鉄筋コンクリート Side A


あなたがつまらない言葉と思うものを五つあげてください。犬だと思います。他にはありません。――べつだん面白くもない、とりたてて意味のあるほどのものでもない何かの言葉が、時としては、花見の頃にサクラの木の下にいる、茶色くてむくむくしてずりずり動く、あの生き物のように、裏側の塀のような場所に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものです。――ある日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鉄筋コンクリート」という言葉を口に浮べました――鉄筋コンクリートという言葉はどんな味がしますか。カ行の味がします。固い、金物の、かりんとうの味です。どうしてそんな言葉が、私の心に浮んだのか、理由は何ですか。あなたはかりんとうを食べたかったのではありませんか。だがその言葉の意味の中に、あたりまえの考えかたをしたのでは絶対にわからないはずの、ぼんやりして眼を細めてもはっきりとみえないためにすばらしいと思われているこの世の道理がぼうっと隠されているように思われました。――犬という言葉を百回つづけて繰り返したことがありますか。ありません。夢の中で起きた事を覚えていますか。水泳ゴーグルをつけて潜ったときのような風景なら、ときどき覚えています。それは夢の中の記憶のように、意識の目の前にかくされており、そのくせ捉えがたく、ひょうひょうとしてすぐ背後にも、捉えることができるようにも思えました――たったいま、自分が考えたはずのことが何なのかわからなくなったことはありますか。焦って頭の後ろが痒くなるのに、肝心なことが思い出せなくて苦しいような体験です・・・めがねを取ってこようと思ったことを忘れ、何分かして思い出して、何度も部屋を行ったり来たりしたけれどもめがねはみつからず、あきらめかけたころ、自分がめがねをかけたままなのに気がつくのが、私の日課でした。――家に居る時も、外に居る時も、不断に私はそのぼんやりした捉えがたい何かのことを考え、鉄筋コンクリートなどという、ありふれた言葉の背後にひそんでいる神秘なイメージの謎を模索した――犬という言葉の背後には神秘なイメージがあるのでしょうか。遠吠えする犬はごくたまに神秘的でありえます。輪唱するからです。何かにとり憑かれたことがありますか。ないと思います。その言葉は狐や狸のようにいつも私の耳元で囁いていた――いつも耳元に付きまとう言葉の例をあげてください。カステラいちばん電話はにばん。おかげで三時のおやつは忘れません。「テツ、キン、コン、クリート」と同じような響きの言葉には何がありますか。「テツ、キン、コン、クリート」と同じような響きの言葉には――「イチ、キュウ、サン、コロンダ」一休さん、ころんだ。一休さんころんだ。その神秘的な意味を解こうとして、私は尋常ではなくしつこい人になってしまいました。神秘的な意味は空中ではどのくらいの高さにいるものでしょうか。床から3メートル27センチきっかりです。ジャンプすれば届きそうで届かないところです。神経衰弱は得意ですか。はい。大好きです。ある日、電車の中で、それを考え詰めているとき、ふと隣席の人の電車話を聞きました。いままでの人生で、隣の人の会話で一番おもしろかったものは何ですか。ナンバーワンは、捕鯨についての意見を聞かれて、鯨はおいしいと答えていた人でしょう。おいおい。とつぜんですがあなたのことを、君、と呼んでもいいですか。かんべんしてください。なれなれしい。法隆寺ではね。木造は嫌ですか。地震と火事とカミナリがこわい。やっぱり鉄筋コンクリートですか。やっぱり鉄筋コンクリートですね。あそこに紳士が通るのを見たことがありますか。ありますよ。帽子をかぶって建築のことを話しています。帽子をかぶって建築のことを話しています。人の話が聞こえていないのですか。そんなことはありませんよ。君にはひとつの単語しか耳に入らないんじゃないですか。そんなときがあってもいいでしょう。鉄筋コンクリート! 鉄筋コンクリート! どうして叫ぶのですか。いいえ、跳びあがっています。ショックを感じると、胸の奥の方がきゅうっとしまるような感じがするのですが、なぜなのでしょう。それは恋です。そうですか。そうです。あなたにこんなふうにたずねてもいいのでしょうか。私の答えでいいのなら、いっこうにかまいません。あの人たちは何でも知っていますか。ええ、きっと。これまでに機会を失ったことがありますか。気づかなかったので、ないと思います。チャンスをつかまえろ! 私は大胆になりたいのですが、どうしたらいいでしょう。夜、寝る前に毎日、しこを踏む。すると大胆になれるそうです。すると大胆になれるそうです。昔自分をはげましていると、将来はげになるのではないかと心配している友達がいました。彼は元気でしょうか。のぞみはかないます。「その……鉄筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういうわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……というのはその、つまり形而上の意味……僕はその、哲学のことを言ってるのですが……。」僕は哲学のことを言ってるのですが! 僕は哲学のことを言ってるのですが! 私は舌がもつれてからまり、私が思っていることを表すことができませんでした。私自身にしかはっきりと解らないことだったので他人に説明することはできないのでした。隣席の紳士は、びっくりしたような顔をして、私の顔を正面から見つめていた――最近いちばんびっくりした出来事はありますか。美容師に白髪をいっぽん発見されたことです。私は意味をしゃべっているのか――てれ隠しに笑って気味悪がられるのと、無表情で怖がられるの、どっちが好きですか。とうとうある日、私はたまりかねて友人の所へ出かけて――部屋に入ると同時に、私は何の前触れも与えず、突然、唐突に、疾風怒濤のごとく問いただしました。鉄筋コンクリートって、君、何のことだ。鉄筋コンクリートって、君、何のことだ。――呆気にとられた人はどうして口を半開きにするのですか。おそらく、間が抜けた分だけ口を開けないと、バランスがとれないからでしょう。鉄筋コンクリートのラーメン構造と聞いて何を思い浮かべますか。私なら、ナルトで屋根をふいた家を想像します。私はそんなことは聞いていない。ちがわないのにちがうことを説明するにはどうしたらいいですか。僕の聞くのはね。本当の意味なのだ。本当の意味なのだ。本当の意味なのだ。鉄筋コンクリートの本当の意味を教えなさい。――わかった。いいから、きっちょむさんの話を聞きなさい。一休さんでもいい。――二八歳、派遣社員です。わけがわからないことにムキになって腹を立てる同僚の扱いに困っています。いったいどうしたらいいでしょうか。社交辞令で適当にやっていこうとしたら、こいつは本当は知っているに違いない、祕密を知っていながらわざと薄とぼけているとか、陰口をたたかれているんですが、どうしたらいいでしょう。みんな困っています。「ざまあ見やがれ。こいつら!」――だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思いがけなく、そのゲジゲジのような言葉の意味が、トンネルを抜けてきたのでした。「蟲だ!」それは蟲だ! 鉄筋コンクリートは蟲だ! それが何故に蟲であるかは、此所に説明する必要はない。ええ、どうして。私には自明のことだからです。――それからこの人はどうしたのですか。――彼は、両手を高く上げ、鳥の飛ぶような形をして、嬉しそうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した、そうです。

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