異世界 一

 俺の名前は佐藤浩二、どこにでもいる苛められっ子の中学三年生だ。


 自分のクラスにはそういうの、ないと思っていたんだけれどな。


 本日は自宅近所で施工の始まった下水管の取り替え工事、その騒音で目が覚めた。どうしてかくも道路工事は、夜遅く眠った日の翌日を狙ったように行われるのだろう。おかげで気分がよろしくございません。


「……どうしよう」


 口を突いて出る言葉は昨日から変化がない。


 本当にどうしよう。


 ベッドから起き出してクローゼットに向かう。


 パジャマから普段着に着替えつつ、本日の予定を考える。テレビゲームをしようか。長編マンガを読み返そうか。将来に備えて勉強しようか。色々と多い浮べたけれど、どれも実行する気になれない。


 そもそもテレビゲームって、何の為にするんだろう。


 一度読んだマンガを読み返す理由って何なのか。


 最終的に勉学こそ唯一無二の選択として意識させられる。


 でも、どう足掻いても面倒くさくてやりたくない不思議。


 窓ガラス越しにコンクリートの破壊音を聞きながら、天井を眺めて過ごす。


 週が空けたら自分はどんな顔をして学校へ行けばいいんだろう。残り僅かな学生生活を如何にしたら平穏に過ごせるだろう。どうやって彼らの機嫌を伺えば、卒業式の日を穏便に済ましてくれるだろう。


 奴隷根性が迸る。


 そうして悶々としていると、不意に懐かしい思い出が脳裏を過ぎった。


「…………」


 それは小学校入学から間もない頃の記憶。当時の自分は気に入らないことがあると、屋根裏部屋に引き篭もっていた。両親に叱られたり、友達と喧嘩したり、理由は色々とあったけれど、ことある毎に足を向かわせた覚えがある。


 両親に内緒で上がっていることがバレて以来、利用することを硬く禁止された屋根裏部屋は、今いる自室の天井から梯子を伝って上ることができる。そして、天井付近に硬く封印された梯子も、この歳ならば問題なく手が届く。


 ふと蘇った思い出に僅かな笑みを取り戻して立ち上がった。


 天井に続く梯子を引き下ろす。


 幼い自分でも容易に登れたのだから、今ならば何ら問題はない。それでも一応、足を滑らせないように気をつけながら、ゆっくりと登った。久しぶりに触れる収納梯子は、随分と小さなものに思えた。


「っ……」


 天板を開けると、そこは埃だらけだった。


 思わず声を上げてしまう。


 小さい頃は気にならなかったのだろうか。


 まるで思い出せないぞ。


「……っと」


 最後の一段を上りきって床に立つ。


 然して高くない天井が、頭の天辺すれすれの位置にある。昔はもっと余裕があった気がする。それだけ自分が成長したのだろう。何気ない過去の思い出は、傷心に心地良い薬となって染み渡った。


 しかし、登ってみたはいいけれど何をしよう。


 同所には古ぼけた段ボール箱が数個と、大きめの姿見があった。


 広さ自体はかなりのもので十畳以上ありそうだ。物が少ない分だけ閑散として感じられる。恐らくここまで荷物を持ち上げるのが面倒だったのだろう。早々に倉庫としての利用を取り止める決意をした両親の心持ちが伺える。


「この鏡だけは部屋にあってもいいかもしれないな……」


 部屋には手鏡しかない。今後の高校生活を思えば、自室に下ろしてもいいのではないかと考えた。非常に古めかしい作りをしているけれど、それでも鏡には違いない。お金のない学生身分には魅力的に映る。


「この鏡だけ埃が積っていないような……」


 何気なく呟いて、鏡面を指先で撫でる。


 すると、何故だろう。


 驚くべきことに鏡面に触れた中指が、その内に吸い込まれた。まるで木の葉が水面に落ちたかのように、自身を映す硬い鏡の表面に波紋が広がってゆく。突き刺さった指先には何の抵抗も感じない。


「っ!?」


 慌てて指を引き抜こうとした。


 けれど、それは叶わなかった。


「マジかっ!」


 どういう理屈なのか、身体は強烈な引力を受けて姿見へ引き寄せられる。鏡面にぶつかると思った瞬間、もう目を開けていることはできない。恐怖からぎゅっと目を閉じた。次いで与えられる何かに身を硬くする。


 すると直後、足裏にあった床の感触がふっと消えた。


「なんかこう、微妙に空気が生暖かいっ!」


 立っていられないと感じて、何かに捕まろうと必死に腕を動かす。これを受けて身体はバランスを崩し、正面に向かい倒れ掛かる。必死に振り回される両腕は、しかし、空を切るばかりで何も掴めない。


 それが僅か数秒の出来事である。


 気づいたときには、何か冷たいものに身体を打ちつけていた。


「に、人間だとっ!?」


 間髪を容れず、野太い誰かの叫び声が耳に届く。


 目を開くとそこには石の床。


 大慌てで身体を起こす。


 膝と腕、それに額がズキズキと痛い。


 患部を指先で撫でると、擦れて血が滲んでいることが確認できた。


「姫様、離れてください!」


「ま、待ちなさい、殺してはなりませんよ」


 そこは屋根裏部屋とは似ても似つかぬ場所だった。


 冷たい床は何故か光沢返す石作り。


 見上げた天井は遥か高く、頭上数メートルの位置にある。


「…………」


 周囲を見渡せば、自宅の敷地面積を上回る広大な開けた空間が広がっていた。立ち並ぶ柱は両腕を回しても足りそうにない極太の石柱。それも綺麗に磨かれて、ピカピカと輝きを放っている。まるで西洋のお城の内装でも眺めているようだ。


 薄暗く埃っぽい屋根裏部屋はどこへ消えたのか。


「貴様、どこから侵入した!?」


「腹を床につけろ!」


「大人しくしなければ身の安全は保障しない!」


「えっ?」


 何よりも驚くべきは、こちらに詰め寄る人たちの姿だ。


 時代物の映画でしか見たことのない、剣や槍といった古めかしい凶器を手にしている。その風貌は人間に遠く及ばない。耳元まで裂けた大きな口や、自分を遥か上から見下ろす巨大な肉体、全身を覆う厳つい鱗などなど。


 まるでトカゲ人間。


 常識の範疇を超えた姿形をしている。


「黙れ、大人しくしろと言うのが聞こえないか!?」


「ひぃっ!」


 化け物としか言い様のない何者かが槍を振るった。


 その切っ先が眉間に向けられる。


 周りは完全に囲まれていた。


 人と数えれば良いのか、匹と数えれば良いのか。十数名からなる異形の人たちに囲まれて、口からは自然と悲鳴が漏れる。思わず尻を床へ付けたまま後ずさると、その足先はすぐに硬い物に触れた。


「か、鏡……?」


 屋根裏部屋で見つけたものと同じ姿見だった。


「おいっ! 動くなと言ったのが聞こえなかったかっ!?」


「わ、わかりました、わかりましたから刺さないでっ!」


 こちとら必死だよ。悲鳴だってあげちゃう。


 チクリと眉間を針に刺されたような痛みが走る。化け物の一人が構えた槍の先がニュッと伸びていた。頭上の照明を反射してキラリと光る刃は、それが決して紛い物でないことを伝えてくれた。


「喋るな、動くな、大人しくしろ!」


「絶対に動くな。不審な動きをしたらば、即座に切る」


「は、はいっ、大人しくします! 任せて下さいっ!」


 周りを囲っているのは、トカゲと人間を足して二で割ったような化け物たちだ。取り分け首から上がトカゲっている。数は十匹以上で、全員が剣やら槍やらで武装。まさか逃げ出せるとは思えない。


 そんな中で唯一の例外があるとすれば、それは彼らの後ろに控えた可愛らしい女の子だ。頭に角を生やしているあたり化け物には違いない。しかし、周囲のトカゲ頭とは違い、他は人間と近しい姿をしている。


「姫様、いかがしますか?」


「魔法を唱えられては厄介です。猿轡でも構わせるべきかと」


「その前に手足を縛るべきだと私は考えます」


「いえ、いっそのこと両手両足をもいでしまうのがよいと存じます」


 なんて物騒な提案だろう。


 少女を守るように構えたトカゲたちが、次々と声を上げた。


 どうやら彼女はトカゲたちのまとめ役みたい。


 本来であれば、ここはどこだ? とか、屋根裏部屋はどこに消えた? とか悩むべきだと思う。しかしながら、額から垂れた赤い雫を鼻頭に感じては、それも瑣末な疑問として感じられた。


 今はトカゲたちの持つ凶器にばかり意識が向かう。


「待ちなさい、私は召喚主としてその者と話があります」


 少女の凛とした声が広間に響いた。


 めっちゃ可愛い声なんですけど。


 可愛い声の女の子っていいよね。


 クラスメイトにアニメ声の同級生がいると、人生が豊かになる。


「で、ですが姫様、この者は人間、下手に相手をするのは危険です」


「前王たるお父上が亡き今、姫様の身に何か遭って国の崩壊です」


「ですが、その者は私の召喚に応じた者です。我々の知る人間とは異なった存在かも知れません。身につけている衣服も、珍しいものではありませんか? 縛るにせよ殺すにせよ、話を聞いてからでも遅くはありません」


「ひ、姫様……」


「私の言うことが聞けませんか?」


「いえ、とんでもございません」


 角の生えた少女は、歳幼い外見ながら滑舌の持ち主だった。


 腰下まで伸びた金髪を靡かせて一歩を前に進む。そして、周囲の化け物トカゲが慌てるのに構うことなく言葉を続けた。その姿は姫と呼ばれたとおり、相応に高貴な身分としてこちらの目にも映った。


「槍を引きなさい」


「は、はい」


 少女の言葉に応じて、眉間に触れて槍が離れた。


 トカゲたちに命令を下しつつ、彼女はゆっくりとこちらに向かい歩み寄る。その足が止まったのは、二、三メートル離れたあたり。床にへたり込んだ俺は、顔を上げてこれを呆然と見上げていた。


 彼女は睨むでもなく、威嚇するでもなく、ジッとこちらを見下ろす。


 自ずと目と目が合う。


 とても綺麗な深い蒼色の瞳だった。


「尋ねます。貴方は人間で間違いありませんか?」


「は、はい、自分は人間ですっ!」


 問われて即座にお返事。


 槍を突き付けられたのが効いていた。


 だってめちゃくちゃ怖い。


「では、貴方が私の召喚に応じた者なのですか?」


「…………」


 けれど、続く問いかけには上手い答えを返せなかった。


 こちらが言葉を詰まらせるのに応じて、少女の顔には陰りが差す。


 これまたなんとも訝しげな感じ。


「貴方は私の声に応じて現れたのではないのですか?」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。応じるも何も、どうして自分はここにいるんですか? 自宅の屋根裏部屋に上ったはずなのに、どうしてこんなだだっ広い場所にいるのか、まるで訳が分らないんですけど」


「……屋根裏部屋?」


「はい、屋根裏部屋ッス」


「…………」


 素直に答えてみせると、彼女は難しい面持ちとなり悩み始めた。


 うーんと眉間にシワを作る姿も愛らしい。


 ただ、素直にこれを褒めることは憚られた。何故ならば自身の周りには、武装したトカゲたちが大勢いらっしゃる。何気ない軽口が不敬と受け取られて、ブスリと刺されかねない状況だ。


「……分かりました」


 数分ほどを悩んだところで、角の生えた女の子に反応があった。


 何が分かったと言うのだろうか。


 こちらは何も理解していないのですけれども。


「どうやら貴方は、私たちを知らない人間のようですね」


「たしかに会うのは初めてだと思いますけど……」


「いえ、そういう意味ではありません」


 そうして語る少女の顔は、いくぶんか緊張が和らいで思える。


 何かしら悟った様子だった。


 一方で語りかけられたこちらは、まるで状況が分からない。自分だけ理解するのではなく、ちゃんと説明して頂きたい。特にこの広間と屋根裏部屋の関係とか、二足歩行のトカゲに関わる生命の神秘とか。


 ただ、それを願おうと口を開きかけたところで、彼女はふっと他所を向いてしまった。長いブロンドの髪がキラキラと輝いて流れる。それがあまりに綺麗だったものだから、俺は思わず押し黙ってしまった。


「皆、まさか人間を召喚してしまうとは想定外でした」


 彼女がトカゲたちに対して口を開く。


 相変わらず大上段な物言いだ。


「この国を救うべく、最後の望みを賭けた策でした。しかし、どうやらそれもここまでのようです。期待してくれた皆にはすまみませんが、私と共にこの国で散ってもらう羽目となりそうです」


 なんて物騒なお知らせだろう。


 彼女たちには彼女たちで、切羽詰った事情があるらしい。


 だからトカゲたちも、ピリピリとしているのだろう。


「ひ、姫様っ、そのようなことを仰らないで下さい!」


「そうです、我々はまだ戦えます!」


「人間なんぞに我々が負けることなどあってはならんのですっ!」


「姫様さえ命じてくだされば、我々はいつでも打って出ましょう!」


「人間共を一匹でも多く倒すのですっ!」


「そうですっ! 我々はまだ負けてなどおりませんっ!」


 少女の語りに応じてトカゲたちが一斉に声を上げた。


 まるで舞台劇でも眺めているような熱い語りっぷりだ。じつは着ぐるみで、ドッキリで、なかに人が入っているんじゃないかとか、思わず疑ってしまいそうになる。けれどそれは、口内の粘膜や瞬きの生々しい動きから違うと分かった。


「皆、そこまで想ってくれているのですか……」


 妙に滾る熱気を感じるけれど、それが如何なるものなのかは判断がつかない。そして、彼らはこちらを置き去りにして勝手に話を進めてゆく。何か事情があることは伺えるけれど、門外漢にはさっぱりだった。


「…………」


 とりあえず、床が硬いので早く起き上がりたいのだけれども。

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