8. 夏休み

 夏休みが始まったが、浦上にとっては休みどころではなかった。いまだ形になる成果は出せていない。人も少なく学生たちの面倒を見る必要がなくなる夏休みは研究を進めるためにはもってこいのはずなのに、目処がついていない。取り掛かっているテーマは壮大なものの未だ成果がない、気は焦るばかりだ。

 先日も教授から呼び出しを受けた。研究が進まないことは普通にあること、そのことで責められることはなかったが、顔に浮かぶ失望感には面目もなかった。


 気持ちはあってもそれで研究が進むわけではない。同室の槇原との議論では色々と参考になることや、魔法の定式化の新たな知見もあった。だが、肝心の他の宇宙への繋ぎ方が見出せていない。魔法理論の因果律の解釈にも光が見えていない状態だった。


 気分転換にコーヒーでも入れようと立ち上がった。そのとき、部屋のドアが突然開いて白い塊が飛び込んでくる。


「先輩! 元気⁈」


 案の定、真上寺だった。真っ白なワンピースに白いサンダル、さらに白いトートバッグを抱えていた。まとめてバレッタで止めた黒髪に白いうなじが映える。ノースリーブの上腕の無防備な白さに目が惹きつけられるが、ここで凝視などしようものなら何を言われるがわからないので、意志の力で目を逸らす。


「またお前か、ノックぐらいしろよ。実験中だったらどうするんだ」


 真上寺がニヤリと笑う。


「大丈夫! 先輩が煮詰まっているって、調べがついてるよ」

「なにが大丈夫だよ。いつもながら、失礼なやつだ」


 腕を組んで鼻を鳴らしている真上寺に、諦めの表情で返事を返した。


「こんにちは、失礼します」


 飛び込んできた真上寺の後から、申し訳なさそうな表情をした女子学生が挨拶しながら入室してきた。浦上は、真上寺とよく一緒にいる子だとは覚えていたが、名前は知らなかった。こちらは、茶系のブラウスに膝上十センチほどの緑系のスカート、オーガンジーのオーバースカートが夏らしく爽やかさを演出している。いい色に焼けていて、どちらか言うと可愛い感じの女の子だった。


苅田圭子かんだけいこと申します。有希、真上寺の友人をやってます」

「浦上です。いらっしゃい。まあ、立ってないで座りなさい」


 返事を返し椅子を薦めると恐縮していたが、真上寺が椅子を引っ張ってくると大人しく従った。


「私には椅子を進めないの?」

「お前は勝手に座るだろ」

「うん。そうだけど」


 真上寺ときたら何度も来るうちにすっかり厚かましくなっているのだ。浦上もメンドくさいのでそれ以上、突っ込むでもなくなっていた。


「お前のいう通り、俺は煮詰まりっぱなしだ。

 それで、真上寺はいま夏休み中だろう。どうして大学に来てるんだ」


 長い足を組み替えて身を乗り出す。


「それがね。熱力学の藤本先生の補講が今日まであったのよ」


 浦上は大きく頷いた。先日の大雨に伴う土砂崩れで伊豆の実家から戻れなくなった教師がいたと聞いていた。夏休みにわざわざ補講をするというのを聞いて思い出したのだ。


「ああ、藤本さんだったのか。あの人も大変だったようだからね。

 でも、熱力は必須じゃないから補講は出なくても出席扱いになるだろう。まじめだな」

「ほめて」


 にこりと笑って続けた。


「真面目な話、魔法はミクロな物理過程に干渉して、マクロな世界に結果が現れるでしょ。そこがとても不思議な気がしていて。少しでも理解できればなって思ってたの。そうすれば、もっと繊細に精度高く魔法を使えるようになると思う」


 浦上は意外な気がしていた。真面目なんだか不真面目なんだかわからない態度で接して来る真上寺の意外な面を見た気がしていた。

 魔法は無意識領域の演算能力を使用している。とはいえ、意識内に具体的イメージを持っていた方が、行使している魔法の干渉力も精度も上がるというのは事実だった。


「私には魔法しかないから」

 真上寺が口の中で呟いた声にならない声は二人に聞こえることなく宙に消えた。


「それで、」明るい声で話題を変えた。「明後日あさってから圭子の実家に遊びに行くの。これからその準備で一緒にお買い物!」

「なんだそりゃ、苅田さんはそのためわざわざ大学に来たのか。御苦労さま」

「いえ、私も有希にはお世話になってるし。郷里を案内するのが楽しみなんです。

 去年は機会がなくて、来年は卒業準備で忙しいと思うので」


 嬉しそうな笑顔で、聞いていないことも説明している。とてもいい子なので、浦上はちょっと興味が湧いた。


「そうだ、参考のため、失礼だけど聞いていいかな?」

「なんでしょう。答えられることでしたら」

「へんなこと聞いたら、ペナルティだからね。先輩」

「そんな変な質問するわけないだろう。

 それで、苅田さんの得意なのはどの系統なのかな」

「あ、ああ。えーっと」


 答え難そうにしている。それを見て浦上はすぐに質問を取り消した。


「いや、嫌なら答えなくてもいいよ」

「いいえ、いいんです。私は、受動系の魔法が得意なんです。おふたりのように能動系の魔法はほとんど使えなくて、ちょっと恥ずかしいんですけど」

「「いやいや、それも立派な才能だから」」


 ふたりの声が重なる。慌てて見合わせて続けた。


「恥ずかしがることないって。私にはない才能だから」

「むしろ、能動系より希少だよ」

 やはり、同時に話すものだから声が被って、苅田には聞き辛かったらしい。

「やだ、ふたりとも、息がぴったり。ぴったりすぎて聞き取れなかったよ」

 よほど、ぴったりだったらしい。苅田は吹き出していた。真上寺は慌てて言い訳する。


「ないない、たまたまだから!」


 真上寺の声が部屋に響いた。一呼吸置いて浦上が質問する。


「教えてくれてありがとう。もしかして精神感応系?」

「いえ、そこまで珍しくはないです。どちらかというとサイコメトリ系ですね。物質に刻まれた、魔法や因果の履歴を読み取る魔法が得意分野です」


 サイコメトリ系の魔法は物質や空間に非常に弱く干渉して、時空などの反応から履歴などを読み取る。干渉力は必要とされないが、物理空間の微弱な反作用を読み取る能力が必要とされる。既存の技術でいうならアクティブスキャナに近い。究極の能力としてパッシブスキャナ的魔法もあるが、環境の影響を強く受けるため使える者は少ない。


「それはなかなか希少だね。俺は感応系に弱いから、その感覚に憧れるところもあるよ」


 自分が何をしようとしていたかここに来てやっと浦上は思い出した。


「まだ、時間あるかい?

 コーヒー淹れるところだから、よければ飲んでいくといい」

やっ……やった!、 やっとお茶が出るの? 遅くない?」


 真上寺の澄まし顔に苅田は苦笑というか呆れている。真上寺とは入学以来の苅田にとっては見え見えの照れ隠しだった。

 呆れ顔の苅田に向かって、浦上はニカッと笑いかける。


「まあ、いつものことさ」

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