第87話マルヤムの行方


「もしかして、すでにどなたかが、パトロンになってらっしゃるの?」


 私の方から水を向けると、支配人は少しだけほっとしたような表情をした。


「その……ホールドン男爵様が」


 ホールドン男爵の名前がこんなところに。アリエルの我が儘かしら?実のところ、劇場をまるごと買ったからといって、自分のためだけに演目を上演させるなんてことは、ほとんど無理なんだけどね。

 費用がかかるから、財産食いつぶすようなものだもの。


「あら、そう?共同出資ということにしても良いのよ?」


 支配人の表情が、ちょっとだけ渋そう。世間的には、デクルー家の娘とホールドン家の娘が王子を巡って争っているという噂だし。ここでそれを持ち込まれても困るだろう。


「男爵様とは、独占ということで契約を結んでおります。いろいろな便宜を図っていただいております」


「お友達もこの劇場気に入ったって言っていたから、是非とも欲しいと思ったのだけれど」


 支配人の表情が少しだけ緩んだ。私の友人が気になるのかしら?デクルー家以外の侯爵家がバックについてくれるなら、歓迎ってことかな?

 でも、私が紹介する友人は、ちょっと違う。


「この国の書記官長のご令嬢のマルヤム様、大変お気に入りなのだけれど、ご存じ?」


 マルヤム様には会ったこと無いけれど、そんなこと支配人が知るわけ無いしね。


「あの……いえ、その、存じ上げませんで」


 この国の重要人物の娘の名前が出てきて焦っているのか、それともここで足取りが途絶えたことを知っていて、焦っているのか。

 ちょっとわからないなぁ。


「そうなの?マルヤム様、この劇場によく通われていたのだけれど。そう、……四日ほど前も」


「四日前にもいらしていたとは、存じ上げませんでした」


 うーん……令嬢の名誉を守るなら、実は令嬢が行方不明になって事情聴取を受けました、なんて悟られるような回答は、外部の人にはしないか。

 誘導するのって難しいな。


「支配人、率直に申し上げるわ。私の友人が行方知れずなの。ご存じない?」


「警備隊の方にも聞かれましたが、私の存じ上げるところではありません」


 支配人は、狸だわ。本当は行方を知っていても、無表情で知らないって言い切れそう。普通、貴族の令嬢が自分の劇場で行方不明ってことになったら、もっと慌てたり、憔悴したりしそうだけれど、貴族相手に立ち回ることが多いなら、表情を出さないようにする訓練も受けてそう。


「そう、友人の行方について何か見聞きしたら、遠慮無く私の所までいらしてね。劇場買収の件は、ホールドン男爵に話をするわ」


「それでしたら、男爵様はパルヴァーネフにご滞在です」


「いつから?」


「一週間ほど前から、宿にご滞在かと」


 私は支配人からホールドン男爵の滞在している宿を聞き出して、劇場を後にした。


「ごめんなさい、あまり聞き出せなかったわね」


 私は護衛の振りをして、すぐ後ろを歩いているシャールーズに言った。


「いや、そこそこ面白いことが分かった。やっぱり来てみるものだな。警備隊の見落としがある」


「見落とし?」


 支配人からは、あまり良い情報を引き出せていないと思うのだけれど。


「楽屋の出入りは割と自由で、舞台裏の袖近くまで誰でも入れるようだ」


「え?舞台袖まで?」


「ああ。出入りしているのは貴族や豪商の男性ばかりで、庶民はまったく居なかった」


「そこまでして、何をしてるの?」


「あー……その……」


 シャールーズが珍しく言いよどむ。


「俺は、断じてそういうことはしていない。信じてくれるな」


 シャールーズの前置きで、なんとなく分かった。浮気か。


「信じるわ」


「舞台に上がる女優達を買っているんだ。一晩なのか、愛人契約なのか」


「不潔!」


「俺に怒るな!俺はしていないといっただろう」


「ランカスター王国は、一夫一妻しか認めないって神様がおっしゃっているわ。それなのに一晩の相手?愛人契約?不潔!」


「察しているとおり、貴族はランカスター王国もナジュム王国もアーラシュ帝国もいた。言い方は悪いが、品揃えの確認のために、楽屋裏や舞台袖まで入ってきている」


「そんなに警備がガバガバなら、何したってわからないじゃない」


「そ、だから袖蔭とかで、ナニかしている奴らもいる」


「ち……ちがっそういう話をしているんじゃ無くて、人買いだって、誘拐犯だって自由に出入りできるじゃない!」


 自由に出入りできても、客席……おそらくミッテルロジェ席は無理でも、エルスターラングロジェ席にはいたはずだ。

 そんな高級席に座っている貴族の娘をどうやって誘拐するのかしら。


「マルヤムは、シアーマクの子供のなかでは割と身分が低い子だ」


「シアーマク夫人のナスタラーンは、第三夫人ってことだけれど、第三夫人でも身分が低いの?」


「結婚した順番で、第○夫人と決まる。ナスタラーンは、舞台女優だ」


「あー……」


 今の話でなんとなく察してしまった。書記官長シアーマクは、以前、あの歌劇場と同じように楽屋裏か、舞台袖まで行って、女優だったナスタラーンを見初めて第三夫人とした。娘としてマルヤムが生まれたが、母親の出自が低い。

 政治の駒になるには、身分が低いのでマルヤムに目を付けた貴族か、豪商か、人買いあたりに、シアーマクは劇場で引き合わせて、そのまま持ち帰ってもらった、と。


「誘拐じゃ無いかも知れないのね」


「貴族か、豪商に夫人としてもらわれたのならな。怪しいのは、人買いだ。娘が結婚したのであれば、シアーマクは、ナスタラーンにそのことを告げるだけで良いのだから」


「人買いは、禁止よね?」


「禁止だが……取り締まっても無くならない。人々の意識が変わらないと」


 父親が積極的に娘を売り飛ばしたって事?政治の道具にならないから?先に、父親を逮捕した方がいいんじゃないかしら。


「娘を売ったことが決定的では無いからな。もうちょっと調べることにしよう」


「でも、手がかりが」


「こういうのは、女を口説くのが得意なやつに任せておくとしよう」


 シャールーズはそういって、護衛の一人に何か指示を出している。たしかに、指示を受けている護衛は、他の護衛達に比べるとちょっとだけ、ハンサムかもしれない。

 私の視線に気がついたのか、にこっと愛想良く護衛の人が笑う。

 普通、高貴な身分の女性に馴れ馴れしく笑いかけたりしないのだけれど、そういうことを許してくれそうな相手、という見極めがうまいのかも知れない。

 ただ、シャールーズはそんなことを許さないので、案の定、頭を叩かれていた。それすらも、笑顔で受け流していたので、女性に限らず、人間に好かれるタイプかもしれない。


「あいつに任せておけば、今日中に歌劇場の女優たちから、有意義な噂を集めてこれるだろう」


「女性に限らず、人に好かれそうだわ」


「そうだな。一緒に話していて、気持ちの良い奴だし」


「……もしかして、今の人が、ニルーファルの結婚相手?」


「よく分かったな」


「ニルーファルが、数少ないシャールーズの友人だって言っていたから。シャールーズは、『あいつ』なんて親しげに言っていたし」


 シャールーズは、よく俺のことを見ているな、と耳の辺りまで真っ赤にして、照れて笑った。

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