反旗・上

 異類対策部北支部全棟で、有事を示す警告灯が煌々としていた。

 システムトラブルに付随するセキュリティの誤作動――そんな理由から駐留の隊員達は、訓練エリアや各隊室で一時的な閉じ込めに遭っている。大部分の隊員が中央へ派遣されている現状、被害者数がごくわずかだったのは多少の救いか。

 しかしながら「解決の目途は立っている」、と。

 一時間ほどでの復旧を予告する機械音声が、反乱の事実をごく一部の人間に留め置くための、短期的な仕掛けだった。


「わ。ほんとに誰もいませんね……」

ようの差し金なんだろうな……何やってんだあいつ、」

 訓練棟の非常扉――現状で唯一の侵入経路から潜入した三人は、ところどころが防火シャッターで閉ざされた棟内で立ち尽くしていた。

「たいちょ、ここもダメだ。戻って戻ってー」

 先行する風見の報告をうけ、来た道を戻るくり返し。

 支部長がいる管理棟には、訓練棟と繋がる渡り廊下を使わなければならない。上階に行けなければ話にならなかった。

 迂回路を探し、見つけた階段もまた封鎖されて使えず。


「やった開いてる! イズミちゃん見て!!」

 何度目かの正直で響いた歓声に、和泉が目を輝かせて走っていった。廊下の先から二人のハイタッチが聞こえる。

 冬部も駆け足に先を急いだ。

 ちょうど風見が冬部を連れてこようと、此方に駆けだそうとしていて。


 降り始めた防火シャッターが目に入った。


「ッ――来るな風見!!」

 真下で立ち止まってしまった風見を、和泉が引きもどす。

 無情な音が響き、冬部は思わずシャッターを殴りつけた。

「おい、無事か!!」

『マジでビビった~〜……元気なんで大丈夫っす。イズミちゃんありがとな』

『ま、まにあった…………』

 命が無事なことにほっとする。

 けれど戦力は分断された。

「……俺は他の道を探すから、お前らだけでも先を急げ。長引かすつもりじゃねえはずだ」

 復旧予定を知らせるアナウンスは聞こえていた。その間に決着をつける気なのだろうと、予想はつく。

 こんなところで立ち往生しているよりは、



 すぐ後ろから、「なにか」に肩を叩かれた。


 ■


「鬼をひとに戻す方法があるって、本当ですか」

 棗と懇意の情報屋が、去年から狭間通りで囁かれていたとかいう噂を持ち出した。

――夢のような歌声が響く月夜は、鬼がひとに戻る『奇跡』が起こる。

 心当たりしかない噂とやらに苦虫を噛み潰してしまう。情報屋の少年は話に真剣で、棗の浮かべた嫌悪の色には気づかなかったが。

「僕は……周りのおとなより鳥さんの方が優しかったから、施設に戻りたいとは思わない。でもみそらさんは違う。優しい家族がいる人だった」

「……推量でしかモノ言えないけど、関係継続できてたら裏街なんかに居ないでしょ」

「、……また体調を崩すかもしれない。この間は薬で良くなったけど、もし大きな病気に罹ったら……僕は鬼だから、万が一のとき獣医さんに連れて行くこともできない」

 人間に戻れさえすれば、待っててくれる家族がいるから。

 そう言い切った情報屋は、尻尾を膨らませた猫の突進に負けてもみくちゃになった。

 動物会話の異能がなくてもわかる。尋常でない剣幕で怒鳴り散らしている。

「アホほど怒られてるけど」

「だって、人間に戻った方が絶対長生きできる……っごめん!? 勝手に決めつけたのは謝るから!!」

 にゃごにゃご言う三毛猫の言葉は分からないけれど(経緯はともあれ)好きで居着いた場所なんだろう。もう『奇跡』は販売停止だと明かす必要も無さそうだ。

 猫を抱きしめる情報屋が、「一緒に居たいよ」と半べそをかいていた。

 双方ともに望んで選んだ、居心地のいい関係が続くなら。きっと至上のことだ。

「仮に、君が人間に戻れるとして」

「? なんで僕……はい、」

「目につく野良猫、からすに野鳥――『君のよき隣人』が煩わしくて堪らなくなる。気持ち悪くて絞め殺すかもしれない。そして、そう感じる自分に疑問も持たない」

 そういう『人間』になりたいかと問いかけた。

 情報屋は、青い顔を全力で横に振っていた――まあ、それでいいと思う。


 そいつが『そいつ』じゃなくなる洗脳。

 自分の許していないモノが、自分の根幹に侵食する。

 好き勝手オモチャみたいに組み替えられて、「この形なら生きていてもいいですよ」と。手前勝手な検閲で歪めて差し戻す。

 おぞましい以外の感想がなかった。

 そんな行為をよしとした『施術者』など。まず受け付けるはずがない。

「……やっぱ僕、お前のこと死ぬほど嫌いだわ」

 痛めつけた和泉の喉を踏みにじり、棗は実感たっぷりに吐き捨てた。


 静かな訓練棟に、風見の足音が響く。ここに辿り着く迂回路を探しているらしい。

 さすがに同じ手を二度は使えなかった――し、和泉をフォローする風見が邪魔だった。割って入って引き剥がし、無理やり孤立させたのが現状だ。

 とはいえ和泉は敵じゃあない。厄介なのは風見のほう。

 二人まとめて相手取り、和泉を庇うだろう風見の感情につけ込むのも手ではあったけれど。戦わずとも、袋小路に閉じ込めてしまえば無力化できるのだから構わない。

 そのあたりの裁量は、状況を仕切る管理者に一任してある。

 一先ずフォローかと動いた足を、弱々しい手が掴んだ。

「……撤回、してください」

「どれ? あり過ぎてわかんない」

――救いとでも勘違いしたのか。使命感でも覚えたか?

――自分様に酔うのもその辺にしとけよクソナルシスト。

――対策部への所属は妹のため家族のため愛するもののためそれは大変結構。殺しの責任くらいテメェで負えるようになってから出直してこい。

「……ていうか。愛する妹に責任押し付けて生きることはさぁ、君のその崇高な愛とやらに抵触しないわけ?」

「っそれも!! 含めて、あなたが言ったこと全部です……!」

「反論あるなら言われた時に返してくれない。面倒」

「俺のこと殴りながら喋るせいですよね!?」

「お前なんのために戦闘訓練受けてんの? 受け身すら覚束なかったけど」

「あなたと喧嘩するためじゃないです。俺はまだしも、妹への侮辱は許さない」

「妹向けの侮辱に聞こえてんなら理解力疑う……ああ、」

 悪魔みたいなガキだなと。ひと言だけ刺したか。

 字面はともあれ、妹に全て責任転嫁した和泉を非難する意図だけれど。まあ目の前の気に入らない奴を逆撫で出来りゃいいかと嘲笑う。


 にやにや笑いながら、和泉の信じるものをわざと全力で踏みにじり、泥をかけて穢す。悪辣で下衆が極まる悪役ヴィランの顔。

「そりゃそうでしょ。お前の妹は、実の兄貴を殺しの組織に放り込んだわけだろ?」


 優れた武器は、適切に扱える人間がいなければ凶器でしかない。

 あんな真似をしてしまえる時点で。ただ美しいだけの歌を、人を殺せる道具に堕とした時点で、『黒の歌姫』はこいつに持たせていい技術モノではなかった。

 自分が他人に干渉するということ。その単純な暴力性すら自覚しない人間には、決して。


 和泉の頬に一層の朱が走った。廊下に伸びたまま、棗をめ上げる。

 激情に染まっていく黄金色の眼は、爆ぜる火花のそれだった。


 燃料は十分だろう。――燃やすなら『家族』だろうと、地雷の在処は明白で。

 冷える碧眼がその火を見守る。支部長から使用禁止を命じられたはずの凶器を再び手に取るなら、こいつは何度でも同じことをする。

 偶像を侮辱されるたび、一切迷わず暴力を選ぶ――

「……ぜんぶ、責任は俺にあります。……対策部ここに居るのも俺の意思です」

 瞳はかげり、自身の怒りを、声色しずかに戒める。

 怒りを押さえつけた拳から、握り締めすぎた故の血が滲んでいた。


「ああ、そう」

 興味も失せた声で吐き捨て、和泉の鳩尾に革靴をめり込ませた。

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