第12話
大分雪が深くなってきた。
(やっぱり、ヨールカに寄らずに氷宮殿に向かうのは、無茶があるか)
何事にも先達はあらまほしきことなり。
先人の偉大さを噛み締めつつ、マックは足を速める。足がぱんぱんだ。とにかく、一刻も早く、ブーツを脱ぎたい。
「――なあ」
ふいに、ダーティが口を開いた。
「ん?」
「カールとさ、何の話をしてたんだ?」
「なんだ? あのとき起きてたのか?」
「いや、起きてたわけじゃないけど……」
足がとられる。慣れない雪道に、マックは思った以上に苦戦している。
「大した話じゃないさ」
微笑んでマックは言葉を濁す。
ご期待に添えなくて申し訳ないが、本当に大した話はしてない。いや、カールがさせなかったというべきか。
「年を感じるわあ。ミーシャ隊長の息子が、もうあんなに大きくなったのねえ」
「わかるか?」
半ば揶揄するかのように、マックは言う。
「そりゃわかるわよ。あんたの御贔屓で、しかも“視える”ときたら、もうそれしかないでしょ」
ワインをくゆらせ、カールの赤い唇が大きな弧を描く。
「エルは感慨深いでしょうね。あたしたちの中で一番、隊長を慕ってたから」
「ああ、まあな」
少し赤らんだ魅惑的な顔。夜の彼女は好きだと、マックは思う。
「――で」
彼女はいきなり切り込んできた。
「あんたはお兄様に何を吹き込まれたて来たの?」
「参ったな」
ちっとも参ってなさそうな口調で、マックは言った。
「おれたちを――というよりおれを引き留めた理由はそれか? カール」
隣の部屋に目をやる。ダーティは、もう眠っただろうか。
「ふふ」、カールは楽しそうに笑った。
「大胆な割に臆病。あいかわらずね、ユージーンは」
「まったく、ご立派な男だよ」
嫌み混じりの言葉に、幼なじみは優しくフォローを入れる。
「必死なのよ。リリ家を守ろうと」
(守るほどの価値ある家かねえ)
口には出さない。話すべきことは、別にある。
「――で、本当のところはどうなんだ?」
「何が?」
グラスをくるくる。跳ねる赤い水面を、カールは楽しそうに見つめている。心なしか、ほほが赤い。酔っているのか、喉まででかかった言葉を、マックは口にしなかった。
「『アンナとバルバザン』だよ。あれ、どこで手に入れた?」
「言ったじゃない。ローリで見つかったの」
「誰が見つけた?」
いたずらっぽい顔をして、カールは言う。
「ひ・み・つ。言ったら、迷惑がかかるから」
「誰に?」
カールは少女のように愛くるしい笑顔になる。答えない。
「わかった。じゃあ、質問を変えよう」
優しい父親のように、マックは言った。
「あのリジストリィ・ボルダって若いのは、どこから連れてきた?」
「連れてきたわけじゃないの。一年ほど前、ふいに現れたのよ。あの絵を持って」
驚きが顔に出たことが、自分でもわかった。カールが、あわてて口に手をやる。
「やだ。うっかり」
「どういうことだ? あの若いのが、あの絵を持ちこんだのか?」
カールはいたずらを叱られた少女のような顔をする。
「あたしがしゃべったって言わないでよ。そう。突然あの絵を持って現れて、言ったの。雇ってくれって」
「一年も黙ってたのか。あの絵のこと」
「だってさあ」
いままでの少女はすっかりなりを潜め、カールは獲物に飛びかかる女獅子の形相で言う。
「本物かどうか、わかんないじゃない?」
マックは確信する。カールは嘘をついている。隠している。だが、リジーが絵を持ってきたことは真実だ。では、どんな嘘をついている? 何を隠している?
――わからない。
「カール」
幼なじみとして心配している。その思いを、声音にこめる。
「君は何を望んでいる? 何を考えているんだ?」
カールは、困ったように微笑んだ。
「いやあねえ。マック」
心配なんて、しなさんな。彼女の声には、まるで母親のような優しさが溢れている。
「あたしの望みはただ一つ。愛すべき美術品たちが、多くの真実を明らかにしてくれることよ。――すべてを、ね」
彼女の言葉が、マックの中にこだまする。
カルチェロッタ、カルチェロッタ。
愛すべき幼なじみよ、偽りの君よ。
「――なあ」
「なに?」
「あの、リジーってやつのことだけど」
唐突に変わった話題に、ダーティは戸惑いながら「うん」、と返事をする。
「大分、“喰われて”るな」
「……うん」
ダーティの表情が暗くなる。だが、確かめておかなければならない。彼のことを聞けば、幼なじみの心も見えてくるかもしれない。
浮かない顔のダーティに気づかないふりして、マックは言った。
「いつからだ?」
「五年ほど前」
ダーティにしては少し口が重い。ぽつりぽつりと彼は話をする。
「リジーが魔力変質にかかったのは、リジーが十五のとき。ハーディは十二だったかな。発病した朝は、ジムおじさんもおれの親父もいて、ちょっとした騒ぎになった」
あの日のことは、よく覚えている。なにせ、前日の夜まではプラチナ・ブロンドだった彼の髪が、突然黒に変わってしまったのだから。最初のうち、リジーは病気をみんなに隠そうとした。髪は染めたのだと言って。
「魔力変質ってさ、変質って言うけど、実際は不治の病じゃん。リジー、けっこう荒れたみたいでさ。ジムおじさんとハーディ、けっこう大変だったみたい」
魔力変質とは、持って生まれた魔力属性が、突然と変わる病だ。まず、髪の色が一夜にして変わる。手足に蔦のようなあざが走り、これが心臓に到達すると、死ぬ。
人によって多少の差異はあるが、蔦が心臓に達するまでの期間はおよそ十年。
詳しい原因は不明。治療法はおろか、進行を遅らせることもできない。確率的には百万人に一人という奇病である。
「発病した翌年に、急に姿を消しちまってさ。後を追うように、ジムおじさんも旅に出ちまって……」
マックは、ハーディの顔を思い浮かべる。
(あんな泰然とした顔して、意外と苦労してんだなあ、あいつ)
人は見かけによらないと言ったところか。
マックは思考を元に戻す。
寿命が確定してしまうのは恐ろしいが、魔力変質には思わぬ副産物もある。それは、魔術や魔法論式の技術が飛躍的に向上すること。世界で最もなるのが難しいと言われている美術復元師にリジーがなれたのも、皮肉なことに、自身の不治の病のおかげというわけだ。
「昔からあいつ、絵はうまかったのか?」
「うん。うちの村の墓守のじいさんが絵がうまくてさ。その人に習ってた。小さいころから、絵描きにはなりたかったみたい」
「ふーん」
マックはまた考える。
(だからと言って、むやみやたらに命を縮めるようなことに、賛成ができるわけじゃないがな)
魔術や論式を行使すればするほど、魔力変質は進む。
カールは無論、知っているだろう。
では、リジーは。
――知っているのか? 彼。
――もちろん、知ってるわよ。
本当だと、信じたい。
敬愛すべき長兄の顔を思い浮かべる。
彼はすべてを疑っている。
カルチェロッタも。王位簒奪の真相も。ダーティも。
頭に響くは、兄の蔑み。
――おれの好きな言葉を知っているか。それはな、一石二鳥だ。
もちろん知ってるよ、兄さん。
真実のため、リリ家のため、ひいては国家のためか?
あんたは本当にご立派な野郎だよ、兄さん。けどな、自分だけが嘘つきだと思わないことだ。器が知れるぜ。
「マック?」
はっと我に返る。
「わりい。何でもない」
「そうか? マック、何だか変だぜ」
未来ある若者の純粋さは、時として、大人を残酷に貫く。
「……三十路も近くなるとな、ぼうや」
マックの中に確かに存在するわだかまりは、
「やんちゃだったあの頃を思い出して、青少年の健全な育成ってやつを真剣に考えざるをえなくなるのさ」
美しい言葉を、わずかに汚した。
「さ、急ぐぜ」
村はもうすぐだ。
マックは気合をいれて、重たい膝をぐいと持ち上げた。
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