今日もこの仕事を無事に終えることができた。

 平和そのものといった夕方の町の見回りを終えて、僕は相方にお疲れ様ですと声をかけた。

 尊敬する先輩でもあるジクはお疲れ、と言って皺が刻まれた頬を吊り上げた。

「お前さんは今日もあの子ンところに行くのかい」

「はい。それも僕の業務のうちなので」

 湖のほとりにあるこの町で、シエラの事情はよく知られている。

 人間が自動人形用の再起動薬を服用するというケースが初めてだったからだろう、事件の全容を明らかにするために、中央政府が住人に協力を要請したからだ。

 

 都市で厳重に管理されていて、田舎の居住区に出てくるはずのない再起動薬をシエラがどのように手に入れたのか。

 そもそも創作活動も順調だったはずの彼女がなぜ自分を殺したのか。

 結局それらの理由はわからないままだったけれど。

 結果的に町の住民はシエラを気にかけつつも適度に距離をとり、用があるときは政府から派遣されている自動人形である僕を窓口にすることで、あまり干渉しないように気遣ってくれるようになっていた。

 日暮れ前まではジクとともに町の警備。

 そのあとはシエラの様子を見に行く。

 そんな日々がすでに一年続き、僕も町の住民もそれにすっかりと慣れた、夏のある日のことだった。

「それじゃあ俺も途中まで一緒に行くかねェ」

 いつもまっすぐに家に帰るジクの唐突な道草宣言に、黙って彼の顔を見つめてしまう。

「どうしたトラシュ、その顔は」

「珍しいと思いまして。どうされたんですか」

 ジクは実はなァ、と大きなその背を少し縮めて僕の耳に顔を寄せた。

「もうすぐ五十回目の結婚記念日なンだ。森のそばに花屋があるだろ、ちょっとした花束でも用意してもらおうかと思ってなァ」

「なるほど。素敵なアイデアですね」

 ジクは愛妻家だ。

 自動人形である彼は結婚制度を利用はできないため事実婚ではあるが、長年連れ添った人間の女性のパートナーがいる。

 二人の仲の良さは町の住民には良く知られていた。

 人間と自動人形の間に愛情が生まれるなんてことはフィクションでは鉄板のネタではあるものの、実際に都市の研究者や権力者が知ったら不具合と判じられて再起動薬を渡されそうなほど特異な出来事だ。

 だが、芸術を好む一般の住人たちは、夢物語のような二人の関係を喜んだ。

 ジク本人は俺は初期型の自動人形だからどこかバグってるんじゃねェかな、などと笑っているが。

 そんな彼が明かした計画を僕は好ましく思った。

 今の時代、芸術品である花束やブーケを買うとなると高価にはなるが、夫人はきっと喜んでくれるだろう。

「って、お金持ってるんですかジクさん。まさか奥さんのお金を使ったりは……」

「ンなことするわけあるか! 庭で育ててる花や球根を無人販売所で売ってこっそり貯めたンだよォ」

「なるほど」

 大柄なジクが背を丸めて植物の世話をしているところを想像する。

 僕が表情に乏しいタイプの自動人形で良かった。

 きっと人間だったら笑ってしまっただろうから。

 町はずれへと歩きだしたジクについて僕も歩きはじめる。

 巡回のルートから外れるこの道を二人で歩くのは新鮮な気持ちがした。

 芸術品は高い。

 芸術品だけではない。

 衣食住を完全に保障されたこのご時世、貨幣は“人が作ったもの”を取引するためだけのものとなった。

 食糧や衣服に基本的な道具などは無制限に都市から現物支給されるが、支給品以外のものや娯楽の品を欲するのなら自分で作るか、誰かが作ったものを買うしかない。

 ただし貨幣は支給されないから、貨幣を手に入れるために何かを作る必要がある。

 たとえば指環。花束。料理。きれいに磨き上げた泥団子だってそうだ。

 支給品とは異なる、人による思いや思考が込められた “作品”を人々は求め、その所有権を持つ者に憧れを抱き、シエラのような“創作家”を尊敬するのだ。

「しっかし自然は偉大だな。自動人形、それも俺みてェな古い型が育てても、人間を感動させられる花を咲かせてくれるンだ」

「……それは、ジクさんが丁寧に世話をしたからですよ」

「ありがとうよトラシュ。だがどれだけ気を付けても俺は人間じゃねェからなァ、いつ枯らしちまわねェかと恐ろしかったぜ」

 嬉しそうに語るジクを横目に、僕の気持ちは沈んだ。

 自動人形は芸術ができない。それはこの世界の常識だ。

 大昔にロボットとか人工知能という技術があったそうだ。

 彼らはさまざまなモノを作ったが、“これを人工物が作ったのか”という驚きと興味でもって受け止められたものの、人間を感動させることはなかったらしい。

 人間が何に感動するのかをいくら分析しても、プログラムは本質を理解できなかったのだ。

 どれほど人間に似た姿を与えられたとしても、機械ではなく生き物だとしても。

 被造物である自動人形も彼らと同じだ、と。

 人の心に響くモノは人間にしか作れない。自動人形に芸術はわからない。

 だから、僕ら自動人形には芸術品の所有権を得ることもない。

 そして今、偉大な先輩からそれを認める言葉が出たのを、僕は寂しく思った。

 僕はかつて、シエラが作品を生み出していくのを何度も見てきた。

 人間の言う感動に似た情動も、経験した。

 そのたびにこの感情は人間が抱くそれには遠く及ばないのだという事実が僕の作り物の心をよぎって、ひどく胸を締めつけられるような感覚に襲われた。

 あの感覚になんと名前を付ければよかったのだろう。

 苦しみ、嘆き、妬ましさ。いずれも違うように思えた。

 そうしているうちにシエラは創作家の自分を殺してしまった。

「どうも、花束を頼めますか」

 聞こえてきたジクの声に顔を上げると、いつの間にか街はずれの花屋に到着していた。

 町にも植物はたくさん植わっているが、ここまで多くの種類の花が一堂に会するのを見るのは初めてだ。

 店頭にたくさん置かれた花の入ったバケツが、それぞれに濃い匂いを発して混ざり合い、もったりとした空気が立ち込めている。

「やあジクさん、珍しいね。ネネさんのお使いかい」

 ジクの呼びかけに店の奥から花屋の年老いた主人が眼鏡の位置を直しながら出てくると、ジクは小さな声で妻に贈り物をしたいということを告げた。

 どうやら夫人はこの店でしばしば小さな花束を購入しているようで、ジクは婦人の好みの花については店主の方が詳しいと踏んでいるようだった。

「ネネさんにプレゼントか。よし、そういうことならなるべくサービスしよう。花を贈ろうとする男を手伝えるのは花屋として名誉なことだ」

「そういうものかい」

「ああ、大昔の映画じゃ良い男ほど頻繁に花を贈るんだ。近頃の映画には花束も芸術品だからって、あまり登場しないがね」

 店主が好む映画は相当に古い年代のものらしい。

 僕はつけっぱなしにしているテレビでやっていれば見る程度でしか映画やドラマを知らないが、確かに花を贈るというのは大戦以前の作品以外で見かけた記憶がない。

 現代は素人であっても詩や音楽など、どうにか自作のものを用意して贈ることが多い。

 餅は餅屋って言葉があるだろ。

 本当に相手が喜ぶ美しいものを贈りたいなら、普段から美しいものを作っている人間に頼むのが一番いいに決まっている。

 ジクが大真面目に頷くのに気を良くしたらしい店主がヒートアップしていくのを横目に、僕はこっそり花屋から抜け出した。

 あの調子では花束のプランが固まる頃にはとっぷりと日が暮れているだろう。

 僕にはまだ仕事が残っているのだ。

 夕暮れの道を足早に歩き、たどり着いた町はずれの森。

 その前に建つ一軒の家のポストの様子が、今日は普段と違っていた。

 にょきにょきと大量の封筒が生えているはずのポストは蓋を開けても空っぽだ。

 これはどういうことだろう。

 配達係の自動人形が体調でも崩して来られなかったのだろうか、誰かが漁っていったのだろうか、それともまさか、シエラが自分で中身を回収したのだろうか。

 初めて遭遇する状況に固まっていると、家の中から聞き慣れた音が聞こえた。

 槌が金属を叩いて延ばす音だ。

「シエラ?」

 いつもの窓際に彼女はいない。

 鍵のかかっていないドアを開けると、室内には夕暮れの橙色が差し込んで濃い影を作り出していた。廊下を渡り、僕はアトリエに向かう。

 普段の彼女なら僕が訪問するまで居間でのんびりしているはずだ。

 今日はジクに付き合って遅くなったから、先に作業を始めたのだろうか。

 疑問を抱えながらアトリエのドアを開く。

 開いて、すぐ閉じた。

「……何してるんですか、シエラ!」

「あれ、トラシュ、あなたいつ来たの」

「なんでもいいから早く服を着ろ!」

 ドア越しに大声で呼びかけると予想通りに、数秒してからシエラの悲鳴が響く。

 耳を塞いでやり過ごしながら、懐かしいなと思った。

 かつて彼女には、作業に熱中すると衣服が邪魔だからと無意識に脱ぎ捨てる悪癖があった。“前のシエラ”の癖だ。

 さてこれからどうすべきか。

 突然の変化の予感に僕はドアにもたれてため息をついた。

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