第4話 植野 丈の介護士

『白羽さん、今日の寝間着はこれでいいですか?』


『うん、ありがとう植野さん。』


19:27

白羽の居室。


白羽と話していたらすっかり時間が押してしまった。

今日も帰りが21時近くなるだろうと思われる。


しかし白羽は不安感の強い利用者で、又、それの影響で気性が激しく中々スタッフに気を許さない。


そんな彼女が僕にだけは全幅の信頼を寄せてくれている。

これが「介護士」としての最大の喜びだと思う。


彼女は糖尿病の影響で皮膚がとても弱い。

ちょっとしたことで、すぐに痣を作ってしまう。


なので彼女の入浴日は僕は全て早番にしてもらい彼女の入浴を担当している。


当たり前だ。彼女のいる大瑠璃ユニットのユニットリーダーなのだから。


同じリーダーでも神路や舟木などは「効率派」と呼ばれ、利用者に手をかけ寄り添うことをしない。


時間内に決まった業務だけこなし、訴えがあろうがなかろうが時間時間で切ってしまう。


それではダメなんだ。


十人十色なのだから個々に訴えに差が生まれるのは当たり前なのに、時間で区切ることなど本来不可能なはずなのに。


これを何度寺井主任らに訴えたか。

しかし変わらない、何も。


そして僕はある種の諦観を身につけ、自分は自分で利用者に寄り添うことにした。


何時間残業したっていいじゃないか。


利用者がいて僕等がいるんだ。


19:57

『植野さん、ちょっと喉が渇いちゃって…。』

白羽が言った。


『では、下で何か買ってきますね。冷たいお茶で良いですか?』


『そうね、麦茶がいいわ。』


僕は五千円札を白羽から受け取り、一階食堂の自販機で麦茶のペットボトルを買い、白羽の居室へ戻った。


『ありがとう。やっぱり植野さんだわ。他の人なんか「特別扱い出来ないから」なんて買い物の一つもお願い出来ないのよ?』


『それは頭に来ますね。ここのお茶はあんまり美味しくないですからね。たまには市販の物飲みたいですよね。』


『そうなの。分かってるわー植野さんは。それでね、こないだなんか所さんがね──』


時刻は20:17

その時点で退勤時間は17分過ぎていたが、利用者のスタッフに対する苦情には耳を傾けねばならない。


『ありがとう植野さん。話したらすっきりしたわ。はい、じゃあこれ今月分。』


僕は白羽から茶封筒を受け取った。


『毎回すみません。明日は僕夜勤なんで、なにか食べたいものはありますか?』


『うん、じゃあドーナツが食べたいわ。』


『分かりました、フレンチクルーラーですね?』


『さすが植野さんね。』

白羽は笑っている。


糖尿病だが、白羽はもう86だ。

食べたいものを食べさせてあげたいじゃあないか。


21:04

僕はタイムカードを通した。




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