7. 同室の美人

 浦上は大学のオープンカフェで女性と向き合っていた。歳の頃二十七・八。黒髪をボブカットにしている。白いノースリーブのブラウスから見える腕はいい色に焼けており、日焼けの肌が剥けかかっているのか、一部が白っぽい鱗のようになっているのが目立つので浦上はつい見つめてしまいそうになる。とキョロキョロ視線を動かすので、側から見ると挙動不審者に見えていた。

 

 アスリートという形容が合う彼女も流石に顔は手入れしているのかうっすらと日焼けの跡があるくらいだ。清楚な白いブラウスと野暮ったい白衣のペアが目立つのか通りゆく人たちの視線を引いていた。

 オープンスペースの喫茶は失敗だったと座って早々浦上は後悔していた。特に浦上を知っている者などは、ニヤニヤ顔を向けてくる。とはいえ、構内に気軽に誘える場所はここぐらいしか思いつかなかった。


 彼女は、いまや彼の部屋の半分を占める荷物の持ち主だ。きょうは挨拶回りで登校したとのことだった。今まではひとりで気ままにしていたが、研究室で二人きりになると落ち着かなくてまずカフェに誘ったのだった。


「槇原さん。しかし、いい色に焼けてますね」

「うふふ、そうでしょう……

 でも、ほんとは油断したの。こちらに荷物を送り出した後、名残を惜しんでテニス頑張りすぎちゃって。この通り」


 彼女は、手のひらを両側に広げ肩をすくめる。


「いえいえ、魔法使いは体力がものを云うところがありますからね。俺、いや、自分なんて、最近煮詰まって体を動かしてないのでなまってきちゃって」

「あら、なかなか良いガタイしてるけど、今度お近づきの印にテニスいかがです?」

「いや、自分は球技が全くダメなんですよ。

 ワンダーフォーゲルと太極拳を少々というところかな」

「それは残念。ところで浦上さんは、研究は何をされてます?」

「専門は、時空間干渉系の魔法を研究してます」

「そうだ。寺田研は時空間干渉系が専門でしたね。浅慮せんりょでした」


 にこりと笑って、ちょっと舌が唇からのぞく。自然に振舞っているのだろうが、蠱惑的な仕草に浦上の鼓動が跳ね上がるのも仕方ない。彼は女性と付き合ったことがないのだ。


「そんなことは。それより、槇原さんは専門は?」

「私は魔法記号論と魔法演算生理学が専門です。魔法式の展開ロジックと展開補助デバイスが今の研究テーマですね。これらに伴って効率的な入力方法も研究しています」


 流石に自分の専門分野のこととなると真剣な表情になって槇原も詳しく説明する。


「それは、なかなか面白そうですね」

「そうですか?

 浦上さんうまいですよ。この分野はあまり人気ないんですよね。面倒臭い上に見た目が地味ですから」

「いや、さっきもちょっと触れたように、いま行き詰まってまして。藁にもすがる気持ちなんです。なんでも参考になればと思っています」

「へー、そうなんですか?

 じゃあ落ち着いたら今度情報交換しましょう」

「それはうれしいなぁ」


 浦上の顔はにやけていたのだろうか。本人はそんなつもりは無かったのだろうが、えてして人は自分の思ったようには取ってくれない。


「あー、先輩! なににやけてんの、下品だよ」


 突然横から声がかかる。


「な、真上寺か? 俺のどこがにやけてる」

「さっき、ニヤニヤしてたよ」

「そんなことない。今抱えてる問題の参考になりそうな提案を受けて嬉しかったんだよ」


 盛大に自己弁護する。正直に言ったつもりだったのだろが、側からはそう見えた。


「そんなに、弁解しなくてもいいよ?

 そんな美人と同席してたら、うれしいよねっ」

「おま、この人は、寺田研に急遽参加された槇原さんだ」

「ふーん。そうなんだ」


 真上寺のまなじりが持ち上がる。すぐににこやかな笑顔になって槇原に向き直った。軽く首を傾げている。浦上はあまり見ることのない真上寺の仕草と笑顔にどうも居心地が悪くなる。『どおして、こいつと関わると俺は落ち着かなくなるんだ』と心の中でつぶやくも顔には出さず。二人の挨拶を身動みじろぎせずに見つめていた。


 真上寺は腰を折り綺麗な礼を披露する。


「初めまして。浦上先輩の後輩の真上寺有希と申します。今後ともよろしくお願いします」


 槇原も慌てて立ち上がり、礼を返した。


「初めまして。浦上さんと同室になった、槇原まきはら祐巳ゆみと申します。よろしくね」


 真上寺の綺麗に折り曲げた腰が伸びていくのが瞬間止まる。それは瞬目しゅんぼくの間ですぐに元の姿勢に戻った。真上寺は睨むような笑顔を浦上に向けた。


「先輩ラッキーだったね。面倒臭い人じゃなくてよかったね」

「俺はそんなこと言ってない」

「それじゃぁ、邪魔者は去るね」


 真上寺はくるりと振り返ると早足で歩き去った。一緒に居た苅田や友人達は慌てて追いかけた。


 後には、困惑の表情を浮かべた浦上と微妙な笑顔を浮かべた槇原が取り残された。




「ねえねえ。あの人が、有希がよく話題にする『先輩』氏?」


 圭子がにやにや顔で話しかける。


「そうだよ。一高(魔法学園付属第一高校)の先輩」

「なんだかパッとしないわね。隣の女性と不釣り合いな感じだったけど。ペアって感じでもなかったし」

「そんなことないよ。魔法の知識と技術はかなりのものだよ」

「ああ、魔法オタクだったね。でも、この大学には合ってそう」

「圭子は五高(魔法学園付属第五高校)だったよね」

「うん、田舎の魔法高校だよ」

「じゃあ、知らないのは仕方ないか。あの先輩ああ見えて五年前の第一高校人間主義者乱入事件での一番の功労者だよ」

「へー、急にかっこよく見えてきた」

「あー、日和見もの」

「だって、有希見ててそう思ったんだよ。有希の思い人だなって」

「そう見えた?

 そんなことない。あれは単なる後輩の面倒見がいい、人のいい先輩!」


「そんなの見てれば…… 」圭子は、喉元まで出かかったその言葉を飲み込んだ。いまはその方が面白いと思ったのだった。


「セーフ!」


 真上寺が講義室に入るや、妙にテンション高く声を上げるのを微笑ましく圭子は見つめている。いよいよ明日から夏休み、前期最後の授業というのも気持ちが高揚する一因だ。休み明けの試験は気になるものの、しばらくぶりの帰省や、故郷の友人たちと会えると思うと圭子は気分が明るくなるのだった。

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