危機

 化け物たちは当初の苦戦をものともせず、段々と勢いを巻き返していった。人間を遥かに凌駕する身体能力を惜しげもなく振るい、数で勝る敵軍を段々と追いやっていった。その事実に皆々が狂喜乱舞し始めていた。


 そうして防戦に段々と勢いがつき始めた頃合いのことである。


 日が変わってしばらくした時分にもたらされた伝令が、全てを一変させた。


『姫様っ! 大変です、人間の援軍がやってきましたっ!』


 町の上空を旋回する鳥人の声が、スピーカー越しに響き渡った。


 これまで幾度となく耳にしてきた声だ。


 それが今までで一番の焦りを伴い、一際大きく伝えられた。


「またですか!? 今度はどこにどれくらいの規模でしょうか!」


『そ、それが……』


「どうしました? テオ、早く答えてください」


『敵の本陣の後ろから、か、数えきれない明りが近づいてきます!』


「なっ……」


 お姫様の可愛らしいお口から、驚愕の声が漏れた。


 鳥人が言う敵の本陣とは、こちらの町の正面に数キロほど離れて設けられた人間たちの拠点である。その更に後方ということは、これまで町を襲っていた者たちとは別に、追加で真新しい戦力が投入されようとしている、ということだ。


「え、あの……人間の国ってそんなに近くにあるんですか?」


「いいえ、少なくとも人の足で数週間を必要とします」


「というと、敵の後発隊が追いついた、みたいな感じでしょうか……」


「テオ、敵の数はどの程度か、もう少し具体的に分かりませんか?」


『遠くてハッキリしませんが、少なくとも十数万はいるかと思われます』


 続けられた報告に眩暈がした。


 桁一つ間違えているのではないかと。


「うそぉ……」


 いくら段々と盛り返し始めているとはいえ、再びその数をぶつけられたら耐えられるかどうか分からないぞ。かなり大雑把に数えたとしても、今まで戦ってきた本隊が倍に膨れ上がることになる。


 対して我々は既に数時間を戦って疲労困憊。


 気力のみで立っている方々も少なくないだろう。戦場で敵兵を食べない種族については、食事も碌に摂れていないものと思われる。そう考えるとこちらは増援が来ても来なくても、あと何時間持つか分からない状態なのだ。


 頼みの綱の結界も依然として復旧できていない。


「人間、私たちはどうしたら……」


 お姫様からも深刻な面持ちで見つめられる。


 スピーカーの向こう側で戦っている皆々は、姫様がなんとかしてくれるのではないかと、期待しているに違いない。仲間からの信頼を一身に集める彼女の心境は如何ほどのものだろう。自分だったら絶対に挫けているよ。


「こちらのお城は、どれくらい仲間の方々が入りますか?」


「まさかそれは……」


「城に籠れば結界で少しの間は耐えることができますよね? その間に何か素敵な策が見つかるかもしれません。食料だったら自分がいくらでもあちらから運び込んでみせますので、どうかお願いできませんか?」


「しかし、それでは町がっ……」


「もしくは結界が残っている町の三分の一まで、現場に出ている方々を下がらせて欲しいです。この状況で守りを固めずに敵が倍にまで膨れ上がったら、一気に攻め込まれちゃいますよ。それに現場の皆さんにも身体を休めてもらわないと」


「…………」


 この町の化け物たちには、負け戦なら潔く戦って散るべきである、みたいなド根性の持ち主が多い。けれど、その判断はまだ早いと思うのだ。一部とは言え結界は生きているし、食料を確保する方法も存在している。


 けれど、世界が違えば思想も違う。


 自身の一存で彼女たちに無理強いすることはできない。


「駄目ですか?」


「……分かりました。皆を結界の内側に召集します」


「ありがとうございます」


 そうして答えたお姫様の面持ちは、とても辛そうだった。


 彼女にとってこの町は、きっと自分が考えている以上に大切なものなのだろう。




◇ ◆ ◇




 お姫様による撤収命令は、瞬く間に現場の隅々まで行き渡った。


 撤退ラインは町の障壁が生きている三分の一の地点まで。


 化け物たちが引くのに応じて、これを好機と見た人間たちは勢いを盛り返した。これまで命がけで守っていた家屋が、そこかしこで破壊されていく。これを目の当たりにしつつの撤収は、町の住民たちにとって耐え難い屈辱だっただろう。


 彼女の指示に反して、最後まで抵抗を訴える者も大勢いた。


 それでもどうにかこうにか、皆々安全な結界内まで引いてくれた。


 そして、撤退を終えてからも界隈は大忙しである。怪我人の治療や食料の配給など、行うべきことは沢山あった。次の衝突に向けて、争いで失われた武具の補充や修繕も進めなければならない。


 こうした諸々の作業を進めつつ、各種族の長的なポジションにある化け物たちは、お城の会議室に集まっていた。つい先日にも話し合いで利用していたお部屋である。今後どのように動くか話し合いをする為だ。


 そこには当然ながらお姫様の姿もあり、おまけで自分もお邪魔している。


「皆、これまでよく頑張ってくれました」


 居合わせた皆々を見渡して、彼女が口を開いた。


 すると間髪を容れずに皆々から声があがる。


「姫様、我々はまだまだ戦えます。早く指示を出して下さい」


「最後まで諦めることなく、この国の為に戦いましょうぞ!」


「結界もまだ、三分の一も残っているではありませんか」


 そうして語る化け物たちは、誰一人の例外なく怪我をしている。額から血を流していたり、刀傷を負っていたり、皮膚が焼けただれていたりと、どちらを向いても満身創痍だ。無傷なのは自分とお姫様くらいだろう。


 それなのに彼らは皆笑みを浮かべて語ってみせる。


 十数万という敵援軍の存在は既に周知されている。彼らも今後どういった状況が待っているのか、なんとなく想像していることだろう。それでも化け物たちの勢いは、なんら失われてはいなかった。


「ありがとうございます。その心意気、とても頼もしく思います」


 仲間たちの声を受けて、お姫様は恭しくお辞儀をしてみせた。


 艷やかなブロンドのさらりと流れる姿はとても綺麗で、これがあと数刻で失われてしまうのだと思うと、なんだか堪らない気持ちになった。ラウドさんの言葉ではないけれど、どうにかしなければいけない衝動に駆られる。


「ところで皆には、この場で伝えておきたいことがあります。このたびの争いで一度でも戦況を盛り返すことができたのは、皆の尽力も然ることながら、こちらの人間の働きがあったからに他なりません」


「……え?」


「ですからどうか、この者に感謝の言葉を送ってはもらえませんか?」


 続けられた言葉に思わずお姫様を振り返る。


 すると彼女は柔らかい笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。視線が合うのに応じて、深い蒼色の瞳がスッと細められる。その面持ちはどこまでも穏やかで、温かみの感じられるものだった。


「姫様の言うとおりだ! 人間、お前は本当に良くやってくれたっ!」


「あの変な機械のおかげで随分と頑張ることができた」


「姫様の声を聞きながら戦えるなんて、これ以上の喜びはない!」


「おかげで町の被害も、最小限に食い留めることができた」


「今、仲間が飯を食えるのもお前のおかげだっ! 人間っ!」


 化け物たちの口から、次々と称賛の声が上がった。


 なんと応えたらいいのか分からなくて、自然と意識はお姫様に向かう。


 すると彼女はこれを受けて、言葉を続けた。


「ですがこれ以上、この人間を巻き込むことはできません。この者はこの世界の人間ではないのです。そして、ここから先は我々の戦いです、我々だけで戦うべきなのです。他所の世界の者に、これ以上の迷惑はかけられません」


「え、ちょっと待っ……」


「人間、今までありがとうございました。民を代表して感謝します」


 死ぬのが怖くないとは口が裂けてもいえない。万が一の際には、姿見に逃げ込むという選択肢も控えている。そんな自身の甘い覚悟では、次の争いは越えられないのだと、お姫様から暗に言われた気分である。


 再びお辞儀をしてみせた彼女に、門外漢は返す言葉がなかった。


「ラウド、この者を鏡の間に送ってください」


「は、はい……、分かりました、姫様」


 ここまで大々的に言われてしまっては、ラウドさんも自らの企みを諦めざるを得ないようだ。素直に頷いてこちらにやって来た。そのトカゲ頭を見上げると、彼もまたどこか覚悟を決めているように見えた。


「人間、私について来い」


「あの……」


「これ以上は手出し無用だ。今のうちに元の世界に帰るといい」


「…………」


 実際問題、家には帰りたい。


 だって死にたくない。


 しかし、それと同時に今この状況で、自分だけ一足先におさらばすることに、抵抗のようなものを覚えている。だって帰ったら帰ったで、こちらの世界のことが、むちゃくちゃ気になると思うんだ。


「さぁ、行くぞ」


 退出を促すように、ラウドさんがこちらの肩に軽く手を載せた。


 ひんやりとした鱗の感触がシャツ越しに感じられる。


 自分のそれとはかけ離れた外見だ。大きさも二回りほど違う、正真正銘、化け物の手である。それが学校で友人と接する以上の距離感で、こうして身体に触れていることに妙な感慨を覚えた。


 馬鹿な話だとは思う。


 ただ、それでも考えてしまった。


 もう少し彼らの為にできることはないだろうかと。


 すると思い起こされたのは、いつだか教室で聞いたゲームの話。


 山川たちが楽しげに交わしていた話題の一端。


『でも、属性反射って敵しか使えない技じゃない?』


 ゲームの世界はどうだかしらないけれど、現実的には敵と味方の区別なんて非常に曖昧なものである。相手が行えることは、こちらも大体行うことができるし、その逆だって当然起こり得る。


 ところで、この町の化け物たちはこれまで延々と耐え忍んできた。町に結界を張り巡らせてまで、一貫して守りに徹していた。それはきっと町と民を守らなければ、という既成観念から生まれた行為と思われる。


 けれどそれって、化け物的にどうなのだろう。


「あの、自分から一つ皆さんに提案があるんですが」


「……提案だと?」


 ラウドさんがこちらの顔を覗き込むようにして問う。


 その強面にビクリと慄きつつ、居合わせた面々に説明を続けた。

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