閑話:協力者

 付着した血に触れないよう、使い捨ての手袋とエプロン、マスクを外して袋に詰める。

 医療カートを引っ張って処置室を出たら、難しい顔で黙ったままの棗がいた。

「まだ居たんですか。雨屋しばらく起きませんよ」

 裏街に、医療廃棄物の処分規定は無い。替刃と針類だけ別のゴミ箱に捨てる。

 煮沸物を回収して、――消耗品の在庫が厳しい。消毒液は早めに買いに行くかと。棗に担ぎ込まれた急患は、氷崎にとって色々な意味で想定外だった。

「……そういえば、処置前なにか言ってましたっけ。聞きなおしてもいいですか?」

「いや、……いい。考える時間だけはあった」

 棗から聞かされた推測は大体あっていた。


 毒薬調製や治療をふくめた「死神」の補助業務――から派生した闇医者もどき。氷崎が裏街で担っていたのはそういう役だ。

 前の人生の記憶、もとい。持ち越した経験と技術を生かし、知識と道具は更新して。同様に生きている異常者多々良から仲介された仕事は厄介だったけれど、物資と環境の支援があったから請けた。専門は薬師くすしなのにという本音もあるにせよ。

 しょっちゅう訪ねてくる練習台がいたから、実地演習には困らなかった。

「痛み止めは気休めなので、病院できちんとした薬もらってください」

 棗の裂傷の縫合を終え、席を立つ。――縫合速度も出来映えも、最初に比べればだいぶマシになった。本職とは比較にならないんだろうけど。

 処置を監視していた棗は、縫い終えた跡に視線を落として苦虫を噛む。

「……死ぬほど腹立つけど『先祖返り』の優位性は認める」

「そうですか」

 一人で勝手に怒っててほしい。

 この人ほんとに何なんだろう。自分で殺しかけた相手を自分で医者に連れてきて、「助けられるのか」って食ってかかって。矛盾してる自覚あるんだろうか。初めからやらなければいいのに、――

「……棗さん、『前のこと』思い出したりしました?」

「しないけど。なんで」

「いえ。大丈夫です」

「君がよくても僕がよくないんだけど」

「なんで雨屋とつるむのかなって思っただけですよ」


 思い出してたら半殺しくらいやりそうだと思った。

 喧嘩して自分で破門にしたくせに引きずって、新しい弟子なんか一人も取ろうとしなかった。当の弟子は一切の未練なく出ていって戻らなかった辺りが笑い話というか。


 そんなこと思い出したら面倒くさくなること請け合いだったから。氷崎は顔に出さないよう胸をなでおろした。

「……何だっていいだろ、そんなこと」

「そうですね。どうでもいいです」

「、……君だって風見とつるんでんだから同じでしょ」

「違うと思いますよ」一緒にされたくない。

 時刻はもう早朝だった。いまさら帰るのも億劫だ。

 疲れたから明日にしてくださいと言って、診療台で横になった。



「……まだ居たんですか?」

「……寝入ったやつ放置で帰るかよ」

「…………はあ、」

 二度寝しようとしたのに、毛布を棗に剥がされた。

 それでも構わず身体を丸めていれば、処置用の無影灯を眩しく浴びせられる。鬱陶しすぎて起きた。

「あのさぁ、一晩護衛してやりながら待ってた上官が見えない?」

「……用事あるなら早くしてもらえませんか」

「寝起き悪……や、普段いい子ちゃんしてるだけか」

 あなたに苛立ってるだけです、と。喉まで出かけた。

 氷崎が寝ている間、棗はコンビニまで買い出しに行ったらしい。「好きなの選びな」と渡されたレジ袋から、お茶と稲荷おにぎりを抜いて返す。


「君、自分の『本家』の動向は把握してる?」

 カツサンド片手にミルクティーを飲む棗から放られた話題は、まったく寝耳に水だった。


「……戸籍買って顔も変えます」

「潔さは評価するけどまず聞きなよ」

 叔父の鬼化変異は、氷崎もあずかり知らない『本家』には立派な醜聞だったらしい。

 なまじ家を出た人間のやらかしに肝を冷やした彼らは、出奔した人間に身辺調査を入れた。それは勘当していた息子――氷崎の父親とその家庭にもおよび。

 氷崎が児童相談所に通報されるほどの育児放棄を受けていると、いまさら知られた。

「たかられないよう両親と縁切らせて、君だけ本家で保護する方針みたいだけど」

「……なんで棗さんが知ってるんですか?」

「君のこと嗅ぎまわってたやつ吊るしたら勝手に吐いた」

 どうしたいかと棗は尋ねた。

 氷崎が口ごもっていれば、判断材料をやるとばかり饒舌じょうぜつに喋りだす。

「本家って言うから仰々しく聞こえるけど、そう厄介な家柄じゃないよ。先代だかが一代で稼いだとかで……真っ当に成り上がった金持ちって言えば伝わるかな」

「……面倒ごとはいやですけど」

「跡取りには困ってないっぽいし、君が跡目に無関心な方が喜ばれるでしょ。保護ってのは、金食い虫からの付きまとい懸念して匿おうとしてるだけだから」

 とりあえず顔を合わせてみたい、という程度らしい。生活の話もその際にと。

 どうして棗が意思を確認しようとするのかという疑問はあったけれど、悩むような問いでも、隠したい事柄でもなかった。

「僕は、書面上の家族は誰でもいいです。放任してもらえさえすれば」

 縁を切ってトラブルが予防できるのなら、書類上の家族なんか幾らでも替えたいけれど――紙切れ一枚の手続きで叔父のような懸念がなくなるだろうか。難しいと思う。

 それを本家というのが対処してくれるという話なら助かるけれど、現状維持とは多少対立するかもわからない。なんにせよ、他人に過度な期待はしない。

 ひと言「そう」と言った棗は、菓子パンの包装を開けながら続ける。

「大学辞めさせられそうになったり、交渉で困ったら言いなよ。君よりか『作法』は知ってる。実家ウチで飽きるほど見てるしね」

「棗さんに借りたら高くつきますよね?」

「ガキから取り立てる真似するかよ……安心しなよ、先に借りたいのは僕だ。君はその貸し分で僕を使えばいいし、もちろん貸したままにしておいても構わない」

 そんな前置きから、棗は氷崎に計画を明かした。

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