞳」
「好き、だよ――
いつまで経っても、雅の笑顔は消えなかった。
いつの間にか、両肩に触れる感触がなくなっていた。
彼女の両腕は力なくシーツに沈み込んでいた。
その瞬間だった。雅の首にまだ残されているような体温とは、また違うなにかしらのあたたかさが消失した。それは気温ではない。この部屋は良く暖房が効いている。だが限りなく近い。この部屋に先程まで取り巻いていた何かが忽然と消えた。
その気味が悪い感覚で、俺は我に返り、思わずベランダに飛び出た。
空はもう白みかけている。群青色の空に光る明けの明星が綺麗で、嫌気がさした。
雅の部屋に戻って来ると、目を覆いたくなる現実しかそこにはなかった。
その場に膝から崩れ落ちて、しばらく泣いた。
俺の予想は外れたようだった。今夜、彼女と会って埋まると思っていた喪失感は一層酷くなった。
水栓を抜いた槽のように、混濁した感情に整理がついてくると、もう心の奥では答えが出ていた。
俺も、死のう。
それからというものは自分でも不思議なくらい冷静だった。自殺に使える道具を探しにキッチンへ行ってみる。縄や、洗剤、刃物はないか。すると、すぐにまな板の上の出刃包丁が目に入った。刃渡りも申し分ない。臓器に達するほどの長さはゆうに持ち合わせている。
雅が眠るベッドの上へ戻った。死ぬのなら、ここでなければ。包丁をどこに刺そうか。切腹のように腹に突き立てるか。いや、俺にはそんな武士のような高潔な死に方は相応しくない。手首を切り刻もうかとも思ったが、今まで俺が抱いてきた女たちみたいになるのは嫌だった。だから、吸血鬼のように心臓に、この性根が曲がった心に刃を突き刺そうと思った。
肋骨に邪魔をされてはいけないからあらかじめ胸を触って、骨と骨の間を探った。自分でも恐ろしいほど冷静だった。自殺する決心ができるのなら、生きる勇気を、とよく言うが、人間、己のツケを清算するとなれば、こんなにも心が軽いものかと思った。
逆手で持った包丁の刃切っ先を、もう片方の手でこれから突き刺す箇所へはめる要に当てがった。両手で持ち直す。最後にこの世に残した未練について思いをはせてみた。やっぱり、音楽で、世の中に生きた足跡は残したかった。店長や職場の後輩には、本当に申し訳なく思う。これは決してあなたたちのせいではない。今夜の老害は死ねばいいと思う。呪ってやろうか。だけど、それらのことはもう、どうでもよかった。最後に思い浮かんだのは家族の顔だった。だけど、今夜この部屋で失ったものと比べると、全て取るに足らないことだった。
雅の顔を見やる。雅、俺はやっぱりお前に似ているようだ。最後までお前との縁を切れなかった。
俺も、好きだったよ。
刃を胸に突き刺した。鋭く焼けるような激痛が胸に走る。あまりの痛みに涙が零れる。
傷口に刺さったナイフは刃が蓋になって出血を抑えるとどこかで聞いた。それではダメだ。頭は冷静だった。
両手で握りしめた包丁の取っ手へ、さらに力を込める。力加減に呼応するように痛みが走る。
刃を食いしばる。ぼろぼろと涙が零れ落ちて胸元の血に滲む。包丁を傷口から抜き取った。
刺したときより酷い痛みが傷口に走り、思わず叫んでいた。血の飛沫が傷口から噴き出て、真っ白なベッドのシーツに、真っ白な雅の肌に飛び散る。
背筋を伝う冷や汗が止まらない。
激痛に耐え切れず傷口を両手で抑えながらベッドに倒れ込む。なんだか呼吸も苦しくなってきた。
寒い。
震えが止まらない。
視界には雅が映る。
ベッドの上を這いずりながら雅の元へにじり寄った。
息ができない。苦しい。
仰向けに眠るような体勢の彼女を抱き寄せた。
薄れゆく意識で考えた発想は、雪山で遭難したときの果てのそれだった。
雅の顔はいつもに増して色白く、俺の血が紅く生えて綺麗だ。雪が月の光を反射して輝くように、この薄明かりの部屋で、ひとつの光源となっていた。
体温が失われゆく雅の体はあたかかった。本来そう思うのはおかしいのだろうが、実際にそう感じた。悴んだ手に水があたたかく感じることに似ていた。
気のせいだろうか。雅も俺の背中へ手を回してくれた感触がした。
俺らには体温の他に、温度がある。長い間人と接さなかったり、逆に接しすぎて心がすり減ったりすると、冷たくなるのだ。その温度は決して体の交わりだけではあたたまることはない。それは真実の情でしか癒せない。仮初めの関係の馴れ合いでは一時的な慰めにしかならない。真実、それは、家族であったり、愛する人とだったり、親友であったり。なかなかこのあたたかさに頼ることは難しい。あまりにも現代には仮初めの繋がりが増えてしまったから。
だから俺たちは、凍えた体どうしで寄り添って、重なり抱き合って、必死に体温を分け合って生きているのだ。
この世には言い及ばせない温度がある。それは、マンションの窓に縁取られて漏れ出る、夜に灯る明かりのような。
ようやく雅と同じあたたかさになった。
俺たちに温度が通うことは二度と無い。
体温とは、また違う ijii @sonoeni
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