第2話

 ――バンッ。

 荒々しく開かれたドアの音と、

 ――どかどか、どかどかっ。

 という荒々しい足音。

 音を鳴らした張本人は、ダートハルト・ハリオット。愛称ダーティ。

ハーディの幼い頃からの親友で、毎晩当然のようにここでご飯をすませて、気が向けば泊まっていく、半ば家族。夢は、父を超える召喚獣売買人になること。そのために、いまは日夜、修行、修行の毎日のはずなのだが。

「これ!」

 興奮のあまり息を弾ませている彼は、夏でもないのに全身ずぶ濡れだ。

 ずいっと差し出された彼の両手にすっぽりとおさまっているもの。

 それは、土兎ムーン・ドレイド

 体と同じくらい長い耳が垂れていることから、通称はタレウサギ。属性は土で、毛並みは普通、茶色。満月の夜には、一族総出で歌い、踊り、飲む。あとは穴掘って逃げるか、泥団子を作ってぶつけることくらいしかできない、戦闘ではあまり役に立ってくれない魔獣。でも、とにかくかわいいので女性や子供には大人気。

 だが、このムーン・ドレイドは一味違う。

 まず目が吊り目がちで、かわいくない。しかも毛が金色。おまけに。

「ただいま」

 ――しゃべる。

「お帰り」

「買い取ってくれ!」

 ハーディとダーティの声が重なった。

「――せっかくですが、お客様」

 落ち着き払った声で、ハーディは言う。

「当店では、凶暴なタレウサギ、及び、剣術指南役は買い取ることはできません」

「なんでだよ!」

「……なんでって言われても」

 憤るダーティを尻目に、グラッセはちょこちょこハーディに向かってくる。

「ハーディ、今日の夕飯は何だい?」

「うん。鹿肉のスープにしようと思ってさ。いま、エリーが鍋を見てる」

「……エリーが?」

 途端にグラッセがたじろいだ。あわてて、ハーディが言う。

「だ、大丈夫だよ。余計なことはしないで、見てるだけでいいからって、きつく言ってあるし、それにマドゥカが……。ねえ?」

 同意を求めて、天井を見上げたハーディ。静かに、マドゥカは言った。

『――ハーディ』

「ん?」

『すまないね』

「――え?」

 意味を問うまでもなかった。

 ばたん、とやけに大きな音を立てて、奥への扉が開き、どう見ても絶世の美女にしか見えない美青年が現れる。白い顔に赤いものを散らした彼は、満面の笑顔で叫んだ。

「できたよ! 名づけて、鹿肉のスープ、トマトスペシャル!」

 名前だけ聞くとそれなりにおいしそうだが、大きな銀の鍋を抱えた彼の姿は、食欲より恐怖をそそる。膝まである長い黒髪、黒いローブ。そして、細い両手首を鎖で繋いだ黒枷。

 どう見ても、怖い。

 もし小さな子供がこの姿を見たら、まちがいなく火がついたように泣き出すだろうし、大の大人でも、夜には絶対お会いしたくない人だ。

ハーディは、全身黒くて白い、ところどころ赤い人に近づいて、鍋をのぞき込む。

「……」

 元は張りがある丸だっただろう物体が、ぶよん、といくつも浮かんでいる。

「エリー」

 鍋をそっと受け取って、ハーディは遅すぎるアドバイスをした。

「次は、トマトを潰してから入れるといいよ」

「あ、そっか!」

 グラッセが思わずぼやいた。

「……エリー。君、本当に料理の才能だけは、ないね」

 エリーは目をぱちくりさせる。彼は心底驚いたように言った。

「ええ? そうかなあ?」

「うん」

 グラッセの言葉に、ハーディとダーティはそろってうなずく。

 しかし、余分な材料がない以上、辛抱してこれを食べるしかないわけで。

「……食べよっか」

「……うん。でも、その前に着替えたほうがいいよ、ダーティ」

 ハーディのすすめどおり、着替えて席に着いたダーティは、さっそく愚痴をこぼし始める。

「大体、グラッセは教え方が荒いんだよ!」

 グラッセはあきれたようなまなざしでダーティを見る。ごっくんと喉を上下させ、彼は言った。

「教えるったって、どうやって教えるんだよ。簡単じゃないか。足の裏に魔力を集中させる。それだけで、普通、水の上くらい走れるんだよ。むしろ、なぜそんなに器用にできないのか、教えてもらいたいね」

 グラッセは、うんざりした顔になる。なかなか見ものだな、とハーディは思った。ウサギのうんざりした顔だなんて。

「だから! 集中が続かないんだって!」

 グラッセの目が三白眼になった。怒っているのではなく、あきれているのだ。

「だったら、集中力が続く間に走ればいいじゃないか。君より魔力容量の少ない子は、みんなそうしてるよ」

「だから! それができないんだって! 大体、グラッセの言う『魔力を集中して、薄い板を作って、その上を歩く』って、どんな感じだよ!」

「はあ」

 立ち上がって、グラッセは「やれやれ」、とお手上げのポーズをとる。妙に人間らしいこの仕草がまた、余計にダーティの怒りを煽る。

「言っとくけどね。それ以上言いようなんかないよ。属性反発に関しては」

「だからって、理由も言わずに、凍った池の上を歩いてみろはないだろ!」

ダーティも短気だが、この金色ウサギも負けず劣らず短気だ。今日は本当にころころと彩が変わる目をむっと吊り上げて、グラッセは叫んだ。

「君みたいなバカには、理論より実践だと思ったんだよ! ちゃんと属性反発を続けていれば、氷が溶けても池に落ちることはないんだよ! それが何だい? 氷にちょっとヒビが入ったくらいで動揺して……。大体、火であぶれば氷は溶ける! 当たり前じゃないか!」

「だから、ちゃんと説明してから……」

「説明したって絶対わかりっこないよ! このバカ!」

「誰がバカだって!?」

「君だよ!」

「うるさい! バカ師匠!」

「バカ師匠とは何だい! これだから最近の若い者は!」

「うっさい! バカバカバカバカ!」

 いつまでもたっても終わりそうにない。たまりかねて、ハーディが割って入った。

「二人とも」

「……はい」

「食事中だよ。もっと静かに」

 二人は恥ずかしそうに答えた。

「……はい」

 二人が静かになったのを見計らって、ハーディは切り出す。

「ねえ、ダーティ」

「うん?」

「さっきの属性反発もそうだけどさ。近頃、グラッセと何の修行をしてるの?」

 かちゃん。

 ダーティがスプーンを置いた。

「……そのことなんだけどさ、ハーディ」

「うん」

真剣な顔で、ダーティは言った。

「おれ、王都に行く。『王の剣(ミエーチ)』になる」

「――え?」

 ハーディの発した『え?』には、『本当に?』と『突然だね』、この二つの意味が込められていた。

『王の剣』

死者の霊である死霊と魔霊を操り、その魔術を行使する者。また、その剣技をもって王に尽くす、王直属のエリート魔剣士フィフタバリシチクたち。

「どうして?」

「――うん」

 ダーティは鹿肉のスープをかきこみながら、歯切れ悪く言った。

「ちょっと、いろいろ思うところあって」

「大丈夫だよ、ハーディ」

 鼻ごと突っ込んでいた皿から顔を上げ、グラッセが振り向く。

「ダーティのことは、ちゃんとぼくが面倒みるからさ」

 テーブルの上、両手で抱えられるほどの小さな金色のムーン・ドレイド。

 ハーディは、彼をじっと見つめた。ウサギによく似たその生き物も、じっとハーディを見つめる。彼のオレンジ色の瞳に、ハーディ自身の顔が映っている。それを見つめながら、ハーディは言った。

「うん、そうだね」

 話は八か月ほど前に遡る。季節は夏の終わり。日が短くなり始めた、八月の下旬。ダーティが珍しい召喚獣を捕まえようと躍起になっていた頃のことだ。

 魔獣は自然のままでいると、そのまま魔獣だが、これを捕え、契約に成功すると召喚獣になる。言葉による説得、または戦いによる服従など契約の方法は様々だが、契約を行うことで、身に着けている装飾品などに閉じ込めて持ち運ぶ、または、必要なときに魔具――魔力を蓄えたり、魔術・魔法を蓄えることのできる道具――を通して召喚することができるようになり、さらには、それを他人に譲渡することができる。それを専門の商売にしたのが、召喚獣売買人。なるためには、国家で定められたAからEのランクのうち、Bランクの魔獣を扱えるという証明、即ち、上級召喚師の資格が必要なのだ。試験内容はただ一つ。捕えた魔獣を王都に連れてきて、命令に従わせること。

 珍しい魔獣が出るらしいという噂を聞いて、光モミノキの森に向かったダーティは、そこで、このランクEのムーン・ドレイド、つまり、グラッセと出会った。

 このムーン・ドレイドは、金色の毛並みどおり、最初からちょっと様子が違っていた。よく歌って踊って、そして、その正体はなんと、この国を建国よりずっと前から導いてきた“さすらう者”だと言う。どこかの冒険譚のようだけど、彼は王位を乗っ取ろうとする悪い宰相とその一味に命を狙われていて、ダーティとハーディも、いつの間にかそれに巻き込まれていて、グラッセを探しに来た、どう見ても絶世の美女にしか見えない美青年の“さすらう者”やら、血気盛んな若い“さすらう者”やら、果ては絶対外れない占いを行う“さすらう者”やらに出会って――まあ、わけのわからない間に悪いやつらをやっつけて、逃げるように、また自分たちが生きる場所へと戻ってきたのだ。

 そのわけのわからないことが起こっている間に、ダーティは顔も知らない母親が、どうやら王都で亡くなったらしいことを知ったのだ。確かめても本人は絶対認めないと思うが、きっと、母親のことが知りたくなったのだろう。

 ――あるいは。

(君がそう仕向けたの? グラッセ?)

 もしゃもしゃと食事を続ける小さな背中は、何も語らない。

 ダーティは、生まれつき、死んだ人の霊が見える、“視える者(ドゥシャー)”だ。

 そして多分、それは母親から受け継いだ能力。召喚獣売買人を目指す彼は、自身の能力をあまり好いてはいないが、グラッセの意見は違う。

 才能があるなら、それを活かせる場所で使うべき。

 それが、彼の持論だ。

 ダーティとハーディがなぜ親友になったのか。

 ハーディにはその理由がわかっている。普通は親同士が親友だったからとか、馬が合ったとか、何となくだろうが、自分たちは違うと、ハーディは自信を持って言える。

 それは、ハーディが“聴こえる”人で、ダーティが“視える”人だから。

 互いに欲しくもない才能を授かったという点で、二人はよく似ていた。そして、お互い他人と共有できない世界を持っているという点においても。その二点において二人は同じで、やっぱり違う。

 だから、二人は親友になれた。

「……」

 もう一度カレンダーに目をやる。思わず、苦笑する。

(ダーティが行って、まだひと月しかたってないのに……)

 ――寂しい。

 つい、思ってしまう。

『だからさ、ハーディ』

 マドゥカが言った。

『やっぱり、あんたも王都に行っちまえばよかったのに』

「そんなわけにはいかないよ。大体、父さんが戻ってきたとき、どうするのさ」

『書置きの一つでもしときゃいいじゃないか。ジムのことだ。それで納得するさね』

「だめだよ」

 きっぱりとハーディは言った。

 大体、ブックマークと家族の世話は誰がするのか。

 それともう一つ、ハーディにはどうしてもここを離れられない理由があった。

 それが。

「できたよー!」

 これだ。

 底抜けに明るいエリーの顔を見るたび、底抜けに暗い顔をしていたダーティと、たじろぐウサギの姿が思い浮かぶのはなぜだろう。

 なぜか、あの小さな金色ウサギさんは、料理のたびに何かやらかしてくれるこの美青年をここへ置いて行ってしまったのだ。小さいころから、およそ怒るという感情には無縁の――というより、怒るという感情がいまいち、ぴんとこないハーディだったが、その彼にしても、もうこれはいい加減怒るべきなんじゃないだろうかと考えさせるほど、エリー――この“さすらう者”の青年の料理はひどかった。しかも、ここに来てすでに一年が過ぎるというのに、一向ましになる気配すらない。その一方、決して舌が肥えているわけではないが、さりとて味覚音痴でもないハーディの舌も、いつまでたってもこのひどい味に慣れる気配がない。どんな食生活でも、一月も経てばそれなりに慣れるというのが、ハーディの持論だったのだが。

 鍋をのぞき込む。今日もいろいろ謎の物体が浮いてる。何だろう、この紫の丸いの。

「……エリー。ほんとに君、料理の才能だけは、ないね」

 魔術・魔法・それに召喚術では、驚くほどの天才なのに。天は二物を与えずとは、まさしくこのことか。

 どう見ても美少女にしか見えない漆黒色の青年は、かわいらしく口を尖らせる。

「ハーディまで、グラッセと同じこと言う」

 本当に愛くるしい。が、ハーディは断固としてグラッセを支持することにした。

「グラッセの言うことは正しいと思うな、ぼく」

 とにかく、この危機をどうにか脱しなくては。ハーディが考えあぐねていた、そのとき。

 ――ドンドン。

 だしぬけに、ノックの音が響いた。

 弾かれたように、ハーディはドアを見る。

 ドンドン。

 風が窓を叩いているわけではないらしい。頭上から声が聞こえた。

『ハーディ、お客さんだよ』

マドゥカのダミ声が聞こえた。

「お客さん?」

「ぼく、奥に行ってるね」

 エリーがそそくさと姿を消した。どういうわけか、彼は自分とダーティ以外の人間に姿を見られるのを嫌がる。

 ハーディは少しの間、考えた。

(どこの物好きだろう?)

 こんな辺鄙(へんぴ)かつ、不便なところにある店に、この雪の中わざわざ足を運ぼうとは。

「物乞いかな」

 ハーディの呟きを、マドゥカは否定した。

『いんや、けっこう立派な格好だよ』

「けっこう立派?」

『今日も雪だからねえ。こう視界が悪くちゃ』

 ハーディは窓を見た。ガラスの半分が雪で埋もれている。

 また少し考えて、ハーディは答えた。

「どうぞ」

 キィ。

 ドアが小さな音を立てて、開いた。

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