影親

僕の母親は、無口。喋っているところを見たことがない。

しかも、いつもどこかに隠れている。だから今まで一度も母の姿を見たことがない。写真の中では、いつも優しく笑っているけど……。



「行ってきます」


「……………」



会話なんか無くても、姿が見えなくても親は、親。僕にとっては、大切な家族。ちなみに父もいない。僕が産まれてすぐに病気で他界したらしい。


兄弟や他の親戚も僕にはいない。僕に残されたのは、この大きな白い家だけ。



学校から帰り、リビングに行くと必ずいつもテーブルの上に美味しいおやつが用意されている。



「ありがとう。母さん」


「………………」


風もないのにカーテンが揺れていた。



「そこにいたんだ。僕さ、高校を卒業したらこの家を出て、一人暮らしをするよ。もう仕事も、住むアパートも見つけたし。だから…………だからさ」


「…………………」


母を一人にするのは胸が痛いが、仕方ない。僕には、僕の人生がある。


………………………。

…………………。

……………。



最後の日。


簡単な荷物だけを持って、玄関で母に別れの挨拶をした。



「そろそろ行くよ……。母さん。今までありがとう」



振り返るつもりはなかったけど、閉まる瞬間。玄関ドアの隙間から、ソレは見えた。



写真じゃなく、本物の母の姿。顔。

自然と涙が溢れた。


「ありがとう………」



ドアが閉まると、幻のように僕の前から消えた家。


初めから、そこには何もなかったかのよう。



僕は、静かに歩き出す。



「また来るよ。必ず」



一人でも大丈夫。


だってさ。


姿を無くし、影だけの存在になった母。その母の手を握る父の影。僕まで伸びる二つの影が、僕の背中を優しく押してくれているから。


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