第33話 真実の欠片

耳元で風がごう、と唸る。

双子。兄への復讐。ジョンズワートの言葉が頭の中で旋回する。


「おまえはなにも知らないのですね。いえ、なにも知らされていない、と言うべきか」


発するべき言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くすアサレラへ、ジョンズワートが哀れむような微笑を浮かべる。


「おまえが聖剣レーゲングスの継承者であること、これは運命などではない。アサレラが犯した過ちに他ならない。おまえはその罪をあがなわなければなりません」


「どういうことだ……!? 教えてくれ、パトリスはどうして復讐を――」


そのとき、慌ただしい足音とアサレラを呼ぶ声が、風に乗ってかすかに聞こえてきた。

戻るのが遅いアサレラを案じたロモロやフィロだろうか。だが、やけに声が高い気がしないでもない。


「また次に巡り会うことがあれば、わたしの知ることを再び話しましょう」


アサレラははっとして、逸れた意識をジョンズワートへ戻す。宙に浮いたジョンズワートの身体は、向こう側の景色をうっすらと透かして揺らいでいる。


「パトリス様はおまえの行き着く先に現れるでしょう。二つに分かたれた魂が、再び一つとなるために」


「待て、ジョンズワート……!」


「聖者どの! ここにいらしたのですね!」


ジョンズワートの身体が煙のようにふっと消えるのと、角から現れたエルマーが声を上げたのはほとんど同時だった。

アサレラはふらつく足取りでそちらへ近づいていき、目の前のエルマーをじっと見下ろした。青色の頭頂部は、アサレラの顎よりも少し下に位置している。

エルマーはアサレラの奇妙な行動に首を傾げたものの、その意図を問うつもりはないようで、安堵したように息を吐いた。


「聖者どのに伝えたいことがあって宿を訪れたら、ぼくを騙る者があなたを連れて行ったとあの方たちが教えてくださったのです。でも、ご無事でなによりで……」


視線を上げたエルマーが眉をひそめる。


「……聖者どの? 顔色が優れないようですが……」


「ここにいたのか」


背後から突然現れたフィロに驚いたらしく、エルマーは肩を跳ね上げた。そんなことを気にもとめない素振りでフィロはエルマーを押しのけて、アサレラにずかずかと近づいてくる。


「…………なにが起きたのか、話せるか」


「えっ、あ、ああ……」


どことなく気遣わしげな口調に、アサレラはゆっくりと目を瞬かせた。いつもなら、なにがあったか話せ、なんて言いそうなものだ。それほどまでに今のおのれはひどい状態なのだろうか。

ふらついたアサレラの背をフィロが押す。そこへやって来たロモロと合流し、情報を整理するため再び宿屋へ戻ることになった。当然のように着いてくるエルマーを疎ましそうに睥睨するフィロへ、アサレラは「王子にも関係があるから」と言い含めた。


朝と昼のあいだという時間帯のせいか、宿の一階の酒場にはほとんどひと気がない。奥の円卓を囲むとすぐに給仕がやって来る。

アサレラは大きく息を吐き出し、今しがた起きたことを包み隠さず打ち明けた。

次々に明かされた内情が頭の中で氾濫し、考えれば考えるほど訳がわからなくなっていく。それでも一つ一つを口に出していけば、複雑に縺れ合う思考の糸は少しずつほどけていく。


「聖王と魔王は双子の兄弟。魔王は兄への復讐のために世界を滅ぼそうとしている。そういうことだな」


混乱のせいでいまいち要領を得ないアサレラの話を、向かいに座るフィロが実にあっさり要約する。


「ああ……ジョンズワートの言ってることが本当なら、だけど……」


話をしたことでいくらか落ち着きを取り戻したアサレラは、隣に座るエルマーへ視線を移した。うなだれる横顔に青い髪が垂れ、その表情は窺えない。


「…………王子は……、知ってたんですか? 魔王の目的と、二人の関係を……」


俯いたままエルマーがぎこちなくかぶりを振る。かっと熱い激情がアサレラの内から外へ溢れ出しそうになったそのとき、斜め向かいに座るフィロが、ふとこちらを一瞥する。


「王家に都合の悪いことは知らせないまま、こいつに聖剣を押しつけたのか。……自分たちの瑕疵を認められない、いかにも王族らしい、傲慢な振る舞いだな」


ばっと顔を上げたエルマーの瞳は大きく揺らぎ、今にも倒れそうに青ざめている。


「ち……違います! ぼくは、本当になにも知らなかったのです! 信じられないでしょうけど、でも、本当なんです……!」


「…………この状況でおまえを信じる理由が、オレたちにあると思うか。アサレラに魔王を倒させて、片付ける算段でもしているんだろう」


「あ、あなたはっ……! ぼくがどんな思いでいたのか、知りもしないで……!」


「おまえの気持ちなど、オレの知ったことか」


潔白を訴える唇がわななくのを間近に見ると、いくらアサレラでも後ろめたさを覚えないでもない。


「お、おいフィロ、なにもそこまで言わなくたっていいだろ! 王子も、ちょっと落ち着いてくださいよ」


さらに言い募ろうとしていたフィロは押し黙り、エルマーは暗い眼差しを伏せて黙りこくる。再びやって来た給仕は冷え切った空気を察したのか、料理を置いてそそくさと退散した。

大皿の肉料理とスープから湯気が白く立ちのぼる。香ばしい匂いは食欲をそそるが、この状況では空腹を感じない。

あまりに静まり返っているために、賑やかな話し声や鳥のさえずりが屋外から聞こえてくる。


「…………王子の言うことは、本当だ。おそらく、だが」


沈黙を破ったのは、これまで黙り込んでいたロモロだった。


「ロモロさん、どういうことですか?」


「これはわたしの推測だが……王位とともに王家の秘密を継承される、そういうしきたりなのだろう。公にはできないが、伝えていかなければいけない知識。王位継承者にそういったものが託されるのは、なにも聖王国に限った話ではない」


「なるほど……それなら、王子が知らなかったのも不思議はない……か」


さすがにフィロも父親に意義を唱えるようなことはしなかった。ただ、不機嫌そうに髪を肩へよけ、スープを口へ運び始める。

張り詰めた空気がわずかに緩んだことで、思い出したように空腹を覚えた。アサレラは肉を頬張りながら、さりげなく隣のエルマーを見た。祈るように胸の前で両手を組むエルマーの指先は、力を込めているために白くなっている。


「…………弟が兄を恨み、兄が弟を殺すだなんて……。聖王と魔王のあいだで、いったいなにがあったのでしょうか……」


ぽつんと落ちるようなその声に、アサレラの動悸が速くなる。


「血が繋がっていても、いや、血が繋がっているからこそ、許せないことはある。魔王が抱いた恨みは、よほど強かったのだろうな」


ロモロの言葉はエルマーへの返答というよりは独り言のようだった。

なぜパトリスは、兄を恨んだ末に魔王となったのだろうか。

激しい感情が内側で渦巻く。目の前の景色が揺らぐような気がする。それを鎮めるようにアサレラは胸を押さえ、絞り出すように声をあげた。


「…………そう、ですね。けど、最初のきっかけが聖王だったとしても、おれは、魔王をほっとくわけにはいかない」


もし魔王の復讐が正当なものであったとしても、魔王の抱く怨恨にどれだけ共感できたとしても、聖者たるアサレラは魔王の所業を見過ごすわけにはいかない。


「…………パトリスはおれの行く先に現れるとジョンズワートは言った。あいつの言ったことが本当なら、おれがローゼンハイムに行くべきだと強く感じたのも、間違ってないはずだ」


「もしかして、あなたがたはローゼンハイム公国へ行くつもりですか?」


「そうですけど……」


「あれ、聖者さんじゃねえか?」


聞き覚えのある声がして、アサレラはそちらへ振り返った。

金色の髪に紫色の瞳、小柄な身体に戦斧と弓を背負っているその少女は、ウルティアの戦士リューディアだ。


「……リューディア? きみは確かローゼンハイムに行ったんじゃなかったのか?」


聖王国の国境付近で別れたとき、リューディアは公国へ行くために港湾都市ニーチェへ向かう、と言っていたはずだ。


「ん、そうなんだけど。ローゼンハイム行きの船はもう出ねえって言うからさ」


リューディアは隅に置かれた椅子を勝手に持ち出し、アサレラとフィロのあいだに割り込んで座った。


「……船が出ていない? リューディア殿、それは本当か?」


「ほんとほんと。で、とりあえずドナウまで来たんだけどさ」


これからどうすっかなあ、と言いながらリューディアは肉にナイフを突き立てている。


「ぼくも今、それを申し上げようとしていたのです」


エルマーが身を乗り出す。


「七年前、魔王に襲撃された公国の援助のために、わが国は騎士団を派遣しました。ですが、騎士たちを乗せた船は海底へ引きずり込まれ、誰も帰っては来なかった……おそらく海に潜む魔物の仕業です。あれ以来、聖王国と公国の往来は途絶えました」


激情を抑えているためだろう、エルマーの声はいやに固い。


「けど、じゃあ……おれたちはどうやってローゼンハイムに行けばいいんだ……?」


ローゼンハイムへ行くには、マドンネンブラウのニーチェとローゼンハイムのポーティアのあいだを往復する船に乗らなければならない。思わぬ形で進路を断たれ、アサレラは必死に頭の中で大陸地図を描いた。


「サヴォナローラから行くしかない……かなり険しい道のりになるだろうな」


ローゼンハイムと陸地で接している唯一の国が、マドンネンブラウの東に位置するサヴォナローラ王国だ。広大なサヴォナローラの砂漠を進み、聳え立つラ・ロッサ山脈を越えた先に、氷雪の大地ローゼンハイムがあるのだ。

海路が使えない以上は陸路で行くしかない。ロモロの言うとおり、難行苦行を強いられる旅になるだろう。


「かつて聖王もサヴォナローラからローゼンハイム入りを果たしたそうですから、ぼくたちにだってできるはずです」


「だといいですけど、……ぼくたち?」


「聖者どの。ぼくもあなたの旅について行きます」


アサレラは驚いてエルマーをまじまじと見返す。

決然とアサレラを見上げる金色の瞳は、もう翳りを帯びてはいなかった。


「王宮に帰れ」


アサレラが答える前にフィロが吐き捨てた。


「聖者どのならともかく……、あなたに言われる筋合いはありません!」


エルマーが腰を浮かして食ってかかる。フィロは苛立った素振りを隠すこともしない。


「待て! おれが決める」


フィロがさらなる応酬を繰り出す前に、アサレラは反射的に立ち上がった。

青緑色の目と金色の目が、揃ってアサレラを見る。


「王子と行くかどうかは、おれが決める。それでいいな?」


「ああ、それがいい。キミが決めてくれ、アサレラ殿」


ロモロに頷き返し、アサレラはエルマーに向き直った。


「その前に王子。外へ来てくれませんか。王子に訊きたいことがあるんです」


「この場では話せないことなのですか?」


「確認したいことがあるんです。王子におれたちと一緒に来てもらうか、これで決めますから」


探るような眼差しを向けてきたエルマーが、やがて得心したように頷いた。


「…………わかりました。外へ出ましょう」

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