第54話没落する覚悟


 グラスにレモンの蜂蜜漬けを炭酸水で割った物を注いだ。薄く色がついていて、シャンパンみたいだ。ジョシュアも、クラレンスも目を輝かせて魅入っている。

「お酒みたいだ」


「殿下のお口に合うといいのだけれど」


 殿下は非の打ち所のない所作で、グラスを手に取るとそっと炭酸水を口に含んだ。一口飲んで、目が嬉しそうに細くなる。


「おいしい。こういう味好きだな」


 ジョシュアは甘いお菓子の類いが好きなようなので、蜂蜜の味がほんのりする、この飲み物はお気に召したようだ。

 クラッカー、チーズ、オリーブの実を小さな串で刺したピンチョスはマーゴとシベルのお気に召したようだ。クラッカーは、一口サイズに焼いたので少量づつ食べたい人には好評だ。

 サラダや、トマトソースのパスタは、大皿に盛ってみんなで好きなだけ取り分けるスタイルにしたのだが、この人達は、生まれながらの貴族なので自分で取り分けるということを知らないようだ。


「こうして、取り分けてください。ここには、メイドはいませんから」


「これが庶民の食べ方か」


 クラレンスが興味深そうにしている。家の使用人達がどうやって食事をしているのか気になっていたようだ。


「もうすぐ肉も焼けるので、遠慮せずにどんどん食べてください」


 オーブンから鶏肉の焼ける良い匂いがいっそう強くなってきた。そろそろ焼き上がるだろう。


「この麺もちもちしてて、美味しいわ」


 シベルが苦戦して取り分けたトマトソースパスタを、満足そうに食べている。さっぱりしたトマトソースと合わせると決めていたので、今日は細めに麺を打っている。麺まで手打ちということは伝えてある。太さが少し不揃いだからだ。


「サラダも美味しいし。ハズレが無いね。こんなこと言うのは失礼かも知れないけれど、ジュリア嬢はお店でも持ったら、行列の人気店になりそうだ」


 貴族の令嬢が働くということは、落ちぶれたということと同じだ。ましてや、上位貴族が働くなんてありえないのが常識だ。

 それでも、私は平民として生きていく可能性も捨てきれないので、その言葉は嬉しい。


「ありがとう。落ちぶれてもどこかのお屋敷に雇ってもらえそうで嬉しいわ」


 私の言葉にジョシュアが悲しそうな表情をした。今、我が家は水面下で王妃と対立している。正確には、王妃様の生家、ダラム伯爵家とだけど。私がナジュム王国の新国王の婚約者に内定したことで、ついにお父様が、王妃に対して取り繕うことをやめたのだ。王家に反旗を翻すわけではないが、もし政権争いに負けた場合、我が家は取りつぶされるだろう。

 ジョシュアは、そのことを知っているのだ。


「あ、焼けたみたいね」


 私は立ち上がってキッチンへ向かう。オーブンから鶏肉と一緒に焼いていたジャガイモを大皿に盛る。仕上げにジャガイモにパセリを振るった。ローズマリーの爽やかな香りもして、とても美味しそう。

 ジョシュアが、カウンターに置かれた大皿を取りに来てくれた。


「ジュリア、僕は……」


「殿下、いいの。いつかは、こうなると分かっていたから」


 ジョシュア王子は優しい。でも、この国を統治する王様になるなら、政変に敗れて破滅した者を救おうとは思ってはいけない。

 ゲームでは描かれていなかったが、こういった様々な思惑が積み上がって、最終的に弟だけを残してデクルー一家は処刑されたのだと思う。


 殿下は腑に落ちないような表情をしていたけれど、盛り付けた鶏肉とジャガイモを持って行ってくれた。この国の作法では、かたまり肉は男性が捌いて、サーブするのだ。今日は、ジョシュアが鶏肉を捌くみたい。ちょっと誇らしげな表情をしている。


 さすがに、シベルもマーゴもたくさん食べれないと、焼いた鶏肉は少しだけサーブしてもらっていた。ジョシュアもクラレンスも、それだけでいいの?と不思議そうな表情をしながら、肉の塊を自分の皿に盛っていた。


「来月には留学するの?」


「うん。向こうの生活に慣れておく必要があるから」


 私は来月に、ナジュム王国の王都パルヴァーネフにある王立の錬金術学校に留学する。向こうで約二年間勉強し、卒業式はこちらで参加する。

 留学しても、この学校で卒業式をすることを逃れられなかったのだ。


「錬金術での留学は我が国初めてのことだから、大変だと思うけど、頑張って欲しい。僕もできる限りの援助をするよ」


「ありがとう。殿下。殿下のちからを借りなければならないほどの大事が起きなければいいのだけれど」


「王子としての立場で言ったんじゃ無い。その……幼馴染みとして、……友人として、心配してるだけだ」


 ジョシュアが少し切なそうな表情をして、私から目をそらした。私が贈ったピアスがジョシュアの耳で揺れている。

 ジョシュアがいつも私が贈ったピアスを身につけていることを知っている。それがどういう想いなのかも。

「ありがとうございます。立派に勤めを果たしますね。ジョシュア様」


 私はこっそりとジョシュアの名前を呼んだ。ジョシュアは一瞬だけ泣きそうな表情になってから、微笑んで頷いた。



○●○●


 あっという間に一ヶ月は過ぎ、私は留学するためにナジュム王国に向かう日になった。王都パルヴァーネフへは、馬車で10日ほど。さすがに異国で生活するのに従者がついてこない、ということはありえないので、従僕とメイドが数名ついてくることになっている。留学とは言ってもずいぶん大がかりだ。


 ランカスター王国とナジュム王国の国境沿いのナジュム王国側のオアシス都市ロシャナクで、移動手段を駱駝に変える。パルヴァーネフに向かうキャラバンと一緒に行動する。

 ロシャナクから一歩出ると、そこは空と砂しかない世界で、地平線の向こうまで砂で覆われている。空気はからっと乾いていて、日差しが刺すように痛い。昼間は移動できないので、夜中から早朝にかけて移動し、昼間は日陰で小休止する。

 私は駱駝に乗っての移動だけれど、結構体力を消耗する。歩いて移動している人たちは、もっと大変だろう。

 予定通り、十日ほどの道のりで王都パルヴァーネフに到着した。

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