中央動乱

 中央地区歓楽街、午前某所。

 スナックで作業中の店員が殺された。店に訪れていた業者のひとりが急性鬼化変異をきたし暴走、凶行に及んだためだった。


 初めの一件を皮切りに、歓楽街一帯の鬼化探知機ほとんどがアラートをけたたましく鳴らした。そして同時に、当該地区以外の市街各地でも散発的な鬼化変異を無秩序に観測。

 異類対策部中央本部は避難勧告を発令するとともに、他支部および関係各所に支援要請を行った。


 中央本部は、鬼の群発発生が続く歓楽街ならびに繁華街一帯を汚染地区と定め、隔離のため一時封鎖を強行。

 一般市街での散発発生に中央の潤沢な人員を集め、各個撃破に方針を固めた。

 隔離地区内で戦闘中の隊員は、内部での生存者救出と避難誘導令が下されたものの、事実上の孤立――生存者の捜索と避難誘導、護衛に徹して防戦を指示され、少数での奮闘を強いられている。


「標的は自我喪失状態の鬼化個体。呪力、危険度ともに最低ランクかそれ以下ばかりの烏合の衆だ。暴走個体討伐に長けた、北の助力を願いたい」

 中央体制に慣れた隊員のほとんどは、鬼という異形の脅威と真の意味で相対したことがない。

 現状その経験値を持ちうるのは中央の一部隊員(先祖返りをぼかした表現)と他支部の隊長格、それに裏街との均衡を保ちながら共生を続ける北だと――北支部に単身のりこみ堂々たる演説をぶち上げたなつめ晃一こういちの手配によって、北支部の面々は隔離地区内に到着した。

 目標は鬼化個体殲滅と生存者(市民および中央隊員)の保護。

 現地で最低限のミーティングを済ませ、早々に行動開始する隊長の面々のうち、冬部が呼び止められて通信機を預けられた。

「通信機、白いにーちゃんにも渡しといてくれ」

 実弟たる棗に純白の隊服を着せた見目の中央隊長は、そういう感じに認知されている。

 ついでに棗(弟)の所属部隊長である冬部が、何となく晃一へのメッセンジャーとして固定されつつあり――拠点を探して見つけた当人は電話中だった。

 スピーカーで通話しているのかと聞き間違う怒鳴り声が、ひび割れている。

『独断で何をしている棗総隊長!!』

「援軍を手配しました。北が最適人選たる理由は既に進言した通りです。……申し訳ありませんが現場には猶予がありません、隔離地区内の救助活動を優先させて頂きたく」

『多々良の一味に助力を乞うなど中央の面子は丸潰れだ!! どう責任を取るつもりだと聞いている!!』

「体面ではなく人命を守れと言っている」

 苛立った低い声が、相手の恫喝どうかつに一歩も引かぬ圧を漂わせる。

 冬部は意味もなく物陰に隠れた。でかい図体は逆に目立った。

「次善の策は伺いましたが、具体的に回答いただけなかったと記憶しています。北の受け入れに賛成多数だった議論を一方的に凍結なさった貴殿らの御意向より、救援を求める前線の声を優先すべきと判断しました」

『本件は、重大な越権行為として徹底的に追及する。中央本部に貴様の席は無いと思え』

「無論です。私の失脚がお望みの貴殿らには願ってもない機会でしょう。ご安全な場所から、たっぷりと粗探しをなさってください」

 にこやかに締めくくる晃一は、棗の実兄だと頷くに十分な胆力があった。

 電話を切った晃一が振り向き、冬部に気付いた。通信機を受け取りながら苦笑を零す。

「嫌なものを聞かせて申し訳ない。……ごく一部の大きな声だよ。少なくとも、現場にはいない類の人たちだから安心……してもらえたら、助かる」

うちは嫌われ慣れてるから気にしねえよ。……よくねえのはあんたの方じゃねえのか。立場ってやつがあるんだろ」

「この程度で首を賭けられない総隊長が、市民や隊員に顔向けできるものか」

 刀を帯び、純白の羽織をまとう晃一の隊服には、その立場を示す記章や飾緒が揺れる。

「対策部の暴虐を許容していただいているのは、市民を守護する契約ありきだ。特権を持つものには、信頼に報いる責務がある」

――やっぱり同じ血か、と。

 一刻を争う現状、他隊に後れを取るまいと戻る冬部から、その気づきが口をつくことはなかったが。



「……たいちょ、たいちょ。こっちきて」

 救助活動を続ける中、上階の索敵を任せたはずの風見が、小声で冬部を手招いた。

「どうした風見」

「鬼じゃねーけど、あっち。なんか仲間割れ? してる」

「なんだそりゃ……?」

 助けねぇのかと突っ込みつつ、よく分からないまま風見に倣う。

 遠目には人間と思しき影がふたつ、スナックと思しき内装の床に座り込んでいる。明かりのない室内はひどく暗い。

「……いい加減やめましょう。俺達は汚染地区内で、鬼と一纏めに焼かれるんですよ。……捨て駒だったんだ。忠誠なんて、馬鹿らしい」

 どす黒く汚れた服が、酸化した血で黒ずんだ中央の隊服だと気づいて血の気が引く。

 隔離地区内で孤立した先行隊員。安否不明のものも多かった。二人見つけられたなら僥倖ぎょうこうと声を掛け、

「お「この戯けが!! そこになおれ!!」

 周囲までびりりと震えるかつに圧されて、冬部は思わず目を丸くした。

「……え?」

「戦地で戦うこともせず泣き言をぬかし、あまつさえ職務を放棄するとは……貴様それでも誇りある武人か!!」

「ふ、……っふざけないでくれ!! あんた、このまま死ねって言うんですか!? 本部とは連絡が取れない、鬼はどんどん増え続ける! どう考えても状況がおかしいことくらい、あんたも解ってるだろ!!」

「いいや。違う」

 一人が立ちあがった。

 床に転がった刀を拾い、ベルトに差す人影は、声量に見合わない小柄だ。

「今すぐ立て。休息は終わりだ、生存者の捜索に戻る」

「……は、」

「死ぬのなら、命尽きる時まで民を守れ。じゅんじて散れ。その職務を放棄した武人などはなはだ無価値だ」

 ただでは死ぬな、戦って死ねと。

 風見がぼそりと「中央こわ……」と呟いた。「行くぞ。要救助者だ」「や。ピンピンしてんじゃん。元気じゃん」「追い詰められて気い立ってんだろ」

 外からは銃撃戦の音が聞こえる。冬部班も下階から順に鬼を薙ぎ払ってきた。それに気づかないくらいだ、余裕は無いのだろう。

 懐中電灯を室内に向けると、中央隊員ふたりが冬部に気付く――さっきまで物騒なことを言っていた小柄な影が、今にも抜刀し斬りかかりそうな殺気を滲ませた。

 鬼の形相で冬部に詰め寄り、吐き捨てた。

「……また、貴様らか? ……よく考えつくものだよ。ひとを鬼に変える薬か。悪魔の所業だな」

「何言ってんだか分からねぇけど生きてんなら御の字だ。喧嘩は後で買うから待ってろ」

 因縁つけられ慣れているが故のスルーでかわし、さっさと手を振りほどいた。一部始終ながめていた風見は、うちの隊長もやべえなと思った。

「先行した中央隊員だな。ケガねえか。名前は」

「……救助、なのか? 北が、なんで」

「関係ねえだろ。他所よそで遊ばせてる頭数、足りねえ場所に突っ込んでるだけなんだからよ……そうだ風見、」

「だいじょーぶ、イズミちゃんに救護班ひきとめてもらってるぜ。つかオレが運べばいいか。おっちゃん立てそ?」

 風見が一人連れて行った様子を眺めてやっと、北の隊員を救助と認識したらしい。

 敵意をひっこめた小柄な中央隊員は、冬部の視線を避けてそっぽを向いた。意地を張る子どものそれだった。

「他に生存者はいるか?」

「…………」

 答えない。

 しかしながら、顔立ちには見覚えがある。気がする。

 血やほこりで汚れた顔を、ごし、と袖で拭いてみた。「何をする!!」と烈火のごとく怒った顔を――見なければよかったかもしれない。

 個人的に通話をかけた私用端末を、怪訝な隊員の手に乗せた。冬部は黙って催促するにとどめた。

「……何のつもりだ? 貴様の私物なぞ押し付けおって」

『……あきら?』

「! っ晃一こういち兄様!!」

 腐れ縁のよく知らん家庭事情に同情しそうになった。

 が、当の棗もまあ殺意が高いから同類と見做みなしていいんだか分からなくなる。距離を置きたいのは山々だけれど、要救助者なのは間違いないので放置もまずい。

『了解した。……同様の報告は複数確認している。追って通達があるまで警戒を』

「そうでしたか……やはり、」

『暁副隊長のほかにも、行動継続を希望する者は?』

「おりません。私一人です」

 まだやる気か。正気じゃねえだろ、帰って休め。

 風見からの通信で、救護班に預けた隊員の身元確認が終わったと報告を受けた。『あのおっかねーひと連れてこれそっすか?』揉めそうだから次でいいと、救護班を速やかに帰すほうを選ぶ。滞らせるわけにはいかない。

『冬部隊長の指揮下でのみ参加を許可する。困難な場合、他隊員と共に速やかな帰投を』

 

「……鼠の、指示で。動けと」

『閉鎖地区内での活動は北支部の主導だ。共に行動するのなら、指示系統や連携を乱すことのないよう。冬部隊長が離脱を命じた場合は必ず従いなさい』

「…………承知いたしました」


 通話が切れた。

 沈黙が痛い。無言で端末を突き返される。

 そうこうする間に風見と和泉が様子を見に来て、謎の静寂に固唾をのんでいる。

「……帰ったらいいんじゃねえか?」

「侮辱か貴様ァ!!」

「悪ぃがこっちも急いでんだ。あんたの兄貴も休ませたくてふざけた指示出してんだろ。きっちり休んだあんたらが、交代要員として控えててくれた方がよっぽど助かる」

 まだ隔離区画には、取り残された一般市民が大勢いると推測されている。持ちこたえる中央隊員とて、暁のような武人精神を貫ける人間がどれほどいるか。貫かれても困るが。殉職じゅんしょくを選ばれる前に接触しないと助けられなくなる。

 風見たちと手分けして、屋内に生存者がいないことを確かめる。

 次の雑居ビルへ移ろうとした際、ふらりと合流した暁がようやく口を開いた。

「……隔離地区内で観測中の事象について伝えておきたい。同行させてもらえるか」

「分かった、よろしく頼む。……あんた結局、怪我はねぇのか?」

「裂傷はあるが処置した。戦闘に支障はない」

「そうか、信じる。もし何かあれば、救急キットは和泉が持ってる」

 端的に互いを紹介しついで、冬部は手持ちの携帯食料を暁に渡した。

 睨み付けられながらも「いただこう」と受取られ、ひとまず胸をなでおろす。

「良ければお水も貰ってください。これ、まだ開けてないボトルなので」

 続くかたちで、和泉も率先して声を掛けた。

 暁は――奇妙なまでに。初対面の和泉の姿に目を見張った。無言の凝視が続くものだから「和泉、知り合いか?」「いえ、」確認しても、不思議そうに首をかしげるだけだ。

 理由はどうあれ。我に返ってかぶりを振り、咳払いを挟んだ暁は完全に敵意の矛を収めていたから、冬部にとっては何よりだった。

「不躾だった、すまない。気遣いに感謝する。……そこな赤毛の少年。風見といったか」

「えっオレすか? ハイ」

「……すまなかったな。部下を連れて行ってくれて、ありがとう」

「やーぜんぜん。任務なんで。てか暁サンも近接すよね、オレ中距離のほうがバランスいーかな」

 本格的に日が落ちてきた。

 晃一からの情報よりも遥かに鬼が多い。殲滅より救助優先に動いているにも関わらず、鬼の排除に手間取り、救助活動が遅れている状況は他隊も同じらしい。

 屋内で隠れるようにひしめく鬼を切り伏せながら、声を張り上げる。生存者が居ないかだけ確認出来ればいいとはいえ、探索するには邪魔者の一掃がほぼノルマだ。

――鬼の発生数を正確に捉える設備のある中央で、こんな読み違いが生まれるか?

 嫌な気配を噛み締める中、階段の踊り場にうずくまる背中が見えた。

 隊服ではない。一般人。

「大丈――」

「離れろ!!」

 真っ先に駆けだす和泉を、暁が止めた。

 冬部と風見が敵影を確認するなか、暁ひとりが生存者に近づいていく。視線を合わせて表情を確かめ、頭皮を探るように手を触れ。息を吐いて立ち上がる。


 刀を抜き、背後から生存者の心臓を貫いた。


「……我々は、一般市民に紛れ込む『時限爆弾』を探さねばならない」

 刀を引き抜かれた死体が、ぐらりと転がる。

 顔の皮膚が赤銅色に変色している。額の生え際付近に、小さな角が露出し始めていた。明確な鬼化兆候をみとめた手前、冬部も暁の処置に異論は唱えない。

 死体の瞼を閉じさせたのち、説明を求めて暁を振り向く。

「俺達に話しておきたいってのは、この事か」

「そうだ。おれの見たケースはもっと急激に進行したが、起こることは同じだ。先程まで普通だった市民が突然、終末期並みの鬼化変性に蝕まれて凶暴化する。おれ達が守っていた民たちも、ついぞ一人も残らなかった」

「……さっきの奴が『そう』だって、どう見分けた」

「鬼化の前兆に軽い意識障害がみられる。呼びかけに反応せず、目の焦点が合わなくなるような……だが結局、殺すのは鬼化徴候を確認次第になるだろう。警戒要素として留めおく程度でいい。あとはもう一点」

 言いつつ死体を仰向けに転がし、シャツの胸ポケットやジャケットの裏を探る。

 煙草にライター、端末、財布――小銭入れを開けた暁は、その指先に、切り離された薬剤シートを摘みあげた。

 穴だらけのシートに一錠だけ、手付かずのカプセル剤が残っている。

「死体の所持品を検めたところ数人が薬を所持していた。まったく同じ、黄色いカプセル剤だ。元凶と断定するのは早いが、共通点は現状これしか見つけていない」

「見たことねえな。薬物か?」

「中央が開発した、初期鬼化に対する特効薬という触れ込みだった。この一帯を中心に蔓延まんえんしていたらしい」

「……少なくとも、あんたは薬を知らねえんだな?」

「ああ。その様な薬剤認可は下りていないと断言できる。……悪意で撒かれたものだろう。卑劣にも名を騙り、中央の権威を失墜させたい何者かがいる」

「…………、」

 中央本部の一部に、他人の犠牲をいとわない輩がいることを、冬部は既に知っている。

 暁に食ってかかる気は無いが、中央の擁護には頷けない。また世間に公表できない研究をしていたんじゃないのかと――かつてそうして踏みにじられた前歴をもつ和泉を、無意識に見てしまう。


 和泉が、ぼうっと死体を凝視していた。

 救助のかたわら鬼をほふってきたわけで、今さら見るなとも言いづらい状況ではあるが。苦手なはずだろう、どういう感情か分からなくて怖い。

 風見まで声を掛けかねてオロオロしている。これは相当だ。

「……和泉、具合悪いなら休んでろ」

「そうだぞ少年、おれが居るからして心配は無用だ!」

「あんたも同じだ無理すんな」

 あまり気は進まないが、風見と二人でもやりようはある。周囲は敵ばかり、作戦もなにもない純粋な乱戦ならなおのこと――本当に気は進まないが。

 和泉はかぶりを振って苦笑した。「すみません」と、すぐ調子を戻す。

「行かせてください。無理な時はちゃんと言えます」

「……分かった。急ぐぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る