交流 一
その日、俺は初めて両親に内緒で外泊することになった。
できる限り城に居て欲しいという化け物たちからの要望が所以だ。そして、いざ実行するに当たっては、田辺の言葉に背中を押されての敢行である。門限? 俺だったら勝手に遊び出かけるけど、とかなんとか。
けれどそうは言っても、夕食は自宅でしっかりと食べたし、おやすみと声をかけて部屋に入るまでは、ずっと自宅にいた。ただ、ベッドに入る振りをして、そのまま屋根裏部屋に運び込んだ姿見に指先を触れさせた。
いきなり夕食からボイコットするには、今の自分には度胸が足りない。際しては毛布を丸めて、掛け布団の下に忍ばせることも忘れない。うちの両親はノックもなしに、いきなり部屋に入ってくるのだ。当然ながら自室に鍵はなし。
日々のオナニーもままならない。いっそ見せつけてやろうかと。
そうして無事にお城に迎えられた今、お姫様の私室にお邪魔している。
何故かというと、部屋の主に呼ばれたからに他ならない。
「あの、話ってなんですか?」
「人間、貴方に一つ尋ねたいことがあります」
「なんですか?」
「貴方はこの度の戦い、我々に勝機があると思いますか?」
テーブルを挟んで椅子に腰掛けたお姫様が問うてくる。
卓上には緋色の液体の満ちたボトルと、これを注がれたグラスが二つ並ぶ。中身はお酒だ。それなりにアルコール度の高い蒸留酒のようで、一口喉に流して頭が痺れるのを感じた。無断外泊に加えて、生まれて初めての飲酒まで経験してしまったぞ。
ちなみにお姫様は普通に飲んでいらっしゃる。
「自分は敵の戦力を知らないので、なんとも言えないです」
「では、敵の戦力を考えず勘で選んでくれませんか?」
「か、勘ですか?」
「はい、勘です」
相手が何を言いたいのか分からなくて、返す言葉に戸惑う。
試されているのだろうか。
拒絶されているのだろうか。
それとも他に何か理由があるのだろうか。
「戦力がどうあっても、君たちには勝ってもらいたいと思っています。そうじゃなければ、これまでも協力するようなことはしなかったし、こうして呼び出しに応じて足を運ぶような真似もしないと思いませんか?」
「本当でしょうか?」
「もちろんですよ」
「ですが我々は、人間を喰らうのですよ?」
「え?」
「貴方たち人間が家畜を喰らうように、我々は人間を喰らうのです。それを理解した上で貴方は、我々を選ぶことができますか? 食べ物に困ったときはもしかしたら、貴方の身体に齧りつくかもしれません」
「なるほど」
正直に言うと、痛いのは嫌だなぁと。
ただ、犬歯をむき出しにして語るお姫様は可愛かった。
これで相手がトカゲの人だったら怯えていたかもだけれど。
「それでも貴方は、我々の味方でいられますか?」
「…………」
相手の発言の意図が分からなくて、頭を悩ませる。
ただ、繰り返し自らの立場を否定されたことで、ふと気付いた。もしかしたら彼女は、自分とトカゲの人たちとのやり取りを見聞きしていたのかもしれない。あるいは他人の口から伝えられたか、わざわざ確認するまでもなく想像したか。
「自分がトカゲの人から言われたこと、気にされていますか?」
「トカゲの人?」
「いつもお姫様のすぐ近くにいた方ですけれど……」
「あぁ、ラウドのことですね」
そういえば過去に一度だけ、そんな響きを耳にしたような気がする。
脇腹を矢で討たれて、医務室に運び込まれた前後のことだ。
「あの方はラウドという名前なんですか?」
「私の腹心ですが、まさか名前を知りませんでしたか?」
「すみません……」
「本人にはトカゲと言わないほうがいいですね。切られますから」
「えっ、あ、重ね重ねすみませんっ……!」
「ですが、今はいませんから大丈夫です」
お姫様の面持ちに、やんわりと穏やかな笑みが浮かんだ。
今までに見た彼女の笑顔でも、指折りの可愛らしさではなかろうか。薄暗い明りに照らされてぼんやりと輝くブロンドがとても綺麗に映える。深い蒼色の瞳に魅入られて、その奥深くまで吸い込まれてしまいそうな気分になった。
ガチ恋勢になりそうだぜ。
「たしかに貴方の言葉通りです」
「……そうですか」
「あの者の考えそうなことなど、容易に想像できます」
ぜんぜん駄目じゃん、トカゲの人。
思わず突込みを入れたくなった。
「私は人間ではありません。ですから人間に紛れて暮らすことなどできません。そして、この地は父上が守らんとして散った地なのです。ですから私も散るならば、この地で散りたいと、そう切に願っているのです」
笑顔であったのは一瞬のこと。
一変して今度は、きりりと頬が引き締まった。
「私はこの地を離れません。もしも貴方がそれを行うというのであれば、私は貴方の世界の人間を一人残らず喰らい尽くす覚悟があります。そこには貴方が大切だと考えている者たちも含まれることでしょう」
「…………」
ここ最近の自分には、いささか威力に欠ける脅しだ。
大切な人、ガクッと減っちゃったからな。
「今回の戦にしても、立場を変えて人間の側から眺めれば、我々という危険な捕食者を殲滅する意味もあることでしょう。それは種を守る為に非常に効果的な行いだと私も思います。同じ立場に立ったのなら賛同することでしょう」
「でも自分は、この世界の人間とは違いますから」
「これ以上、貴方を巻き込むわけには行きません。今からでも遅くありませんから、どうか貴方は貴方の世界へ戻ってください。これ以上、他所の世界の者の手を煩わせることはありません。一方的に召喚しておいて申し訳ないとは思いますが」
「…………」
「これが私からの最後のお願いです。今まで面倒事ばかり頼み込んで、そして、今に至ってはこのような尊大な態度ですが、どうか許してください。ここは貴方にとって死地にも等しいのです。明日どうなっているかさえ分からないのです」
こちらを見つめるお姫様の瞳には、頑なな意思が見て取れた。決して譲らないぞと、可愛らしくも凛々しい眼差しが、言葉以上に強く訴えて思える。外見は小さい子供なのに、妙な迫力が感じられた。
こうまでも気を遣われると、逆に率先してお手伝いしたくなってしまう。
だって元の世界は灰色一色、来月から始まる高校生活もヤバそうだ。新天地で気分を一新して頑張りたいな、なんて考えてしまっても仕方がないでしょ。それになんというか、スマホやグルチャのない世界は、自分にとって非常に清々しく映る。
あぁ、どうして答えたらいいだろう。
お姫様の可愛らしいお顔を前に、あれやこれやと頭を悩ませる。
そうした最中の出来事だった。
以前にも憶えのある強烈な揺れが身体を揺さぶった
足元が大きく動いたかと思うと、次の瞬間には建物全体が激しく、上下左右にガタガタと震えていた。もしも椅子に座っていなかったら、転倒していたかもしれない。それくらい大きな揺れである。
「こ、これはっ……」
お姫様も驚いていらっしゃる。
テーブルの上ではお酒の入ったボトルが倒れて転がり、そのまま床に落ちて割れた。我々の手から離れていたグラスも、これに続くようにダイブ。お高そうな絨毯に緋色のシミがじわじわと広がっていく。
これはもしや、人類が攻めてきたのではなかろうか。
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