5. 魔法の限界(2)
多和良は、口の端に微笑みを浮かべると手招きをして身を乗り出す。浦上も思わず身を乗り出した。
多和良は小声で話しかけて来る。
「実はね。君のことと研究内容はとうに知っていたよ。流石に進捗状況と詳細はわからないけどね」
多和良の笑みが消える。
「我々は国内の魔法使いの動きを常に監視している。そして魔術師も」
「…… もしかして」
浦上も何度となく耳にしたことはあった。その存在と活動は噂には聞いていた。
「君の想像通り。我々は
多和良は声を普通に戻して説明を続けた。
「まあ、安心したまえ。捕まえようってわけじゃない。理由もない。
我々の任務は二つ、魔法を使い犯罪を行う者、特に体制に対して、の監視と対応。そして、国の財産である魔法使いの保護だ。特に俺のセクションは保護を主任務にしている。
魔法使いは、君自身もだからわかるだろう。本当に希少な人材だ」
多和良は腕を組んで浦上の目を見つめながら静かに話を続けた。
「魔法。
その見た目の効果ばかりが取りざたされるが、俺は本当の価値は産業、技術、科学と広い範囲にわたって、パラダイムシフトを起こす原動力になると思っている。そのことに気が付いている人間は世界には少なからずいる。
いまは世界の危機で表立っていないが、裏では各国勢力がその後の未来に備えて密かに活動している」
浦上の顔は引きつったまま戻る余裕もない。
「安心したまえ。我々はプライベートな問題には関心ない。保護といってもトラブルが起きなければ、我々の出番はない」
いくら安心しろと言われても直前に話された内容ではとても心安らかにはなれない。それに、どう考えても多和良の説明が全てとは思えない。いまの自分の研究と多和良のいうことがなぜ関るのか浦上はわからないでいた。
「いろいろと脅すようなことを言ってしまったが、つまりは我々は君の研究には関心を持っていて、注目していること。俺自身としても、縁もあり協力はしたいと思っている。
と、まあ難儀な話はここまで」
多和良は椅子に深く座りなおし、腕組みを解いて机の上に置く。心持ち笑顔になりながら話を続けた。
「では、君がわざわざ俺を訪ねてくれた主題に戻ろうか。
もう君も解っているのだろう?『並行宇宙論とエネルギー非保存』の論文には足りない部分があることを」
「はい、自分の解析では足りないことと、概略まではつかんでいるんですが。そこで行き詰まってしまって。藁にすがる気持ちでご連絡しました」
「そうか、俺は藁か。ずいぶん太い藁もあったもんだな」
多和良は、そのよく鍛え込んであるが、少し緩みの見える腹を見回しひと言呟いた。
「あの、あのすいません。そんなつもりでは」
「解っているよ。ははは、冗談だよ。君があまりに緊張しているんでね。俺は少し前までは教師だったんだ。緊張した生徒のことはわかってる。まあ、あんな話を突然聞かされたらそりゃしかたないさ」
そういってニヤリと笑う多和良は、先程までの印象とは打って変わって、厳しさは残るものの優しげな表情になっていた。
「論文に足りない部分があることに気がついているか、さすがだな。
足りない部分のことを話す前に、きみには今更だろうが、魔法の機序について少し確認しよう」
多和良は完全に教師の顔になっており、嬉しそうに、挑むように問うた。それこそニコニコと言わんばかりの表情で。
「いま定式化されている魔法の方程式はかなり複雑な構造をしている。とはいえ本質は物理的空間の構造に干渉することで対称性に影響を与え物理的効果を生む。この構造に干渉するときに現れる仮想粒子を我々はシンメトリオンと呼んでいる」
「そうですね。シンメトリオンは通常の物理的粒子というよりも、物理世界の構造そのものを形作るものと考えられます」
「それで、式自体がもつ対称性から十の外部パラメータが提唱されている。その内七つについては説明も学会内の合意もされている。だが残りの三つの外部パラメータはいまだ説明も議論の中だ」
多和良は、久しぶりにこのような話ができるのだろう楽しくて
「はい、それぞれ意味と因果律と意識だと言われています。ただ、仮説ですが」
「そうだな、我々は魔法を使う上で、どのようにパラメータとして式に代入して、どう計算して、どうやって世界に干渉しているかはわかっていない。なぜ、人間の脳がシンメトリオンと相互作用できるかもわかっていない。わかっていないことだらけだ。
ただ、人間の脳という器官の無意識の領域でなんらかの量子的相互作用の計算が行われていることだけは確かだ」
「そして、これらのパラメータを機械は理解することができない。つまり、機械は魔法を使えない。
現に今までいかなるAIも魔法を使うことはできていません」
「その通り、モノは魔法を使えない。
ただし、例外がある。原理は解明されていないが、魔法使いによってイニシエートされた魔法アイテムは魔法の効果を保持したりすることができる」
「もしかしたら、他宇宙への干渉はなんらかの魔法アイテムが必要なのですか」
浦上の顔に焦りと失望の色が浮かぶ。
「そうだ。いや、我々の観察した魔法の現象はそうだった。だが、それが必須かはわかっていない」
顔がそうと分かるほど明るくなる。『なんて分かり易い奴』と思ったのか多和良の口角も持ち上がるがすぐに元に戻る。
「論文に記載されてるデータには、魔法の効果と、前後の全エネルギーの収支の表があっただろう。あれは、ある数名の魔法使いたちが行使していたものだ。当時は彼らは未成年であったため氏名その他の個人情報は厳重に秘匿されていた」
多和良は、また遠くを見るような目つきになったが、浦上に視線を戻す。
「特に中心となった子は先天的魔法使いであり、彼女の固有魔法とある魔法アイテムがシンメトリオンを介して因果律をも干渉の範囲に置いていた。
その子は、因果律の過去へと向かう=帰納的発展を偶然に行い、我々の宇宙と違う宇宙を創った。わかっているのはそこまでだ」
多和良は言葉を切り、数秒の間黙り込んだ。
「そして、彼らは失踪した。俺の希望的考えはその宇宙へと旅立ったのだと思っている。どうすれば肉の身をもって他の宇宙にいけるか想像もできないが」
浦上は、論文に出てくる魔法使いが失踪したことは聞き知っていたが、実際に何があったかを初めて聞いて、目がくらむ思いがしていた。
因果律と意味と意識。いまだ、誰も厳密な意味では理解できていないモノだった。自分がやろうとしていることの壁の高さを思い知ったのだった。
−− ◇ ◇ ◇ −−
浦上は、自宅のソファで頭の後ろに腕を組み仰け反って座っている。部屋は1LDKの独り住まい。片付けてくれる人などいないので、かなり散らかっている。とはいえ、余りに散らかると効率が落ちるので、適度に片付けているためか足の踏み場もないというほどでもない。狭いが、大学から三駅ほどなので気に入っていた。
目の前には、途中で買った弁当の殻がエアコンの風に揺れている。時間は彼の活動時間からしたら、いつもより早い。こんな時間に部屋に帰るのは久しぶりだった。大学に戻る気になれなかったのだ。きょう多和良に聞いた話は確かに実り多いものだった。考えてみれば他宇宙とは因果が切り離された世界だ。そこからエネルギーを得るとしたら因果を繋ぐしかない。つまり因果律をどうにかするしかない。いまは、見当がつかないがおぼろげに見えていたピースだという確信を持っていた。
それに、多和良が言っていたことも気になる。
自分が他からどう見えるかなど考えたこともなかった。世間から見たら、『魔法』などという怪しいものを研究している怪しい人間に見えているんだろうぐらいにしか考えていなかった。
魔法を使える人間は少ない。そして、SMSPが出張る
きょう訪れた場所がその一部だったことにはショックを受けた。自分は関わることはないと思っていたのだ。だが、それよりも自分が監視されている(彼らの言葉では「見守っている」)ことだ。これには、反発心が湧く。だが、今の地球の危機を救うということは全世界に影響を与えうるということだ。それを指摘されると反論できない自分がいることも意識していた。
さらに全世界に影響を与える、その可能性、危険性は個人で背負えるレベルではないことに戦慄も覚えていた。
「メッセージの盗聴の事を相談した方がよかったかな」
しかし、考えを言葉にしてみて思う。どう考えても近づきたくない相手だ。その相手に自分から借りを作りたくなかった。それに、多和良の言葉、『情けないが、監視といっても全然完璧じゃないんだよ』などと言われれば、敢えて話そうという気にもならない。
この件はもう少し様子を見ることにした。
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