Ed

 コンクリートでできた高層建築が立ち並ぶ街並みを歩く。

 足音すらも違うのだな、と気付いて、自分もずいぶんと居住区に馴染んだものだと小さく笑みが浮かんだ。

「ずいぶん人間みたいな顔をするようになったじゃないか」

 正面のベンチに腰掛けている長い黒髪の女性が、面白いものを見つけたとにやにやしながら話しかけてきた。

 ここに座りなさい、と隣を勧められて僕も冷えたベンチに腰を下ろした。

「それ、この間シエラにも言われましたよ」

 シエラの名前を出すと、彼女は途端にその白い頬を赤くする。

 それがあまりにわかりやすいので声に出して笑うと、彼女は君ってそんなに性格悪かったっけ、と非難の声を上げた。

 言われて僕も製造されたばかりの頃の記憶を引っ張り出そうとしたが、ぱっと出てくるのは味の悪い完全食のことばかりだった。

「それで、今日はどうされたのですか。直接顔を合わせたいなんて珍しいじゃないですか」

 珍しいどころか、居住区に出荷されて以降、都市に戻るのは初めてだった。

 ほとんどの自動人形は一度都市からそれぞれの職場に配属されれば、都市に戻ることはない。

 あるとすれば修理か、廃棄のときくらいだろう。

 僕のように製造者と密に連絡を取り合うことも、今みたいに会って話すこともないはずだ。

「君にお願いごとがあるんだ」

「シエラのことですね」

「ああ、そうだよ」

 女性──ロゼはゆっくり、深く頷いた。

「シエラはあの指環の加工を始めたんだろう。様子はどうだい」

「報告の通り熱心に取り組んでいますよ。だからしょっちゅう脱ぎます」

「そういうところは変わらないんだね」

 しみじみと噛みしめるように言って、ロゼは顔を上げて遠くを見つめた。

 僕も同じように、何を見るともなく視線を移す。

 死んでしまったシエラの癖を、今のシエラが同じように持っている。

 それの事実はロゼにとってどのような感情を生むのだろうか。

「ねえトラシュ。あの子に、あの指環を作るのをやめさせてくれないか」

「それはできません。僕にも、あなたにも彼女は止められない」

 縋るような視線を感じながら、僕は灰色の街並みを見つめ続ける。

「彼女は毎日苦しみながら自分ではない自分への思いを受け止め続けました。今度はあなたが、シエラの思いを受け止める番でしょう」

 僕は夫人を愛するジクのことを思った。

 二年生きてきてわかったことがある。芸術はなぜ人を惹きつけるのか。

 必ずそこに、思いや感情が込められるからだ。

 感情に触れて、触れられて。何かに心を動かされたくて、人は生きている。

「ロゼ。あなたがシエラにあの薬を渡したのでしょう」

「ああ、そうだよ。あの子がそれを望んで、私が渡したんだ」

「なぜですか。あなたたちはきっと互いに──」

「あの指環はね、ずっと昔、子供だった頃に私が彼女にお願いしたんだ」

 そうしてロゼは語り始めた。

 ロゼが技術者の道を目指して都市に発つ。

 シエラは居住区に残って彫金師を目指す。

 その日にシエラは、二人の間を繋ぐ自動人形を。

 ロゼは、とびきりの指環を。

 お互いに進んだ道で最高の作品を渡しあおうと約束したのだという。

 何年も経って、二人は優れた芸術家と技術者になった。

 そしてロゼは一体の自動人形をシエラの済む居住区に送り出した。

 シエラが“私を殺してほしい”と、研究室に乗り込んできたのはそれからすぐのことだった。

「『あなたへの気持ちを、満足な形にしきれない』って。おかしいよね、でもあの子は本気だった」

 ロゼは笑おうとして失敗した、泣き笑いのくしゃくしゃとした表情で僕を見た。

「死んでほしくなくて、気休めに薬を渡したんだ。あの子を傷付けたくなかった。あの子にも自分を傷付けて欲しくなかった。こんなことになるなんて思ってもみなかったんだ」

 ロゼは目を閉じると、深く息を吐いた。

「シエラが言っていました。『こんなにも感情を込められたモノをそのまま捨てられるわけがない』と」

 僕は立ち上がって、ロゼに手を差し出した。

 シエラとロゼを繋ぐために僕が生まれたのならば、きっと今こうすべきだ。

「行きましょう、シエラがあなたを待っていますよ」

 シエラはロゼのための指環を夢中で仕上げているところだろう。

 二人のシエラからただ一人に宛てられた重い想いの結晶を、より美しく、より自分が満足できる形にするために。

 ジクが渡した花束に、夫人はたいそう喜んだ。

 作られた自動人形に宿った心でも人間が心動かされるならば、抜け殻に宿った心もまた、彼女の心を揺さぶるに違いないのだ。


 そうだ、ロゼをアトリエに入れる前に、シエラの着替えを持っていってやらないと。

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