それはもう、分からない
仁志隆生
それはもう、分からない
気がつくと、目の前に僕が生まれ育った家があった。
この家はもう取り壊されたはず。なのに何故?
そう思いながら辺りを見渡すと、これまた取り壊されたはずの隣近所の家が立ち並んでいた。
ああそうか。
これは夢なんだ。
しかし懐かしいな。
そう思いながら僕はしばらく辺りを眺めた後、家の中に入ろうとした。
どうせ夢なら、もっと思い出に浸りたかったし。
だが、家の戸には鍵がかかっていた。
って、夢なのにご都合主義じゃないのか?
く、どうしたもんかと思ったその時、後ろから声をかけられた。
「おや、どちら様ですか?」
「え」
それはやはり、懐かしい声。
もうこの世で二度と聞けない、その低い声。
おそるおそる振り返ると、そこにいたのは
「……父さん」
今は亡き父だった。
しかも僕が子供だった頃の、若い父。
その姿を見た僕は思わず涙ぐんでしまった。
すると
「いや、人違いでしょ。私はあなたみたいな子供がいる歳じゃないですよ」
父さんが困り顔でそう言った。
ってなんだよ。
夢なら「なんだお前、だいぶ年取ったじゃないか」とか言って笑ってくれよ。
今の僕は亡くなった時の父さんとほぼ同年代なんだぞ。
「あの?」
父さんはまだ困り顔だった。
本当に僕を知らない、そんな雰囲気だ。
あ、そうか。
これは僕が過去にタイムスリップしたとかいう夢なのかも。
そんな面倒臭い設定の夢を見たのは初めてだが。
ならどうしようか……よし。
「えっと、僕の話を聞いてもらえますか?」
僕は父さんに自分が未来から来た息子だという事を説明した。
信じてもらう為に家族じゃなきゃ知らないはずの事も話した。
そして
「うーん。あなたは本当に私の息子なのですか?」
父さんは僕を訝しげに見つめていた。
「そうだよ。信じてくれる?」
「……それが本当なら、私はあと十年しか生きられないのか」
父さんは俯きがちになった。
そう、その事も話した。
父さんはこの時から十年後に難病にかかり、亡くなってしまうという事を。
「いや、今から気をつけておけばもっと長生き出来るよ。その時の父さんはそれまでの無理が祟って、手術に耐えられる体じゃなかったんだよ」
僕がそう言った後、父さんは何も言わずにいた。
「お願いだよ。ねえ父さん、お願いだから」
気が付けば僕は必死になって話していた。
長生きして孫の顔も見てよとか。
母さんと金婚式してよとか。
いい年して何だけど、やはり今でも長生きして欲しかったと思っている、とも。
それからしばらくして、父さんが口を開き
「ああ、分かった」
少しだけ口元に笑みを浮かべて頷いてくれた時
僕の意識は途切れた。
――――――
気がつくと、そこは自分の部屋だった。
窓の外にはもう夕焼け空が見えている。
ああ、昼前押入れの整理をしていた時、疲れたから横になったんだった。
うん、いい夢だった。
夢とはいえ、言えた。
もし叶うなら言いたかった事を言えた。
本当にそれだけでも、いい夢だった。
そう思って立ち上がろうとした時
「おお、起きたか」
え?
それは、もう二度と聞けなかったはずの声。
記憶にある通りの低い声。
そして、その声がした方を見ると
「あ……」
そこにいたのは、あの時から何年も歳を重ねたからか皺が増えているが、間違えようもないその顔。
父さんだった。
「お前ももう歳なんだから無理はするなよ。ワシも無理せんようにしたから、今こうしてここにいるんだぞ」
父さんがそう言ったようだが、僕はもう何も言えず、ただ声を殺して泣く事しかできなかった。
その後、僕は思った。
あれは夢じゃなくて、本当に過去へ行ったのだろうか?
いやもしかして、父さんがあの時亡くなったというのが夢だったのか?
……それはもう、分からない。
それはもう、分からない 仁志隆生 @ryuseienbu
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