5. 魔法の限界(1)
浦上は、悩んでいた。
どうやっても、魔法による物理現象への干渉でエネルギーの保存則を破ることができないでいた。
『魔法』は現実の物理現象に干渉する力だが、なんでもできる訳ではない。分かっているのは『物理空間』の対称性に干渉することで物理的効果を生み出しているということだ。並進対称性に干渉すれば空間の等方性が破れ、その非対称性から生まれるポテンシャルエネルギーに伴い力が発生する。つまり、ものを動かしたり、見かけ上慣性を部分中和したりすることができる。地球の周りではその質量から時空間が歪んで重力が発生する。歪んだ時空間に干渉して歪みを補正すれば、重力を中和することもできるわけだ。そして、電荷内部空間に干渉すれば電荷の対称性が破れ見かけ上の電場が発生して、電界を操作することもできる。
だが、無から何かを生み出すわけではない。
事象に干渉するためにはエネルギーが必要である。現在の定説では、「術者の生理エネルギーを使用している」とされている。確かに魔法を使うと肉体的疲労を感じる。連続して使って、動けないほど疲れたことや、やたらな空腹に苦しむこともままある。
しかし、事象への干渉は全てこの宇宙の中でのことだ。並行宇宙へのアクセス方法がわからない。『並行宇宙論とエネルギー非保存』で提示されていた理論と魔法式をどう調べてもそれだけでは、他の宇宙とこの宇宙を干渉させ因果律を繋ぐ方法がわからない。さんざん、調べて解ったのは、何かが欠けているということだった。
以前調べた時には解らなかったが、その後判明した情報と解析AIを駆使することで、具体的ではないが、欠けたピースの形が朧げながらに見えていた。失われた魔法技能に依存してたのが、今では良く分かる。
「これでは、行き止まりだ。
確か、『並行宇宙論とエネルギー非保存』の著者のひとりは、魔法学園高校で教鞭を取っていた…… 」
浦上は、端末から論文に記載されていたアドレスにメッセージを送信した。いつもの癖で多重暗号を掛ける。世の中は暗号を掛けてメッセージを送るのがやっと常識になっていたが、浦上ほど厳重に掛けるのは、まだ常識とまではなっていない。これをやられると、復号(暗号解除)に時間が掛かるので、受け取った側には至極不評なのだ。
送り終わると立ち上がりコーヒーを淹れにかかった。先日手に入った豆がまだ残っている。それを惜しむように丁寧に挽いて粉にする。
芳ばしい香りが辺りに漂い鼻孔をくすぐる。深く息を吸い込み香りを楽しんでいると、ポットの底に泡が現れては消えるギチギチという音が聞こえ始めた。沸きすぎない程度に沸かした湯をドリッパーのペーパーフィルターに注ぐ。落とし湯と共に紙に残る匂いを捨てれば準備は完了だ。
丁寧に湯を注ぎ、最後まで落とし切らず、湯を少し残しドリッパーをカップから下ろす。カップから湯気と共に立ち上る香りを嗅いだ後、一口含むと喉奥から鼻に香りが抜ける。ここしばらく、魔法式が夢にまで出てくるほど根を詰めていた。疲れが緩みぼうっとする。
視野の中で点滅する光に気が付いて我に返った。思いの外時間が立っており、カップの底に残ったコーヒーがすっかり冷めていた。メッセージの返信が来ていた。この時代のパーソナルエージェントは賢い、彼が送ったメッセージとの関連を把握して最優先で告知して来たのだ。
残ったコーヒーを一口で飲むと、メッセージに目を通す。
「あれっ? これは」
思わず呟く。メッセージのアイコンに赤枠が付いていた。ここにきて浦上は、量子暗号を使用したことを思い出した。量子通信は実用化されていたが、通信経路に掛かるコストの問題から政府機関や高等教育機関、特に通信を秘匿したい企業などでなければ使用できない。
相手が受け取れなければメッセージが受信不可で戻ってくるだけだが、これは違う。メッセージの詳細情報を見ると『傍受された可能性:60%』とある。誰かが量子暗号文を覗いた可能性が高いということだ。60%は経路ノイズを考えても高めだ。それに50%を越えると
「まさか、俺のような研究者を監視する理由も思いつかんが。何者だ?」
疑問はあるが、とりあえず通常の暗号化を施した文章を送った。用心して、自分の紹介と直接会いたいとだけ伝えた。
返答はすぐあった。この後数度やりとりして面会の約束を取り付けたのだった。
−− ◇ ◇ ◇ −−
「迂闊でしたね。滝沢と接触した人間とその周辺について、やりとりの履歴だけを監視していればよかったものを、中まで覗くとは。
仕方ないでしょう。これで警戒するかもしれませんが、こちらの情報が漏れたわけではないですから。やらかした担当は
西澤は通常業務とは別途用意した情報端末で報告を受けていた。相手は反魔連のメンバー。組織の全貌は西澤も知らない。彼女の反魔連との関わりは学生時代からだが、経緯は誰にも話したことはなかった。
−− ◇ ◇ ◇ −−
「君は2040年の卒業なんだね。何組だった?」
「A組でした」
「優等生だったんだね。俺はもっぱらC・D組が担当だったから。君のことを覚えていなくても当たり前だな」
「恐れ入ります」
浦上は約束通りに指定された場所に出向いていた。指定された場所は飯田橋から少し歩いたオフィスビルの一角だった。ビルに銘はなく警備がやらた厳重だったのが気になった。ビルの入り口に立ち番がおり、警備室に三人ほどの姿が認められた。皆どこにでもあるようなガードマンが着るようなユニフォームを来ているのだが、なんというか目つきが違う気がしていた。
持ち物検査や身体検査までされやっと手の甲に入館プリントをしてもらえた。特殊なインクを用い電磁気的回路を印刷することで、位置の特定と入室許可を管理するものだ。これは訪問者向けで勤務者は皮膚下にチップを埋め込むのだった。一時流行ったものの廃れていたのだが、昨今の世情の不安定さから一般企業でも普通に使われるようになっていた。とはいえ、浦上の感覚でもこのビルの警備体制は通常以上だと感じられた。その違和感と先日の盗聴の件への警戒感が浦上の口を重くしていた。
応接室は素っ気ない作りで長テーブルに事務椅子、飾りなど見当たらない。その部屋で浦上が向かい合っているのは、かつての魔法学園高校の教師だった男、名を多和良という。
「多和良先生は教師を辞めてらしたんですね」
浦上は躊躇していた。いま自分が調べていることは秘密でもなんでもない。口止めされているわけでもない。ただ、滝沢との会合から受けた印象から、詳しいことを口外するのは
「そうか、2040年卒業か。俺が教師を辞めたのが42年だから、あれからもう五年になるんだな」
多和良は宙を見つめ追想に意識が向く、とそれは束の間、すぐに視線を浦上に戻した。
「それでどのような用件なんだ。
俺が昔、共著で発表した論文のことで質問があるとのことだが。もう、学術の場を離れている俺になんの用があるんだ」
「それは、私は、先生の発表された『並行宇宙論とエネルギー非保存』を研究の対象にしようと思うんです。そこで、発表当時のお話が聞ければと思いまして」
浦上はとりあえず無難な返答で済ますことにした。だが、相手を見誤ったと反省することになるのだった。
「ほう。メッセージを受けた時は、また興味本位の連絡かなにかと思ったが、研究の対象にねぇ。あれは、人気がないのにな」
多和良は手元のタブレットに視線を落とした後、目を上げた。浦上はその視線の厳しさに、思わず身震いした。それは、浦上が知ってる誰よりも
「浦上君。
君が研究しようとしてる、時空間干渉魔法と並行宇宙論とエネルギー非保存を組み合わせるアイデアは、なかなか面白いと思っている」
「! 」
多和良は全てを知っていると言わんばかりに話を続けた。
「もともとは滝沢首相秘書官補のアイデアらしいが、なかなかいいんじゃないか。
彼は実技は全然だったが、理論は相当にできる生徒だったと聞いている。
それよりも、行き詰まっているんだろう。君が俺のところに来たのは他に理由がない」
「なぜ、そんなことまで…… 」
「知っているか、だな」
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