第2話 芝 基子の介護士

今日私は二階に配属だ。

心底安心した。

季節は11月、季節感のなさから冷え込みへの対応が遅れまんまと風邪を拗らせた。

 

今から17時間の夜勤が気が重たい。


しかし鶯だろうが燕だろうが二階は訴えの少ない利用者ばかりだ。

良かったと言えば良かった。



『おはようございます。芝さん今日入り(夜勤入り)ですか?』

ナースの斉藤に声をかけられた。

色黒で小太りの男性ナースだ。


『はい、よろしくですぅ。斉藤さんは今日は日勤?』


『です。今日はちょっとマツさん熱発してて…』


聞きたくない聞きたくない。

体調が余計悪くなる気がした。


『あらー…食事は?』


『朝が主食3の副食3、昼も同じですね。夜はエンシュアでも飲まして無理せず寝かしときますか?』


『んー…なるべく食べさせます。最近体重落ち込み気味でもあるし。』

私は言いつつもナースの提案に口を挟む野に気が引けた。


しかし、そもそも私はここのナースを信頼していない。


ひだまりではナースも日によっては介護士としてユニットに入る。


そしてその業務はと言うと、蓋を開けてみると乱雑な事が多い。


やはりナースはナース。介護士は介護士なんだと思った。


利用者を患者として見てはいるが、ここで暮らす「生活者」としては見ていない。


効率を追い求めるが為に個人個人の生活に寄り添えていない人間が多いと思う。

勿論素晴らしいナースも多いと思うのだが、ウチに限っては何故か。


『あと…まあこれオフレコでって寺井さんにも言われたんですけど、田村さんまた痣出来ましたね。顔面に。』

斉藤はぼそりと言った。


『え!?またー?鶯の日勤今日誰でした?』


『緒方さんです。』


緒方ならあり得ない、そう思った。


『明けは?』



『…所くんすね。』


やっぱりか。


『はぁー…了解です。』


その後鶯、燕で正式な申し送りを済ませた。


申し送りとしては田村の痣は「原因不明、恐らく自身による寝返り時にベッド柵にぶつけた物と思われる」となっていたが、田村は胃瘻創設者であり体も拘縮が始まり、痣になるほど激しく寝返りを打てるとは思えない。


(所君…またやったでしょお?)


私は内心でそう呟いた。


所は25歳の男で中途採用で入職してきた新人介護士であり、初任者研修の資格も取り立てのペーペーである。


見た目は何処にでもいる(主に日陰に居そうな)素朴そうな男だが、彼が入職して今月で早10カ月。

 彼の関わる時間帯で既に十数件の「事故報告書」が挙げられている。


それも転倒や熱発ではなく、そのほとんどが「内出血」「表皮剥離」など外傷を伴う物だ。



馬鹿でも分かる。

「所、やったな」と。


しかしそこは所も頭の回る男なのか、毎度ターゲットとなるのは身寄りのいない利用者か家族が面会に来ない利用者なのである。


となれば、相談員や寺井主任も「今回のはいいよ。内々で。」と握り潰しやすいし、事実そうしている。


私はまず田村の居室に向かった。

額の右側に青痣が浮かんだ老婆が寝ている。


田村チエ子は89歳のアルツハイマー型認知症の女性である。


(よくこんな人を殴れるよ本当に…。)


私はつくづく呆れると同時に悲しくなった。


私は高校を出てフリーターを数年経てから介護業界にはいり、気付けば36になっていた。


経験年数的にはベテランと呼ばれる域だが、こう言った例は枚挙に暇がない。


介護は確かにストレスの溜まる仕事だが、その捌け口を利用者に向ける介護士は少なくない。


暴力とまでいかずとも、暴言、無理強いなど日常茶飯事である。


それらに嫌悪感を示すスタッフは少数派であり、陰では「人権派」と揶揄されていることも知っている。


が、ならば「人権派」から「効率派」にもの申したい気持ちがある。


「これ」が私ら人間の行き着く果てだとしたら悲しくないか?と。


田村の顔を覗き込む私の傍らにいつの間にか所の姿があった。

この男は音も無く近づき声も掛けない。コミュニケーション能力が低い男だ。


『びっくりした!』

『お疲れ様です。』

所が籠もった声で発する。


『田村さん、痣広がってますね。』

所は他人事のようだ。まだこいつがやったと確定はしていないが。


『うん…可哀想だよね。』

私は嫌悪感を顔に出さぬよう努めた。


『可哀想っすね。まあでも可哀想って言うなら胃瘻も外してあげたいすね。』

所が平坦な口調で言う。


『え?』


『胃瘻なんてあるからなんも出来なくなっても長生きさせられちゃうわけじゃないですか。僕なら口から飯食べられなくなったら死にたいっすよ。』


私は所のその言葉を聞き、殴りかかりたくなる衝動に駆られたが抑えた。


『ん…でも家族は生きててほしいかもよ?』


『家族って!家族なんて入ってから見たことないっすよ。』


確かに、田村の家族は車で30分の隣の市に住んでいるが正月くらいしか面会に来ない。



『芝さんて「介護士」ですね。』



ふいに所にそう言われた。


『え?』

そう返すのがやっとだった。


『「やさしい」っすよ。』


所のその言葉に侮蔑のニュアンスがあったかは不明だが、私は何故か屈辱を感じた。


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