たどり着いた町はずれの森。

 その前に建つ一軒の家のポストの口からはにょきにょきと大量の封筒が生えている。配達の自動人形が困るからちゃんと見てくれと言っているのに。

 僕はため息を吐きながら中身を回収しはじめた。

「ため息なんて、ずいぶん人間みたいな振る舞いをするのね」

 かけられた声に振り返る。

 開いた窓際には肘をついてこちらを眺めるブロンドの女性がいた。

「僕は確かに人工物ですが、機械ではありませんから。うんざりしたり、ため息を吐きたくなったりすることだってありますよ」


 僕が右腕に大量の封筒を抱えながら家のドアを勝手に開けて入るのをむすっとした表情で眺めている女性の名をシエラという。

 彼女はかつて、世界に数少ない創作家のうちの一人だった。

 この家に併設されているアトリエで創作に勤しみ、多数の作品を発表しては多くの賞を受けていた。

 僕が手にしているこの郵便物のほぼすべては彫金師・シエラへのファンレターや仕事の依頼の手紙だろう。

 だが、窓際でひねくれている彼女は確かにシエラであっても、正確に言えばこれらの郵便物に宛てられた人物ではない。

 彫金師シエラは、彼女自身の手で行われた“自意識自殺”によってこの世からいなくなってしまったからだ。



 一年前、僕がいつものように仕事の帰りにこの家を訪ねたときのこと。

 明かりの点いていない室内には人影はなく、異様な静けさと窓から入り込んだ夕日で赤く染められていた。

 普段なら僕がドアを開けて声をかければ彼女の返事が聞こえるはずだし、そうでないならばアトリエから賑やかな作業音が響いているはずだった。


 不思議に思いながら居間を抜け、昼寝でもしているのかと考えながらアトリエに向かった僕は、そこで転がるビンと、床に倒れ伏す人影を見つけた。

 駆け寄って助け起こした彼女は、目を覚ますとはじめにこう言った。

『私はだれ』。

 身体の主であった元の意識を永遠に喪った彼女は、泣き出しそうな顔でそう言ったのだ。


 一年前から街の警備以外に加わった僕の仕事。

 それは自動人形用の再起動薬を服用したことによって、すっかりそれまでの記憶と人格を失ってしまった彼女の世話をすることだ。

 はじめこそ状況が飲み込めずぼんやりと過ごすことの多かった彼女も次第に以前とは異なる人格と思考を見せるようになり、今では自動人形の僕のしぐさや表情にケチをつけるほどだ。

 そのたびに僕は、より人間らしい情緒を持つジクの方がこの仕事には向いているのではないかと思う。

「はい、お手紙ですよ」

「いらない。どうせ『前の私』宛てのものだもの、読んだってどうしようもないわ」

 シエラは今ではこの通りすっかり“前の自分”が嫌いなひねくれ者になってしまった。

 元気であることを喜ぶべきか、どんどん皮肉や嫌味のレパートリーが増えていくことを悲しむべきか、悩むところである。

 そんな彼女は今日も眉間に皺を寄せながら、渡した封筒をおとなしく開封していく。

「えーっと『一昨年の作品展での受賞作品を見たときから心を奪われています』、『新作をずっと待っています』、『いつかあなたの作品を購入することが私の夢です』……ほんと、勘弁してほしいわ」

 ぶつぶつと愚痴を言いながらシエラは次々に手紙に目を通していく。

 僕と彼女の、すっかり日常となった光景だ。

「そんなに嫌なら読まずに捨てても良いでしょう」

「これだから自動人形は。こんなにも感情を込められたモノをそのまま捨てられるわけがないじゃない」

 抜け殻の私でも宛てられた身体だもの、読むくらいはしなきゃ。

 シエラは当然のことだという風に答えて別の手紙を手に取り、またひとつため息を吐いた。

 彼女は自分のことをたびたび“前の私の跡地”だの“抜け殻”と称すが、こういうときに表現者としての在り方は以前と変わらず身体に残っているように見えた。

 それを告げたら、彼女はどんな表情を見せるのだろうか。

「ここだけの話、僕のため息はあなたのマネをしているんですよ」

「げ。やめてよーそういうの……」

 膨らんだ興味を飲み込んで代わりにからかうと、彼女は大げさに嫌がってみせた。

 その姿は自動人形の僕から見ても “抜け殻”に宿った人格とは思えないほど表情豊かなのだった。

「さてと、今日もやるかぁ」

 ざっと手紙を読み終えると、彼女は席を立って廊下に向かって歩き始めた。

 その先にあるのはアトリエだ。

 シエラは目覚めてからしばらくはぼんやりと日々を過ごしていた。

 けれど、毎日届く手紙を読むうちに自らも彫金に手を出すようになっていった。

 その腕前は繊細な技が光っていた以前の彼女のものとは比較にはならないが、粗削りながらも生き生きとして見える彼女の作品を、僕はそれなりに気に入っていた。

「今度はリングの内側にも刻印を入れてみようと思ってるの」

「それは素敵ですね。お疲れの頃、お茶をお持ちしますよ」


 窓の外を見ると、すっかり太陽は沈んで暗くなっていた。夏の虫の声が聴こえる。

 もう少しすれば、彼女が槌を振るう音がそこに加わりさらに賑やかになるだろう。

 この仕事は僕よりもジクの方が向いているだろう。

 けれど僕自身はこの仕事は嫌いではない。

 彼女との会話も、作業に励む姿を見るのも、用意した軽食を運んでくる僕を見た時の笑顔も、変わらない毎日のひそかな楽しみだった。

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