3. 現代魔法の歴史

「浦上センパイ!

 元気かなー?」


 真上寺は、明るい声で挨拶しつつ部屋に入るなり大声を上げる。


「なあに、これ。引越しするの」


 十畳ほどの研究室の半分を段ボール箱が占めている。無理やり片したのだろう、実験器具は不自然に積まれ、彼女が前に見た時以上にごちゃごちゃになっている。銀色に輝く円筒状の装置の陰から窮屈そうな声色で浦上の返事が聞こえた。


「いや、引越ししてくるんだ。第三研が水没しそうだからって。

 俺の部屋は余裕があるって。無理やりね。まあ、しょうがないけどな。困った時は相身互いだからな」


 真上寺は装置を押しのけて浦上がいるあたりに回り込んだ。

「そうなんだ。温暖化で海面上昇が止まらないものね。で、同室の人はどんな人なの?」

「一週間後着任でまだ会ってない。話した感じじゃ普通だったが、面倒臭くないやつだったらいいんだが」

「何言ってんですか。先輩以上に面倒な人いないって」


 浦上は、憮然とした表情で真上寺の意見いいようは無視した。

「で、なんの用だ?

 真上寺が俺のとこに来るときは、いつもめんどくさい話をもってくるからな」

「そんなことないよ。先輩に可愛い後輩の面倒を見るという、最高のボランティアの機会をあげようとしているだけよ」

「どこが、可愛い後輩だよ。まったく。

 まあ座れ、ちょうどコーヒー淹れるところだ。

 久しぶりに本物の豆が手に入った。これは、自分で煎るところからやったからな。すぐに飲みたいところを我慢して、熟成を待ってやっと今日淹れるところだ」


 浦上は、入手困難になりつつあるコーヒーが手に入った嬉しさからからいつもより饒舌になっている。

「ラッキー! でも、お茶ぐらい出すのは、接客の基本よ。

 それに、先輩の腕がどれくらいのものかてあげる」

「口の減らないやつだなぁ」


 浦上の多々ある趣味の内、コーヒーはそれなりのレベルだ。真上寺は浦上の意外な特技に内心では感嘆していたが、素直に褒めるわけもなく。


「うん、まあまあね。思ったより美味しかったよ。豆がとっても良いから、今度はもっと美味しいコーヒーを淹れてね」

「相変わらず、偉そうなやつだ。淹れて損した。

 それで、結局何の用だ」

「まあまあ、一応褒めてるじゃないですか。そんなこと言わず、今後もよろしくね」


 ニコリと笑ってみせる。浦上の仏頂面は変わらない。

「相談なんですけど。指導教官から、輪講のテーマが割り当てられたの。私のテーマは『現代魔法の歴史と、物理干渉の機序と適性について』」

「なんだよ、魔法の歴史は高校で習っただろ。基礎の基礎じゃないか」

「そうなんだよね。

 でも、改めてまとめるとなると、ほら、私理論弱いから」

「なんだよ、干渉力は人並み以上なのに。魔法学園高校の伝説のあの人以来と言われていただろ。

 そうか、理論弱いか」


 浦上がちょっと嬉しそうな顔になる。


「ふん。可愛い後輩が心配じゃないの? これで留年とかなったら先輩の所為だからね」

「俺は、関係ないだろう。

 しょうがないなあ」

 ぶつぶつ言いながらも浦上は、ノートにお薦めの書名を書き出し、簡単な説明を始めるのだった。



 魔法と言うと、おとぎ話に登場するなんでもできる不思議な力を想像させる。そして魔術には陰鬱な響きがつきまとう。それは、その言葉が背負う迫害や伝承の歴史がそうさせるのだ。しかし現代では、魔法にはそのイメージはない。少なくとも魔法に関わる人々にとってはだが。いまや、魔法とは、理論に裏打ちされた現実に作用する力だ。


 その存在が科学界に衝撃を与えたのはほぼ百年ほどの昔になる。当時、近世の産業革命をへて価値観を含め時代が大きく変わり始めたころ、二度の世界大戦で旧来のシステムが崩壊したヨーロッパに彼ら魔法使いは現れた。時代の変化のなかで食い詰めたのかもしれない。いや、ギルドの封鎖的世界のなかで閉塞に絶望し、自分の魔法ちからの理解を深める道として科学を求め、希望に燃えていたのかもしれない。近代以前ならば、迫害を逃れるための厳格な戒律により命の危険があったが、それも時代の流れから効力をなくしていたこともあったのだろう。いずれにせよ『魔法』は確かに物理的世界に干渉していた。


 ヨーロッパから起きた嵐は、世界の科学界を巻き込み、信じる者と大多数の罵倒する者との大論争が起きた。何度も何度も精密実験が繰り返された。確かに『魔法』の効果が統計的に否定できないと証明されると科学界は絶望した。自然の、科学の現象に人が物理的手段以外で直接干渉する。その効果はそれほど大きくはなかったものの物理法則の普遍性が揺らいだのだ。十七世紀に始まる近代科学、魔術的なものを排除し合理性と人間の理性を指標としてきた歴史を持つ科学者にとっては世界の崩壊を意味しかねなかった。


 次に、社会をマスコミを政府を巻き込んだ混乱が巻き起こったのだ。『魔法』という言葉がひとり歩きし、憶測を呼ぶ。詐欺師が跋扈ばっこし、株は大暴落、先物取引は乱高下した。

 古い価値に縛られた者はデモを煽った。神の真実を説きテロを起こす者もあった。『魔法』があったからと言って現実の生活は変わらないという事実を置き去りにして。


 しかし、科学の学徒は敗北を認めたわけではなかった。人間の理性を信じ、人間の才を信じ『魔法』に科学の言葉で果敢かかんに戦いを挑んだのだった。数学界に援軍を頼み、敗戦に敗戦を重ね死屍累々のなか、幾つかの戦果をあげた。些細しさいな手がかりから、とうとう勝利とは言い切れないものの、『魔法』を科学の言葉で記述する方法を半世紀以上かけ見つけた。

 真実であるかわからない。なぜそうなるかもわからない。ただ、確かに発見された方程式は、『魔法』の効果を記述し、物理世界を矛盾なく記述することができた。ただ、その複雑さと珍妙さはより深い真実を予感させるものがあった。だが、現代の科学はそれを理解するところまで進歩していない。でも、いまはそれで十分だった。理論に従った『魔法』による物理現象の改変が観測されると、研究は飛躍的に進んだ。いまや、『魔法』は物語のなかの『不思議な力』ではない。現実的な力だった。



「ここまでは、押さえておけ」

「へー。学校で習ったけど、科学界の件はさらりと流していたな」

「それは、そうか。て、これは大学の『魔法の歴史』でやるはずだが」

「必須じゃないからとってない」

「うーむ」

「わたし、ほら。大学は実技の推薦で入ったから。それに、必須の講義以外は実技系に偏ってるのよ」

「まったく。

 それから、これ。魔法の適性…… 」



 魔法が実在することが理論的に説明されると、なぜ今まで公知にならなかったのかが問われることとなった。魔法は誰でも使えるわけではない。ではなぜそうなのか。どのような人間なら魔法が使えるのか。どうすれば使えるようになるのか。


 その探求のなかで、非人間的生体実験も行われた。最初は純粋な科学的探究だった。しかし、歴史が示すように新しい理論が生まれるとそれを軍事に応用しようとする者が必ず現れるが、それはまた別の物語となる。


 だが、結果として魔法を使えるようになる方法が開発された。

 現在では、魔法適性のある成長期の子供の脳の特定領域に超強磁場を使用した理学的処理を行うことで魔法能力を活性化できるようになっていた。理由はわかっていないが適齢期を過ぎると効果がなくなる。それでも適齢期(十五歳から十八歳)の人口の0.1%ほどしか魔法を使えるようにはならなかった。魔法の能力は本当に希少な才能であった。魔法学園高校はそのために作られた施設で、浦上や真上寺はそうして魔法を使う能力を与えられた魔法使い「後天的魔法使い」(単に魔法使いと呼ばれる)であった。対してごく少数の生まれながらに魔法を使える者たちは「先天的魔法使い」と呼ばれた。



 それで、魔法記号学の方は? 実践がからむから、さすがに取ってるか」

「ええ、実技には必須だから。成績はギリギリだけど。

 こんど、可愛い後輩のためと思って教えて」


 浦上は諦めの気持ちがあるのかいつもの軽口で返す。

「何度言った。魔法学園大学は魔法学園高校からの進学が九割だろ。つまり、ほとんどの学生は俺の後輩だが」

「何度も言うけど、後輩に違いないでしょ。

 お礼に私を下の名前で呼ぶこと許してあげる」


 形の良い鼻をツンとあげ目を細め浦上を見つめている。


「そんなの俺にはちっともメリットないぞ。それに、俺は呼びたいときに呼ぶ。

 それよりこの礼は、昼飯な」

「あっ、もう講義室行かなきゃ。先輩、コーヒーご馳走様でした」

 パタパタと足音を残し、爽やかな風と共に彼女は走り去った。


「勝手なやつだな」

 ひとり残った浦上は呟くのであった。

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