反旗・下

 教室の席から。体育館の壁にもたれて。

 望んで作った心地よい日陰で、その軽薄は、どうしようもなく目についた。いつも頭の足りない馬鹿をして怒られて、笑われて、道化として輪の中に溶ける賑やかし。

 地味ながらも隙なく器用なその才能が持て囃されないのは、集団での立ち位置が残念なお調子ものでしかないから。ばかだなぁと遠目に眺めて、ばかだからああ居られるんだろうなと目をそらす。

 鼻にかけない、気取らない。だってそもそも本人が気づいてない。

 今はもう他人でしかない同級生は、こっちから才が見えるぶん、無自覚な能天気が鼻につく。気にして視線を引き剥がすたび、無い心がふつふつ煮えた。

 ろくに持たないくせに妬みばかりは一丁前か――人でなしの人格の、中途半端な肉感が気持ち悪い。

 面倒くさい劣等感が嫌だった。

 意識しなければ苛まれる必要もないなら、避けられないのは自分のせい。へらつくお調子ものを無視できないせいだった。

 視界に映る顔を塗りつぶした。壁を作ってほっとしていた。


 ずけずけと我が物顔で入り込んでくることは、うんざりするほど分かっていたのに。


 要らないときに要らない顔が見えるせいで、遠ざけていた生臭さを直視させられる。取り除けるなら捨ててしまいたい、気味が悪い厄介なしろもの。

 友達だと笑うことも、居場所を作ることも、軽々しくやってのける神経が嫌いだった。生きてきてそんなものに価値を見いだしたこと一度もない。今もそれは変わらないのに、「きらいだ」という関心を勝手にぞろぞろ連れてくる。

 持たない人間がどれだけ足掻いて「普通」の場所に立っているのか想像もしないくせに――なんて。膨らみすぎて御せなくなった嫉妬の矛先が真っ先に刺さる、格好の的だからなんだろう。


 ■


 自動拳銃が最後の空薬莢を吐きだす。

 屋外の実戦訓練場を揺らしていた銃声は一時とぎれた。休みなく轟いていた音の圧力が唐突に消え、幻聴に似た感覚が耳奥でくすぶる。

「ごめん、聞こえなかった。なに?」

 訓練用の障害・遮蔽物が配置されたフィールド――積み上げられた古タイヤの陰から風見の靴が見える「そちら」へ、過熱した二丁拳銃を向けながら。氷崎は慎重に呼びかけた。

「しゃべってもくんねーかと思った……こええんだってば」

「話し込みながら戦う余裕なんて、僕には無いよ。終わり?」

「いやいやいや待って。まだ全然しゃべり足りねーもん。な?」

「そう」

 右手の銃の弾倉を替え、用意していた数丁の自動拳銃と入れ替える。

 交代した銃身も冷めきってはいないから、そろそろ潮時かとも考える。

「オレ、イズミちゃんのとこ行ければそれでいいんだって。あのカベ操作してる奴だけ教えてくんね」

「僕だよ」

「……脅されてんの?」

「ないよ。それに、雨屋パトロンの利益は僕の利益でもあるから」

「ぱとろん」

 静かになった。見知らぬ単語の意味を考え込んでいるらしい。

 会話で気を逸らして反撃――とかはからない単細胞を、素直に笑えない。

「お兄さんなら間に合わないよ」

「え、」

 呑気に出てきた脳天めがけて引き金を引く。


 転がり出た的に追い打ちをかけながら、間合いを保って移動する。

――油断していても射程圏内の銃弾は避ける勘。相変わらずふざけてる。

「髪……!? ぜってーハゲた!! ちょっとだけ!!」

「気にしてたんだ?」茶髪に染めてるのに。

「うちの男は代々そうだ、将来ハゲる諦めろって昔から脅されてんの!! 他人事じゃねえからな!? じいちゃんの遺影ちゃんと見とけバカ!!」

「見れたら見るよ」

 風見は左脚を引きずっている。

 弾幕から逃げ続けた消耗を差し引いても、左だけ。庇っている様な走り方――まあ、そうか。訓練用の樹脂弾とはいえ食らえば痛い。


 風見に、冬部ほどの持久力は無い。体力切れも麻酔による無力化も可能。

 火がつくと怖いなら、火をつけなければいい。

 飽きやすい、単調な攻撃の繰り返しに終始してきたのだってその為だ。やる気にムラのあるアドレナリンジャンキーは大概、追い詰められた時ほど面倒くさい。

「まともにやって、僕が博己に勝てるわけないからさ。ちょっと悪いんだけど多少の入院で済むだろうし」

「全っ然悪いと思ってなくね!? つか、オレの優しさ!! 誘導かなって察してたけどここまで来てんの!! オレ!! なぁすばる!?」

「そうしたら、心配したお兄さんがお見舞いに来てくれるんじゃないかな。うまくやれば二人きりになれるよ。ほら、何一つ悪い所が見当たらない」

 少し気を逸らしてやるだけで、ばかみたいに弾が当たる。

――それはそうか。油断させてるし、舐めてかかってるんだろうし。

 耳栓をこめなおした。銃声は不思議とうるさく感じないけれど。

 会話をする気がなくなったから、それでいい。


 刀の間合いに持ち込ませない為の銃撃は単調だ。隙を与えず牽制射撃を続け、完全な弾切れを避けて片方ずつ弾倉を替える。フィールドの地形のうちでも、より突破口の少ない方へ追い込みながら。

 消耗狙いのつまらない策でも勝ち筋だ。なのに、この不快感は何だろう。

 腰に提げたホルスターに収まる回転式拳銃リボルバーは、まだ冷たい。


 銃を持ち替えようとして――傷んだ赤茶の髪が、視界に映った。


 躊躇いは一切ない。

 無い隙をこじ開けに来たと、肌で感じた。


 二丁拳銃の一方を捨て、両手で構えた一丁を連続で発砲する。より照準の定まった被弾をうけてなお風見は止まらない。

 障害を避け、乗り越え。気分任せの足取りは、氷崎の背後へ回り込むよう距離を詰める。

 氷崎の耳に、気楽な口笛が聞こえた気がした。

「――……ほんっと、」

 風見の視線が障害物で切れたタイミングに、近くの壁へ身を隠す。風見が氷崎を見失った一瞬のうちに、ホルスターから回転式拳銃リボルバーを抜いた。

 狭間通りで入手した銃に手を加えた、改造麻酔銃。

 氷崎を探す風見の視線が、銃口とかち合った。


 急停止した風見の鼻先を銃弾がかする。

 咄嗟にぐらついた重心が崩れて、二発目は幸運。倒れ込みついでに地面を押し込み、氷崎に向かって真っ直ぐに加速した。

 その手元で刀の鯉口を切る。

 直感と言えば聞こえのいい、要は博打――「弾道」目掛けて抜き払う。

「……っしッッ!!」

 砕けた弾が、風見の頬に赤を描く。

 刀に付いた破片を振り払った。間合いはもう、刀のそれに届く。

 氷崎は真っ向勝負を選んだ。迫りくる風見の中心を捉えた発砲は、回転式拳銃リボルバーに叶う最速の連射。


 その的が「落ちた」のは、風見自身も想定していなかったらしい。


 風見の左脚がもつれ、前のめりに身体がかたむく。

 手首を蹴られ、風見の手から刀が離れた。銃のグリップでの殴打は顎へ――衝撃でぐらつく視界に、銃口。

 脊髄反射で地面を転がり弾を避けた。喉にせり上がる不快感も、今ばかりは風見の目に入らない。

 膝ついた風見が、懐から銃を抜いた。



 氷崎の耳栓は、いつの間にか抜け落ちていた。

 地面に身体を投げ出したまま。仰いだ空の薄青を背に、肩で息する風見の笑顔。

「つまんなさそーなカオしてんなよ。すばる」

――そのしたり顔は何なんだ。

 額に銃口つきつけながら言う台詞でもないし、なんで突っ込んできたのかも結局よくわからないし。言葉が出てこなくて黙っていたら、目の前で「無視すんなし」と零した顔がムスッと膨れた。もしかして理由そこ?

「……初めからそれ使えたよね。手心のつもりだった?」

「、……やべ。弾丸タマ入ってねーんだった」

「……言っちゃ駄目だよそういうこと」

 銃身をわし掴んで、無理やり銃口を逸らす。

 わかりやすく焦りだす風見を白い目で眺めて――やめた。

「……分かってたよ。敵わないって」

 既に勝負は決まっている。


 初期で配られた手札が違って、適性も違う。そんなの昔と同じことだ。

 博己は武術、僕は医術で。適材適所の役職に不満はなかった。暴力要員ばかり増えていくあの場所の医局は常に人員不足で、有難くも仕事には困らない日常を享受していた。

 その日常が焼け落ちるまでは。

『んじゃな。行ってくる!』

 武装した彼らを、地獄へ送り出すしかできない自分を悟るまでは。


 あれを後悔と呼ぶのかは解らない。

 仮に、当時の僕に戦闘能力があったとしても、結末は変わりなく負け戦だった。逃がされた非戦闘員ばかりが、一人残らず掃討された反乱軍の顛末を知ることが出来たから。

 僕が銃を持つのがいびつなんだ。

 解っていても武力を求めた。覚えているのが間違いだった。

――まっさらな「初めまして」ができていたなら、余計な嫉妬なんかしなかった。

「……すばる、オレに勝ちたかったの?」

「、……うん」

 天才を妬んだ凡人が、せせこましく足掻いたところで届かなかった。

 どこを見ても嫌になった。持たない自分が、持っている相手を勝手に羨んだ。無い物ねだりなんか誰がやっても醜悪なのに、社会性と協調性ばかり求めるこの時代は、はじかれものの劣等感を刺激することにひどく熱心だ。

 自分の不足ばかり目についた。

 殺しに目を爛々としていた元同期は、難無く平穏な暮らしに適応している。

 同じ場所にいたはずなのに、ばかみたいな差。気にする自分はもっと嫌で。

「……なにを笑ってるの」

「ふ、へへ。なんだよ、すばる気づいてねーの?」

 僕の嫌いなもの全部、想像すらついてないくせに。

 じめじめした自己嫌悪なんか吹き飛ばしてしまう晴れ男が笑う。

「すげー奴から『すげー』って認めて貰えたら、嬉しいに決まってんじゃん」

 今も昔も、そういうところが大嫌いだ。


「……ところですばる、いっこゴメンなんだけど」

「うん」

「ゲロ吐きそう」

「……軽い脳震盪のうしんとうだと思う。吐きなよ、後始末はするから」

「えっなに優し……」

「誰に殴られたかもう忘れた?」


 ■


 休業日の喫茶店内に、ストロベリーブロンドの長髪が華を添える。

 施錠をものともせず不法侵入したフリーライター、佐倉さくらゆめのの視線は鋭い。強盗か空き巣と疑られる所業に踏み切りながら、態度はあくまで泰然と――カウンター席に悠々と腰掛け、ストッキングとハイヒールで彩られた美脚を組んだ。

 上階から転げ落ちる勢いで店へ降りてきた「待ち人」に、佐倉は大袈裟に溜息をつく。

「やぁっと来た。行動がいちいち遅いのよねぇ」

「……警察に突き出されたいのか?」

「……やっぱり、その調子だと『まだ』かしら。……さっすがあたしよねぇ。いまも綻びのない完璧な封印術式、我ながら惚れ惚れしちゃうわ」

 店主たる雪平の剣幕を、華やかな微笑みで受け流す。

 微笑そのまま足組みを解いて腰をあげ、ヒールの音高く店主に詰め寄り――彼を壁まで追いつめた挙げ句、皺だらけのシャツの胸ぐらを掴む。

「あんたの道楽はおしまいよ。いい加減、思い出して貰うわ」


 怒りより戸惑いが勝る雪平は、懸命に佐倉の言葉を理解しようとした。

 思い出す、という単語。雪平が考えても、佐倉との約束を反故にした覚えは無い。


 一見して脈絡のない投げ掛けが、一部の人間には特別な意味を持つことを、彼は知っていた。――とはいえ自覚など無かったから、半信半疑で口にする。

「……まさか。……俺は、先祖返りなのか?」

「はぁ? そんなワケないじゃない」

 じゃあこれは何だ、と。聞きなおす猶予は許されなかった。

 白く形の整った指が、雪平の額に触れたから。


「もっと、ずうっと。常識の埒外らちがいにいるバケモノよ」

 赤い唇が、にんまりと弧を描いた。

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