異世界 二

「つまり君たちは、この世界で人間が作る国と戦争をしていると」


「ええ、そう理解して頂いて構いません」


「それはまたなんというか、色々と大変ッスね」


「すべては人間たちが我々を家畜として扱うが為です。これは我々の存亡を賭けて絶対に勝たねばならない戦いなのです。そうでなければ、この先に待つ未来は人間以外を許さない、とても混沌としたものになるでしょう」


「あ、はい、そのあたりはさっき重々説明してもらいました」


 トカゲたちの熱が収まったところで、角の生えた女の子から事情を説明をしてもらうこになった。それは彼女たちの存在如何から始まって、ここがどのような場所であるか、何を持ってこの場に自分がいるのか。


「ですからその戦いに勝つ為に、外部からの助力を願って行った召喚の儀なのです。しかし、こちらの作法に手違いがあったのか、書物に記されていた内容が間違っていたのか、貴方という存在を然したる交渉もなく呼び出してしまいました」


「交渉?」


「本来であれば、異世界から巨大な力を持った同胞を呼び出すつもりでした」


「だけど出てきたのは、自分みたいな訳の分らない奴だったと」


「人間は脆弱な存在です。肩を並べて競い合えば決して負けることはありません。しかし、その数が我々と比べて圧倒的に多いのです。物量で押されること数年、我々は危機的状況にあります」


「なるほど」


「今もこうして居城に篭り、如何に耐え忍ぶか頭を悩ませているのです」


 少女の語りはかれこれ数十分に及んだ。


 それが今、ようやく終わろうとしている。


 個人的には割とどうでもいい。


 むしろ頭を使うべきは、週明けから始まる学校生活に他ならない。


 マジで困ってる。


 自分が苛められる日が訪れるなんて、想像さえしなかったもの。


 苛め、カッコ悪い。


 でも苛められる側に非があると言われると、ちょっと考えてしまう。自分はちゃんと中学生できていたものかと。放課後の内緒話を聞いた後だと、これまでの生活態度に自信が持てないぞ。同級生一同、割と我慢していたようだし。


「それで結局のところ、自分はどうなるんですか?」


「貴方を召喚した魔法の効果は恒久的なものです。そちらの鏡面に触れれば、元の世界に帰ることができるでしょう。そして鏡を破壊しない限り、二つの世界を行き来することは永続して可能です」


 少女が指差した先には、屋根裏部屋で見つけたものと寸分違わぬ姿見がある。


 設置されているのは、広間の中央に設けられた石台の上だ。召喚の儀、などと言う大それた催しに相応しい荘厳なデザインである。もしもスマホを所有していたのなら、写真の一枚でも撮っていたことだろう。


 そう、スマホ。スマホである。


 高校に入学したら買ってもらえる予定なのだけれど、未だ不安が残る。


 中学に入学する前後にも、交渉して却下されて今に続くから。


 思い起こせば小学生の時分にも。


 あれがあれば、もう少しクラスメイトとも話題を共有できた。学年で所有していないのは、自分以外だと片手に数えるほど。三年に進学したことで、グッと所有率が上昇したのだ。高校進学を目前に控えては、大半の生徒が所持している。


 あの平たい画面を指先でぺちぺちするのが、今の自分の夢だ。


 死ぬ前に一度でいいから、ソシャゲとやらに課金してみたい。


 ガチャを回してみたい。


「鏡に触れるだけなんですか?」


「そういった仕組みになっているはずです。そして、こちらも戦時下という慌しい状況にあります。要らぬ混乱を招かぬ為にも、非常に勝手な話だとは思いますが、そうすることを強く願わせて下さい」


「もう帰ってもいいってことですか?」


「はい、迷惑を掛けしてしまいすみませんでした。こちらの鏡は貴方以外の者が貴方を伴わずに通り抜けることは不可能です。ですから我々が、そちらの世界へ干渉することはできません。安心して帰って下さい」


「それはご丁寧にどうもです」


 屋根裏部屋がトカゲの軍団に占拠されては敵わない。


 お姫様の説明を受けてホッと胸をなでおろした。


「それじゃあ、自分は家に帰らせてもらいますんで」


「ご足労ありがとうございました」


「いえいえ、こちらこそ期待に添えなくてすみませんでした」


 一時はどうなるかと焦った。


 けれど、こうして帰れるのならそれでいいじゃない。


 細かいことにいちいち目くじらを立てていたら疲れてしまうもの。


 そんなことを考えつつ、鏡に向かい一歩を踏み出す。


 するとその直後、広間に爆音が轟いた。


 同時に地震でも起こったかのように足元が揺れる。


 いいや、これは地震そのもの。何事かと声を上げる前に両手を床に突いていた。あまりの揺れに立っていられない。震度五くらいなら割と余裕のある島国育ちであっても、危機感を煽られるほどの振動だった。


 四つん這いで広場の様子を窺う。


「な、なんだっ!? 何が起こったのだ!?」


「人間の連中の砲撃か!?」


「馬鹿な、砲撃なんぞでここまで揺れて堪るものか!」


「では何が起こったというんだっ!」


 周りを囲っていたトカゲたちも、慌てふためいていらっしゃる。強面の化け物たちも、地面が揺れるのは怖いようだ。何が起こったのかと声を荒げている。怒声や悲鳴が飛び交い始めて、一度は静まった場が再び喧騒に包まれる。


「み、皆の者、落ち着くのです! 落ち着きなさいっ!」


「姫様っ、こちらへ非難をっ!」


 揺れは数十秒ほどで収まった。


 そうかと思えば、次に訪れたのはどこからともなく届けられた声だ。


「敵だぁっ! 人間共が攻めてきやがった!」


「な、なんだと!?」


「守りの結界はどうなっているんだ!」


「今の揺れで一時的に結界の機能が低下したらしい」


 トカゲたちが忙しくし始める。


 敵が人間というのが、同じ人間の身分からするとしっくりこない。


「大変だっ! 数は少ないが堀を越えて城内に侵入を許してしまった」「姫様の避難を急いでくれ!」「相手は必死覚悟で攻め入ってきているぞ!」「急いで大広間周辺の守りを固めるんだ!」


「城門の防衛で手が空いている者が少ない、この場の者たちで対処するんだっ!」「なんとしてもで姫様をお守りするぞ!」「扉は閉められるだけ片っ端から封鎖しろっ! 凍らせても構わん!」


 姫様の面持ちは覚束ない。


 召喚とやらの失敗を理解したとき以上に悲しげだ。


「なんたる失態、父上から預かる城に侵入を許してしまうとは……」


「姫様、今はとにかく非難を急いでください。ここは危険です」


「いいえ、大将たる私が前に立たずしてどうするのです」


「万が一にも怪我を負うようなことがあっては、この国の一大事です」


「ですがっ……」


 俺の存在など既に忘れられて思える混乱っぷりだった。


 これ以上の長居は無用だろう。


 居合わせただけの異邦人は、慌てて姿見のある方に向かい駆け出した。彼らの言う敵の侵入で鏡が割れてしまっては大変だ。今のうちにとっととお暇するべきだろう。自分にできることなど何もないのだ。


 幸い鏡はガッチリと石台に固定されており無事である。


「そ、それじゃあ、俺はこれで……」


 誰も聞いていないだろうけれど、小さく会釈などしてみる。


 その直後、足を一歩踏み出したところで気づいてしまった。


 鏡の端に小さく映った人の姿に。


 それはトカゲや少女とは違い、自分と同じ身体の作りをしていた。つまり、人間だ。そして、先方はこの場の誰にも気づかれることなく、ひっそりと弓を引いていたのである。広間の照明を受けて、弓に掛けられた鏃がキラリと色黒く光る。


 咄嗟に振り返った先、矢先は少女を捉えていた。


「…………」


 自分でも何を考えてそうしたのかは分らない。


 ただ、危ないと思った瞬間の出来事である。


 鏡に向けられていたはずの足は、しかし、真逆の位置に立つ少女の下に駆け出していた。まるでスローモーションのように周囲の光景が遅れて感じられる。視界の片隅で人間が弓を弾く。撓んだ弦が見えたかと思うと、同時に矢が打ち出された。


「ちょ、ちょぉおおおおおお!」


 叫び声を上げながら、少女に向かい突進する自分。


 彼女にしてみれば、キチガイが変顔で迫ってくるように感じたことだろう。こちらを振り向いたお姫様の顔には疑問と驚きが浮かんでいた。そして、彼女が答えを得る間もなく、自身は相手の身体を腕のうちに収める。


 事案必至の状況だ。


 以前、中学生が小学生をレイプして逮捕とかニュースに見たもの。


 いよいよ自分も逮捕される年頃になったのかと、感慨も一入である。


「なっ……」


 怒りか羞恥か驚愕か、少女の目が見開かれる。


 間髪を容れず、トスっと軽い音が響いた。


 抗い難い強烈な痛みが腹部に走った。


 患部に目を向けると、脇腹に矢が刺さっている。


 マジ勘弁。


 身体は駆け出した勢いのまま床に倒れた。


 少女を抱えたまま、冷たい石床の上をゴロゴロと転がった。


「て、敵だ! 敵が広間に入り込んでいるぞっ!」


「そっちだ、その柱の影から撃たれたぞっ!」


 トカゲたちの必死な声が耳に届く。


 普段なら不安を覚えるだろう怒声も、まるで気にならない。ジクジクと熱を持って疼き始めた傷口に悶絶。過去に経験したどんな怪我よりも痛い。すべてを諦めて泣き叫びたくなってきたぞ。


「に、人間! 私を庇ったのですかっ!?」


「姫様、早くこちらへ!」


「い、いや、しかし、この人間が……」


「ならば一緒に来てください。ここは危険です」


 そうこうしていると、身体の浮かび上がる感覚が。


 どうにか顔を上げてみると、そこには厳ついトカゲ面が迫っていた。硬い鎧の胸当てがシャツ越しに当たるのを感じる。身の丈三メートル近い巨漢は、見た目に違わない力を持っていた。どうやら抱え上げられたようだ。


 意識があったのはそこまで。


 視界の隅の方から黒いものが滲んできて、目の前が真っ暗になった。


 なんかもう嫌になっちゃう。

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