11. 病院にて

「早く、早く」

「有希、足早い。ちょっと待って」


 真上寺有希は焦る気持ちから、ほとんど走る勢いで歩いて行く。行き先は学園内の付属病院、浦上の入院先だ。病院の入り口は学園の入り口とは別になっているので、こちらは封鎖されていない。

 しかし、入り口には急作りの看板が立っていた。


『本日は病棟への立ち入りできません。

 お見舞いは受付をしません。但し、緊急の場合はご相談ください』


 そして、真上寺たちは外来受付から先へ進めなかった。この病院は高校時代から定期的に通院しており院内の配置には詳しい。しかし、病棟やICUのある棟へ続くどこの通路にも警備が立っており、通してもらえなかった。


 SMSPの倉田は受付に身分書を示すと訪問の理由と行き先を告げる。慌てて奥に引っ込んだ係員を待っていると、隣で騒いでいる女子大生ふたりに気がついた。背が高くて美人だが気が強そうな方が係員に突っ込んだり、お願いしている。隣にいる子は大人しそうに待っているが、見ていると背が高い子に突っ込んでいるようだ。

 会話は聞き取れないが、所々で『浦上』という名が聞き取れる。気にはなったが、いまは職務が優先される。まずは魔法事故の調査だ。


 そうこうしているうちに、係員が戻って来た。入館証と説明を受けICUに向け倉田はその場を離れた。


 真上寺と苅田が受付で困っていると、その様子に気づいたのか顔見知りの看護師が声をかけてきた。


「真上寺さん。どうしたの?

 それから…… 」

「あ、苅田です」

「そそう、苅田さんね」


 真上寺は目立つ。背が高く美人であり、そして、飾らずに気さくなので、それなりに有名だった。苅田は真上寺とよく一緒にいるのでこの扱いにはなれていた。


「本田さん。実は…… 」


「そう、彼らの見舞いにね。立て看にあるように今日は無理よ。

 ここだけの話メディア対策らしいわ。それに、ICUに入っているからすぐには会えないわよ」


 苅田は病院の入り口付近にたむろする、場所にそぐわない雰囲気を漂わせたものたちを何人も見かけたことを思い出した。

 真上寺のあまりにがっかりした表情に気の毒に思ったのか、気を回してくれた。


「あなたたち学園の学生だし身元もしっかりしているから、頼んでみるね」


 結局、病室近くのデイルーム談話室で待つことは許可された。行ってみると、ワンゲル部の後輩らしい数人や他の家族らしい人たちもきていた。皆不安そうにしている。ふたりは軽く会釈して空いてる席に座る。後は待つしかなかった。


 倉田はガラス越しに集中治療室(ICU)を眺めている。事故からすでに五時間以上が経過している。医師を捕まえて聞いたところでは、重篤なひとり以外の三人はじきに一般病室に移れるとのことだった。浦上も大丈夫と聞いて、自分には関係ないはずなのに上司の多和良の顔が浮かび、倉田にも安堵の気持ちが湧くのだった。



 浦上は戻りかけている意識の中で苦しんでいた。実験の場を何度も繰り返していた。


 その場には四人の男女がいた。浦上を筆頭に寺田時空間干渉魔法研究室、通称寺田研の院生が揃っていた。皆緊張しつつも今日の実験への期待に表情は明るい。黙り込んで黙々と準備している者や、軽口を叩いて緊張をほぐしているものもいた。


 今日の魔法実験の実行役の斉藤と浦上が話している。


「斉藤くん、これ」


 浦上が長辺一五センチくらいの縦長の板を斉藤に渡す。斉藤は受け取りながら問いかける。


「浦上さん、思うんだけど。これってもっと小さくなんないっすかね。

 新しい魔法を苦労して覚えなくても、これを使えばもっと楽に使えるようになんのに、こんなでかくちゃ邪魔くさいっすよ」


 測定装置を慎重に調整している藤木の後ろの装置に目をやった。斉藤が受け取ったのは、浦上が同室の槇原の協力を得て開発した(ほとんどの作業は槇原が行った)プロトタイプの(MAAD=Magic Asist Agent Device(魔法補助仲介装置))の端末だった。本体は藤木の後ろに置いてある高さ50cmくらいの箱、五十年前ならタワー型パソコンと言われるような大きさである。


「まあ、そうなんだが。予算が無くてな、研究室の隅にあったプロセッサと筐体を再利用したんだ。ちょうど初期型量子プロセッサの在庫があったからね。求めるパターン処理には旧式とはいえ十二分なんだが、なにせ電源と冷却装置であの大きさになってしまった」

「おうっし! 成功させて予算をぶんどりましょう。そして最新式の常温で動く量子プロセッサを買いましょ」

「そうだな。そうすれば弁当箱ぐらいにはなる。携帯も可能になる」

「そうですよ。俺頑張りまっす」


 浦上は思い出したのか、藤木に振り向いた。


「この魔法をMAADにプログラムしている時に気が付いたんだが、魔法を使うとプロセッサのエラー率が変動するんだよ。量子過程への干渉が、プランク定数とかに波及して量子もつれに影響しているような気がする。

 藤木くん、これを調べて論文書いてみないか」

「へえ、そうなんですか。面白そうですね」

「おう、俺も協力するから、後の方でいいから名前載せてくれよな」


 藤木は後にこれをテーマに論文を発表する。そして、それは現象けっかでしか検出できなかった魔法の実行を検出するセンサーの開発へとつながるのだった。


「浦上チーフ、こちら準備整いました」

 いまは、院生でしかない藤木は準備が整ったことを浦上に伝えた。

「こっちも準備できました」

 少し離れたところに座るもう一人の女性スタッフも準備完了を伝える。


「藤木くん、山村さんありがとう。

 じゃあ、斎藤くん始めようか」

「おうっす!」


 斎藤は数歩進み出て実験スペースの前に立ち気合を入れた。

 浦上は実験室の端に置いた機器の乗るテーブルの脇に立ち斎藤の姿を見つめた。新魔法式の部分部分は自分で試して確認している。今回は結合した一つの魔法として初めての実行実験なのだ。本当なら自分が新魔法の最初の実行者になりたかったが、状況の客観的分析や監督をやる立場として斎藤に任せたのだった。


 斎藤は手に持つ端末の画面をタッチした。画面に複雑なパターンが表示される。斎藤は画面のパターンを指でなぞり、耳に装着したインナーイヤータイプのイヤホン状のデバイスにもタッチする。


 実験室のアクリルガードに向け二歩踏み出した。

 浦上は手元の情報パッドの赤く点滅してるマークをタッチする。斎藤の持つ端末の上部に『ロック解除』の赤い文字が表示され、パターンの下部に緑に点滅するバーが表示された。


 背後に座る二人の実験助手は、それぞれ担当の測定器の記録ボタンをタッチした。

 振り返る斎藤に浦上が頷いて指示を出す。斎藤は正面の空間を見つめてから、手にした黒い板の点滅するバーを押した。


 MAADは魔法式の展開を汎用のCPUで処理し、音響と映像によって脳内にイメージとして入力する。魔法使いは通常は魔法式を自分の力で展開しなければならず、新たな魔法の習得にかなりの時間を要する。さらにいま浦上が実験しようとしている魔法は複雑でパラメータも多い。人間が使いこなすのは相当に困難が予想されていた。

 そこで、同じ研究室の槇原に相談したら、興味を持ってもらえ、とりあえず不格好ながらプロトタイプの開発にこぎつけていた。


 そのMAADに表示されたパターン(魔法式)が脈動し一定のパターンを繰り返す。斎藤はその画面を身じろぎもせず見つめる。両耳にはめたデバイスからは超音波が流れている。超音波は聞こえない。だが両耳の超音波が干渉し頭の中で可聴音の立体的パターンを生じる。そこに網膜から入力される魔法式パターンが合わさり、本来なら時間を掛けて会得する魔法、多元量子宇宙ブリッジ魔法が発現した。


 初めは何事も起こらない。周りに設置した測定器の空冷ファンの立てるかすかなノイズだけが実験室に響いていた。

 皆が心配になって来た頃、分厚いアクリルガードの向こうの空間に光る点が現れた。


 点はだんだん大きくなってくる。強い光を放ちゆっくりと大きくなる。

 見つめていられないほどの光を発するようになる。光の玉が直径五cmほどになった時に浦上の顔が笑顔になり、告げた。


「諸君、実験は成功だ」


 パラパラと拍手が起きた。人類の新しい可能性に対して寂しい祝福だったが、仕方ないここには四人しかいなのだ。それよりも、成功の事実こそが高揚感の源だった。喜びで震える右人差し指に左手を添えて、かろうじて停止ボタンを押す。


 斎藤の持つMAADから魔法式が消え、両耳の超音波は止まった。浦上は立ち上がり斎藤に歩み寄ろうとして違和感に立ち止まった。眩しい光が消えない。斎藤を見ると後ろ姿でわかるほどに震えている。いや、これは痙攣けいれんだとわかった時には、彼はゆっくりと崩れ落ちて横たわった。上を向く顔、眼を剥いて口元からよだれが垂れている。


 光の玉は大きくなり続けていた。浦上の頭に浮かんだ『なぜ』。魔法は止めた。斎藤は気絶した。なのになぜ止まらない。次の瞬間彼の脳裏には恐ろしい可能性が閃いていた。


「これは、エネルギーのフィードバック」


 叫ぶ猶予もなかった。加速度的に大きくなる光球は次の瞬間、斎藤の大きな痙攣けいれんとともに飛散した。そして、他宇宙から流れ込んだエネルギーが放射(熱と光)の形で解放された。宇宙の基底エネルギー(量子ポテンシャル)の差が小さい宇宙で幸いだった。エネルギーは殆ど熱の形で解放され爆発が起きたのだった。

 外壁を吹き飛ばし、アクリルのガードが衝撃を受け止めた。だが、吹き飛んだガードに全員がなぎ倒され激しく体を打ち付けた。一部が骨折だけで済んだのは幸いだった。


 衝撃で気を失う刹那、浦上は後悔した。呼び込んだエネルギーの一部が魔法実行に回り、それが正のフィードバックとなり、際限なく大きくなる可能性に気がつかなかったことに。

 そして解っていた。

 魔法が途中で止まったのは、斎藤の魔法演算能力がオーバーフローしたからだと。

 それは斎藤の魔法能力に恒久的ダメージを与えたことを。

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