4. 棄てられた理論
静かになった研究室に残った浦上は、ため息をついて資料の整理を再開した。無理やりスペースを空けたため、資料が雪崩を起こし散乱してしまったのだ。ほとんどの資料はデジタルデータでサーバにおいてあるが、魔法研究の初期の資料はデジタル化されていないものも多かった。浦上はアナログの書籍に対しても愛着を持っていたが、それが裏目に出たのだった。
真上寺が去った部屋は、妙に空虚に感じる。何かの機器の
教授に連れられて訪れたのは、銀座の表通りを少し入ったビルの上階に設えられた個室喫茶だった。喫茶と名がついているのは、飲み物を出すからだが、それは名ばかりで密かな会合を知られずに行う場を提供する隠れ家的店だった。看板は出ていない。浦上ひとりだったらとても入る勇気は出なかっただろう。
通された部屋の内装は黒をベースに、展示されてる絵画も洒落ている。ソファは毛足の長い黒の羅紗張り、とても柔らかく座ると体が沈み込むので浦上は落ち着かない気持ちになった。
飲み物を注文し、少し待っていると待ち人が訪れた。歳は三十歳を過ぎたくらいの柔和な表情を浮かべたスーツの男だった。もらった名刺には『「首相秘書官補」滝沢 護』とある。
「申し訳ありません。お呼びだてした私が遅れてしまい。わざわざお越しありがとうございます」
「いえいえ、儂のような
「そんな、
寺田教授は、時空間干渉魔法理論にかけては国内随一とお聞きします。
私も魔法学園高校に通っていた身ですから、お名前はよく存じてます。とはいえ、魔法技能はからっきしでしたけどね。ははは」
浦上は驚きを込めた目で滝沢を見る。見返すメガネの奥の目は笑っていなかった。
「浦上さん。寺田教授から、ぜひ紹介したいとお伺いしていました。見込みのある後輩だと聞いています。
改めて、首相秘書官補を務めさせていただいている滝沢と申します」
「先輩でしたか。よろしくお願いします」
流石に無遠慮を気取る浦上も挨拶を返す。笑顔は変わらず、滝沢の浦上を見つめる目つきは鋭い。空気を切り裂くが如く真剣な眼差し、浦上の背筋はいつの間にか真っ直ぐになっていた。
「今日お呼びだてした内容について、寺田教授には概略はお伝えしてありますが、今一度軽く整理させていただきます」
追加注文した飲み物を口にし、一呼吸置いて話し始めた。
今の人類の危機は取り返しがつかないのではないか。やっと世界が協力を始めたものの、危機がわかっていながら人は現在の生活をなかなか手放そうとしない。どんな経済的・技術的解決法も大多数の人々に困窮を強いることになる。そして、今の権利が侵されるとなると、暴動で反抗する。あえて理解しようとしない勢力も力を持っている。
とりあえずでもいい、もっと直接的に地球環境に影響を与える方法があるはず。彼の考えでは寺田研で研究されている時空間干渉魔法と『並行宇宙論とエネルギー非保存』理論を組み合わせることで、打開策が見出されるのではないかと言うのだ。政府内にも効果があるならと言う条件付きで若い課長クラスを中心に同調者がいると言う。
「えっ! 『並行宇宙論とエネルギー非保存』理論ですって」
浦上は、そのアイデアを聞いて衝撃を受けた。教授からそこまでは聞いていない。考えもしなかった。『並行宇宙論とエネルギー非保存』は発表されてもうすぐ八年になる。浦上も知ってはいた。魔法がいまだに解決できていないエネルギー保存則の限界を解決できるのではとしきりに研究されたが、特定の魔法技能に依存し、その魔法を使えた人物が失踪すると下火になり、省みられなくなった理論だった。
それを、時空間干渉に応用するという。
何もないはずの真空も基底エネルギーと言うものを持っている。そして、並行宇宙には基底エネルギーがこの宇宙より高いものがある。その違いを利用して真空からエネルギーを取り出すというのだ。
完成すればいくらでもエネルギーを取り出せるようになる。排出CO₂などの環境負荷がなくクリーンで、環境の影響による変動もないエネルギー源になりうる。エネルギー問題に一石を投じられる。
「儂もそのアイデアを聞いた時に驚いた。『並行宇宙論とエネルギー非保存』は棄てられた理論だが、時空間干渉に応用することは思いつかなかった。相性は良さそうだ。
浦上君、君には是非この話を直接聞いて欲しかったんだよ」
「よくそんなことを、思いつきましたね」
「私はね、魔法技能では落ちこぼれでしたが、理論面は得意でした。
残念ながら応用することはできなかったですけど。普通の大学に進み、いまはこうして官僚を務めています。
でも、魔法学園での生活は忘れたことはありません。魔法が世界の役に立つ手助けをしたいと常々思っていたのです」
それ以降は、理論の問題点を検討する場になってしまった。滝沢に聞いた、現実としての温暖化の問題は、どこか傍観者的であった浦上の心に深く刻み込まれることとなった。それ以来、事あるごとにこの問題に意識が向いてしまう。
浦上は、我に帰り資料の整理に戻るのだった。これらの中に解決の手がかりを求めて本をめくる手、キーボードを叩く指には力が入る。部屋の片付けは進みそうになかった。
−− ♢ ♢ ♢ −−
ここは都内某所。先日、浦上が呼び出された店よりさらにセキュリティが厳しい会合のための施設。防音だけでなく電磁防止も完璧で盗聴などできないようになっている。店舗だけでなく、ビル全体でセキュリティが確保されており、複数の人間が顔を合わせずに出入りすることができる。訪問者は指定された入り口からしか入れないようになっており、自動的に壁が移動開閉し、入口から部屋までに分岐や他の出入り口がないようにされている。
その部屋に三人の人間がテーブルを挟んで座っている。初老の男性が上座、三十少しと見える女性と四十四・五の男性。目の前には質素ながらも、温暖化の進行で今では希少となった素材を使用した料理が幾品も並び、三人は舌鼓を打っていた。男が刺身を箸で取り、愛おしむようにつぶやく。
「どうですか、この天然物の鯖の刺身は。今や海産資源は壊滅的なのに、天然物が喰えるとは、東上先生の人徳ですよ」
その男は、上座に座る男に向かって演技がかった身振りでお愛想を述べている。初老の男は、なれているのか無表情で軽く頷いて、合成肉では無い本物のステーキを箸で切り分けると口に運んだ。
「それで、どうなんだね。滝沢
「先日、魔法大学の教授に会っていたようですね」
女性が憎憎しげな表情を浮かべて報告する。
「気持ちは分かるが、西澤ちゃん。そんな顔したら、可愛い顔が台無しだよ」
「もう、先生。お上手なんだから」
笑顔になって説明を続けた。
「会合の中身はわかりませんが、きっと滝沢が最近ことにあるごとに口にする、魔法を使った気候変動の対応策の相談だと思われます」
「なんと。その何某は本気なのかい。
魔法でそんなことができるはずもないだろう、あれは人が持てる程度のものを動かしたりがせいぜいだと聞いたぞ。
だが、兵器として使うならそれなりに使いどころがあるらしいが。それでどうやって気候に影響を与えるんだ」
「まったくですよ。魔法なんて、兵器以外じゃ実用的に使えると聞いたことがないですよ」
「人間は得体の知れない不思議な力なんて使うべきじゃないんです。手足と知恵で今の文明を築き上げてきたんですから。魔法なんて入り込む場所なんてないんです」
「西澤ちゃん。語るねぇ。
まったく、その通りだよ。儂の昔からの友人が突然倒れて亡くなった。医学的には異常は全くなく原因不明。噂では、魔術師にやられたと囁かれてるが、本当のことはわからん。あれは、禁止して使える奴らは隔離しなくちゃ、安心もできんよ」
「まったく、その通りですよ」
西澤は年代物のワインを手に持ち笑顔を向ける。
「先生の『反魔連(反魔法連盟)』へのご協力痛み入ります」
「儂の方でも上と計議してみるが、君たちも何某の動向は監視を頼んだよ」
「おまかせください」
「大丈夫、ご安心ください」
下座の二人は同時に答えて、笑い声になる。東上も満足そうに微笑み、彼が考える魔法使いを隔離する方策を、冗談を交えながらも半ば本気で熱弁を振るっていた。宴は夜が更けても途切れることはなかった。
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