都市伝説

 とってもよく効くおまじないがあるんだ。

 うん、いま流行っているあれかって? うんざりしてくれるな。なんたってこれが正真正銘「本物」だとも。ほかのは全て偽物だ。賭けたっていい。


 必要なものは、目立たない格好と、走り慣れたスニーカーと、相応の対価。高くても安くてもいけない。あとは、熱意をしたためた便箋。それくらいあれば充分だろう。

 人と鬼の境界。善と悪の境界。そんな「狭間」に出向いて、決まった日時、決まった時刻。あのひとが巡回する道すがらのオフィスに手紙をくべる。

 それで終わりだ。簡単だろう?


 正式な手続きが成立していれば、そのひとは現れる。

 それこそが、おまじないが成功した証だ。一体何を頼みたいのやら知らないが、その後のことはお任せしよう――


 ■


 十分咲きの桜は瑞々しい新緑に塗りかわり、観光客も落ち着きだした。

 徐々に宵宮祭の準備が始まり、さらに続いて北で最大規模の夏祭りも控えている。再び街が賑わうまで、北支部は短い休息期間だ。


 近ごろ留まっていた雨雲が晴れ、抜ける青さの空の下。

 放課後に呼び出しを受けた和泉は、高校の敷地内を歩き回って当人を探していた。

 校門。

 守衛。

 職員室。

 順に足取りを辿った最後の場所は、男子バスケ部が練習を行う体育館。部員の中に見えた友人に手を振って――意識は、体育館中の視線が集まる先へと吸い寄せられる。

 私服のままディフェンダーを軽々抜き去った尋ね人は、派手なダンクシュートを決めて、現役部員とハイタッチを交わしていた。

「ゴメンなイズミちゃん、だいぶ待ったんじゃね?」

 風見はその後もOBとして部活に混ざり、生徒指導の男性教諭に怒鳴られるまで縦横無尽にコートを駆けていた。幽霊部員を称する割に歓迎が手厚かったのは、ひとえにその明るい人柄と、初見でも判る優れた身体能力への憧憬が大きいのだろう。

 彼、風見かざみ博己ひろきは、高校三年生である和泉の一つ年上。正隊員として高卒で北支部に就職する進路を選び、現在も同隊に所属を置く先輩隊員だ。

「いえ、俺も観ちゃってましたし。風見さんの用件さえ良ければ」

「それは全然オッケー。で、話す前に聞いときたいんだけど」

 風見の茶髪が日に透けて、赤毛に近い色彩に染まる。

 垂れ目のロゼピンクが悪戯っぽく光った。

「桜の神さんの昔話ってやつ。どこまで知ってる?」

 激しい運動の後なのに、息切れもせずよく喋る。

「……あ。イズミちゃん転校してきたのって二年か。そもそも知らねーかな」

 この地域ではふつう、高校一年の調査研究課題とされることが多い。

 所謂いわゆる、地元の言い伝えに語り継がれる土地神様というもの。『男身の美しい女神』とされる存在は、この辺りでは身近なお伽噺だ。

「俺は初耳です。だから桜がいっぱい植えてあるんですね」

「まあ、この辺が出処でどころみてーな話だしな。よそだと多分わかんねーよ。……で。その伝承に引っ掛けた度胸試しみたいなやつがあってさ」

 和泉は語りに耳を傾けながら――じきにその、よく回る口を注視しだす。

 比較的静かな和泉に対し、風見ばかりが底抜けに賑やかで。

「風見さん」

 風見の袖を引いた和泉は、にっこり笑って首を傾げた。


「なにか隠してませんか?」

「のっぴきなんねー事情があるのはホントだから女装してくれませんか!!」

「先に事情を話してください!! ばか!!」

 土下座をやめさせ問い質せば、風見はあっさり白状する。

「……人が死ぬおまじない、って。高校で、噂とか聞いてねえ?」



 事の起こりは、風見の幼馴染み――日南ひなみさつきが後輩から受けた相談事を、対策部北支部に勤める風見へ持ち込んだことに由来する。

 中心人物として名前の上がった女子生徒に話を聞きたい。

 しかし半端な相手では、その「おまじない」が牙を剥くかもわからない。

 結果、個人としての信頼もあり、不思議への対処に長けた異類対策部所属の風見を頼ったらしい。話し合ううち、変装で同じ学校の生徒をよそおい聞き取り調査を行う算段を立てたのだけれど――問題がひとつ。

 用意できた制服は日南のお古。

 つまるところ、女子制服だった。

「そりゃイズミちゃんが可愛いのはホントだぜ? でもオレはさ、男の子のイズミちゃんがそういうカッコするからこそイイんじゃね? って思うワケで」

 私立学園の制服はセーラー服を基盤にしている。全体のトーンは柔らかくクリームのかかった白。セーラーカラーとスカートが、白色と調和する緑でまとまっている。

 あしらわれた刺繍と装飾のボタンが、全体の印象を上品に引き締める。

 悲しいかな使い慣れてきた黒髪ロングのウィッグを整えてしまえば、――金の瞳に静淑を秘めた、深窓の令嬢が佇んでいる。

「……女の子扱いしないんなら、許します」

 にやける風見をつねりあげながら。ひどく不服ではあるものの、慣れも相まって大甘に甘い沙汰である。

 和泉にとって、愛しい双子の妹に鏡写しの己が顔だ。自身はともあれ、大好きな妹が褒められる分には悪い気もしない――女装を嫌がるわりに細部まで余念の無い手際は、本人なりに複雑な葛藤を乗り越えた成れの果てだ。

 和泉宅で女装を済ませ、ターゲットの女子生徒が訪れるという喫茶店に向かう。

「それで風見さん。その子のこと、どういう口実で呼び出してあるんですか?」

「、……呼び出してはねえけど、たぶん来ると」

「……なんでいま着せたんですか!?」

「え。や、ほら。試着も必要じゃん!? それに、雨ちゃんが最近よく来る子だって教えてくれたから!! いるって!!」

 つまるところ運任せ。

 項垂れた和泉に先んじて、風見がコソコソと店内を偵察する。

「……いた。イズミちゃん、頼む」


 黒髪で長めのボブが片目を隠している。

 暖かい時期にもかかわらず黒タイツを合わせた制服は、和泉のそれより重たく見える。伏し目がちな瞳もあいまって、大人しそうな印象に拍車をかけた。


「ヒナ。あのさ。……この話って、いじめとかじゃねえ?」

――数週間前。同じ喫茶店で待ち合わせて、日南からの相談をうけた際。

 女子生徒の写真を預かり、事件の経緯を聞き終えた風見は、開口一番そう尋ねた。

「……ごめんな。ヒナも相談されてる側なんだし、わかんなかったら全然いーから」

「……ううん、大丈夫。あたしもヒロの意見聞きたい」

「意見ってほど立派じゃねーけど……その。報復で呪われて死にかけたってビビってんじゃん? 悪いことした自覚があるから『やり返された』って考えんのかなって」

 ことの善悪を明らかにして、糾弾してくれと頼まれたわけではない。

 風見の仕事は、今回の件に対策部の立場から助力できそうか判断すること。

 女子生徒が実際にいじめられていたとして、復讐めいた加害を肯定は出来ない。けれど正直――日南の開示したメモには、角を立たせても確認しないと不安になる中傷が並んでいたから。

「ひどいこと言った理由って、はっきりしてんの?」

「……この子の持ってた本か何かが、怖くて不気味で耐えられなかったんだってさ。だからその言葉は、黒河くろかわ本人に向けたつもりじゃなかったって言ってる」

「、……んー……そっか、わかった。ありがとな」

 持ち物に向けられた言葉だとしても傷つくとは思うけれど。片一方の言葉だけで判断も出来ない。それが現状、加害者側(仮)の主張しか聞けないなら尚更。

 そして、自分は裁く立場でもないと自制する。

――噂の真偽がどうあれ。もう彼女らは、女子生徒に関わる気すら折れただろうし。

 それだけは良かったかもしれないと。アイスコーヒーで喉を潤しながら安堵する。

「呪うったって、黒河ちゃんは鬼籍でもないワケじゃん? 呪具も持ってない。ヒナの後輩ちゃんが罪悪感で怯えてんなら、本人同士で解決した方がいいような気もすっけど」

「願えば叶うって言わない? おまじないで人を殺すことは取り締まらないの」

「キホン、対策部が動くのは鬼化したやつの呪力犯罪だからー……黒河ちゃんが鬼化してて、その呪力が『おまじない』に作用してんなら対処しないとってカンジになる」

 そりゃあ「願えば叶う」とは言う。思いつめた人間から角が生えたりする厄介な現実ではあるが。それは決して全員ではないのだ。死に間際まで追い詰められても人の形を保てるものがいれば、不意の挫折で鬼化するものもいる。体質と運としか。

 念じるだけでお手軽に人が死ぬなら苦労しない。

 実際に人を呪おうと思うなら、危険を承知で裏街まで出向いて呪具商から「本物の」呪具を入手する幸運に恵まれるか、オカルトの類に縋るほかなく。それとて冷やかしが効力を持つほどやさしくない。風見なんかは「直で殴る方が早くね?」などと考える。

「……ヒナ。『おまじない』の内容って、どんなん?」

「むかし流行ったやつみたい。何パターンかあるうちの、どれかだとは思う」


『狭間通りの何処かにある、廃ビル二階の黒いデスク。水曜日の丑三つ時、抽斗ひきだしに手紙と通行料を入れると、死神に手紙が出せる』

 和泉と通話を繋ぎっぱなしの端末から『正解』が聞こえた。


「…………げ、」

 喫茶店外で待機していた風見が頭を抱える。一番当たって欲しくないやつが当たった。

 死神に、連れて行って欲しい人を教える方法。おまじない――おまじない。

 これは、恐らく。死神と呼ばれる殺し屋への依頼方法だ。

『……黒河さんは、このお呪いを実行したの?』

『いいえ。まだ』

 まだ、という発言が不穏だが。

 和泉がそれとなく聞き取りを続けた感触では、黒河が暴言を恨んで報復した事実も無さそうだ。日南の後輩が死にかけたのは偶然の事故で、それを呪いと結びつけたのは、本人の罪の意識。

 そこで終わってくれたら気楽だったのだけれど。


『このお呪いは、ほんとうよ。死神さんに会えるもの』

 明日にも殺し屋への依頼が行われるかもしれない状況を、知らないふりはできなかった。



 黒河が指示した廃ビルは、狭間通りの外れ。

 鬼というよりは、後暗い人間や胡散臭い呪具商が幅を利かせる区画にあった。

「……死神って、マジな話あの? 殺し屋の死神?」

「お話聞いてた限りでは、そうとしか……」

「あ〜〜……や、マジか、あー…………」

 風見の脳裏に、死神を目の敵にする上官がちらつく。

 ハラスメント上司が恋しくなる日が来るとは――いや。何だかんだ折り紙付きの実力者であることは確かなのだ。居てくれるなら心強い。連絡はしてみたものの安定の既読無視が清々しかった。

 まさに今夜、死神に会うと言っていた黒河の身を案じ、風見と和泉は対策部の装備で武装している。私用で武具の携帯許可は下りないので、夜間巡回のシフトを代わってもらったかたちだが。

 市民からの通報が無いよう祈りながら。目的の廃墟へもぐりこんだ。

「イズミちゃん、いま何時?」

「えっと、……午前一時、四十五分くらい。黒河さん、十分前くらいから待ってるって言ってたから」

「ん、ぴったしなカンジだな」

 丑三つ時、午前二時まであとすこし。

 人ひとり登るのがぎりぎりの通路を懐中電灯で照らす。傾斜のある階段はバランスが取りづらく、転びかけた和泉が手をついて、ざらついた壁で擦過傷を負った。

 緩んだドアノブを慎重に捻り、粉をふいて煤けた扉を開ける。

 がらんどうの二階はオフィス然として、大きな窓から淡い月明かりが射し込んでいた。割れた窓硝子に風が吹き込み、不格好な笛の音が響く。

 床材がところどころ剥がれていて、室内は埃っぽく煙たい。

 艶の無い、黒いデスクが一つだけ。忘れ去られたようにそこにある。

「ホラゲみてぇ。ちょっとテンション上がんね?」

 何の気なしに振り向いた風見は、入口で立ち尽くす和泉に気づく。

「……そ、そそそんなこと、ないですよ。だって死神は殺し屋さんで、てことは人間で、おばけとかそういうのは、ほら。だってこれから黒河さんも来るし」

「……イズミちゃん、もしかしねーけどホラーとかダメな」

「違いますもん!!」

 建物がみしりと軋む。

 和泉はぎくりと肩を揺らした。しつこく周りを確認し、震える足でぱたぱた追いついてくる。涙目のせいでチワワにしか見えない。

 その怯え切った小動物が、風見が開けようとしていた抽斗ひきだしに手をかけるものだからさすがに慌てた。

「ゴメンって、笑わねーから。無理すんなって」

「だ、大丈夫です!! 頑張ります。俺は、お兄ちゃんだから……!」

 勢いよく滑った抽斗は、半ばで突然動かなくなった。


 和泉が不思議そうにデスクを検分する。

 注意深く、内側で引っかかる異物を取り除いてから、抽斗まるごと引っ張り出す。


――何を代償にしても構わない。殺してくれ。

――あの穀潰しが死ねば、遺産が入る。だから、

――報いを受けさせてほしい。あの悪人に、どうか。

 中身も異物も、すべて、手紙だった。


 入り切らず、デスクの奥に詰まっているものもある。開くどれもが呪詛の手紙ばかりで、風見は早々に中身をあらためるのをやめた。

 固まったままの和泉からも、かび臭い便箋を取り上げる。

「……ほら、そろそろ時間じゃね? 黒河ちゃん待って、」

「だぁれ、貴方達」

 大きな灰色のパーカーを着込んだ、小柄な人影。

 隊服かつ武装した男二人をみとめた黒河は、少なからず目を見開いた。

「そっちのひと……和泉、ちゃん?」

「あ、……黒河さん! 良かった、無事で」

「……おとこのこだったの?」

 和泉が思わず、地毛の短髪に手を伸ばす。

 女装の言い訳を全く考えていなかったらしい。ホラーとは違う理由でみるみる顔色が悪くなる――「男の子だよ! 悪いかよ!!」「風見さん!?」「オレが無理いって着せたんだから、文句があるならオレに言え!!」「そういう事じゃないんですってやめてください!!」

「……貴方も、嘘つきだったのね。そう」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ間に、すぐ傍で。金属どうしが擦れる滑らかな音が――


 音、が。

「死神さん……!」


 大きなフード付きコートに、口元のマスク。目をはじめとして頭全体を覆う布。

 素肌の一切を黒で隠した殺し屋は、すぐ触れられる距離にいた。

 すぐ側で、無言のまま、デスクの抽斗を開けていた。


 とっさに和泉を庇った風見の目前で、黒河が死神に抱き着いた。

 その弾みで、死神の被っていたフードが脱げる。

 目元を覆う襤褸布は、頭部全体を覆って巻き付けられている。黒い布の端は切りっぱなしにほつれ、余ってたなびく包帯が、黒河が揺すると同時にひらひらした。

 マスクや布で覆われているものの、顔(と思われる辺り)に落ちる影からは、人間の造形を思わせる凹凸おうとつがうかがえる。

 黒河に比べると際立つ体格差は、その中身が男性であることを予感させた。

「……その。……死神、逃げないですね……?」

「……見られてね? ……いや、アレで前見えてんのか知らねーけど、顔っぽいトコこっち向いてね?」

 鯉口切って見据えるものの、無言の圧に負けそうだ。

 死神との逢瀬を喜ぶ黒河の声だけが、場違いに熱っぽく浮かれていて。

「ねえ死神さん。わたし、今夜が待ち遠しくてたまらなかった――あの人たちは無視していいの。無粋な観客」

「…………」

「お願いよ。わたしとの約束、果たして頂戴」

 黒河がパーカーを脱ぎ、放り投げた。


 美しいレースのあしらわれたワンピースが、彼女の脚に合わせて、ひどく優雅にひるがえる。

 床の埃が舞い上がり、窓からそそぐ月光の筋をくっきりと映した。

 黒一色の死神に寄り添い、愛おしそうに身体を寄せる無垢な少女。薔薇色の頬をほころばせ、鈴を転がす声色でうたう。

「死ぬのなら、こんな満月の夜がいいわ」

 彼女が死神に願ったのは、自分自身の幕引き。


 ゆっくりと。生白い首に近づいていく刀身の光で、風見はようやく我に返る。

――見蕩れてる場合じゃねぇ。

 がむしゃらに斬りかかり、黒河の首から刃を剥がしにかかる。片腕一本でいなされようと、何度も繰り返し食らいついた。

 バケモノの膂力りょりょくだ。びりりと両手が痺れた。

 どれほど息を切らしても、和泉と連携して崩そうとしても、死神は一歩も動かない。

「来ないで、嘘つき!」

 黒河の言葉で和泉が怯む。

「嘘つきは大嫌いよ。これ以上邪魔する気なら出ていって」

「ごめ、なさ……俺、騙すつもりじゃ」

「謝ることないわ。怒ってなんかいないもの。わたしがただ、貴方への友好のきもちを手放すだけ」

 呼吸が苦しくなってきた。和泉は萎縮して動けなくなっている。

 歯を食いしばって全体重をかけた一撃が、ほんの少し長く、死神の注意を逸らした。


「邪魔するから勝手に避けろよ」

 肩に焼けそうな熱が走り、遅れて銃声に気づいた。


「い、……っでぇ!?」

 それを痛みと認識して、思わず床を転がった。

 慌てて駆け寄ってくれた和泉の向こう――現れた金髪の闖入者ちんにゅうしゃに、思わず目をこする。

「……なんで棗サン、こんなとこ居るんすか?」

「呼んだの君だろ。とぼけてんの?」

「は? だって、既読スルーじゃ」

「……風見、お前もしかして『既読』の意味わかんない?」

「すんませんっしたァ!!」

 死神は既に、棗へ刀を構えている。

 気温が数度下がった気配、張り詰める殺気――和泉がたじろぎ、風見が唾を飲む。

 射し込む月光が棗の金髪に反射し、まばゆく輝いた。

「なァに豆鉄砲食ったツラ晒してんだよ。死神」

 装束の黒が砂埃に煙り、死神が棗から逃れるため大きく床を蹴る。

 ぴったりとくっ付いていた黒河を剥がし、刀の間合いの外へ突き飛ばしたのをみとめた瞬間、風見は止血もそこそこに飛び出した。

「イズミちゃん、撤退!!」

「っはい!!」

 殺し合いを続けるふたりを置き去りに、呆然と座り込んだ黒河を抱き上げる。



 此方を巻き込むよう暴れる棗から黒河を庇い、紙一重で廃ビルを脱出した――死神のもとへ戻ろうとする彼女を追いかけ引き戻し、一般市民の巻き込みを厭わない剣戟けんげきを切り抜けて。風見と和泉は一日でかなり寿命が縮んだ。

 汗でべとべとになりながら裏街を出た頃には、夜間巡回の交代時間を大幅に過ぎていた。

 三人まとめて付属病院のお世話になり、強い希死念慮のみられた黒河はその場で呪力測定を受けたのち、検査を経て入院の運びになったらしい。

「いま死ぬのが、一番きれいだと思ったから」

 黒河が死ぬ理由について答えたのは、その一言だけだ。

 真っ白い病室から窓の外を眺める彼女は、依然として沈黙を守っている。

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