第3話

 入って来た人物を見るなり、ハーディは目を丸くした。

 性別は男性。輝くような金髪と青い瞳。高貴にして、高慢そうな顔立ち。背はそんなに高くない。

 ただ、その男性のすべてが、この店にもこの島にも不釣り合いだった。

 まず、雪だというのに、紫のマント一枚。しかも、この紫はおそらく、もう絶滅したと言われている紫巻貝で染められたものだろう。そして、そのマントを飾るいくつもの勲章に使われている宝石は、その色のくすみ具合から、少なくとも百年は経過している年代物だ。しかし、男は明らかにこれらの物を纏うことに慣れていた。時代錯誤のそのすべてがじつに板についている。

(一体、どこの貴族だろう?)

 少なくとも、このジマーに住む貴族ではない。王都グラザーでも昨今、こんな貴族らしい格好をする貴族はいないのではないか。

 が、一方でハーディはこうも思う。

(何だろう? この人、どこかで見たことあるような……)

「お前が店主か?」

 カウンター前に来た男は、だしぬけに尋ねた。

「あ、いえ。ぼくは店主代理です」

「ふうん」

 男はじろじろとハーディを見る。人を値踏みすることに、慣れている視線だ。

 ハーディは次の反応を待つ。

「若いな」

 鼻を鳴らして、男は言った。マドゥカの声が聞こえる。

『なんだい。この失礼な男は』

「マドゥカ、しっ!」

 つい、いつもの口調でマドゥカを叱ってしまった。男が訝しげな顔をする。

「何だ?」

「いえ、何でも」

 急いでハーディは言った。人に聴こえない声が聴こえると、こういうとき辛い。

「……まあいい」

 幸いにも、男は関心を持たなかったようだ。さっそく、用件を切り出した。

「レティア・モリガンのスクラップ・ブックはあるか?」

「レティア・モリガンのスクラップ・ブックですか?」

 ハーディは決して“愚鈍な”少年ではない。が、端から見ていて、充分愚鈍に見える反応をしてしまったことには、もちろん、理由がある。

 まず、レティア・モリガンのスクラップ・ブックは、見て楽しめるものではない。

 次に、この男はまちがっても歴史好きには見えない。

 その二点が、ハーディに即答をためらわせた。

「で、あるのか、ないのか?」

 男が苛立ったように言う。

 気性の激しそうな顔立ちどおり、せっかちな性質たちらしい。

「あ、すみません」

 思わず謝ってしまった。男はますます苛立ったような顔になる。ハーディは、彼らしくもなく、あわてた口調で言った。

「ただいま、当店でその商品の取り扱いはございません」

「そうか」

 男はあっさり背を向ける。

 ハーディはさらにあわてて言った。

「待ってください。レティア・モリガンのスクラップ・ブックは、そう簡単には手に入らないと思いますよ」

 男が足を止める。振り向いて、彼は尋ねた。

「なぜ?」

「えっと……」


・見ていて楽しくないので、欲しがる人が少ない。

・どれが原版か、よくわかってない。

・歴史的価値がよくわからないので、値段がつけにくい。


 代表的な主な理由の三つから、ハーディが最終的に選んだ理由はこれだった。

「金銭的な価値がよくわからないので」

 男は、よくわからないなという顔をしている。

 ハーディは、せっかちでプライドの高そうな男に合わせた、せっかちな説明を始める。

「ぼくたち商人は、商品に金銭的価値をつけて、流通をさせることが仕事です。レティア・モリガンのスクラップ・ブックは、不幸な人生を歩んだ人の一生を砂絵で描いた本ですが、題材に用いられている人々は貴族や高い地位にあった人たちではなく、この人たちが実際に生きていたのか、それとも、レティア・モリガンという女性の創作なのかが、まず、はっきりしていません。つまり、歴史的価値がわからないので、積極的に研究しようとする人が少ない。また、模造品も多く、どれがオリジナルかもわかっていない。だからと言って誰もが欲しがるような綺麗なものでも、楽しいものでもない。研究にも娯楽にも利用できないものを、商人としては扱いようがないんです」

 男が冷笑を浮かべる。彼は、ひとりごとのように呟いた。

「何事にも半端だな。じつに、あの女らしい」

(あれ?)

 ハーディは思った。

(まるで、レティア・モリガンを知ってるみたいな言い方だな)

 レティア・モリガンのスクラップ・ブックは、その目的もさることながら、それ以上に作者本人が謎とされている。大体、男か女かも、わかっていないのだ。

(ひょっとして……血縁者か何かかな)

 だとしたら、さっきの説明の仕方はまずかったかもしれない。自分の偉大なる――か、どうかはわからないが、先祖をバカにされて気持ちのいい人間はいないだろう。

 内心ひやひやするハーディ。だが、男が見せたのは意外な反応だった。

「それは他の所でも言われた」

 正直、驚いた。

(他のお店の人たち、この人見て、どんな反応をしたんだろう)

 ちょっと確かめてみたい気もするが、さすがにそれは失礼というものだろう。

「いくつか大きな店を回ってみて、ひょっとして、ここならと言われて来たんだが」

ハーディはますます驚いた。と同時に、この男は、やっぱり王都から来たのだろうかと思った。確かに、商品的価値のない商品を置くような物好きな店は、国広しといえども、ここしかない。

「邪魔したな」

「あ、待って下さい」

 踵を返そうとした男の足が止まった。その顔にはこう書いてある。まだ何か?

 うっとおしいなという表情の男にかまわず、ハーディは話を再開した。

「一週間、時間をいただけませんか?」

 男の表情が、驚きに変わった。

「一週間?」

「はい」

 ハーディは一週間の根拠の説明を始めた。

「今度の日曜日、この先の村、ヨールカという村ですが――そこで、今年初めての市が開催されるんです」

 春の市は、ヨールカ村最大の祭りだ。開催は、毎年四月の第三週の日曜日。クジラ漁解禁時期であることも手伝って、ここでしか食べられないクジラ料理目当てに集まってくる金持ちや、貴族も多い。

「市には、あちこちに旅に出ていた商人たちも戻ってきます。もしかしたら、スクラップ・ブックを持っている人がいるかもしれません」

男は腕組みしたまま、黙っている。ハーディは、なおも食い下がった。

「たとえ持っていなくても、スクラップ・ブックに関する情報を持っている人くらいはいるかもしれません。どうか、お願いします」

 言いながら、ハーディは内心首を傾げた。

(なんでぼく、こんなに一生懸命になってるんだろう?)

 正直、あまり自分らしくない。

 が、なぜだろう。この男、何か引っかかる。

 何かこのまま帰してはいけない気がする。

 男は難しい顔をしたまま黙っている。沈黙が流れていく。

「……」

「……」

「……あの」

「わかった」

 たまりかねて口を開いたハーディの言葉と、男の返事が重なった。

「え?」

 男はすでに決定したかのような口ぶりで言った。

「一週間だな。わかった」

 どうもこの男、人の話を聞くということをしないようだ。ハーディの返事も待たずに、すでに話は次のことに移っている。

「近くに泊まれる所は?」

 ハーディはてきぱきと案内する。

「ここから二ダリュコーほど南に行ったところに、先ほど申し上げたヨールカがあります。雪の中でも、一際明るく輝いている一本の木が見えますので、それを目指して行けば、一時間以内にはなんとか着けるかと」

「そうか」

「あの!」

 男の足を止めるのは、これで三度目だ。男はさすがにうんざりした顔をしている。

「あの……よろしければ、耳につけている、その石をお売りいただけませんか?」

 男が自分の右耳に手をやる。

「これか?」

「は、はい」

 男は、なぜこんな物を? という顔をした後、気を取り直したようにこう言った。

「いいだろう。代金の代わりに渡しておく」

「い、いえ。三万ロト、すべて銀貨でお渡しします」

 ハーディは急いでお金の入った箱を空ける。九十枚の銀貨と、ついでに、アザラシのコートを差し出した。

「? 何だ?」

 目立ちすぎるという忠告は、ここまでに留めておいた。

「冷えますから」

 男はハーディとコートを交互に見比べる。ややあって、男は言った。

「ありがとう」

「では、一週間後に」

「わかった。吉報を待ってるぞ」

 素直にコートを羽織って、男は出て行ってくれた。

 ――バタン。

 一分、二分、三分……。時間が経過する。

「はあ」

 ハーディは大きく息を吐いた。

 同時に頭上が揺れる。マドゥカが、ため息をついたのだ。

「……なに?」

『いやね』

 マドゥカはあきれ半分、嫌みが半分という絶妙な比率で話を続ける。

『あんたもたいがい、お人好しだねえ。わざわざ宿代とコートを用立ててやるなんてさ』

「だって、あの人、お金は持ってなさそうだったし」

『それにしたって、あんた』

「ちゃんと商売はしたよ。この石だって、ほんとは十倍の値段がつくんだから」

 ハーディの言葉に嘘はない。そして、別に安く買い叩いたわけでもない。

 レティア・モリガンのスクラップ・ブックの情報を集めるために、一体いくらかかるか。いわゆる、調査費用というやつだ。

『血筋かねえ』

 しみじみとマドゥカは言った。

 ハーディは、ちょっと不満な顔をする。マドゥカの言葉は、明らかに『あたし、あんたのそこはいけないと思うよ』の意だ。思わず、呟く。

「別にいいじゃん。お人好しだって」

 ひとりごとのつもりだったが、これがいけなかった。

『よかないよ!』

 途端にマドゥカの怒鳴り声が響いた。ハーディは思わず首をすくめる。

『大体ね、ハーディ! あたしゃ、あんたがこの店の店主代理を務めることだって、本当は反対なんだよ! あんたの父さんといい、兄さんといい、こんな幼気な子をほっといて、一体どこほっつき歩いてるんだか! ハーディ、あんたのじいさんならね、ええ、まちがったって、こんなことはなかったさ!』

「……そんなこと言われても、ぼく、おじいちゃんのこと知らないし」

 このマドゥカを構えた初代店主である祖父は、父と母の結婚後、すぐ亡くなったらしい。父曰く、ハーディの黒い髪は、祖父ゆずりとのこと。ちなみに、父は見事な銀髪。母と兄のそれは、プラチナ・ブロンドだった。

『いいかい? 確かにお人好しは悪くない! 悪くはないよ? けどね、ハーディ、あんたがやってるのは商売なんだよ! 若い上にお人好し! だまされる条件、そろいぶみじゃないさ!』

 マドゥカの愚痴は止まるところを知らない。ハーディは一応の反論を試みる。

「……だから、ぼく、まだだまされたことは」

『ああ、あんたにもしものことがあったら、あんたの父さんに、あたしゃ、なんて言えばいいのかね?』

 だんだん聞くのが面倒になってきた。で、ハーディは言った。

「何も言わなくていいと思うよ」

 本気でそう思う。

「お客さん、帰ったの? というか、どうしたの? マドゥカ。大きな声出して」

 マドゥカの声に驚いたのだろう。隣の部屋にいたエリーが、顔をのぞかせた。

 ハーディは事もなげに言った。

「何でもない。いつもの愚痴」

「そう」

 言ったエリーが、わくわくした顔になる。

「どうしたの?」

「じゃーん!」

 エリーが自慢げに取り出したものは、鍋だった。ハーディは思った。

(あ、忘れてた)


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