第11話
「こんなしけた店、二度と来ないんじゃなかったの?」
『うるせー』
また光モミノキの森の連中にちょっかいを出して、返り討ちにあったのだろうか。カウンターの上で丸くなって、ハーディを見上げるランナウェイには元気がない。
ふと、ハーディは言った。
「ねえ、ランナウェイ」
『何だよ』
「もしよかったら、ここに住まない?」
ランナウェイが、片目でちらりとハーディを見上げる。
『魔獣は取り扱わないんだろ』
「誰が売りモノにするなんて言った? ここに住まないかって聞いてるんだよ」
ランナウェイは黙って頭を振る。
『嫌だね。オレは一人の気ままな暮らしが性にあってる』
「寂しがり屋のくせに」
薄く笑うハーディに、
『うるせー』
ぶっきらぼうに、答えるランナウェイ。と、突然その両耳がぴんと立った。
「? ランナウェイ?」
『またな! ハーディ』
素早くカウンターから飛び降りたかと思うと、ランナウェイはそのまま店の外へ飛び出して行った。ハーディは入り口側にある窓に近づく。小さくて白いランナウェイの体は、あっという間に遠ざかって行った。
(どうしたんだろ?)
ぼんやりと窓の外を見つめ続けていたハーディの目が、黒い点を捉えた。
はっとする。急いでカウンターに戻る。
『ハーディ?』
マドゥカの声に答える暇もない。
――ドンドン。
荒々しいノックの音がした。
「どうぞ」
ドアが開く。入ってきた男は、あいかわらず気難しい顔をしている。
ハーディはためらうことなく、灰色の表紙の本を取り出してみせた。
「これが、レティア・モリガンのスクラップ・ブックです」
男は手荒く本を取り上げ、ページをぱらぱらとめくり始める。
鋭い眼差しが、ハーディに向けられた。
「――これが、レティア・モリガンのスクラップ・ブックか?」
「はい」
「本当に?」
嘘をつく必要はない。ハーディは、素直に答える。
「はい。そうです」
難しい顔でスクラップ・ブックを眺めていた男は、唐突に尋ねた。
「これはどこで手に入れたものだ?」
「気になりますか?」
男のまなじりが吊り上る。ハーディは臆することなく、言った。
「入手経路を詳しくお話しすることはできません。ただ、ある女の子から、とだけお伝えしておきます」
これでバッカスの希望通り、ミンディに危害が及ぶことはないはずだ。
「……女の子」
考え込んだ様子の男は、ややあって言った。
「手間をとらせたな。ありがとう」
「いえ」
「代金は……」
「最初に買い取ったあれが、思ったより高値で売れましたのでけっこうです」
「そうか」
答えて男は背を向ける。出て行こうとした男の足が、ふと、止まった。
「そう言えば、常冬の女王というのが、どこにいるか知ってるか?」
「常冬の女王?」
ハーディは驚いたふりをして、こう答えた。
「ここから東に五ダリュコーほど先、氷宮殿にいるとされている女王ですね。もっとも、ぼくは会ったことがありませんけど」
「――そうか。邪魔したな」
今度こそ、男は出て行った。
「……ふー」
ハーディは大きなため息をつく。
待っていたように、エリーがひょいと顔をのぞかせた。
「お客さん、帰った?」
「――うん」
答えながら、ハーディは思った。
(珍しいな。エリーがお客さんに興味を持つなんて)
「あの本、持って行ったんだね」
「うん」
またまた珍しいことが起こった。エリーが商品に興味を持つとは。
「急にどうしたの?」
無邪気にエリーは答える。
「うん。あれ、存在分割法でできてたから。あれは親じゃなくて、分かれた方、つまり子どもだけど、ハーディがいつまでも持ってるのはどうかなーと思ってたからさ」
「存在分割法?」
聴き慣れない言葉を、ハーディはそのまま繰り返す。
「存在分割法――またの名を、集積極大魔法。もともとは魔力の少ない人間でも、魔術のストックを作れるように開発された魔法なんだけどね」
エリーは尋ねた。
「もっとも有名なのは、ブルウォングが作ったと言われているバララカ・バルルカっていう大砲。知ってる?」
「うん」
約五百年前、ここから東にあるヴォルク・ジェーヤ大陸で使用された兵器の名前だ。七国家の一つ、キン・エレフォンを七日七夜焼き続けた『業火の夜』を起こしたとして悪名高い。
「バララカ・バルルカを例にとると、仕組みはこう。ある一つのアイテム――この場合は大砲だね。それに、あらかじめ存分割法をかけておく。それに、火の魔術、もしくは魔法を次々にかけていく。ある一定の魔力容量を超えると自然にアイテムそのものがコピーされ、それにさらに魔術、魔法をかけるということを繰り返していく」
ハーディの頭の中で、大砲がずらりと並んでいく。
「もちろん、コピーはコピーで単独での使用も可能なんだけど、この魔法が最大の威力を発揮するのは、それがもう一度、一つに戻ったとき」
「……」
「存在分割法の真の恐ろしさは、そこにある。一つに戻ったとき、その威力は単なる足し算ではなく、相乗効果。それゆえ、集積極大魔法と呼ばれる。――ただし」
エリーが困ったような顔で言った。
「あれは正直、よくわからない」
「わからない?」
エリーはうなずいて続ける。
「普通、存在分割法はある意図をもって、特定の属性、もしくは、特定の魔術を集めるんだ。さっき言ったバララカ・バルルカは火の魔術。これは明らかに相手を攻撃するためのものだけど、例えば、ロック・ウォールの魔術を込めれば、いざというときの防壁として使える。でも、あのスクラップ・ブックは違う。あれはね、『死ねてよかった』っていう思いを集めている本なんだ。だから、結果として集められている属性も魔術も、みんなバラバラ。一旦開法されると、どんな強力な魔術になるのか、威力も影響もまるで想像がつかない。だから、ハーディがあまり長く持っているのは、正直心配で」
ハーディは、ふと尋ねた。
「ねえ、エリー。もし、それの親を持っている子がいるとしたら、エリーならどうする?」
考える間もなく、エリーは言った。
「ぼくなら、うまいこと言って取り上げちゃうかな」
「その子に、スクラップ・ブックを開法するような力はないとしても?」
「……うーん」
困ったように首を傾げて、エリーは言った。
「あれが、不幸な人たちの一生をただ眺めるだけのために創った、そんな悪趣味な本だって言うなら、それでかまわないんだ。ただ、もしもっと違った意図が込められていたとしたら――とても、その子には止められないと思う。――それに」
エリーは、衝撃的な言葉を口にする。
「あれを創ったのは、多分人間じゃないと思うし。さっきのお客さんもそうだよね」
「――え?」
「気づかなかった? さっきのお客さん、聖霊だよ」
「聖霊? あれが?」
「うん」
スクラップ・ブックを調べた時の、男の、どこか不満げな様子を思い出す。
ハーディはおもむろに立ち上がった。
「ハーディ?」
「ぼく、ちょっと行ってくる」
やっぱり、まずい気がする。ミンディが心配だ。
「マドゥカ、エリー、留守番よろしくね」
入口にかけてあったコートを手にとる。急いでそれを羽織るハーディに、「あ、待って」とエリーが声をかけた。
「これ、念のために持って行って」
エリーが差し出した黄金色の本。そのタイトルは。
『
「ぼくが必要なときには、この本に向かってこう言って。『
「――わかった」
本を懐にしまう。
降りしきる吹雪の中、ハーディは一歩を踏み出した。
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