第4話

 さて、ハーディがちょっと変わったお客さんの相手をしていたその頃、彼の親友もちょっと変わったことに巻き込まれようとしていた。――王宮内の池にて。

「あなたも知っての通り、魔力は四つの基本属性、即ち、地・水・火・風。それから、その四つを包括する、光と闇でできている」

故郷のそれと比べ、暖かいといえど、まだ春なのに汗だくだ。が、拭っている余裕はない。

「さらに基本属性を組み合わせた四つの複合属性が存在する。それ即ち、火と水で霧、風と水で氷、火と槌で鉄。そして、風と土で重力」

 汗だくのダーティの前には涼しい顔で、ダーティをしごく鬼教官『国の剣』第三隊隊長、エレノア・ハーティリ・オウルホウト。彼女はその無表情と、銀の髪と青い瞳という冷たい容姿に似つかわしい、感情のない声で続ける。

「途方もない昔、ここを去った神が、まず魔力を与えたのは植物だった。次に獣がそれを食べた。それが、あなたもお馴染みの魔獣たち。そして、その魔獣を食べることで人間は魔力を獲得したというわ」

 ゆっくり足を上げる。ぐらぐら体が揺れる。

 池の上のダーティは必死でバランスをとる。

「食物連鎖と長い長い進化の末、いまでは誰もが自分の属性を持ち、その属性に合った魔術、あるいは魔法論式を使うことができる。魔術と魔法の違いは、即時・即効性なのか、連続性、もしくは持続性なのか。連続性、持続性を持つ魔法論式は、魔術よりも扱いが難しく、君が今日の訓練でできなかった属性反発は、魔法論式を理解する第一歩と言ってもいい。が、属性反発は魔術においても、重要な意味を持つ」

 あと少し。もう少し。あと、たった一メートル。

「で、その属性反発が具体的に何の役に立つかと言うと――」

「ああああ!」

バッシャーン!

 悲鳴の直後、派手な水しぶきが上がった。

 エレノアが、驚いた風もなくぽつりと呟く。

「やっぱり、ダメね」



 たっぷり水を吸った上着を、ぎゅうっと力一杯絞るダーティ。エレノアの無表情が、そんな彼を見下ろしている。

「属性反発は魔術の基本であると同時に、とても大切な考え方なのよ」

彼女の足元では、小さいながらも態度はでっかい、自分の師匠たるウサギが、普通のウサギのふりして、後ろ脚で後ろ頭を掻いたり、ちょうちょを追いかけてみたりしている。

(いくら正体ばれたらまずいからって、いい年こいて恥ずかしくないのかよっ、おっさん!)

「聞いてる?」

 鋭いエレノアの声が飛んできた。首をすくめ、ダーティは慌てて叫んだ。

「は、はい! もちろんです! 隊長!」

「あなたがなりたがっていた召喚獣売買人しかり、いま目指している魔剣士しかり、さらにはあなたが生来持つ、死者の霊を視るという能力にも、属性反発はちゃんと関係がある」

「関係……ですか」

「そう」

 うなずいて、エレノアは言った。

「この世界にあるものすべてが、魔力とは無関係ではない。魔力にはそれぞれ音階があり、魔術を行使するときに行う詠唱は、その音階に基づいて作られたと言うわ。その音階が正確であればあるほど、呼応する魔力の反応は大きくなり、より大きな威力の魔術や魔法を行使することができる」

「じゃ、あの長ったらしい文句って、意味あんまりないの?!」

 すかさず、エレノアの訂正が入った。

「『ないんですか』」

「は、はい……」

エレノアがため息をつく。

「――まあ、まるっきり意味がないわけではないわ。あなたの言う長ったらしい文句が正確に発音できればできるほど、威力は大きくなる。裏を返せば、大きな魔法や魔術の行使には、それだけたくさんの言葉――もっと言えば、長い旋律がいるということね」

「旋律……」

 考え込んでいる様子のダーティにさらに、エレノアは言った。

「でも、正直、確かにあなたに詠唱は必要ないかもしれないと思う時があるわ」

「へ?」

「あなた、口笛を吹くと死霊が寄ってくると言ったでしょう? それは、視えるドゥシャーでも、かなり珍しい能力なのよ」

「そうなんだ……ですか」

 ダーティの妙な丁寧語を、エレノアは咎めなかった。それより、大事なのは説明だ。

「おそらく、あなたの口笛は死霊たちを呼ぶという音にぴったりなのね。だから、どんな曲を吹いても、死霊はあなたに引き寄せられる。ただ、あなた自身が死霊を操れる音が何なのか、自分でわかっていない。だから」

 エレノアは、真剣な顔で言った。

「論理を理解し、体得していくことが大事なの」

(論理の理解と、体得か……)

 遊んでいるグラッセに目をやる。そう言えば、彼もそんなことを言ってたような。

「――で、属性反発の話に戻るけど」

「は、はい!」

「さっきも言ったとおり、人間の体には、それぞれ生まれ持った魔力が宿っている。稀に一つ以上持っている人間もいるけど、大抵は一つで、あなたの場合は火。反対の性質である水とは対立関係にある。各属性の対立関係を知ることはとても大切よ。対立関係にある魔力属性は量が対等であれば打ち消し合い、片方の威力が勝っていれば、もう片方は通常より深いダメージを受ける。けれど、同属性にある魔力は吸収しあい、その分威力が落ちるから、気をつけて」

「――はあ」

 一体何に気をつけなければわからないが、とりあえず、そう返事をした。

 わかっていない様子のダーティに、エレノアがまたため息をつく。――と。

「プー」

 エレノアの足元で、グラッセが鳴いた。

 これは多分、あれだ。エレノアの話をそろそろ切り上げさせ、自分がたっぷりダメ出しする気だ。

「あら、グラッセ」

 ふっとエレノアの表情が緩む。彼女はグラッセをそっと抱き上げた。

「プルップ~」

 抱き上げられたグラッセは、彼女の頬ににすりすりと擦りつく。

「甘えんぼさんね」

 エレノアが笑った。

 むかつきとあきれのないまぜになった顔で、ダーティはグラッセをにらむ。グラッセが、ふふん、とでも言いたげな顔でにやりと笑った。

(……こいつ!)

 思わずこぶしを握りしめたダーティ。と、唐突にエレノアが口を開いた。

「ま、できないのなら仕方がないわ。今日の修行は、とりあえずここまで。明日は――」

 エレノアの眉がふいに顰められ、表情が険しくなった。

 何だろうとダーティが振り返るまでもなく、エレノアが彼の名を呼ぶ。

「マッカラス・ロッケンジー・リリ」

 エレノアの、決して好意的とは言えない態度を気にするふうもなく、彼はダーティに陽気に挨拶する。

「よ、若人よ。励んでるかー?」

 マッカラス・ロッケンジー・リリ。魔術、魔法、召喚獣でもって王を守る、『国の盾シチート』第一小隊隊長。本人曰く花の二十八才、独身。愛称はマック、もしくはマッキー。偉大なる建国三英雄の一人であり、ダーティがもっとも憧れる召喚師、シジマウォル・リリの末裔。エレノアに言わせると、名門貴族と四人兄弟の末弟という甘ったれにも甘ったれが重なれば、こんなのができるの見本のような男、らしい。

「何しに来たの?」

 エレノアの冷たい言葉に、マックはちょっと出鼻をくじかれたようだ。情けない顔で彼は言った。

「ちょっ、お前、あいかわらずきついね。それが仮にも、幼なじみに対する態度?」

「質問に答えて」

 エレノアのかたくなな態度に、マックは困ったように用事を切り出した。

「参ったな。うちの兄貴から指令書を預かったんだよ」

「……リリ総隊長から?」

「ほれ」

 マックが巻いてある紙をエレノアに渡す。最初は驚きだったエレノアの顔が、みるみるうちに険しくなっていった。指令書から目を上げた彼女は、険しい表情のまま尋ねる。

「至宝美術館へ行くの?」

「ああ」

「目的は?」

「それは言えない」

「……」

 二人の間に激しい火花が散った――気がした。

 おそるおそるダーティは、エレノアに話しかける。

「あ、あの、隊長……」

「ダートハルト・ハリオット一等兵。任務よ」

 いきなりエレノアが言った。

「へ?」

「明朝七時に北門前に参上。リリ隊長とともに至宝美術館へ向かいなさい」

「至宝美術館?」

「なんだ、知らないのか」

 マックは驚いたように言った。が、すぐににやけ顔になり、呟いた。

「ま、いいや。行けばわかることだし」

「明朝七時をもって、あなたの指揮権はリリ隊長に移ります。以後、リリ隊長の指示に従いなさい。――いいわね」

 矢継ぎ早の指示が、彼女の不満を表している気がする。ダーティは一瞬、返答に困った。

「返事」

「は、はい。謹んで、お受け致します!」

まだ板についてない敬礼を返す。エレノアはあいかわらずの無表情で言った。

「では、明朝七時、北門前にて、リリ隊長をお待ちするように。本日の訓練はこれで終了。以上よ」

「は、はい!」

 手を下ろそうとしたその瞬間、

「そうそう」

 エレノアがぴたりと足を止めた。

 ダーティの体中に緊張が走る。緩んでいた敬礼が、針を通したようにしゃんとなる。

 振り向きもせず、女の皮を被った鬼教官は言った。

「自分の召喚獣がかわいいのはわかるけど、あまり話しかけるのはやめたほうがいいわよ。危ない人だと思われるから」

「……は?」

「それじゃ」

 エレノアはそれだけ言い残し、その場を去って行く。

「じゃあな、危ない人」

 揶揄するように笑って、マックも行ってしまった。

 先を行くエレノアの背中に、マックの足が追いついた。何か話しかけてる。蹴られた。間もなく二人の姿は建物の角を曲がり、見えなくなった。

 ダーティの体から力が抜け、ほっとため息をつく。

 グラッセが口を開いた。

「危ない人だってさ」

「誰のせいだよ!」

「ぼくのせいかい?」

 耳の後ろを掻きながらの、どうでもいいと言わんばかりのその態度に、ダーティは不満をぶちまけ始める。

「訓練後に毎回律儀にダメ出しなんかするからだろ!」

「だってさ、君あまりにもできないやつなんだもん」

 グラッセは口を尖らせる。

「彼女――エレノアだっけ? 彼女もあきれてたじゃないか」

 ダーティは憮然とした顔で黙る。先ほどの、あきれとも怒りともとれない鬼教官の微妙な表情が頭の中に浮かんだ。

「それにしても」と、グラッセが呟く。

「あの美しい顔に、あのきつい性格。それにあの剣の冴え。つくづく娘を思いだすね」

 それはちょっと聞き捨てならない。ダーティは尋ねた。

「え? グラッセ、娘なんかいんの?」

 グラッセが呻くように言った。

「いるよ。あの女そっくりのが」

 ダーティは、長い黒髪の女を思い出す。確か、名はウルドだったか。

(その娘とやらとは、絶対お近づきになりたくないな)

 切に願う。そして、思う。

(……そう言えばおれ、あんまりよく知らないんだよな。グラッセたちのこと)

 グラッセたちは、自らを“さすらう者”と呼んでいる。

 見た目は人間と変わらないのに、剣を瞬く間にタガーに変えたり、色んな魔術を同時に行使できたりと、とにかくすごい、の一言に尽きることをあたり前のようにやってしまう。ちなみにグラッセが普段ムーン・ドレイドに化けているのは、本人いわく、情報収集のためだと言う。


 ――情報収集?

 ――エリーはまだ若いから、自分が好きな人間に好きなように手を貸してるだけだけど、ぼくとウルドは違う。ぼくたちは、この世界で探し物をするために、ここにやって来たんだ。

――何を探してるんだよ。

――それは言えない。とにかく、動物の姿なら色々なところに入り込めるだろ。ムーン・ドレイドは体も小さいしね。アーチに手を貸してスキターニエを建国したのも、いつまでも成長しない君の修行につきあうのも、そのためさ。


 納得は、してない。

 けれど、前の事件でも助けてくれたし、なんだかんだ言って、いまもダーティとハーディを守って助けてくれている。グラッセはそうは言わないけど、きっと、そうだと思う。だから、無理に訊こうとは思わない。

「ところで、ダーティ」

 グラッセがぴょこんと立ち上がる。

「何だよ」

 からかうような口調で、グラッセは言った。

「属性反発も満足に使えないような頼りない新人の手を借りたいって、どんなしょうもない任務なんだろうね」

 言うことが、いちいち、いちいち、余計だ。ダーティのこめかみに青筋が浮かんだ。

「……さあな」

「どぶさらいかな? それとも、王宮中の掃き掃除かな?」

「……わからねえよ」

 それ以上一言でも言ったらぶん殴る、固い決意で密やかにこぶしを固めるダーティ。――しかし。

「ま、いずれにせよ、気をつけることだね」

 意外に真剣な口調でグラッセは言った。

「え?」

「ハイネスとルーゼンバーグのこと、きっと彼らは納得しちゃいないよ。任務と称して君を連れ出すのも、その件について、君が何かぽろりしないか、試すつもりかも」

「……」

 嘘はついていない。

 彼らは確かに前王を暗殺し、この国を乗っ取ろうとしていた。ただ、グラッセのことも含めて、話せることが少ないだけで。

『ここで、死ね! お前の母親のようにな!』

 事件の首謀者の一人、ルーゼンバーグの言葉が、頭の中にこだまする。

 ここに来たことを、じつは当の本人であるダーティが一番驚いている。

 正直、もういいかなと思ってた。ダーティの目標は父を超える立派な召喚獣売買人になることだし、ドゥシャーの能力も剣も、あまり好きじゃない。

 だが、いまは違う。

 いまは、母のことが知りたい。

 どんな人だったのか。父とどんな風に出会って別れたのか。なぜ死んだのか。

 何度も父に尋ねたが、教えてくれなかった。

 だから、ダーティはここに来た。母が命を落としたであろう、この場所へ。

「ダーティ」

 ダーティの気持ちを読んだように、グラッセが言った。

「君に命令を下した人の意図がどうあれ、君は君の目的を果たすために全力をつくすべきだ。そして、いま君ができる全力とはね、今日はしっかり休んで明日に備えることだよ」

「……うん」

 グラッセはさらに言った。

「警戒を怠ってはいけないけれど、無用な心配をすることはない。――大丈夫。君には、ぼくがついてるよ」

「……うん。そうだな」

 複雑な気持ちを抱いたまま、ダーティは寮へと向かうべく、その場を後にした。


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