いい子

「君は先祖返りだね?」

 帰宅途中の小一男児をファミレスに連れ込んだ若い男が、悪びれもせずアイスティーを勧めてきた。

「けいさつよびます。さよなら」

「ふふ、健在で良かった。また会えて嬉しいよ。……料理は好きに頼んでほしい。コンビニのご飯ばかりは飽きるだろう」

 現代のコンビニは優秀だ。二十四時間いつでも、衛生的で安定した味の食事を提供してくれる。お金さえあれば飢えずに済んで、さいわい食費は不自由ない。

 椅子から降りて、教科書の詰まったリュックを背負う――「どうしてランドセルを持ってないのか」と教師から延々引き留められて疲れた。面倒はお腹いっぱいだ。

「じき中央から監査が来るよ。君が偽装した『普通』は、それでも少々出来すぎていた」

「……知能にまで協調性を求める気なら、さっさと殺せばいいんじゃないですか」

「まぁ座ってほしいな。自分のことを正しく知らないと、身の振り方も決まらない」

 大人は多々良たたらと名乗って名刺を差出した。

 鬼を殺すための公的機関、異類対策部北支部長。

「私も同じだよ。君達と共に生きた、闘争と革命の時代を記憶している先祖返りだ」

――血なまぐさい匂いが、むっと鼻の奥に蘇る。

 妄想で片付けたかった地獄を現実にされて、僕は思いきり顔を歪めてしまった。可笑しそうにクスクス笑う多々良が気持ち悪い。


 多々良は愛想を振り撒きながら、懇切丁寧、僕みたいな気味の悪い子どもを嬉々と集める物好きがいることを説明した。妙な記憶が植わった異物を金の卵と判ずる理由は、質疑応答を重ねても納得しきらなかったけれど。

「ご両親には、君が知能テストで極めて優秀な成績をおさめたことだけが知らされるはずだ。将来性への投資として、君の身柄を中央に預けてほしいと頭を下げる」

「断ると思いますよ。僕がいないと、養育費の名目でお金を無心できなくなります」

「なら当然、それ以上のお金を用意されたら君を売るわけだね」

 意思決定に他人の介入を義務付けられる子どもの身体が本当に忌々しい。

 生活費だけ渡して一切こちらに干渉してこない理想的な両親は、確実に僕を売る。生かしておかないと養育費を要求できないから義務感でやってるだけで、扶養なんて面倒なもの投げ出したいのが本音だろう。

「……じゃあ。僕に何させたいんですか? 大したこと出来ませんけど」

「おや、まだ何も言っていないよ」

「売られないよう手を回してやるから言うこと聞け、ですよね。あなたは」

 不愉快な世間話をする為だけに接触してくるほどヒマでもなければ、見返りを求めないお人好しでもない。多々良が真実「変わっていない」のなら分かりきった話だ。

 多々良は「そう難しい仕事はさせないよ」と苦笑してから、僕の目を真っ直ぐ見つめた。

「君にも、幸せになってほしいだけさ。氷崎すばるくん」

 人心掌握に長けた元テロリストの胡散臭さは、生まれ直しても治らないらしい。


 ■


 古びた懐中電灯のスイッチを強めに押し込む。

 夜道が柔こく照らされ、カーブミラーに反射した光が目に刺さる。一人暮らしのアパートから裏街への近道は、じっとりと幕を下ろす分厚い暗闇だけが厄介だ。

 蛙の合唱が響く夜道を「仕事道具」の詰まった鞄を抱えて急いだ。

――実習レポートは考察を仕上げれば終われる。

 次週の同コマまで余裕はあるけれど、記憶が新しいうちに課題は終わらせたい。模範的な大学生らしい感情にはやる歩みが、北の裏街――狭間通りと悪名高い一角にさしかかる。

「す。すばる、」

 声の主を物陰に押し込めて、氷崎は声を低くした。

「発作は落ち着きましたね。良かった。……さっきの場所に戻りましょう。監視に映りますから」

「それはわかるんだけどよ。鬼を見つける探知機ってやつがあるんだろ? カメラばっか気にしても」

「北の探知機は、鬼化末期の危険個体だけ引っ掛ける閾値いきちの設定です。なりたてだと相当な呪力値じゃない限り反応しません」

「さっすが、対策部につとめてると詳しいなぁ……わかったわかった、押すなよ」

 大げさに眉を下げた鬼は、氷崎の父方の叔父にあたる。


 裏街とは要するに鬼の巣窟。狭間通りと固有名詞がつくほどの規模に膨れた此処は、はぐれ者共の非合法自治区と呼んで差し支えない。

 鬼籍に入り、人権を剥奪されたものが呼吸を許される唯一の場所。

 鬼化初期発作の主症状――角の表出に伴う激痛と精神錯乱に苦しみながらもがむしゃらに逃げた叔父が氷崎と遭遇したのは、半分くらいは偶然だった。

「……いいのか? 対策部が鬼を庇って」

「勤務時間外ですよ。それに此処は、裏街ですし」

 裏街で表の肩書は意味をなさない。誰であろうと運が悪けりゃコロッと死ぬし、鬼の巣窟ゆえ警察の介入も難しい治外法権。

 ほっと相好を崩す男にペットボトル飲料を渡し、氷崎は簡素な診察台に腰掛けた。モノ自体がかなり古くに廃棄されたのだろう、音を立てて軋む。

 医療カートや壊れたベッドが放棄された廃病院は薄暗い。懐中電灯が唯一の光源だ。

「叔父さんは、どうして僕を探してたんですか?」

 氷崎が男に気付いた時、その手には大学名入りの封筒が握りしめられていた。

 恐らく保護者宛であろう文書に、氷崎の住所が載っていたのだろう。両親は気にも留めないそれを、何らかの理由で持ち出していた。

 初期発作の錯乱状態では、動機を問い質すことも出来なかったから。

 改めて問われた男は、一瞬ばかり勇んでから――口ごもる。

「……自分の子どもが頑張って、こんな良い学校入ったのにだぞ? ……兄さんも、兄さんの嫁さんも、どうでもいいなんて言うんだよ」

「実家、行ったんですね」

「……元々不安だった。いきなり知らない女連れてきて、子供ができたから責任取るなんて言い出して……子供嫌いの癖にだ。結局育児放棄で、すばると嫁さん言い訳に本家から支援むしり取ってるだけだろ。あいつは」

 彼が次第に饒舌になる。

「おかしいだろ。自分の力で扶養もできない、育児もしないで何が親だよ!? ……本当はさ、今日。お前のこと迎えに行って、一緒に暮らそうって言うつもりで……」

 後頭部に生えた、彼自身の角。

 本人からは目視できない角の生え際を、かさついて節くれた男の指が何度もなぞる。

「……憎いだろ。親のこと」

「いえ。あんまり」

 男が驚いて氷崎を見上げる――想定してないと言わんばかりの焦りをにじませて。


 氷崎の肩を掴んで揺さぶりながら。冗談だろうと問掛ける声は、次第と恫喝へ変わっていった。揺さぶられるまま抵抗しない氷崎の表情かおなどまるで見ていない――

「……もういいですか? 叔父さん」

 倒れた男を見下ろす目に、肉親の情は存在しなかった。

 ひどく重くて取り回しのきかない荷を、息を切らしながら仰臥位に戻してやって。

「もう一度聞きます。正直に、答えてくださいね」

 叔父の耳元で、暗示をかけるように強調する。


 子がいることで生まれる利益にしか関心が無い、不干渉な両親。

 たまたま幸運な環境に生まれついたお陰で衣食住にも不自由せず、とりあえずは健康に、好きなように生きていてくれる。それが自分の親だということくらい悟っていた。

「叔父さんは、どうして僕を探してたんですか?」

――この男は両親と『同じ』だ。

 そう簡単に人は変わらない。それこそ一度死んだとしても。


 自白剤で朦朧としだした意識に、尋問を繰り返す。

 じき、男の口角が緩んだ。

「……一人暮らしなんだろ? 食費と、遊ぶ金と……いっくらでも金はかかるだろ。大学の学費も。……なのに、兄さんも嫁さんも、そんなの知らないって言ってたぞ」

「……はあ。それで?」

「どこから金わいてんだって聞いてんだよ。……ああ。いい金ヅルでも捕まえたか? 兄貴に似て顔は綺麗だもんな……学費まかなえる位だ、相当ヤバいことしてんだろ」

 父さんと母さんにばらされたくないだろ? と。

 脅迫をほのめかす顔は、記憶の叔父と変わりない。

「僕の両親や、誰かに。それを話しましたか」

「話すわけ無いだろ。すばるが金持ってるってバレたら、あいつらがほっとかない」

 鞄から注射器シリンジを取り出す。

 アンプル剤を転倒混和し、指で弾いて薬液を落とした。


 他人ひとより持ち物が足りないことは自覚していた。

 情というもの、他者への共感、倫理観の欠如。無頓着と無神経から導かれる答えが、他者から敬遠される代物だと知っている――ひとの命を奪うことは犯罪で、そこに心理的ハードルが存在しない人間の方が現社会には不適合。害まである。

 社会に産まれた凡俗な人間が生きていくには、集団に属したほうが面倒が少なく自由もきくからそれらしくしていた。

 さほど溶け込めなくともいい。必要以上に目に留まらず生きていけるよう、想像力と社会性をかき集めてきたつもりだった――

「え、すばるじゃん! おつー!」

 大通りに出た瞬間抱き着いてきた風見かざみは、理由なく引っ付いてくるから例外だ。


 隊服姿に武装をととのえる身体は無駄に重い。

 バディ相手が見あたらないところからして、通報のあった鬼を捜索中とみえた。少なくとも立ち話をしている場合ではないような気がする。

「お疲れ様。博己ひろきは巡回?」

「そうなんだよ~~通報あった鬼がさぁ全然みっかんねーの。ヒマ? 手伝ってくんね?」

「そう。頑張って」

「ちょっと待ってな。確か身元割れてっから」

「やらないよ?」

 端末を操作する風見が、画面を氷崎に見せながら読み上げる。

「四十八の中年男で白髪交じりの黒髪、中肉中背。角は二本デカいのが後ろあたまから。いちおう名前が、氷、――……」

 そこで言葉は切られ、青い顔で端末を取り上げられた。監視カメラに気を付けてよかったなと、頭の隅で考えた。

 心情面の懸念だ。手持ちは無いから想像上のものでも。

――最悪、『氷崎すばる』をやめる資金は十分ある。大学は惜しいけど仕方ない。

 泡食って下手な嘘をつき続ける風見を眺めるだけで、血縁殺しの露見で被る面倒が知れる。

「や。ホント、なんでもねーわ。うん」

「そっか。なら良かった」

「……実家とか、親戚んちとか。しばらく連絡すんなよ」

「しないよ。仲良くないし」

「だ、だよな! すばるが親と仲悪くてよかった〜〜!!」


――博己なら逃がしただろうか。鬼籍に入っても、親戚なら。

 僕の場合、排除した相手がたまたま鬼だったと言うほうが正確だけれど。その手の可能性が残されたうえ「それが人道的な判断だ」と指さされるなら滅茶苦茶な土地だと思う。鬼は危険だからと排除する対策部があるのに、狭間通りという逃げ道は残して。

 北の裏街で「死んだもの」とされたまま生きている鬼が事実上容認されている現状は、異類対策部の存在理由を鑑みても歓迎できるものではないはずだ。裏街を一掃した実績ある中央にこき下ろされても反論できない体たらく。

 鬼に実質的な猶予が与えられる(こともある)此処は、変だ。

 自治があるとはいえ。個人的には。人権を剥奪されてなお、明日の保証もない掃き溜めで生き長らえるのが慈悲とは思わないけれど。

「またメシ行こーぜ。たまには返信くれよな! 心配すっからさ!」

 僕の肩をバッシバシ叩いて(痛い)、心底ほっとした笑顔で手を振っていなくなる博己を見送る。


『せっかく風見くん達が居るのに、友達にならないのかい』

 多々良から下らないお節介を言われたこともあったなと、昔のことを思い出した。


「顔が同じだけの他人ですよ。あっちは覚えてないんですから」

「とてもいい子だよ。道に迷った知らないおじさんを助けてくれた」

「気持ち悪いですね」

「思いやりのある子に育ったと褒めるところじゃないかな」

「あなたのこと言ったんですよ」

 妙な手違いもなく「正常」に生まれついた元同期は、すっかり現代の平和に適応していた――いや。

 もともと器用にやれる奴だった。愛想も要領もよくて、だいたいのことは平均以上にこなしてみせる。その柔軟な順応力と隙ない才能があいつの強みで、昔も今も変わらない。

 協調性が重視される平穏の中で、僕自身の欠けが、よく見えるようになっただけ。

「関わる気は無いですから。ほっといてください」

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