選択
気づいたとき、自身は気を失い地面に寝転がっていた。
ゴツゴツとした硬い地面の感触に目を覚ました。
いつの間に倒れたのだろうと疑問に思いつつ、慌てて上半身を起こす。キョロキョロと辺りの様子を窺えば、そこはどことも知れない荒野の只中だった。自分以外、動いているものは見つけられない。
周囲には人間の死体が山と詰まれているぞ。
「マジかっ……」
空を飛ぶ竜の背中にお姫様と共にいた記憶はある。
そうだ、振り落とされたのだ。
竜の鼻先で爆ぜた火の玉に煽られて、背中から落ちたのである。
「…………」
果たして今、戦況はどういう状況にあるのだろうか。
周りには人間の死体しか見られない。
味方の化け物はどこに消えてしまったのだろう。
自分が気を失っている間に何があったのだろう。
あれこれと考えながら、ゆっくりと立ち上がる。
軽く身体を動かしてみるも、これといって怪我は見られない。この調子ならそれなりの距離を歩き回ることができるだろう。ただし、どちらに向かって進めばいいのか、その判断が困難である。
周囲は何もない荒野が広がっている。
人間たちの屍を除けば、あとは乾いた大地に痩せた樹木と背の低い植物がところどころ自生している以外に何もない。化け物たちの町を目指すにしても、どちらの方角に進めばいいのかさっぱりだ。
「……どうしよう」
これ完全に迷子じゃん。
何も行動の指針になるものがなくて焦りを覚えた。
遠方を眺めながら、しばらく付近を歩き回ってみる。けれど、それらしいものは見当たらない。たまに人間の死体に混じって化け物の姿が目に入る。けれど、誰も彼も既に事切れたあとであった。
「…………」
新宿の駅で迷ったのとは訳が違う。
このままでは野垂れ死に。
そんな迷子だった。
人の死体を目撃したことで、今更ながら恐怖が広がっていく。
ジッとしていられなくて、自然と足は走り出していた。人間の死体を追って行けば、いずれは誰かに会えるのではないか。そんな淡い希望を抱いたからである。死体の続く方角へ向かって、がむしゃらに進み始めた。
すると走り始めてからしばらく、遠方に動く影を見つけた。
この際、人間でも化け物でもいいからと考えて、駆け足で近づく。
「に、人間っ!」
するとそこにいたのは、自身も見覚えのある相手だった。
お姫様に頼まれて行った食料の買出し。これに際して荷物持ちやら何やら、色々と付き合ってくれた銀髪ロングのエルフさんである。彼女はこちらに気づくや否や、驚いた面持ちとなり声を上げた。
手には片手剣を携えており、肩口から血を流す半身を庇うように立っている。
負傷の理由は彼女の正面で武器を構えた数名の人間だろう。
うち一人が地面に転がっていた、誰の物ともしれない剣を蹴って寄越した。続けて与えられたのは手招きならぬ、あご招き。こっちへきて加勢しろ、ということなのだろう。人間たちも無傷とは言えず、彼女に負けず劣らず怪我をしている。
化け物たちは、人間に負けてしまったのだろうか。
「…………」
地を滑ってきた剣が足に当たって止まった。
果たして自分はどうすればいいのだろう。
そうこうしているうちに、人間の一人が彼女に向かって駆け出した。振り上げられた剣の切っ先は、間違いなく彼女を捉えている。剣こそ携えているものの、これを構えるエルフの人はとても頼りなく映る。
だからだろうか、気づけばいつの間にやら身体は動いていた。
人間が蹴って寄越した剣を手に取る。生まれて初めて握った真剣は想像した以上に重くて、とてもではないけれど、振り回すことなんてできそうになかった。けれど、決して持ち上げられない重量ではない。
これを両手に携えて、エルフの人に向かい駆け出す。
「人間! 貴様っ……」
切っ先を正面に突き出すように剣を構える。
そして、これを彼女に迫る人間の脇腹に思い切り突き刺した。
「なっ……」
刺された相手の目が驚愕に見開かれた。
仲間たちも信じられないものを見るような表情でこちらを見つめていた。一瞬、場の空気が止まったように思えた。ただ、それも僅かな間の出来事である。エルフの人の指先から、巨大な火の玉が放たれた。
それは動きを止めた人間たちに向かい着弾。
ぶわっと大量の炎を撒き散らして、全員を包み込んだ。
「ぬぉおおおおおおお!?」
「ぐぉおおおおおおっ!」
「びぁああああああああっ!」
けたたましい悲鳴が辺り一帯に響きわたる。
轟々と激しく火花を散らす炎は、人間たちの身体を瞬く間に燃やしていった。離れても肌を焼くような熱を感じる。地面もあっという間に焦げて、黒く色を変え始めている。とんでもない高温のようだった。
その光景を俺は呆然と眺めるしかなかった。
やがて、しばらく経つと火の勢いは自然と落ち着き始めて、最終的には水をかけたりすることもなく、かってに萎んで消えてしまった。後に残ったのは黒い色をした僅かな燃えカスのみである。
「おい、人間……」
唖然としていると、エルフの人から呼ばれた。
鬼のような形相でこちらを見つめている。
「え……あ、な、何ですか?」
「お前! 今までどこにいたんだっ!?」
「そこいらで気を失っていましたけど」
「城じゃあお前の死体が見つからないと大騒ぎだ!」
「えっ!? な、なんの話ッスか!?」
「だから、勝ったんだよっ!」
「勝った? あの、勝ったっていうのは……」
「いいからさっさと来い! お前の死体が見つからないせいで、私たちは総出で探しものだ! 生きているんだったら顔を見せろっ! どれだけの連中が心を痛めていると思ってるんだ!?」
声も大きくまくし立てる彼女に、いきなり顔面をホールドされた。
片腕でギュッと頭部を固定されて、胸の谷間に鼻先が当たる感じ。贅沢を言えば、もう少し膨らんでいたら最高だった。しかし、これはこれでなかなか悪くない感触でございます。異性とこんなにも接近したこと、過去に一度もないよ。
「姫様、人間を見つけました! 南東の戦場近くですっ!」
エルフの人は手にしていた剣を柄にしまう。
そして、懐から取り出したトランシーバーに語りかけた。
『分かりました、これからすぐに向かいます』
「はい、お願いします!」
異性に抱かれたままという状況に気恥ずかしさを覚えて、どうにかエルフの人のホールドを抜け出す。惜しい気がしないでもないけれど、彼女に抱えられたまま、お姫様と顔を合わせるのは気が引けた。
また次の機会に期待である。
「本当に人間に勝ったんですか?」
「ああ、そのとおりだ!」
答えるエルフの人は機嫌が良さそうだった。
満面の笑みを浮かべている。
めちゃくちゃ可愛いのどうしよう。
おかげで化け物の勝利が揺るぎないものであることを理解できた。しかし、それでも疑問は尽きない。界隈で確認した死体は大半が人間のものだった。いくらなんでも上手いこと行き過ぎてやいないか。
「ここに来るまで、死体は人間のものばかりでしたけれど」
「あぁ、人間どもの援軍が碌に武装していなかったのだ」
「武装を?」
「どうやら主に兵糧の補給と、制圧後の入植者を運ぶための大隊だったらしい。私自身も前線に出て戦った感じ、満足に剣を振るうこともできない烏合の衆に思えた。だからこそ相手の数こそ増えたものの、こうして打倒することができた」
「なるほど、そんなことになっていたんですね」
「やがて大多数が逃げ始めたことで、相手の指揮は総崩れだったな」
こんなことならもっとしっかり確認しておけばよかった。
いやでも、結果的に勝てたのだから別に構わないか。
むしろあそこで進軍を躊躇していたら、相手に補給と休息の機会を与えることになっていたと思われる。こちらから打って出るには、これ以上ないタイミングであったと、今となっては自画自賛しちゃう。
そうしてあれこれ考えを巡らせていると、不意に身体に違和感が。
ふっと下半身から力が抜けて、その場にガクッと座り込んでしまう。
「お、おい、大丈夫か?」
「気が抜けただけなんで気にしないでください」
「なんだ、だらしがない奴だな……」
肩の荷が下りた気分だった。
同時に達成感が胸の内を満たしていくのを感じる。大好きだった長編小説を最後まで読み終わったときも、期末試験で学年上位に入ったときも、高校入試で目当ての学校に合格したときも、これほどの達成感を得たことはない。
自分がやりたいことをやりたいようにやって、その結果として得た満足感。それは何事にも代えがたい宝物のように感じられた。お国を守る為に立ち上がった化け物たちの気持ちが、少しだけ分かったような気がする。
「おい、姫様が直々に来てくださったぞ」
エルフの人の声に顔を上げる。
すると、そこには巨大な竜が迫っていた。
「おぉ……」
何度見ても慣れない巨体を前に思わず息を飲む。
竜は我々のすぐ近くに身を下ろした。
そうかと思えば、こちらの姿を目の当たりにして、ギョッと目を見開いた。まさか竜の驚く顔を見る日がくるとは思わなかった。目と同様に大きく開かれた口は、人間などダース単位で丸呑みにできてしまいそう。
「い、生きていたのか!? 人間っ!」
耳に届いた竜の声は、どこか聞き覚えのあるものだった。
たしかラウドさん。
そうかと思えば彼の背から飛び降りて、お姫様が姿を現した。
「人間! 無事だったのですかっ!?」
「どうもです、おかげさまで生きてました」
お姫様の目元に涙が滲む。
自分の為に泣いてくれる人がいるなんてビックリだ。
「これほど喜ばしいことはありません!」
彼女は駆け足でこちらに近づいてきた。
そうかと思えば抱きしめられた。
両腕を巻き込んで、真正面からギュッと。
「よかった、本当に良かったです。我々だけが生き延びて、人間、貴方を死なせてしまうような不義理をせずに済みました。こうして生きていてくれて、ありがとうございます。心より感謝を申し上げたく思います」
生まれて初めて感じた異性の体温は、心身ともに温まるものだった。
削られるばかりであったメンタルが、ゲージ満タンまで回復した気分だ。
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