迷い

 羽住が指定した会談場所は、北支部の有る土地から離れた、中規模都市の駅前だった。

 駅舎と周囲の商業施設とを接続し、駅前広場を兼ねた広い高架歩道は人で溢れている――部活帰りの学生、帰路につく勤め人に、飲みに繰り出す集団。

 衆人環視の状況下だが、整えられた花壇のそばで佇む三人に注意を払うものはない。

 不安げな同僚を制した羽住は、目前の棗に再び、意思確認を行った。

「引き抜きは断る、と」

「獲物の見当ついたんだし、僕にメリット無いでしょ」

「……喫茶店主の正体は分からなくていいのか?」

「死神じゃないのは分かった」

――きな臭い直感こそあるが、現状どうでもいい。

 羽住の狐目が渋面にすがめられたのを確かめて「ああ、でも」と付け加える。

「『君ら』への興味はあるよ。あんたらにとって不名誉な方向で、だろうけど」

 嗤った棗は、周囲の人流に目をやった。

 忙しく、賑やかに。また疲れた様子の人々から、さして迷わず特定する。

「向こうと……駅出口で待機してる黒髪。東支部の除隊者リストに載ってたね。隊務規定違反、守秘義務違反……あっちは自主退職だけど、内実は支部内での問題行動だっけか」

 平服やスーツで人混みに溶け込む『監視』を指摘し、内情をそらんじていく。

 その数が十を超えたところで、不快感を示した羽住が「結構だ」と止めた。

「貴様の邪悪な情報収集癖は処罰されて然るべきだ」

「どっから湧いたか意味不明な、幽霊じみた殺し屋を追ってたもんでね。戦闘職種の人間の出入りは念入りに調査しただけ。癖でも趣味でもない、……」

 言葉なかばで移った注意は、羽住の横に控える同僚へと。

 視線に刺されてみるみる青ざめた彼が、両腕を抱いて震えはじめる。羽住が背に庇ったものの、遅い。

「ああ、思い出した。五、六年前だったかな?」

「……やめろ。棗陽介」

「当時かなり炎上したね。他人様の家族はぶっ殺すくせに、鬼化した親族は庇うとか。あげく一般人巻き込んだ殺傷事件にまで発展させちゃあ」

 羽住が棗に詰め寄り、声を低くした。

「それ以上口を開けば殺す」

 ジャケットの内側から銃口を押しつけられる脅迫を、棗は鼻で笑う。「へぇ。仲間思いなんだ?」「黙れ」「悪の滅殺に専念した方が精神衛生上いいと思うけど」「対話は許可したが、無遠慮な侵害を許容する道理は無い」

 羽住を振りほどき、触れていたところを執拗にはたく。

「さしあたり、すねに傷ある連中を集めた非合法組織ってとこだろ。勝手にやってろ」

――北に向かう列車の時刻が近づいていた。

 長話に付き合う気はなかった。棗には先約があるのだから。

 逃げる素振りもなく堂々と、のうのうと職場に顔を出す標的に「どういうつもりでそこに居るのか」と問い質さないと気が済まない。

「……死神は近日拘束される。訳あって公表はならないが」

「あ?」

 思わず声が出た。

 きびすをかえして羽住の胸倉を掴む。対する羽住は淡々と言葉を続けたが。

「処遇は未定だ。……『あれ』は此方の駒でもあった。引き入れるか、処断するか。上の人間が協議して決定するだろう」

「……なら、その上とやらに言っとけよ」

 棗の脳裏に、昼行灯の顔が浮かぶ。

 裏切り者の振り撒いた、嘘で固められた笑顔。

「僕があいつを殺すから、君らの仕事は何にもないよ」

 それは、偽らざる本音だった。

――そのはずだった。


 ■


「お湯を使うと、離れて住む家族に通知が届く電気ポットってあるだろう? あれを陽介に送ったんだけれど、どうやっても受け取りを拒否されてしまって」

「言っちゃ悪ぃが兄弟でもギリギリだと思うぞ」

「折角だから、君のお爺様のところへご挨拶したついでに設置してきたんだ」

「ひとの爺さんに何てもん贈ってやがる」

「朔君の端末に連絡が行くよう設定するつもりが、お爺様が数時間で無線機能を壊してしまわれて……そういう経緯で今はただの電気ポットだから、見つけても怪しまないでくれると助かるよ」

「じいさん…………」

 冬部が頭を抱える。

 北ではそこそこ上等なホテルに併設されたカフェラウンジで、棗の兄――晃一の訪問(私用)に応対する冬部は、一方的に圧されていた。


 祖父へ欠かさず時候の挨拶をしに来る、顔だけは知っている人間――という間柄を何と表現すれば適切なのか、冬部は未だに決めかねている。

 しかしながら相手方には、そんな葛藤など皆無だった。

 春先の中央出張で初めて言葉を交わした晃一に流されるまま連絡先を交換し(させられ)、頻繁に届くテキストメッセージに驚かされ。筆無精な自分との差異を感じながら、ちまちまと誤字だらけの交流を続けてきた。

 晃一にとって冬部は、面会拒否の弟の健在を確かめる貴重な縁であるらしい。

「朔君、何か食べたいものはないかな。折角だしご馳走させてほしい。ここの軽食はとても美味しかったよ」

「あー……気持ちだけもらっとく。あんたに奢られる義理もねえしな」

「そうかな? 君のお爺様は、俺の父上の師匠筋にあたる御方だよ。孫息子であり、その剣を正当に継いだ朔君に持て成しのひとつもしないなんて無礼は致しかねる」

「なら爺さんに美味いもんでも送ってやってくれ。あんたらの恩義があるのは俺じゃねえだろ」

 たびたび居心地の悪さを感じるのは、文化の違いとでもいうのか――「祖父の直系」と扱われることへの違和感というか。

 家系や血筋を重んじた慇懃いんぎんな振舞いは、中央での家づきあいには標準的な礼節なんだろう、と。薄っぺらい結論に落ち着きながら、端末の着信に席を立つ。

「誤解があるかもしれないけれど」

「? 何がだ」

「俺は君個人にも好感を持っているよ。君のような情に厚い人が、陽介の友達でいてくれて嬉しい」

「……悪ぃけど、俺はあんたが苦手なほうだ」

 言い逃げて背を向けながら、コールの長引いていた着信を急いでとる。

 ひどく咳き込む呼吸音の後に『おっせえよ』と大音量の罵声が鼓膜に刺さって、思わず端末を耳から離す。

『朔、食いもんどこやったの。酒しかねえぞ』

「酒はテメェが買い集めたやつだろうが。レトルトは……いや、戻るから動くな」

『……買い物行ってんの? なんか甘いもん買ってきてよ、ケーキとかさあ。おかゆ美味しくない』

「……文句垂れる体力あんなら良かったな。……弱ってんだから消化いいもんから入れろ。それでも腹減るってんなら買いに行く」

『は? 病人の要望ぐらい汲めよ……何なのお前、風邪ひいたことないから白粥しか病人食しらない? お前の持ってる端末なんのためにあんの?』

「電話だろ。吐かなくなったら聞いてやる」

 二日酔いで夏風邪を拾ってきた幼馴染の看病に向かうため、席に戻って早々に退店を願い出た。


 理由も明かさず無期限休職していた棗は、理由も明かさず帰ってきたうえ「なんか買ってきて」と夜勤明けの冬部を呼びつけた。棗の自宅に向かってみれば当の本人は吐くわ熱だわで時間外診療に担ぎ込んだのが今朝のこと。

 折よい晃一の訪問も重なり、よほど不調を告げ口しようか迷ったものの、干渉してはいけない一線というものは誰しもある。

「陽、梅がゆ買ってきたぞ」

「よりにもよって梅……? ジジイかよ」

「うるせぇな美味いだろうが。ゼリーもある」

 看護への不満がとめどない反面、北支部に不在だった間の出来事にはかたく口を閉ざすあたりも。とりあえず触れるまいと心掛けてはいる。

 主食そっちのけでみかんゼリーだけ寝室に持ち帰ろうとする棗にスプーンを握らせ、片手鍋でお湯を沸かしてレトルト粥を放り込んだ。――不評なら貰っていいかと、余っていた白粥も一緒に茹でてしまう。冬部も腹が減っていた。

 棗に梅粥を押しつけてから、三パックあった白粥を移せる食器を探したが、無い。

 仕方なくボウルに白粥をなみなみにしたところで棗に見つかり、ツボに入ったらしい棗に指さされながら、食べ終えるまで延々と笑われた。

「薬飲んだら大人しく寝てろ酔っ払い」

「……は? 何それ。僕飲んでないけど」

「知らねぇよ。医者が二日酔いと風邪っつってんだろうが信じやがれ」

「…………ヤブじゃねぇの?」

「素人判断より上等だろうが」

 いやに静かになったなと――皿を洗い終えて振り向くと、ダイニングテーブルに突っ伏した棗が動かなくなっていた。言わんこっちゃねえ。


 ■


――朔が運んだのか、たぶん。

 起き上がろうとして、再びベッドへ沈みなおす。頭に鉛でも詰められたような重さだ。頭痛までぶり返してきて苦悶に唸り、棗は無意識に枕元の洗面器を手繰り寄せた。

 込み上げかけたが嘔吐はしない。吐き気が収まりつつあるだけで、だいぶ気分はマシだ。

 干上がった喉にスポーツドリンクが染みて、じんと痛む。


 殺せなかった。


 言い訳くらいは聞いてやろうと、茶番に付き合ったのは自分だ。そんなモノで付け入るスキを与えたのだから世話も無い。

 狭間通りで待ち伏せでもして嬲り殺せばよかったものを、どうして声を聞こうだなんて思った。雨屋が死神なことは確実だ。「違う」と言われて引き下がるような裏どりはしていない――いや。

 下衆の本性が見えれば、迷いなく殺せると思ったのか。

 責任逃れの詭弁を弄して、みっともなく命乞いをする。そんな屑なら諦められた。

 騙される自分が愚かだったと見切りをつけられた。

――そうしないと刃を向けられないほど、ほだされていた。

 むしゃくしゃした。陶器を壁に思い切り叩きつけたい衝動にかられた。枕を投げ、洗面器を投げて、ベッドサイドのランプシェードで力尽きた。不調までもが腹立たしい。

 飲みさしのペットボトルを投げた瞬間、寝室のドアが開いた。「うお」と言いつつボトルを掴んだ冬部と目が合って、涙を拭くより舌打ちが勝る。

「ノックも知らねぇのか山育ち」

「なら暴れんじゃねぇ。物取りでも入ったかと思っただろ」

「何階だと思ってんだよ」

「元気ならいい。……おい陽、腹減ってねぇか?」

 白い化粧箱を、唐突に手渡された。

 銀の箔押しで彩られた箱の中に、数種類の瓶詰めプリンが整列している。

「……朔。これ誰が持ってきた」

「あー、……その」

「お前こんなの買ってくるタマじゃねぇだろ。……顔の見えねぇ相手からの差し入れとか、朔ですら疑うレベルの不審物バカ正直に持ってくるわけねぇよな? 誰だよ」

 冬部が素性を疑わず受け取る相手。棗の現状を知りうる人間。そんなもの、ひとりしか。

 睨みつけた先の冬部が、重い口を開いた。

「……お前の兄貴の。晃一さんだよ。……部屋には入ってねぇからな。マンションの外で土産これだけ渡してもらった」

 拍子抜けする答えを受けとって、「馬鹿はお前だよ」と。冷静な自分が呟いた。

 決別した相手が、自分を心配しているかもなんて。どうしてそんなお目出たいこと考えられる。


 素朴でなめらかな各種プリンは、シンプルながら体調不良の身に沁みた。

 床に腰を下ろした冬部も「うまいな」とスプーンが進んでいる。二個目に手を伸ばすほどではないだろうけれど、甘いものの苦手な冬部には珍しい。

――僕に来なくなった代わり、朔に行ったか。

 拒絶されようと、玄関扉に片足ねじ込んでこじ開けてくるようなメンタルの輩だ。お人好しの懐柔など朝飯前だったろう。

 癪ではあるが。冬部の味覚を尊重した土産選びは認める。

「……礼は言っとくから、連絡先わかるなら置いてって」

「、……急にどうした。そんなに体調悪ぃか」

「…………何でもいいだろ。そういう気分だっただけ」

 美味しいけど、もっと甘くていい。

 そう注文を伝えるたび、次回で律儀に対応してきた細やかさを思い出す。

 そういう些細な好みを、客の数だけ覚えていた。個人経営の喫茶店だから生かせた即興だったろう――店主からトラブルを危惧され止めたらしいが、個人的に作らせる菓子はその限りでなく。

 割に合わない気遣いを、ばかみたいに楽しそうにやっていた。

 それでいて見返りの勘定はすっぽ抜けていて。個人的に握らせた金も僕の菓子に使われるから埒が明かない。

 困り眉をますます下げる、呑気な笑顔ばかりがちらつく。

 死神だろうと問い詰めたときも、似たような顔をしていた。


 結局なにも聞けていない。取れたのは自白だけ。

 アレを捕捉できるかと聞かれれば――保証はないけれど。顔を出しそうな場所は一箇所だけ思い当たった。

 真実あれが、棗のよく知る『菓子屋』なら。


 ■


 ホテルの客室でくつろぐ晃一の端末に、一件のメッセージが届いた。

 宛名に目を見張った彼が、詳細を確認して悪戯でないことを確かめる。眺めては噛みしめていた画面表示が突然乱れて瞬きをしたものの、着信画面に納得した。

 末の弟より少し高い、それでいて溌剌とした声が響く。

『ご機嫌麗しゅう兄様! 休暇を楽しまれておいでですか?』

「……っふふ、うん。暁も元気そうでよかったよ。中央は変わりないかな」

『はい兄様。本日の任務もつつがなく遂行しております』

「頼りにしてるよ、ありがとう。お土産は家に送ってあるから楽しみにしていて。……こっちにも水族館を見つけたのだけれど、次は暁も一緒に来ない?」

『い、……いえ。おれは北は』

「シロクマがいるみたいだよ」

『、……兄様がいらっしゃるならお供します』

 平静をつとめようとした咳払いに晃一はニッコリする。

『お久しぶりの休暇なのです、お体を休めた方がよかったのではありませんか』

「知らない土地を旅して、いいリフレッシュになってるよ。視野の狭さも思い知る」

 家を飛び出していった弟の気持ちも分かる気がした。

 暁からは「その様なことありません」ときっぱり断じられ、棗からは「分かった気になるな気持ち悪い」と罵声を浴びせられること必至だろうけれど。

 個人的にも、家を離れていた方が気が休まる――というのは内緒だ。

 健在な両親が自由恋愛歓迎の鷹揚さと裏腹に、やれ遊ぶ暇があるなら恋人を作れ跡取りを仕込めと(外野ばかりが)騒々しい。酷い時だと「既成事実を作ってこい」とお膳立てされた何処ぞのご息女が送り込まれる始末。

 何にせよ、薄汚れた権謀術数はかりごとなど専門外の素直な弟には明かす気もない事情だ。

『どうかお気をつけ下さい。北は、敵地なのですから』

「……とても、とても昔の話だよ。混同しては今の彼らに失礼だ」

『……起きてからでは遅いのです。……愚鈍なおれたちは北の謀反に気付かず、日常は突然戦火にのまれた』

 その通りだ。そしてそれは、終わったことだ。

「前の人生」など、覚えているのが異常なのだ。先祖返りに囲まれていると麻痺するだけで。

 一度死んでも清算できない後悔を引きずって生をうけた、どうしようもない異物。

「……陽介と会ってほしいと言ったら、怒るかな」

 年端もいかぬ幼い時分、何の罪もない弟を咎人とがびとと責めたことへの罪悪感はあるらしい――暁は酒に酔うと度々、弟は自分をうとんで出奔しゅっぽんしたのだと自嘲する。

 謝罪癖の付随する泣き上戸が、酩酊しながら頻りに「誰へ」許しを乞うているのか。それは現状、晃一の憶測でしかないのだけれど。

『……あの愚弟が殊勝に頭を垂れるというなら、おれも態度を改めましょう』

 思わず苦笑する。

――意地っ張り同士、和解は当分遠そうだ。


 暁との通話は、アスファルトに叩きつけられた様な破壊音を最後に途切れた。

 心配が過ぎるも、暁は以前も端末を落として壊したことがあるので――杞憂を期待しながら椅子を立つ。


 置いたばかりの端末が、非番隊員を招集するアラートをけたたましく鳴らした。

 間髪入れず届いた中央本部からの着信に応え、急ぎ問う。

「状況は」

『市中に突如、自我喪失、暴走状態の低級鬼化個体が多数発生。付近の隊員が交戦中。……座標情報を転送します、』

 端末に表示された地図上に、おびただしい数の印がつけられている。


 中央歓楽街一帯での群発発生と、広域にわたる無秩序発生。

 鬼化個体を示す座標印はいまも増え続け、交戦中の色表示に変わっていた。

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