閑話:死にたがりの独白

 ぼんやりと、二十歳より早く死にたいと考えながら生きていた。


 夭折ようせつの表現者に憧れたのかと嘲笑された。生きられない人がいるのに、不謹慎だとなじられた。

 素直に「そういう人たちがいるのか」と思ったわたしは、自分に「死にかた」の知識がまるで乏しいことに気付いた。うすぼんやりな想像を鮮明に描こうと、ネットや書籍で情報を集めた。

 いちばん実現しやすいのは自殺。

 次に(体質次第だけれど)鬼化変性して鬼籍に入る。交通事故や、不慮の死。突然降りかかる致命的な病気――健康優良児で、基礎疾患もないわたしには厳しい。

 高校生になっても呪力値が上がらなかった時点で、望みの一つは絶たれた。


 願えば叶うと誰かが言った。

 人の身を鬼へと変質させる。

――なら。鬼にすら成れなかった人間は、気持ちが足りないの?

 鬼化変性が叶うか否かは体質と運だ。八つ当たりだと分かっている。けれど、どこかで「お前の覚悟はその程度」と笑われる被害妄想が抜けなかった。

 自分に、そう言われていた。

 鉄道会社に迷惑がかかる。わたしを轢いた誰かに、病院に、迷惑が掛かると――どんな御託を並べたところで言い訳に聞こえた。臆病で自殺を選べないだけだろう、と。


 自分の命を終わる瞬間を、自分で決めたいと思うのは、おかしなことだろうか。

 けれど少なくとも、わたしの周りに同じことを言う人はいなかった。たまに聞かれて明かすことがあっても、曖昧に笑っていなくなる。それでも去ってくれるなら優しい。

「わかるよ」と共感した振りをする嘘つきが一番きらいだ。

 一人でいい。分かってもらおうとは思ってないのに踏み込んできて、わたしの好きなものをあげつらって居なくなる。上辺だけ話を合わせる代わりに、無理やりあちらの共感を強いてくる。

 気持ち悪いならそれでいいのに。

 勝手に嫌ってくる相手から、勝手に踏みつけられなきゃならないのは、絶対に変だ。

 そうは言っても、気味の悪い「わたし」の言葉は取り合ってすらくれないみたいで、話し合いなんかとっくに諦めてしまったけれど。

 耳障りのいい嘘をついて、わたしの大事なものを奪おうとする人なんて、信用できるはずなかった。


 眠れない身体を病室のベッドに横たえる。入院着にもだいぶ慣れてしまった――寝転がりながら、緊急報道の続くニュースサイトを眺めた。

 ごく初期の慢性鬼化変性に急性転化が起こり、急激な速さで終末期まで異形化が進んだらしい。あまり聞いたことがない例だと思う。

 鬼化変異は、進行が早いほど死期も早い、らしい。

 負荷に耐えきれない身体が苦悶にのたうち、暴れ、自我を手放し錯乱する。

 放っておいても数日の命に違いない鬼たちを、対策部が殲滅し続けているそうだ。鬼の無秩序な発生は今なお続いていると、深夜報道特番の解説者が早口にまくし立てた。


 ごうと燃え盛った灯火が、一瞬できらめき散っていく。鮮烈でまぶしい命の終わり。

 花火のような幕引きだ。

 美しい死を、羨ましいと思ってしまった。


――本当ならわたしも、あの夜に。

『うけたまわりました』

 死神さんは、積もった埃に文字を書いた。

 汚いからと紙とペンを渡したら、筆談で話をしてくれるようになった。頭を丸ごと覆い隠しながら自由に動くひとに、疑問を抱くことはなかった。

 都市伝説の存在なんだから、普通じゃなくても驚かない。

 死ぬ準備を整えながら、「いま死にたい」と思う日が来るまでは、死神さんと話をした。わたしのこと、死に方のこと、学校のこと――嘘つきばかりの嫌な場所のこと。

 死神さんは死に詳しい。自死の手段や殺し方、手に入れやすい毒物。切るべき血管の位置や、首吊り縄の結び方も改めて身につけた。

 一人きりで調べていた時よりも、なんだか楽しい気がした。

 わたしが愚痴こぼす日は、静かに聞き手に回っていて――時おり学校のことを尋ねられた。死神さんでも人間の学校に興味があるのかなと思ったら、黒一色の細長い異形がなんだか可愛く見えてきてしまって困った。会話で身振り手振りを交えるから余計。

 はじめての、友達だった。

「死神さんにも死があるなら、わたしと同じに、死にたいと思う?」

『?』

「気分を害したらごめんなさい。……貴方の考え方には興味があったの。同じなら嬉しいかもしれないけれど、同調して欲しいわけじゃあなくって」

 貴方の言葉を聞いてみたい。だから、違うほうが嬉しいのかもしれない。

『考え方』「そう。貴方のことが知りたいわ」『?』「いつものわたしみたいに、色んなことをお話してほしいのだけれど……よく分からないかしら」『すみません』「いいのよ」

「どうしてわたしを殺してくれるのか。聞いてもいい?」

 癖の少ない筆致が言葉を紡ぐ。


『貴方が笑ってくださるなら、何でもするのがお仕事なだけです』

「――ほら。よく見ろ」

 重苦しい、鉄錆てつさびの匂いが鼻を刺した。


 病室の床に放り捨てられた男の人は、死神さんと同じ服を着ていた。手袋に包まれた、綺麗な文字を書く指が、おかしな方向に曲がっている。

 黒の隙間から染み出す血が、白い床を濡らしていく。

 込み上げる胃液を飲み込んで、ずり落ちるみたいにベッドから降りた。

 頭に巻かれた布が解けていた――初めて彼の素顔を見た。真っ白な髪が血に浸っていた。瞼はおりているけど息はある。

「こいつは只の人間だ。神様なんかじゃない。……しようとしたのは嘱託しょくたく殺人、余罪も山積みでお先真っ暗。どうしようもねえ悪党だよ」

 わたしたちを見下ろす金髪のひとに覚えがある。

 あの日もわたしの自殺を邪魔した。死神さんと斬り合っていた時のぎらぎらした眼が、今は不思議なほど静かだ。夜に揺蕩う、深い海色のつめたい瞳。

 わたしは、死神さんをおびき寄せるための餌だった。

「……どうして、来てしまったの」

 死神さんの瞼がふるえて、開いた。

 ぼんやりした視線は宙を迷ってから、わたしを見つけて微笑む。


「約束しましたから」と。柔らかい声がきこえた。


「……いいの。……もう、いいのよ」

「……?」

「やめましょう。わたしを殺さなくていい。逃げて」

「……わたし、は。不要ですか」

「違う。もう、いっぱい貰ったから。充分なの」

 こんな言葉は、たぶん嘘だ。

 約束を守ってくれて嬉しかった。死ぬなら彼に殺して欲しい。

 けれど、きっと勝ち目はない。死神さんだけが殺される――仮に。ほとぼりが冷めてから訪ねてくれたらよかったのにと考えてから、その「もしも」にも頷ききれなくなる。

 被害者の同意があっても、殺人が罪に問われることは知っていた。

 都市伝説は、殺し屋の説もあったから。不利益を被せることは承知で頼った。今さら、死神さんが人間とわかって怖くなったのか。覚悟もないのに自殺を謳うなと嘲られるのは不本意だけれど、事実だから仕方ない。

 重荷を負わせる『誰か』が見えて躊躇した。

 死ぬ覚悟はあっても、負わせる覚悟が足りていない。

「……あのさぁ。勝手に喋ってるとこ悪いけど、僕が逃がすと思ってんの?」

「悪い人を捕まえる仕事はあるけど、こんなに痛めつけるのは普通じゃないでしょう」

――死にたい、よりも。彼に逃げて欲しいのだから、それでよかった。

 通報代わりにナースコールを押した。死神さんを庇うように立ち塞がる。

 立ちあがったところで、金髪の人の胸ぐらいしか身長がなかった。ずっと大きな男の人が、人を殺せる刀を帯びてそこに居る。

 足は震えた。振り向かず「逃げて」と急かした。

「……ありがとう。私に、誠実でいてくれて」

 誰にも見向きされないわたしに、たった一人、隣にいてくれた。

 彼の全てがまやかしであっても、それは真実でいいはずだから。

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