4. 恋人に婚約者がいました
私には大好きな恋人がいる。
ブライアント・ブリンクリー伯爵令息。男爵家の娘である私には、もったいない方なの。青い髪にエメラルドグリーンの瞳が、爽やかで素敵。それに紳士的で、とても優しい。伯爵家ともなると、やっぱり違うわ……!
二つ年上の彼を学園の中庭で待っていた。ガセポで会う約束をしているの。
「アイリーン、今日もとても可愛いね」
「ブライアント様」
昨日の帰りは、一緒にお茶をしたわ。高級なお店の個室で、とても緊張した。
下位貴族じゃ、こんな素敵なデートはできないわね。
「あの、今度の日曜日、一緒に演劇を見ませんか」
「……今度の日曜か……」
ブライアント様が、何かを考えるように瞳を泳がせた。用事があったのかしら、きっとお忙しいのよね。
「いえ、お暇だったらご一緒したかっただけなんです。演劇は他の日にでも……」
「日曜はわたくしとお茶をする日でしたわね、ブライアント様。身の程を
私達を青い瞳で睨み付けているのは、とても美しい金髪のご令嬢。どなただったかしら。
「グ……グレイス!!!」
ブライアント様の顔色が悪いわ。肩をビクリと震わせた。
二人の視線がぶつかる。彼女はブライアント様の反応を窺ったあと、私に厳しい表情を向けた。
「わたくしはグレイス・ノーマン。ブライアント様の婚約者で、ノーマン侯爵家の娘ですわ。貴女、たかが男爵令嬢ごときが、この私に張り合うおつもり?」
こ ん や く しゃ
婚約者ですって!? 聞いてないわ、しかも侯爵家のご令嬢……!!???
下手をしたら、ウチがぶっ潰されるヤツ!!!
前世といい、私ってどうしてこうもダメなのかしら……!
そう、私は転生者。
前世でも同棲していた恋人が結婚していた、という裏切りを受けたわ。相手が単身赴任だったから、気付かなかったの。今世では絶対に幸せな恋愛をすると決めたのに。結婚前の学生なら安心だと油断していた……。
「グレイス、俺は確かに君の婚約者だ。だが、それは家同士が勝手に決めたことだ! 俺が愛しているのは、このアイリーン・ワイス男爵令嬢なんだ!!!」
叫ぶブライアント様。グレイス様は苛立たしげに、一歩、また一歩と近付く。
「だからなんなんですの?? 婚約者の前で、マシな言い訳もできないのかしら?」
「お前のそういうところがイヤなんだよ! アイリーンの愛らしさを見習え! お前がそうなら、俺は彼女と結婚する!!!」
「婚約を……、婚約を破棄すると仰るの!?? お父様が許しませんわよ!」
「侯爵様には俺から……」
「……結婚なんて、するわけないでしょっ!!!!!」
二人の言い争いに被せるように、思いっきり大声を出した。
「ア……アイリーン? 心配するな、俺がなんとかするから」
「俺が? なんとかする??? 笑わせるんじゃないわよ、この浮気男が!!! 婚約者がいるのを黙って女に近付くとか、最低すぎない? 家同士の約束を勝手に
「……あの……ワイス男爵令嬢? ブライアント様に私という婚約者がいると、ご存知なかったのですの……? それでしたら、貴女には責任は問いませんわよ」
高圧的な態度で怒りに燃えていたグレース様が、戸惑っているわ。
ブライアント様は目をパチパチとさせている。
「あーあーあー……前世といい、どうしてこんな男ばっかり寄ってくるの……。前世で同棲したヤツも結婚したのを黙ってて、ある日突然、慰謝料の請求書が届いたのよ……。まさか五歳のお子さんまでいたなんて……」
頭の中を過去が鮮やかに駆け巡る。私は独り言のようにブツブツと呟いていた。感情の発露なので止められない。
グレース様は片手で頭を抑えている。状況についていかれないのかも。
「お姉ちゃんが不倫されて離婚協議中で実家に帰っていたから、とてもじゃないけど家族に相談できなかったわ……。相手の弁護士さんと連絡を取って分割にしてもらって、支払いを始めたのよ。そしたら“彼と別れて”なんて別の愛人がアパートの部屋に押しかけてきて、なんか私が殺されたのよ……。意味分かんない!!!」
アレは恐怖だった。奥さんだと勘違いされ、包丁を突き付けて彼を愛しているのは私だとか叫ぶ女性に、もう関係ないと言っても信じてもらえず……。
刺されたのだ。
相手は震えていたわ。とにかく痛くて、自分の血で真っ赤に染まった両手が目に焼き付いた。しばらく苦しんでから意識を失ったわ。
なんで奥さんじゃなくて、私が殺されなければならなかったのよ。いや、奥さんを殺してもダメなんだけどね!
「前世? 殺された?? 何の話をしているんだ、アイリーン。混乱しているんじゃないか……?」
宥めるように、ブライアント様が優しく言葉を掛ける。
今まで甘やかに響いた声が、とても
「あの~……」
私の勢いに押されたのか、グレイス様が小さく手を挙げた。私が怒っているのブライアント様と前世の彼であって、彼女にではないわ。
「どうされました?」
「……貴女を殺したのは、わたくしです……」
突然の自白。
え?
「グレイスまで、どうした……?」
ますます状況が分からなくなるブライアント様。この際、放っておきましょ。
「お話を聞いていて、ハッキリ思い出しましたの……。その妻と勘違いして、貴女を殺した女って、わたくしの前世です……。問題の男は大樹って名前では?」
「そうです、大樹! じゃあ貴女があの時の……!??」
「ええ。単身赴任だと知らなくて、同棲されていた貴女を妻だと思い込んでしまいましたの。貴女が動かなくなった後、しばらくして大樹さんが荷物を取りに来たので、奥さんを殺してしまった、一緒に死にましょうって大樹さんに迫りましたわ……」
「え、すごい急展開! それでどうなったの?」
見逃したドラマの結末を教えてもらえる気分だわ。
それまでの
「駆け付けた救急隊の言葉から察するに、彼は辛うじて生き延び、私だけ死んでしまったようですわ……。その時に彼の口から真相を知り、貴女にどうしてもお詫びしたいと願っていました」
「生き延びたのかあ。でもその状況じゃあ、全部明るみに出て仕事もクビでしょうね」
「そうですわね。不倫の末の殺人と心中ですもの、ネットニュースで爆発的に広がりましたでしょうね」
まさかの仕返しができていた。
私の死は無駄じゃなかったのね……。と、思いたい。
グレイス様は思い詰めた表情で、私をまっすぐに見詰め返した。
「貴女がブライアント様を愛していらっしゃるなら、私は身を引きますわ……! 同じ過ちは繰り返しません。婚約は解消しましょう、慰謝料も請求しませんわ」
「グレイス! よく分からないが、分かってくれたんだね!!! 良かった、一緒になれるよアイリーン!」
「無理」
「……アイリーン……???」
「婚約者がいたのを内緒にしてた時点で、無理だから。さようなら、ブライアント様」
私は呆けたままのブライアント様を置いて、その場を後にした。
悪い夢から覚めた気分だわ。少し遅れてグレイス様が、小走りで付いてくる。
「アイリーン様……、宜しいんですの……?」
「ええ、サッパリしました。前世も含めて、全て精算した気分です」
私を殺した女に再会したらもっと憎しみがあふれると思っていたけど、それも過去のこと。
お互いに被害者だったしね。彼女も病んでたのねえ。
「あの……、前世では本当に取り返しの付かない、申し訳ないことを致しましたわ……」
「もう終わったことですよ、気持ちを切り替えましょう! 今度はクズ男に人生を狂わされる前で、良かったです!」
ずっと申し訳なさそうにしているグレイス様に、笑ってみせた。彼女は少しだけ表情を緩めた。
「姉さん! アイリーン嬢は婚約を知らないみたいだ、早まらないで……って、二人でどうしたの?」
慌ててこちらへ向かってくるのは、隣のクラスのランディー・ノーマン侯爵令息。グレイス様と同じ金の髪、グレイス様より濃い青の瞳、同じ家名……。あ、グレイス様の弟なのね!
「ランディー、ありがとう。もう終わったの」
「じゃあアイリーン嬢は身を引いてくれたんだね」
何事もなくて良かった、とホッとするランディー様。確かに最初のグレイス様は、乱闘でもしそうな勢いだったわ。
「ええ、婚約を解消するわ」
「婚約解消!?? 絶対に渡さないって、言ってたじゃないか!」
どうやらランディー様が、ブライアント様の浮気相手について調査していたみたい。隣のクラスにいたなんて、ビックリしたわよね……。
それにしてもランディー様って、お姉さん思いなのね。明るい性格で身分が高いのに気さくだから、学年でも人気なの。近くで見たら、ブライアント様よりカッコいいわ。そりゃモテるわね~。
「今になって考えてみたら、どうしてあんなに執着していたのか、思い出せないほどよ。ブライアント様は、元々私に誠実でもなかったもの。他の女に取られるのがイヤだっただけなのね。私も愚かだったわ……」
どこを眺めるでもなく空と建物の境目に顔を向けるグレイス様は、急に大人びた印象になった。一皮むけたような。
「そ、そう……。姉さんがいいなら、僕も構わないよ。大きな問題にならなくて良かったよ。アイリーン嬢、色々と君のことを聞いてしまったから、ちょっと噂になってしまったかも。すぐに落ち着くと思うけど、ゴメンね」
イタズラっぽく笑ってウィンクする、ランディー様。
もしかして、私とグレイス様の婚約者であるブライアント様が噂にならないよう、わざとそんな風にしたのかしら。ブライアント様との噂が回ってしまったら、グレイス様のご友人からも白い目で見られてしまったわ……!
「全然、気にしません。今は恋人もいませんし」
「……全然、気にしないの?」
「ええ、全く」
もうどうでもいいし、周囲で勝手に想像しているといいわ。
安心すると思ったランディー様は、むしろ複雑な表情をしていた。
「ふふ。アイリーン様、ランディーは女性が言い寄ってくるのが当たり前だと思っているので、あまりにも対象外にされて拍子抜けなんですのよ」
「そうなんですか? 私のタイプじゃないです」
「タイプじゃ……ない……」
本当にショックを受けてるわ。意中の相手以外の好みなんて、どうだっていいでしょうに。ランディー様も浮気性なのかしら。無理無理。
その後、私とグレイス様は、なんだか仲良くなった。お友達も紹介してくれて、貴族のマナーをしっかり仕込んでもらった。どこにでも侍女で雇ってもらえそう!
わだかまりが消えたせいか、前世の記憶はどんどん薄くなっていった。
ランディー様は、タイプじゃないという言葉でプライドを刺激してしまったのか、妙にアプローチしてくる。今日も私とグレイス様とのお出かけに、堂々と付いてきたわ。
一緒にいて楽しいし、やっぱりいい人なのよね。
今度はしっかり、五年くらい様子をみようと思う。
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